桜の名残を
「申し訳ありませんでした。とんでもないことをしてしまったと、心から悔やんでいます」
子供を持った経験などないであろう若い弁護士が、長テーブルの向こう側、すまし顔で、被告の言葉を代弁している。
「できることなら、ご両親と、……それから、相手の子に会って謝りたい。ごめんなさいって……」
薄暗い取り調べ室。担当刑事の前で神妙に頭を垂れ、少年達は言葉少なに、そう言ったのだそうだ。 一人の人間の命を奪い去り、三ヶ月余も素知らぬ振りを決め込んで日常生活を送っていた少年達の、それが、謝罪の言葉だそうだ。
奴等が溜まり場としていたゲームセンターの前を、その日、たまたま通り掛かっただけの、面識すらない中学生一人を拉致監禁し、四人がかりで散々にいたぶり、玩具にし、悲鳴さえ上げられなくなる程に衰弱したと見るや、最後の遊び道具として、ボロ切れでも引き裂くように切り刻み、命を奪い、黒いビニール袋に詰め、生ゴミと一緒にポリバケツに捨てた少年達の、それが、謝罪の言葉なのだそうだ。
「彼等はいずれも、深く反省しています。被害者であるA君とは学校も違い、面識はなく、彼等に計画性があったと判断する材料は一切見あたりません。衝動的な犯行であったと断言してよいと思います」一呼吸おいて、弁護士が続ける。「夜、夢に魘され、怯えると訴える子もおります。彼等が心に深い傷を負っていることは明らかです。過ちは過ちとして正さなければなりませんが、彼等は未だ成長途上の不安定な心理状態にある未成年です。今後の審議においては、その点に充分に留意いただき、彼等の更正の道を探ることこそ重要であると考えます」
右手、中指の先で細い眼鏡のフレームを押し上げながら、弁護士はそう締めくくった。
謝りたい……?
謝りたいだと?
簡単に奪った命、生き返るわけなどない命に向かって、今さら、謝りたいだと……?
ふざけるのもいい加減にしろ!
奴等は知っているんだ。そんなこと、できるわけがない。けれど、慈悲深い大人達の心証を良くするためには、それが一番効果的な言葉だということ。未成年である以上、法律が自分達を護ってくれる。今は捕まっても、すぐに元の生活に戻れるのだということまでも……。
申し訳なかった? 悔やんでいる? 奴等は何て簡単に、その言葉を口にするのだろう。まるで事前に用意していたかのように、滑らかに口にするのだろう。
一人息子を奪われた間宮浩二の、それが正直な気持ちだった。 固い握り拳を振り上げ、壁を思い切り叩く。
押さえきれぬ感情のやり場は、他に何処にもなかった。
素直に悔やんでいるのだから、……少年なのだから、更正の道が示されるべきだ。彼等は十分に更正できる可能性がある。その芽を摘んではいけない。少年だから。 ……子供だから。
そんな簡単な言葉で片付けられてしまう程に、人一人の命は、……息子、啓太の命は、軽いものだったのか?
それなら、いっそ蔑んで、恨み辛みの言葉の一つも聴かせてくれた方が余程マシだった。殺されても仕方がないんだと、……お前の息子は生きている価値などない屑人間だったんだと……。
無論、すぐには納得できるはずなどない。仮に、どんなに出来が悪かろうと、たった一人の掛け替えのない息子なのだ。だが、それでも、自業自得なのだと諦めがつくくらい、罵詈雑言を浴びせられ、命を奪うという最終行動に出ざるを得なかった自らの葛藤を、……その正当性を主張して欲しかった。
そうでなければ、どうやって納得しろというのだ? 世の中に蔓延る、この不条理を。
啓太は自慢の息子だった。
幼くして母親を亡くした淋しさを、父親の前では垣間見せることさえなく、葬儀の日でさえ気丈に微笑んでいた。刑事という危険な仕事をし、父親らしいことなど何もしてやれなかった俺に、何時かはお父さんのような正義の味方になるんだ、などと健気な言葉さえ掛け、挫けそうな背中を押してくれた。彼が居てくれたから、妻を失った後、自分は今日まで頑張ってこられた。そう胸を張って言える、勿体ないくらいの孝行息子。そこいらの道楽息子なんぞより、人間として遙かに優秀だと心から誇っていた、たった一人の息子。友人と遊びに行く時も、部活の合宿にいく時も、父親の栄養管理を気遣うような優しい息子。少なくとも、犯人の少年達よりは遙かに 生きる価値があった大切な息子。それなのに……! 啓太の命は奪われ、二度と再び俺の手許には戻ってこないというのに、お前達は生き、保護され、庇われ、そして、何時か全てを忘れて、再出発という名の許に、これからの長い人生を生きていくというのか? その権利がなぜ啓太には与えられない? 同じ人間として、なぜ……? なぜ! そんなに簡単に申し訳なかったと思える人の心が残っているのなら、悔やむ心が残っているのなら、どうして一瞬、……そう、 ほんの一瞬だけ躊躇ってはくれなかったのか! 躊躇ってさえくれたなら……、弁護士が言う、奴等の心にもあるはずの人間の心に、『あの時』気付いてくれたなら、息子は、せめて命までは奪われずに済んだかもしれないのに。
父として、俺にはもう悲しむ役しか残されていないのか? 哀しみ、涙する役しかないというのか?
啓太には、なぜお前達は僕の命を奪ったのだと、僕がお前達に何をしたのだと、そう文句を言う権利どころか、時間さえ与えられなかったというのに……!
現代社会は公平なんじゃなかったのか? 法律は万人の前に公平正大であるべきなんしゃないのか? 少なくとも、俺は息子にそう教えてきた。
悪いことをすれば罰せられる。良いことをすれば、いつかは報われる。 そう教えてきた。 なのに、真実の世界ってヤツは、余りに不公平すぎる。
なら、俺だって、もぎ取ってやる。啓太が与えられてしかるべき権利を、啓太の代わりに、俺が、この手でもぎ取ってやる!
そして、公衆の面前で叫んでやるんだ。俺は悔やんではいない。申し訳ないなどと、一度たりとも考えたことはない。謝る言葉なんかない。なぜなら、俺は奴等が憎かった。俺から大切な息子を奪った奴等が憎かった。だから殺そうと思った。だから、殺したんだ! ……と。
奴等にも両親がいるだろう。彼等は、そんな俺を見て、俺の言葉を聞いて、なんと思うだろう。憎いと思うだろうか。バカげていると思うだろうか。狂人だと、思うだろうか。 ……もしかして、同じ子供の親として、俺を哀れむ気持ちが心の片隅に僅かでも芽生えるだろうか……? フッと冷静になり、次の瞬間、そんなことを考えた己に向けて苦笑を投げる。
あるわけがない、そんなこと。
誰だって、自分と同じように、他人のことを考えられるはずなどない。俺だって同じだ。そのことを嫌というほど思い知らされたくせに、俺は何を期待しているんだ? 無駄なことだ。 世の中は、不公平なのだから……。
数年後……。
間宮浩二は、とあるゲームセンター横の裏道に佇んでいた。
我が子を護りきれなかった一人の父親として。
……独りの、犯罪者として。
両の手にべったりと纏わり付いた鮮血をハンカチで拭いながら、足許に倒れ伏す少年を見下ろす彼の視線は、冷ややかなものだった。足許に、どす黒い血溜まりが徐々に広がっていく。群衆のざわめきと、パトカーのサイレンの音を遠くに聴きながら、間宮は啓太を失ってから初めて、 口許を歪めた。それが笑みだったのか、はたまた別の感情の現れだったのか、それは間宮本人にさえ解らなかった。
了