12 野生動物
ファミレスで話した後に、念のため見えるか確認しようと、あやさんと颯太と俺で、実際にマンションに行くことになった。
「お邪魔しますー」
「狭いですけど、どうぞ」
「ちげーだろ、怖い部屋ですけどどうぞ、だろうが」
挨拶して部屋に入るあやさんに対し、俺は玄関待機である。出来ることなら待機で終わりたい。
「こっちです」
案内する颯太の後ろで、さすがにちょっとおそるおそるといった様子で部屋を覗き込むあやさん。
その表情は緊張から、すぐに安堵に変わった。
「やっぱり、いませんね」
「ですね」
くるりと颯太が振り向いて、俺に手招きする。俺は視線を逸らした。
「往生際悪いな、翔。協力するって言ったろ」
「往生際って言うのはな、死ぬ間際って意味だろうが! そりゃあ全力で抗うわ! 地獄の縁を喜々として見る奴がいるかっ!」
すたすたと俺の近くまで寄ってきて、俺の左手を捕まれた。そのままぐいぐいと引っ張られてずるずると引きずられていく。あっさり引きずられるのは体格の差が問題なのであって、決して俺が小さいからではないっ。
「……!」
当然の如くいらっしゃるベッド下。さっと視線を外す俺に、颯太は尋ねる。
「いるんだよな?」
「いなかったら喜んでベッドにダイブしてるわっ!」
「ふむ」
あやさんはベッド下を覗き込むように床に座っている。薄目を開けた俺の視界に、怖い光景が映る。
「あやさん、あやさん。そこほんと目の前なので、もうちょっとこっち来てくださいっ」
あやさんは「あ、はい」と素直に俺の方へ寄ってきた。
「翔さんには見えるんですよねぇ……どんな感じなんですか?」
「颯太に手を捕まれていなかったら今すぐ帰りたい感じです」
くすっと笑うあやさんに、俺はほっとする。女の子はこうであってほしい。可愛くてほほえましくてちょっぴりしたたかでもいい、……いや、とりあえず生きていればいい。
俺がストライクゾーンを大きく広げている間に、隣の2人は会話を重ねていく。
「翔には見えるし、姉さんにも見えるし……あとは不動産屋さんにも見えるらしいんですけど、多分」
「でも今のところ何もされてはいないですよね?」
「俺は特に何も。翔は?」
顔を覗き込まれるが、薄目の俺を見て颯太は笑みを見せる。
「何かあったっけ? この前のこと以外で」
「……」
ごす、と俺の拳が颯太の腹に決まった。嫌な記憶を思い出させやがってこの野郎。
ごふごふと咳き込んでいる颯太を尻目に、やっとその手から解放された俺はリビングの端に逃亡した。
「ねぇよ。でも何もする気がないなら、何だってその包丁持ってるかわからんだろ」
「……っ、なんで殴るんだ……」
「そこにお前がいたからだ」
そこに山があるから登るかの如くである。
あやさんはベッド下を遠くから再度覗き込んだが、分からないとばかりに首を振った。
「あの、翔さん。ベッド下の人って包丁持っているんですか?」
「はい」
再度頑張って薄目で見ると、銀色に光るものはやはり包丁であった。
「女の人? 体つきはどんな感じですか?」
「ベッドと髪の毛でほとんど見えませんけど女の人だと思います」
あまり直視はしたくない。動物は目が合うと襲ってくると聞いたことがある。喧嘩を売られていると思うのだそうだ。
当然まったく喧嘩を売る気の無い俺は視線はいつも逸らしている。その先にあやさんがいるのはもちろん偶然である。うん、見るなら生きてる人がいい。
「無理矢理引きずり出して、似顔絵とか描けないか?」
「ぶん殴るからもうちょっとこっちに来い、颯太」
右手で手招きすると颯太はふるふると首を振ってベッドのほうに近寄った。あの野郎さすが分かってやがる。
その颯太はいきなりベッド下に手を伸ばした。
「おいいいい!!」
俺の心臓が縮みすぎて死ぬかと思った。その手が奥へ行くと共に、ベッド下の女はすすっと奥へ引っ込んでいく。
「今、どうなってる?」
「俺の心臓が死にそうな以外は、ソレが奥へ引っ込んでいるくらいだよ!」
さすがこのベッドの上で眠っている奴は図太い。颯太はよいしょっと、もっと奥まで手を伸ばした。俺の心臓はドッキドキである。俺が女で吊り橋効果を狙ったら、颯太に惚れているかもしれない。
しかし颯太が奥へ奥へと手を伸ばすも、ベッド下の女にはかすらない。すすっと下がって逃げてしまう。触られたくないのか、あるいは?
「どうだ?」
「……逃げてる、な」
颯太の手の届く範囲に限界が来たらしく、俺の方を見る。俺は首を振って届いていないと伝えた。
すると颯太は床を掃除する細長い棒を持ってきて、あろうことか。
奥に突っ込んだ。
……動物は目が合うと襲ってきます。もちろん攻撃してはいけません。
そんな阿呆みたいな一文が俺の脳裏に浮かんだ。
「颯太っ!!」
突っ込んだ手ごと切り落とされるような気がして、俺は颯太に駆け寄った。抱きつくように腕を掴むと、そのまま引っ張り抜いた。
同時に俺と颯太が床に倒れ込む。その颯太の右手には。
完全にすっぱりと切れた細長い棒があった。
「野生動物は刺激したらいけないって言われてるだろうがあああああ!」
俺の怒声が夕焼けに消えた。