公爵様、恋心の申告漏れです
「公爵様。七年分の恋心が未申告となっております」
そう告げると、クロイス公爵アルベルトは、手にしていた紅茶を静かに机へ戻した。
驚いていない。
むしろ、いつかこの日が来ることを知っていたような顔だった。
「七年か」
「はい。正確には七年と三か月ほどです。多少の誤差はありますが、少なく見積もっても七年は間違いありません」
私は持参した書類を一枚めくった。
「にもかかわらず、公爵家から王立感情管理局へ提出されている申告書には、過去七年間すべて『恋愛感情なし』と記載されています。何かご説明いただけますでしょうか」
「説明はできる」
「お願いします」
「書きたくなかった」
私は顔を上げた。
「……はい?」
「だから、書きたくなかった」
「理由として認められると思っておいでですか?」
「思っていない」
「では、もう少し反省した顔をしてください」
「している」
「私にはまったくそう見えません」
アルベルトは困ったように眉を寄せた。
王国北部の広大な領地を治めるクロイス公爵。
二十九歳。
王族にも近い家柄で、若くして父から爵位を継ぎ、政治でも軍でも高く評価されている。
そして今、王国でもっとも面倒な恋心の申告漏れをしている男である。
この国では、一定以上の魔力を持つ者が強い感情を抱いた場合、王立感情管理局へ届け出なければならない。
怒り。
憎しみ。
悲しみ。
そして、恋。
別に、恋をするたび税を取られるわけではない。
強い魔力を持つ者の感情は、ときに周囲の魔力へ影響を与えるからだ。
怒りが強ければ室内の温度が上がり、悲しみが深ければ雨が続くことがある。
恋も例外ではない。
数年前には、伯爵令息の片思いが原因で領地中のバラが一年中咲き続けた。
本人にとっては美しい話だったらしいが、農家からは「花より麦を育ててくれ」と苦情が殺到した。
それ以来、一定以上の魔力を持つ貴族は年に一度、感情申告書を出すことになっている。
「今回、クロイス領で魔力の異常上昇が確認されました」
「ああ」
「調査の結果、原因は恋愛感情でした。それも最近生まれたものではありません。長期間、それなりに強い状態で保たれています」
「それなり?」
「かなりです」
「そうか」
「少しは恥ずかしがってください」
「君に言われると難しい」
「なぜです?」
アルベルトは答えなかった。
私はため息をつき、書類へ視線を戻した。
「申告漏れそのものは、今から正しく届け出れば大きな罰にはなりません。ただし、相手の名前が必要です」
「必要なのか」
「当然です。恋愛感情がどの人物に向けられているのか確認しなければ、魔力の流れを正しく記録できませんから」
「名前を書かなければ駄目か?」
「駄目です」
「匿名は?」
「できません」
「仮名は?」
「公爵様」
「分かった」
そこで彼は、なぜか深く息を吐いた。
先ほどまで何を聞いても平然としていた男が、初めて少しだけ視線をさまよわせる。
「では、お相手のお名前をお願いします」
私はペンを持った。
アルベルトがこちらを見る。
「リネット・オルセン」
「リネット・オルセン様ですね」
書き始めた。
姓を書く。
その途中で手が止まった。
私は顔を上げた。
アルベルトと目が合った。
「……私ですか?」
「ああ」
「王立感情管理局、第三監査課所属のリネット・オルセン?」
「この国に何人いるかは知らないが、少なくとも俺が言っているのは君だ」
「少々お待ちください」
私はペンを置いた。
「公爵様。監査を妨害するために、担当監査官へ好意を持っていると申告することは、公務妨害として扱われる可能性があります」
「なぜ俺がそんなことをする」
「私に聞かれても困ります。調査を早く終わらせたいとか、罰を軽くしてもらいたいとか」
「君に告白したら罰が軽くなるのか?」
「なりません」
「では意味がないだろう」
「ですから、なぜそんな嘘をつくのか確認しているのです」
「嘘ではない」
あまりにも真顔で言うので、今度は私が困った。
「七年前から?」
「ああ」
「私たち、七年前にほとんど面識がありませんでしたよね」
「そうでもない」
「ありました?」
「君が忘れているだけだ」
少し腹が立った。
「では、確認します」
「何を」
「恋愛感情が発生した時期と、その理由です。七年間も未申告だった以上、通常より詳しい調査が必要になります」
「……理由まで話すのか」
「当然です。虚偽申告ではないことを確認します」
「君はこの仕事に向いているな」
「よく言われます」
私は新しい紙を用意した。
「では最初に、公爵様が私へ恋愛感情を抱いたのはいつですか?」
「七年前の秋だ」
「具体的な日付は?」
「十月十二日」
「よく覚えていますね」
「忘れる方が難しい」
「何があったのです?」
アルベルトは少し遠い目をした。
「君が、うちの屋敷の階段から落ちた」
私は黙った。
記憶を探す。
「ああ」
「思い出したか」
「書類を届けに来た時ですね」
「ああ」
「私が階段を踏み外して、持っていた紙を全部ばらまいた」
「そうだ」
「公爵様、笑いましたよね」
「少しだけ」
「かなり笑っていました」
「君が紙まみれになっていたから」
「最低ですね」
「今もそう思っている」
アルベルトが笑う。
私はその顔を見てから、すぐ書類へ目を戻した。
「それで?」
「それだけだ」
「それだけ?」
「階段から落ちた君を見て、好きになった」
「意味が分かりません」
「俺にも分からない」
「何かもう少しないのですか? 私が立派なことを言ったとか、誰かを助けたとか」
「ない」
「ないのですね」
「君は床に座って、自分より先にばらまいた書類を心配していた」
「仕事ですから」
「ひざを打って痛そうにしていたのに、『公爵家の機密書類が一枚でもなくなったら私の首が飛びます』と言って、泣きそうな顔で紙を数えていた」
「もう結構です」
「そのあと、侍女が手当てをしようとしたら、『先に書類を数えさせてください』と言った」
「やめてください」
「面白かった」
「恋の始まりとして最悪です」
「俺もそう思う」
でもアルベルトは楽しそうだった。
私は少しだけ頬が熱くなるのを感じながら、事務的に記録を続けた。
「では、十月十二日を感情発生日として仮登録します。その後、継続的に私へ好意を?」
「そうだ」
「証拠はありますか?」
「証拠?」
「七年間という長期申告漏れです。本人の主張だけでは記録できません」
「恋心に証拠が必要なのか?」
「必要です」
「難しい国になったものだな」
「あなた方魔力持ちの貴族が、感情ひとつで天気まで変えるからでしょう」
「それは悪かった」
「本当に反省してください」
アルベルトはしばらく考え、机の引き出しを開けた。
そして、何かを取り出す。
「これならどうだ」
渡されたのは、一通の封筒だった。
ずいぶん古い。
紙の端が少し黄色くなっている。
私は表を見る。
『クロイス公爵家御中』
見覚えのある字だった。
「これ、私が書いたものですね」
「ああ」
「七年前の日程調整の手紙です」
「知っている」
封を開く。
中には、
『来月の固定資産魔力調査について、十六日にお伺いしたく存じます』
という、どう見ても仕事の文章しか書かれていない。
「なぜこれを保管しているのです?」
「君から初めてもらった手紙だから」
「恋文でも何でもありませんよ」
「知っている」
「処分してもよかったでしょう」
「嫌だった」
「七年も?」
「七年」
私は書類の端へ、
『本人筆跡の業務連絡文を七年間保存』
と書いた。
「そこまで詳しく書く必要があるのか」
「証拠ですので」
「恥ずかしいな」
「今さらです」
「まだある」
「あるのですか?」
次に出てきたのは、領収書だった。
王都にある菓子店のもの。
「これは?」
「君が好きだと言っていた菓子を買った」
「いつ私がそんな話を?」
「五年前。調査に来た時、休憩中に同僚と話していた」
「聞いていたのですか」
「聞こえた」
「それで?」
「買った」
「私に渡していませんよね」
「渡せなかった」
「では、ご自分で?」
「食べた」
私は吹き出しかけた。
「笑ったな」
「申し訳ありません。でも、公爵様が私の好きな菓子を買って、一人で食べたと思うと……」
「渡す理由がなかった」
「お好きだったのですから、普通に贈ればよかったでしょう」
「公爵から監査官へ菓子を贈れば、賄賂だと思われる」
「確かに」
「だから食べた」
「お味は?」
「甘すぎた」
今度は我慢できず、少し笑った。
アルベルトが不満そうな顔をする。
「まだあります?」
「ある」
「もう覚悟しました」
次は花屋の記録。
その次は、私が過去にクロイス領を訪れた日付を書いた手帳。
さらに、私が一度だけ落とした髪留め。
「これは返してください」
「やはり君のだったか」
「分かっていて持っていたでしょう」
「君が忘れたものだと思った」
「七年間忘れていると思いました?」
「いつか返そうと」
「七年経っています」
「機会がなかった」
「毎年会っています」
「返したら、なぜ持っていたのか聞かれるだろう」
「今聞いています」
「最悪の形でな」
私は髪留めを受け取り、机の上へ置いた。
それからしばらく、証拠を確認した。
もう疑う余地はない。
むしろ、ここまでそろっていて七年間申告していなかったことの方が問題だった。
「一つ質問があります」
「何だ」
「なぜ、告白なさらなかったのです?」
アルベルトの表情が少し変わった。
今までの笑いが消える。
「君は俺に会う時、いつも仕事だった」
「そうですね」
「俺は公爵で、君は王立管理局の監査官だ。俺が何かを言えば、君は嫌でも無視できない」
「そこまで気にしなくても」
「気にする」
声は静かだった。
「俺が君を食事に誘えば、君は『公爵からの招待』として受け取るかもしれない。花を贈れば、仕事上の意味を考える。断りたくても、今後の調査に影響すると思わせるかもしれない」
私は答えなかった。
「だから、君が担当から外れたら話そうと思っていた」
「……それが七年?」
「なぜか毎年君が来た」
「北部担当ですから」
「一年目は偶然だと思った。二年目もまあ仕方ない。三年目からは、王立感情管理局に嫌われているのかと思った」
「真面目に申告しないからでは?」
「恋以外は全部出していた」
「恋も出してください」
「出したら君が見るだろ」
「担当ですので」
「だから出せなかった」
「公爵様」
「何だ」
「あなた、意外と面倒な方ですね」
「七年越しに言われたくない」
私は思わず笑ってしまった。
けれど、胸の奥が少し落ち着かない。
七年間。
そんなに長く、この人は私を見ていたのか。
毎年ここへ来て、私は書類を確認して、領地の魔力を測って、帰った。
それだけだと思っていた。
「では、最後に魔力値を再確認します」
「ああ」
私は机の上に、小さな銀色の測定器を置いた。
魔石がはめ込まれた丸い器具で、感情魔力に反応すると光る。
「公爵様。私のことを考えてください」
「今も考えている」
「そういう返答は結構です」
「難しい注文だな」
測定器が青白く光った。
数値が上がる。
八十。
九十。
百。
「高いですね」
「そうか」
「公爵家クラスなら危険値ではありませんが、申告対象なのは間違いありません」
さらに数字が上がった。
百二十。
百三十五。
「公爵様?」
「何だ」
「少し抑えていただけます?」
「君が目の前にいるから無理だ」
「仕事になりません」
「七年間の苦労が少し分かったか」
「自業自得です」
その時だった。
測定器が甲高い音を出した。
ピィィィィィ――。
私は驚いて手を離した。
「何です?」
「知らない」
数値が一気に上がっている。
百五十。
百七十。
二百。
「おかしいですね」
「壊れたか?」
「可能性があります」
私は予備の測定器を取り出した。
「もう一度お願いします」
「何を?」
「私のことを考えてください」
「ずっと考えている」
「……はい」
別の測定器を置く。
ピィィィィィ――。
同じだった。
「二台とも?」
「故障でしょうか」
「同時に?」
「まれにあります」
「そうなのか」
「聞いたことはありませんが」
「では、ないのでは」
どこかで聞いたような言い方だった。
私は三台目を出した。
「まだあるのか」
「監査官ですから」
「用意がいいな」
三台目。
置く。
光る。
鳴る。
「……」
「……」
私は測定器を見た。
アルベルトも見る。
そして、彼がゆっくり口を開いた。
「リネット」
「何でしょう」
「これ、本当に俺だけの数値か?」
「当然でしょう。今測っているのは公爵様の――」
言いながら、気づいた。
感情魔力測定器には、一つ欠点がある。
誰の感情かを判別できない。
近くにいる者の感情魔力を、まとめて拾う。
だから通常は、調査対象者から離れて測定する。
でも今は。
私は公爵のすぐ目の前にいる。
「……少し離れます」
「なぜ」
「確認です」
私は椅子を持ち、部屋の端まで移動した。
測定器を見る。
数値が下がった。
二百十。
百七十。
百四十。
百二十。
止まった。
私は黙った。
アルベルトも黙っている。
「もう一度近づいてみてくれ」
「必要ありません」
「監査だろう?」
「十分です」
「正確な記録が必要では?」
「公爵様、急に仕事へ協力的になりましたね」
「監査対象者として当然だ」
腹立たしい。
私は仕方なく机へ戻った。
百二十。
百四十。
百六十。
「……」
「上がったな」
「偶然です」
「もう一度離れてみるか」
「しません」
「リネット」
「何です」
「君、俺のこと好きなのか?」
私は立ち上がった。
「本日の監査は以上です」
「待て」
「追加資料については後日通知します」
「明らかに逃げているだろう」
「監査官に対する不適切な発言として記録します」
「どこが不適切なんだ」
「全部です」
書類をまとめる。
髪留めも忘れずに取った。
アルベルトは笑っていた。
「笑わないでください」
「七年ぶりに少しくらい良いことがあってもいいだろう」
「まだ何も確定しておりません」
「測定器三台が証言している」
「機械は証言しません」
「俺の証拠にはあれだけ厳しかったのに?」
「失礼します」
「リネット」
扉へ向かう私の背中に、声が届く。
「今度は君の申告を楽しみにしている」
私は振り返らなかった。
「で?」
翌日。
王立感情管理局の休憩室で、同僚のマリアが楽しそうに聞いた。
「何がです?」
「クロイス公爵」
「申告漏れでした」
「それは聞いた。相手は?」
「個人情報です」
「あなたでしょう?」
持っていたカップを落としかけた。
「なぜ知っているのですか」
「顔」
「顔?」
「昨日帰ってきた時から、ずっと変な顔してる」
「いつも通りです」
「いつものリネットは、報告書を三回も書き直さない」
「内容が複雑だったので」
「『恋愛対象者リネット・オルセン』って自分の名前を書くのが恥ずかしかっただけでしょう」
「見たのですか?」
「机に置いてあった」
「最低です」
「ごめん。でも面白すぎて」
私は深く息を吐いた。
「それより、測定器の件です」
「ああ」
「故障ですよね?」
「三台とも?」
「そうです」
「同じ場所で?」
「はい」
「あなたが近づいた時だけ数値が上がる?」
「……はい」
マリアは紅茶を飲んだ。
「恋ね」
「違います」
「恋よ」
「違います」
「では聞くけど、クロイス公爵のこと嫌い?」
「嫌いではありません」
「好き?」
「仕事相手としては信頼しています」
「男としては?」
「知りません」
「顔は?」
「整っています」
「性格は?」
「面倒ですが、悪い方ではありません」
「七年も好かれてたと知って、嫌だった?」
私は答えなかった。
マリアがにやっと笑った。
「恋ね」
「まだ何も言っていません」
「言ってないから分かるのよ」
私は机に額をつけた。
「どうすればいいと思います?」
「申告すれば?」
「簡単に言わないでください」
「あなた昨日、公爵に同じこと言わなかった?」
言った。
たぶん。
「そもそも、いつからなのか分からないのです」
「好きになった時期?」
「はい。昨日聞くまで、公爵様のことを恋愛対象として考えたことなんてありませんでした」
「本当に?」
「……少なくとも、そう思っていました」
毎年クロイス領へ行くのが嫌ではなかった。
むしろ北部担当になった時、少しうれしかった。
公爵の執務室で出される紅茶が好きだった。
アルベルトが仕事中は厳しいのに、使用人には意外と細かく気を配ることも知っていた。
彼が笑うと少し幼く見えることも。
忙しい日は昼食を忘れることも。
七年前より少し肩幅が広くなったことも。
「……嫌になります」
「何が?」
「私、公爵様のこと結構知っています」
「七年も担当してるものね」
「仕事です」
「はいはい」
「本当に仕事です」
「なら申告しなくていいんじゃない?」
マリアは軽く言った。
でも、私は答えられなかった。
三日後。
私はもう一度クロイス公爵邸を訪れた。
「早かったな」
アルベルトが言う。
「追加確認です」
「俺の?」
「はい」
「残念だ」
「何がです?」
「君の申告ではないのか」
「まだです」
「まだ、か」
「変なところを拾わないでください」
私は机へ書類を置いた。
「公爵様の未申告については、七年分の追加申告で処理されることになりました。罰金はありません。ただし、今後同じことがあれば厳重注意となります」
「分かった」
「そして」
私は一枚の紙を差し出した。
「こちらへ署名を」
アルベルトが読む。
『恋愛感情継続確認書』
対象者の欄には、
『リネット・オルセン』
と書かれている。
「確認する」
「何を?」
「まだ好きだ」
「聞いていません」
「確認書だろ」
「書類上の話です」
「では書類上、現在も継続中」
「……はい」
私は記録した。
アルベルトが署名する。
それで公爵の件は終わった。
本当に。
これで帰ってもいい。
「では、失礼いたします」
立ち上がる。
「リネット」
「はい」
「一つだけ聞いていいか」
「業務に関係することなら」
「関係しない」
「では駄目です」
「君はいつまで俺を監査対象としてしか見ないつもりだ?」
私は手を止めた。
アルベルトは笑っていなかった。
「七年待った。だから、もう少しくらい待つことはできる」
彼は静かに続ける。
「でも、君が俺を好きではないなら、そう言ってほしい。そうしたら終わらせる努力をする」
「……努力?」
「七年分だから、すぐには無理だと思う」
少し笑ってしまった。
「君が困るなら、担当を変えてもらってもいい。これ以上、仕事の邪魔をするつもりはない」
「公爵様」
「何だ」
「私は、まだ分かりません」
正直に言った。
「昨日まで、あなたに七年間好かれていたことすら知りませんでした。それを知った途端、自分も好きだったなんて言ったら、あまりに都合がいいでしょう」
「俺はうれしい」
「あなたの都合ではなく、私の問題です」
「そうか」
「ただ」
言葉を選ぶ。
「あなたに好かれていると知って、嫌ではありませんでした」
アルベルトが黙る。
「むしろ、少し……うれしかったです」
「少し?」
「今は少しです」
「分かった」
「だから、自分で確認します」
「監査するのか?」
「そういう言い方をされると嫌ですが、まあ似たようなものです」
私は書類を持った。
「結果が出るまでお待ちください」
「期限は?」
「未定です」
「監査官のくせに期限を決めないのか」
「私自身のことなので」
「厳しいな」
「七年待ったのでしょう?」
「それを言われると何も言えない」
私は少し笑って、公爵邸を出た。
結果が出たのは、それから二週間後だった。
何か特別な出来事があったわけではない。
王都の市場を歩いていた時だった。
菓子店の前を通った。
五年前、私が好きだと話した店。
アルベルトが一人で買って、一人で食べて、甘すぎたと言った菓子。
私は店の前で立ち止まった。
そして思った。
一緒に食べたら、どんな顔をするのだろう。
今度は私が笑うのだろうか。
それとも、公爵はまた「甘すぎる」と言うのか。
その想像が、思っていたより楽しそうだった。
「ああ」
私は一人で声を出した。
たぶん、これなのだ。
七年前の階段でもない。
去年でもない。
二週間前でもない。
いつ始まったのか、もう分からない。
でも、これから先を少し見たい。
その程度でも、恋と呼んでいいのかもしれない。
さらに三日後。
クロイス公爵邸へ、王立感情管理局から一通の封書が届いた。
アルベルトは執務机でそれを開いた。
中には一枚の書類。
『恋愛感情申告書』
申告者。
リネット・オルセン。
対象者。
アルベルト・クロイス。
感情発生日。
『不明』
アルベルトはそこで笑った。
その下には、小さな文字で理由が書かれていた。
『自覚が遅れたため、正確な日付を確認できず』
さらに一枚。
これは公式書類ではなかった。
『クロイス公爵様
本件について、追加で確認したいことがあります。
今週の休養日、王都中央広場の喫茶店までお越しください。
午後二時。
なお、今回は業務ではありません。
追伸。
七年前に私が好きだと言った菓子を、もう一度食べてみませんか。
今度は一人で食べないでください。
リネット・オルセン』
アルベルトはしばらく手紙を見ていた。
そして呼び鈴を鳴らす。
執事が入ってきた。
「お呼びでしょうか」
「今週の休養日の予定を全部空けてくれ」
「すでに午前に会食がございます」
「断る」
「午後には侯爵家との――」
「全部だ」
執事は少し驚いた。
「何か重要なご予定でしょうか」
アルベルトは手紙を裏返した。
「感情管理局の監査だ」
「休日にですか?」
「そうだ」
嘘ではない。
たぶん。
執事が部屋を出ていく。
アルベルトはもう一度、申告書を見た。
『対象者 アルベルト・クロイス』
七年間、自分が書けなかった名前だった。
今度は相手が、自分の名前を書いている。
「……申告が遅い」
誰もいない部屋で、アルベルトは笑った。
その瞬間、窓の外で季節外れの花が一斉に咲いた。
庭師たちが騒ぎ始める。
アルベルトは窓を見た。
「まずいな」
すぐに机へ向かい、新しい感情申告書を取り出した。
恋愛感情。
増加。
対象者。
リネット・オルセン。
今度は迷わず、最後まで書いた。
そして備考欄には、
『本人からの申告を確認したため』
と記した。
少し考えたあと、もう一行つけ足す。
『今後は、必ず期限内に申告します』
それからアルベルトはペンを置いた。
七年分の恋心は、ようやく正しく届け出られた。




