1 いわくつき物件
*恋愛要素はほぼありません。ミステリー要素も多分ありません。
気楽にコメディとしてお読み下さい。
「翔!」
高校から1人暮らしをはじめた颯太は、俺を見て手をあげると珍しく嬉しそうに笑う。
颯太に会うのは久しぶりだ。最近はずっと引っ越しで忙しかったようで、住み始めて最初に俺を呼んでくれた。
エントランスは広く、しかも入り口はオートロック。えらい高級そうなマンションである。
「颯太、いいマンションじゃん」
「だろ」
ほめられて照れくさそうに、俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。俺の身長への喧嘩を売ってると見なし颯太の腹を殴ると、「悪い悪い」と言って手を離した。
清潔に掃除されたエレベーターで上がりながら、俺はふと気になって聞いてみた。
「そういえば美香さんは?」
「姉さんは東京に住むらしい。姉さん……俺の引っ越しの手伝いをしてくれてから……」
困ったように颯太は鼻の頭をかいた。
「電話が全然通じない」
「……へ?」
姉弟の確執か何かでも起こったのだろうか。まさか事故とかはないだろうな? 気にはなるが、部屋で落ち着いてから詳しく聞けばいいだろうと思った。エレベーターがチン、と到着の音を鳴らす。
廊下も真っ白で手入れがされている。所々に観葉植物が置かれ、高級ホテルのようだ。
「よくこんな所に住めるよなぁ。高いんじゃねぇの?」
高校生の住居にしては完全警護である。お嬢様かお前は、と言わんばかりの俺の表情を見て、颯太は首を振った。
「いや、安い。家賃2万だ」
「……は?」
2万? これが!?
さすがにこの新築のようなきれいさで、ありえないだろう。東京ではないにしろ、1DKで平均家賃は4、5万円のこの付近で。
「……お前んち、風呂もトイレもない6畳の部屋?」
このきれいなマンションで一室だけそれだったら虐めである。
「いや、1LDK」
「……」
どんどん嫌な予感しかしない。
「10人くらいで雑魚寝してるとか?」
「1人暮らしって言ったろ? ほら、着いたぞ自分で見てみろよ」
そう言って颯太がカードキーを差し込むと、部屋の鍵が開いた。ガチャン、と。
なんとなく嫌な予感がして、颯太の後ろに隠れるようにちらっと部屋を見た。
「何おびえてるんだよ」
「……通常1LDK新築マンションは2万の家賃じゃ入れないぞ?」
「そうだな。ラッキーだったな」
いやラッキーとかそういう範囲じゃないだろう。だまされて契約書に0が1つ増えてるんじゃないかと思いたかった。
外からちらっと見ただけでは部屋は本当にきれいだった。
「……夜中に変な声とかしないか?」
「するか。壁は厚そうだし」
「……起きたら知らない場所に手形とかないか?」
「夢遊病のようなマネをするわけないだろ」
ぐずぐずと足踏みをしていると颯太は呆れたようにさっさと部屋に入っていった。数秒迷ってから、俺も続く。
なあ、颯太。
通常1LDKのマンションが2万の家賃で入れたら、それはもういわくつきって言うんだよ!
* * * * * * * * * *
「好きにくつろげよ……何やってんだ」
左右からの攻撃に備えて腰が引けている状態の俺に、ジュースを出してくれる颯太。お前はその気遣いをもう少し常識的な方に回したほうがいい。
ここは多分戦場だ。
「ここか!?」
「ユニットバスじゃないからいいよな。つい長風呂しちまうし」
勢いよく開けると風呂に女はいなかった。いや颯太の彼女とかではなく足の無いタイプのやつだ。
清潔そうなタイル張りの風呂で、おそるおそる見てみたが浴槽はすでに湯は捨てられていたみたいで、空だった。もちろん死体もなかった。
「こっちか!?」
「入りたかったらさっさと入れ、お前はお子様か」
トイレ行きたくてばたばたしてた訳じゃねぇよ!!
幸いトイレにも誰も居なかった。ノックをし忘れたが問題ない。返事が返ってきたほうが問題あるからだ。
じゃあもう敵は広めのリビングダイニングキッチンの部屋の奥にある、寝室か。扉の無い空間でL字型に部屋が続いているため、居間に向かえばすぐにいるはずだ。おそるおそる壁越しに覗き込むと……。
「……いない」
寝室にはベッドが1つ。左右にはクローゼットらしき扉がある。ソファーとテーブルがある手前の部屋の居間には、呆れたように座っているこの部屋の住民が1人いるだけだ。
最後に念のためクローゼットをあけると、奥にお札がはってあるようなこともなく、颯太の服がいくつか入っている程度だった。
「……お前って初めて部屋に放した小型の室内犬のようだよな……」
颯太が俺の様子を見て、そう締めくくる。そりゃあ部屋中を警戒して見回す様子がそう見えたのかも知れんが、小型と付け加える辺りに俺と颯太の深い溝がある。主に身長という名の溝が。
「どう考えても2万でこの部屋はおかしいだろ、警戒しろよお前こそ」
「俺は既に3日もここに住んでるんだぞ? 何かいたら分かるだろ」
うーん、それもそうかも知れんが……。
そう思いながらやっと俺はソファーに腰掛けた。
颯太が出したオレンジジュースを飲みながら左右を見回すと、確かに安くてきれいで、この部屋に入れたのはただのラッキーなのかもしれない、と思った。
「そういや美香さんはなんで電話でてくれないんだ? 喧嘩でもしたのか?」
「うーん、喧嘩したというか……。姉さんの携帯にメールしてもエラーで帰ってくるんだ」
「メアド変更して教えてないだけかもブフゥ!」
壮絶にオレンジジュースを吹き出した。幸いというか被害はテーブルの上に限定されたが、颯太が慌ててタオルを持ってくる。
俺の視線は一カ所に釘付けだった。
居間のソファの上に座る俺。先ほど視線を何気なく寝室の方へやったら……。
「何やってんだお前は、大丈夫か?」
颯太の投げたタオルは、力なく振られた俺の首にかかる。タオルを手に持って震える手でテーブルを拭くと、俺は颯太に提案した。
「……飯食いにいこう!」
「まだ3時だぞ?」
「おやつがまだじゃねーか! 3時ときたらおやつだろ!」
必死でパチパチと片目をつぶって颯太に目配せする。
「お前の好きなシュークリームとチョコケーキ買ってあるぞ」
なんでお前はそういうところだけ気配りしやがるんだこの野郎。
「シュークリームとチョコケーキにはコーラだろ! 買いにいこうぜ!」
「あるよ」
だからお前はほんとうに気の利くやつだな馬鹿野郎!
冷蔵庫からコーラとシュークリームを取り出す颯太はパチパチしてる俺に「目に何か入ったのか?」と目薬までとってこようと寝室へ向かおうとした。
「違うから、大丈夫だ!!」
飛びつくように止めるが、もう俺は泣きそうだ。すでに視界が涙ぐんでいる。
「頼む、颯太。どうしても買いにいかなくちゃいけないものがあるんだ!」
颯太は戸惑いながらも頷くと、尋ねた。
「別に構わんけど……何買うんだ?」
もはや思考は停止していた。とりあえず何か言わなくちゃと思って、俺は言葉を絞り出した。
「……しゅ、シュークリーム……」
テーブルの上と俺を二度ほど颯太の視線が往復した。しかし颯太は男だった。
「……分かった」
かくして俺と颯太はテーブルの上にあるシュークリームを買いに部屋をでることとなった。
* * * * * * * * * *
「お前は馬鹿かああああああ!!」
部屋を出た瞬間に颯太に向かって叫ぶ。こいつの察せなさに、もう涙が出てきた。震える手で携帯を取り出すと、110番を押した。
「どうしたんだよ、翔」
「どうしたもこうしたもねえだろ! 気づかなくて良かったのかもしれないけど、とりあえず逃げよう!」
颯太をひっぱるようにして、部屋の前から移動した。出来るだけ遠く、少なくともエレベーターに乗ってエントランスあたりまで逃げたい。
「はい、事故ですか? 事件ですか?」
はきはきとした警官の女の人の声を聞いて、俺は叫んだ。
「友達の家のベッドの下に、包丁を持った女の人がいたんです!」
俺が発狂しなかったことを感謝してほしい。