19 渡すべき物
メリーさんの携帯電話と言われたものは、一昔前の機種のように見えた。
ためつすがめつして見てみるが、携帯会社のロゴは入ってないので、キノコの会社でもお父さん犬の会社でもないことが分かる。
電源らしきボタンを押しても反応はないし、充電らしき穴も開いていないので使い方がよく分からない。
「メリーさんの携帯電話って、何ですか?」
俺の当然の疑問に、結衣さんは頷いて話し出した。
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――ある雨の夜だった。
結衣は仕事の帰り際に携帯電話が震えるのを感じた。非通知であったのだが念のため取ってみると、女の子の笑い声が聞こえた。
ああ悪戯かと電話を切るも、10分後にもう一度かかってくる。
しつこいなぁと思った結衣だったが、あることに気付いて愕然とした。
「私……非通知拒否しているはずなのに」
通知しない電話は初めから繋がらないはずなのだ。
怯える結衣に再度電話がかかってくる。マナーモードの振動が、怖い。
着信を無視したまま、結衣は走って家へと帰ってきた。新築のマンションで、3日前に引っ越したばかりである。兄が融通をきかせて比較的セキュリティの良いところを選んでくれたのだ。
家へ入って慌てて鍵を閉め、ベッド横で携帯を見ると、伝言メモが3件入っていた。
冷や汗が出た。
震える指でメモを再生すると、その子供のような無邪気な声は、こう言った。
――私、メリーさん。今あなたのそばの駅にいるの。
――私、メリーさん。今あなたの家の近くのコンビニにいるの。
――私、メリーさん。今あなたのマンションの1階にいるの。
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「こっわあああああ!!」
聞いてるこっちが怯えてしまった。当事者である結衣さんが臨場感たっぷりに話すのだ。本気で怯えてるのかと問い詰めたい。
無神経野郎はどうだろうと颯太を見ると、彼は平然と話を聞いていた。
この話を聞いてなお、無表情でいられるとか、ああ本当にこいつのほうが人外なのではなかろうかと、少し距離を取る俺を見ながら、結衣さんはクスクスと笑って言う。
「私も本当に怖かったです。伝言メモの再生が終わって、ガタガタとベッド脇で怯えていたら、また電話がかかってきたんです」
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――私、メリーさん。今あなたの後ろに
「っきゃあああああ!!」
話の途中で悲鳴を上げて、結衣は逃げ出した。
がむしゃらに手を振り回し、慌てて手元の携帯をひっつかんで逃げ出した。足が思うように動かなくて、玄関を出たところで転んでしまった。もう動けない。腰が抜けてしまったようにそこに座り込んでしまった。
振り返って扉を見ると、完全に閉まっていて何の音もしない。追いかけては来なかったのかと、安堵する余裕もなかった。
結衣は携帯で兄にかけると、泣き声で叫んだ。
「お兄ちゃん、助けて!!」
ただならぬ声に、兄がとんで来た。彼も部屋の中に入ってベッド下の存在を確認したらしい。怯えた真っ青な顔で警察を呼んでいた。
しかし来た警察は「誰もいませんよ?」と不思議そうに言ったという。
警察が帰ってしまったが、結衣はもう部屋には戻れなかった。3日しか離れていない実家へと戻ってくることになった。そのときにやっと結衣は気付いたのだ。
何故か手元に携帯電話が2台あった。
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「多分なんですけど」
結衣さんが言った。
「メリーさんって、携帯がないと移動できないんじゃないかなって思うんですよ」
私、メリーさんと言いながら一瞬で次々と場所移動しているのは、電話が繋がることによって何らかの妖怪通路でも繋がっているのだろうか。残念ながら妖怪ではないので分からないが、隣の幼なじみならそのうち妖怪になるかも知れないので分かるかも知れない。
結衣さんは、メリーさんが持っていた携帯を奪われ、それゆえにベッド下から地縛霊のように動けなくなってしまったのではないかと推察した。
しかし多少不安がある。俺は尋ねた。
「携帯を返してメリーさんが自由に動き回れるようになったら、報復されませんか?」
「される可能性はあるとは思いますが、私は今は携帯を持ってないんです。家の固定電話もありませんし」
あの恐怖の体験のせいで、しばらく携帯や呼び出し音に怯える日々が続き、眼鏡に手続きをお願いして解約したのだという。
「まあ、本当はそのままそこにいてほしい気もするんですけど、最近ずっと住んでる人の話も聞いて落ち着いたのもあって、知り合いの霊能者に相談したんです。そうしたら、そういうのは早めに解放したほうがいいって言われたんです。長引けば長引くほど、恨みは深くなるから今ならまだ解放の喜びが報復行動に勝るから、やられたとしても悪戯程度でおさまるらしいです」
包丁を持った女の人の悪戯が悪戯で済むのだろうか。あ、うっかり殺しちゃった、ごめーんとなったら怖いのだが。
かといって、10年後にいきなりメリーさん大怨霊版などが来てもそれはそれで困る。そっちは確実に死ぬ予感がする。
そんな訳で。
「この携帯を、返しに行きたいんですけど、お願いできませんか?」
そう頼む結衣さんの言葉に、結局は頷くしかなかった。