0006 どうでもいい
自分でも聞こえる音を立てながら、蓮は唾を飲んだ。
その視線の先には――人間の原形まるで留めていない赤黒の肉の塊。おまけに肉の塊には、チェーンソーが腹部と思われる部分に突き刺さっていた。四肢がすべてバラバラとなっている全身から血液が地にあふれていた。しかし、血液はすでに乾いているようだった。
鼻を刺す強烈な異臭が漂っていた。同じく鉄のような血臭さがする魚屋の比ではなかった。比べるに値しないレベル――もはや月とすっぽんだ。
腹は縦に切り裂かれ、手で握りつぶされたようにぐちゃぐちゃな内臓が、辺りに飛び散っていた。医療系のテレビドラマを出演者目当てだけで見る、フィクションの血ですら無理な人が見たら、気を失ってしまいそうだ。無理、でなくとも苦手な人も一発KOだろう。
見慣れない遺体に惑う生徒達。しかし、その中には、野次馬も何人かいた。騒ぎを聞きつけたのか、高校生や教師以外の人々もちらほら見えた。
泣き崩れる者、こんな機会でも少しでも目立とうとする者、どうしたらいいのかわからず、ただ立ちすくむ者。様々な人間がいた。
神宮蓮はその中の、どれにも属さなかった。
彼は野次馬のふりをしつつ、できるだけ目立たずに、状況を確認しようとしていた。が、まもなく警察が来てしまった。もうこれ以上、状況を詳しく観察することは望めない。
数人の警官が野次馬達の間を割入って来た。他の警官は野次馬達を追い払ったり、立ち入り禁止の黄色のテープを張る準備をしていた。
「おいおい……」
警官の1人――それなりにキャリアがありそうな中年の、小太り気味の警官が思わず呟いた。
「ひでえな……」
小太りの警官は、それ以上言葉を発することができなかった。
「とにかく現場と遺体の検査をするぞ」
もう1人の、この中では一番古株であろうと思われる警官が、周囲の警官に呼びかける。
彼らは上司にあたる警官に了解の返答にし、作業を始めようとしていた。
その時。
「ケンちゃんッ!? ケンちゃんなんでしょ? ねえッ!」
警官達を突き飛ばしながら、1人の女生徒が現れた。
彼女はその場で顔をくしゃくしゃにして泣き崩れてしまった。恋人を失ったショックを受けたことと恋人の遺体をまともに直視できない自分に嫌気が差したのだろう。
警官達は彼女をなだめるように話かけ、上手い具合に立ち入り禁止区域から追い出した。初めに到着した警官達よりも少し遅れて、バイクで到着した2人の警官達が、その女生徒から何か情報を聞きだすために、これもまたなだめるように話かける。当然、現場からも野次馬達からも少しばかり離れた場所で。
警察による緻密な捜査によって被害者の名前が判明した。
猿山健吾。
高校2年生、17歳。サッカー部に所属していた。同じく高校2年生の道井瑞希と今年の2月から交際していた。
クラスではお調子者で、教師や他の生徒を困らせることもあったそうだが、サッカー部の部員とは仲が良かったらしい。ちなみにあだ名は『ケンちゃん』
恋人ないし『元』恋人である道井と猿山とサッカー部の部員達に聞きこみ調査を行った。高校生といえど、高校生だ。彼氏や親友を殺すことが無い、とは言い切れない。つまり彼らも立派な容疑者なわけだ。警官達は表では、そんなことを一言も言わないが。
他は担任やクラスメイト達を対象にして聞きこみ調査が、行われた。ある種の尋問、と言ってもいいかもしれない。
しかし、結果的に有力な情報を手に入れることはできなかった。判ったのは、彼の人間関係くらいだった。
サッカー部員の誰かが、『人間動物園がどうたら……って怯えてたらしいッスよ』という発言をしたらしいが、警官達は聞き流すだけで、気にもしなかった。
そういえば、どうして道井瑞希は、あの遺体が猿山健吾と判ったのだろうか。親しい者しか知らないような特徴が無いわけでは無いはずだが、あれだけバラバラで、血まみれで、内臓ズルズルの遺体を判断できるだろうか。警官を突き飛ばすくらいパニックに陥り、泣き崩れてしまうくらいのショックを受け、ほとんど遺体を直視できなかった彼女が。
緊急下校となったので、いつも通り、蓮は鬼崎と帰路についていた。蓮はその時に、先ほどの事を鬼崎はどう思っているのかどうか、聞いてみた。
「どうでもいい」
案の定、こんな返答が返ってきた。が、
「ことはない」
蓮はにやりと笑った。
そうだろ? その通りだろ? どうだい僕の観察力は? と言いたいのこらえて、蓮は
「で、どう思う?」
と尋ねた。
「俺はどうとも思わないが、こんなことを聞いたことがある。たしかあの時、お前には話してなかったはずだ」
「どんなこと?」
蓮は真っ黒な瞳を輝かせながら、興味身心そうに言った。
「あくまで噂なんだが――」
「――人間動物園の奴らのイニシャルを取ると、<NINGENDOUBUTUEN>になるらしいぜ」
鬼崎は氷のような表情を変えぬまま、そう言った。