第26話
「なに……?」
「怒らないで聞いてくれる?」
「場合によっちゃ、怒るよ」
「じゃあ、やめた。さっき聞いたことは忘れて」
「やだ。話してよ」
「怒らない?」
「……わかった」
約束ね。アキラがそう言って目を細める。
「昔、旅番組のロケで山梨に行ったことあったでしょ?泊りがけの仕事。覚えてる?」
「あー……ヤヒロとユウの仕事だったけど、俺が急きょ合流することになったあれ?」
「そう。実は3人が留守だったその日……仕事が終わってセナと宿舎に帰ったら、エントランス前にミツキがいたんだ」
待ち伏せしていたのか……タビトは嫌悪感もあらわに顔をしかめる。しかしそのあとに続いた言葉は、そんな彼の表情を驚愕に変えた。
「なにしてんのかと思って近づいたら彼女、エントランスのオートロックを解錠しようとしてたんだよね」
「――それって……俺たちの部屋に不法侵入するつもりだったってこと?」
アキラは頷いて、
「部屋に押し入ろうとしてたのは、盗みとかそういうのが目的じゃなかったみたい。彼女はただ、恋人に会いにきただけ……」
「あのふたりってそんなに昔から付き合ってたんだ……」
「ユウじゃない。おまえに会いにきたんだよ」
「え?」タビトは一瞬言葉を失い、それから眉根をきつく寄せて言う。「ミツキの恋人になった覚えないけど」
「わかってる。恋人だって言い張ってたけど、俺もセナももちろん信じてなかった。完全に彼女の妄想だ」
眉間に深い皺を刻んだままのタビトを前に、憂いに沈んだ顔を伏せる。なかなか次の言葉を続けられない。
アキラは思った。あんなにも頑なにミツキの存在を隠そうとしているのは、社長に知られたくないこと以外にも理由があるはずだと。
ひとつ考えられるのは――非常階段から落ちた原因がミツキにあるのかもしれないということだ。ユウはミツキを庇って、騒ぎを聞きつけた住民の証言を否定し、真実を語らず黙秘した……その可能性は十分ある。
もしもユウに近づいた彼女の本当の目的がタビトだとすれば、隠し続けることは得策ではないだろう。彼女はこの先も、トラブルメーカーとしてウル・ラドに付きまとい続けるのだ……
絶望がひたひたと押し迫るなか腹を決めたアキラは、固く閉ざしていた唇を開く。
「もう2年くらい前の話になるな……デビューしたばっかりで売れてない頃だよ」
――その日は、ひときわ寒い夜だった。
駅前でホズミと別れたアキラとセナは、コンビニで買った肉まんを頬張りながら狭い路地裏を歩いていた。
「ちょっと停車したくらいであんなにキツく言うことないじゃんね」
飲み物が入ったビニール袋を振り回しながらセナが唇を尖らせる。
「怒るのも無理ないよ。ドアが閉まる音とか、夜中だとけっこう響くじゃん?」
いつもならば車で宿舎前まで送ってもらっているのだが――つい先日、道路に面した1階の部屋に住む中年男性に「夜中にマンション前で車を止めるな」と注意され、ホズミの代わりに送迎してくれたスタッフが陳謝する事態となった。その後スタッフから「これからは夜に車でマンション前まで行くことは控えるように」と指示され、泣く泣く夜更けの住宅街を歩いて帰っているというわけだ。下車した最寄り駅から徒歩20分、疲れた体にはなかなか堪える。
「ヤヒロたち、明日帰ってくるんだっけ?」
「うん。またうるさくなるね……」
アキラはうんざりした顔で答えて、香り立つ湯気と共に肉まんにかぶりつく。
「あのおじさんに怒られたってヤヒロに話すのはやばくない?黙っとこうよ。怒鳴り込みに行くかもしれないし」
「言わずに黙ってたところで無駄だよ……駅前に降ろされた時点で問い詰められるでしょ」
咀嚼しながら答えたそのとき、セナが急に立ち止まる。宿舎はもう目と鼻の先だ。
「……――誰かいる」
忙しなく視線で示したその先、宿舎としているマンションのエントランスに痩せた女の姿があった。こちらに気づいた様子もなく、オートロックの暗唱番号を何度も入力しては失敗している。
「……やばくない?警察呼ぼうよ」
「待ってセナ。ただの酔っ払いかもしれないでしょ……前にもいたじゃん、泥酔してエントランスで寝ちゃってた人」
「ああ、いたいた!隣部屋のサラリーマンね」
あきれたような声を出したセナは、駆けつけた大家と一緒に彼を部屋まで運んだことを思い出す。翌日、菓子折りを持って部屋に謝罪しに来た彼はかわいそうなほど恐縮していた。聞いたところによると前後不覚になるまで飲んでしまい、どうしても暗証番号が思い出せなかったらしい。
アキラは食べかけの肉まんを袋に戻し、女の様子を窺い見ながら恐る恐るエントランスへ続く階段をのぼる。ガラス扉をそっと引き開け、こちらに背を向けている女の背中に言った。
「あのー……すみません。開けたいんですけど、先にいいですか?」
彼女は弾かれたように振り向いた。視線が交差した瞬間、ふたりはぎょっと目を剥く。
「ねぇ!部屋に誰もいないのぉ?」
開口一番、苛立ち混じりにそう言うと――勢いよく距離を詰めてくる。
「タビトは今日オフのはずじゃん!なんでいないのぉ?!ねえ!」
激しい口調で捲し立てられ、セナはすっかり怯えている。アキラは彼を背中に隠して問うた。
「ミツキさん……だよね?どうしたのこんなところで」
「恋人に会いにきたに決まってるでしょ!」
「恋人……?」唇に薄く笑みを浮かべ、アキラは眉を下げる。「タビトのこと?彼は君の恋人じゃないでしょ?」
そう聞くなり、ミツキの顔から怒りが消える。そしてすぐに、にたりと笑った。
「あー、タビトから教えてもらってないんだぁ?ミツキとタビトはデビュー前から付き合ってるんだよぉ?」
(こんなにヤバい子だったんだ……)
サイン会や握手会で何度も言葉を交わしたことがあるが、ここまで妄想がひどい女だとは知らなかった。アキラは舌打ちしたくなる思いを堪え、愛想のいい笑顔を見せる。
「――ミツキさん……タビトはいま留守にしてるんだ。だから今日は帰ってくれるかな」
「タビトが待ってるから早く開けて」
「それはできないよ……ごめんね」
「開けろってば!」
「落ち着いて……それ以上騒ぐなら警察呼ぶよ?」
「勝手に呼べばぁ?そんなことしたら後悔すると思うけど」
アキラは取り合わず、スマホの画面をタップする。
「ミツキのじぃじ、誰だか知らないの?怒ったらすっごーく怖いんだからね!」
「知らないな。でも、教えてくれなくて大丈夫だよ」
「ストルムグループホールディングスの会長」
番号をタップする指が止まる。彼はまさかという思いで身を強張らせたまま、視線だけをミツキに向けた。
「じぃじはぁ、芸能界にもケーサツにも仲良しな人たちがいっぱいいるの。あんたたちの事務所を潰すのなんて簡単だよぉ?」
「嘘だ、そんなの」
アキラのコートの袖を掴んだまま、セナが顔を覗かせて言う。
すると、ミツキは涼しい顔でスマホを取り出し、「しかたないなぁ……特別に見せてあげる」そう言うと一枚の写真を彼らの方にかざした。
そこには、会長とその息子――つまりミツキの父だ――が、ミツキの自撮りに巻き込まれるかたちで映っている。ガーデンパーティーだろうか、大理石が敷き詰められた白亜の庭に料理の載ったテーブルが並んでいる。
「――タビトはいない」アキラは写真から目を上げて、ミツキを睨むように見る。「今日は番組側に急遽呼ばれて、ヤヒロとユウと一緒に山梨に行ってる」
「早く開けて」
先ほどまでの薄ら笑いは消え、ミツキは真顔で促す。
セナはアキラの手のなかのスマホを奪い、警察に連絡しようとした。しかしアキラはそれを許さない。彼を強く制止して、オートロックの前に進み出る。
「いないことを確認したらすぐ帰ってくれ」
「アキラ!ダメだって!」
セナがアキラに飛びつきやめさせようとしたが、すでに遅い。ロックは解除され、自動ドアが開いた――
タビトはこの一連の話を黙って聞いていた。
「……タビト」
アキラはその肩に手を置き、静かに呼び掛ける。
「なんで、」俯いたタビトはきつく眉根を寄せ、声を荒らげた。「そんなことがあったのに、ふたりともどうして言ってくれなかったんだよ!」
「怒らないって約束」
「そんな約束、無効に決まってんだろ!こんなこと聞かされて――」
「ごめんね」
いつも自分に対して高圧的な態度のアキラがしおらしく謝るので、タビトはそれ以上なにも言えなくなってしまう。
つかの間の沈黙のあと、アキラは続けた。
「ミツキはおまえがいないことを確認して、あっさり帰っていった。危害も加えられてないし、なにも盗られてない。次の日に社長とホズミさんと話し合って、この話はここだけに留めておこうってことになったんだ。……ミツキは今まで通り、ライブにもサイン会にも普通に来る。解決策がないのに今回のことを話しても、タビトを怯えさせるだけだからって」
「――なんだよそれ……」
「セナは納得できないみたいで社長を説得しようとしてたけど、首を縦に振ってはもらえなかった。セナの言う通り、あんな脅しに屈しちゃいけない。ミツキの怒りをかってでも出禁にするべきだった。わかってるよ……。だけど、……」
言葉が途切れた。
血の気を失ったまま、タビトは白くなるほど唇を噛む。
アキラは溜息をつき、「――俺たちはミツキの怒りに対抗する術を持ってない。つまりストルムが彼女のバックについてるかぎり、滅多なことじゃケンカを吹っ掛けられないってこと。業界内じゃ、うちはまだまだ弱小だからね……」自嘲混じりの、物悲しい声音で言う。
「大手には敵わないからどんなことがあっても黙って耐えろって?そんなの馬鹿げてるよ」
怒りに任せて言葉を吐き捨てると、タビトは膝のうえで震えている拳を更に握りしめる。彼のささくれだった心をなだめようとするように、アキラはやわらかな口調で言い含める。
「3枚目のシングルが運よく話題に上ったから今でこそいろんなメディアで使ってもらってるけど、事務所を取り巻く状況はデビュー当時からなにも変わってないんだ。だからそう簡単に事を荒立てられない……ユウのことも、騒ぎが落ち着くまで静観してるしかないんだよ」
「納得できないよ。そんなの変だ」
「俺だって同じ気持ちだよ」
「同じなわけない。納得できないのにどうして黙ってられるの?」
「沈黙が最善の策ならそれを選ばなきゃいけない。だって俺たち……ウル・ラドとして最高の瞬間を迎えるその日まで、なんとしてでも生き残るんだろ」
その言葉に息を呑み、タビトは切れ長の目を見開く。
「成りあがってミュトスを叩きのめす。最後に笑ってやんだよ」
燃えるような瞳で、顔を背けたままの彼の肩を抱き寄せる。「なあタビト」甘い声で名を呼びそして、髪に頬を埋めてささやいた。
「セナを責めないで……絶対に言うなって口止めしたのは俺だから」
タビトは険しい表情で床を睨んだまま答えない。怒りのあまりに込み上げる吐き気を堪え、体を震わせるばかりだ。




