4 不動産屋
「ゆゆゆうれい! なんのことでしょう!」
鈴木という不動産屋の目は完全に左右に泳いでいた。眼鏡の向こうでダイナミックに泳いでいた。
「3日か……長い方かな」
彼の後ろにいたアルバイトらしきお姉さんがぽそっと呟いた。
「こいつの住んでいる部屋のベッドの下、だけで分かりませんか?」
怒りを含んだ笑顔で俺が言うと、鈴木は立て直したらしきポーカーフェイス笑顔を装着した。
「怖い怖いと思っていると、そう見えてしまうようですよ」
何一つ怖いと思ってないからこいつには見えないんだろうか、と颯太を見ると彼は首を傾げた。いや、とりあえずこいつはおいておこう。頼りにならん。
「じゃあ鈴木さんは見えないとでも?」
「もちろん! 幽霊なんているお部屋をお客様に貸し出すなんて、間違っても!」
「じゃあこれから一緒に部屋に行きましょうか?」
「よ、よろしいですとも!」
俺は付け加えた。
「あとベッド下の写メ撮るんでそれを待ち受けにしてくださいね」
「大変申し訳ありませんでしたあああああ!!」
鈴木の心が簡単に折れた。ボッキボキに折れた。
間違っても再度部屋に入りたくなかった俺は心から安堵した。
「……いますよね?」
「ハイ、おります……」
小さな声で鈴木が言う。鈴木自身も、颯太がベッド下を見たときには、全て終わった、と思ったようだ。しかし平気で契約をしたので、どうしたことかと思った反面、やっとこの不動産屋泣かせの物件がさばけたのだと、昨夜は祝杯をあげたという。
「当然部屋は変えてもらいますよ?」
「かしこまりました……」
不動産屋泣かせの再来に、鈴木は涙を禁じ得なかった。一応念のため、付け加える。
「こちらの不手際となりますので敷金礼金はお返ししますが……新しい物件は大体お家賃5万は超えますがよろしいですか?」
「あの、俺別にあそこでいいですよ」
そこで爆弾を落とすか、颯太。衝撃の度合いを示すかのように鈴木の眼鏡がずれた。俺もぽかんと颯太を見ると、申し訳なさそうに颯太が言う。
「翔が頑張ってくれているからなんか言いだしにくかったんだけど……5万の家賃になると姉さんの方への仕送りから回して貰うことになっちまうんだ」
美香さんは喜んで回してくれると思うんだが……。そりゃあもう間違いなく。
「2万くらいならバイトでなんとかなるし、食費もかかるからあんまり父さんに迷惑もかけたくないし」
お前の親父さんは、颯太がベッド下の女性と同棲し出したと聞いた方が確実に泣くぞ。
「何かあったらどうすんだよ、お前!」
俺は嫌だ。絶対嫌だ。
幼なじみがあんな恐怖屋敷に住むのは嫌だ。
3割ほどはまじめに颯太が心配だが、10割が恐怖からの反対だ。130%の俺の反対を颯太は照れた顔をして受け流す。
「お前がそんなに俺を心配してくれるとは思わなかった、止めるの遅くなってごめん」
謝るのはそこじゃない。そこじゃないんだ、颯太!!
俺が本気で颯太を殴り倒して正気に返そうとしたが、その前に鈴木の歓喜の声が割り込んだ。
「お客様!! それはすばらしいお志です!」
黙れこの眼鏡!
「お客様でしたら、来年の更新料は頂きませんので!」
来年まで居つかせる気かこの眼鏡!!
俺の視線が眼鏡をたたき割るかのように険悪になったのを見て、鈴木はぶるぶると首を振った。
「もしお二人で暮らしても、大家さんからは私が許可を得ますので!」
だ、誰があんなホラー部屋に住むかああああああ!!
「部屋数はあいてるからまあ、問題は無いけど。俺は居間に住めばいいし」
まじめに検討すんじゃねえよ、颯太! むしろ俺にベッドを譲るのは普通に嫌がらせだ!
* * * * * * * * * *
「……」
脱力した俺はとぼとぼと帰りの道を歩いている。結局颯太はあの部屋にそのまま住むことになり、鈴木は祝杯をあげてくるようだ。
颯太が心配そうに俺を見るが、俺としてはお前のほうが心配だ。
「なんか、ごめんな翔」
「……」
もう何て言ったらいいのか。
3日無事だからといって、その後も無事とは限らない。特に俺が騒いだせいで、反応して元気になっちゃったらどうしよう。
「……颯太」
「ん?」
「命の危険を感じたら迷わず警察を呼ぶんだぞ」
どれほど警察が幽霊に対抗してくれるかは分からないが、それくらいしかアドバイスのしようがなかった。俺を呼ばれても行ってやれるかどうかは、友情と恐怖の激しい葛藤がありそうで心配だからだ。
「ありがとな、翔」
「だから撫でんな!」
そんな颯太とベッド下のメリーは、なんだかんだでお互い無関心を貫いて今に至る。