ヨシヅヤの子、MOZOへ行く。そして宇宙まで
2035年の初夏、俺は西春駅のヨシヅヤのコインロッカーで産声を上げた。それはヨシヅヤの全ての階に響き渡る程に元気な産声だったと聞く。
コインロッカーは単なる荷物の預ける場というだけでなく、いつしか人工子宮としての機能も担うようになった。
コインロッカーベビーの意味は、かつての産み捨てられた可哀想な赤ん坊という意味ではなくなった。
俺の産みの母はヨシヅヤ西春店そのものだ。
育ての母は春代ばあちゃん。清掃のパート勤務中に俺をコインロッカーから見つけた。それ以来、俺はヨシヅヤと春代ばあちゃんに育まれて生きてきた。
春代ばあちゃんは俺を背負ってパートに出続けた。役場から支給される子育て支援金だけでも十分暮らしていけるのに。春代ばあちゃんは勤勉だ。
その結果、俺はヨシヅヤの店内BGMを子守歌にして育った。
「ふんふんヨシヅヤー ふんふふんヨシヅヤー♪」
俺は未だにヨシヅヤの店内BGM以外の音楽を知らない。ヨシヅヤの四階の文化堂に行けば演歌という音楽のレコードやカセットテープが買えると知っている。でも、それは前世紀の失われた文明の欠片だ。失われた文明になんて興味がない。
ばあちゃんは隣駅の上小田井にあるMOZOへ社会勉強に行けと言う。MOZOは名古屋で一番デカいショッピングモールだ。日本全体でもトップ5に入る大きさだと春代ばあちゃんが教えてくれた。
あんな巨大な建物の中に行くなんて怖い。一度入ったら二度とヨシヅヤに戻って来られないだろう。けれど春代ばあちゃんは俺を笑う。
「MOZOはそんなおそがい場所じゃにゃぁでよ」
「そりゃあ、ばあちゃんは大人だから平気なんだろ」
春代ばあちゃんは俺の気持ちを分かってくれない。反抗したい気分になるとヨシヅヤの隣の西春駅に行く。でも、それだけだ。
上小田井になんて進めない。かといって犬山方面にも進めない。電車に乗る勇気がない。俺はヨシヅヤから離れて生きていけない。
ホームのベンチで行き交う電車と人を眺める。と言っても電車に乗る人は滅多にいない。どけよホーンもしばらく聞いていない。うるさいけど嫌いじゃなかった。
しばらく眺めていると顔馴染みの駅員が話しかけてきた。
「今日も乗らないのか」
「乗りたくないからな」
「切符やるよ。ヨシヅヤの子」
突き返すより先に駅員は立ち去った。切符の使用期限は今日だけ。使わないともったいない。分かっている。分かっているけど、西春を離れるのは怖い。
なんて迷っていると名古屋方面行きの普通電車が来た。アナウンスと同時にドアが開く。これに乗らなきゃいけないのか。たった一歩踏み出すだけ。でも、その一歩は重い。発車ベルが鳴る。もう迷ってる暇はない。不意に背中に衝撃が走り、俺は電車の中に押し込まれた。
「へ?」
振り向く。閉まったドアの先に駅員がいた。やたらニコニコしていやがる。
「駅員、お前!」
叫んでも遅い。電車は徐々にスピードを上げていく。
やばい。気持ち悪くなってきた。というかもう吐く。どうやら俺は乗り物酔いする体質のようだ。込み上げる胃液を精いっぱい呑み込む。酸っぱい。
「まもなく上小田井、上小田井です。上小田井の次は中小田井に止まります」
アナウンスと共に電車は上小田井駅にゆっくりと止まった。電車からホームに転がり降りる。電車から降りた途端に吐き気は治まった。
ホームの東側に目を遣る。黄緑色の塊がそびえ立っている。間違いなくMOZOだ。恐ろしい。
身体中が震える。ちびりそうだ。でも、ここまで来て引き返す訳にはいかない。まだ震えは止まらないがどうにか歩けそうだ。
恐る恐る階段を降りていく。折り返して改札へ向かう。切符が吸い込まれて外に押し出される。上小田井の駅前は煙たい。そういえば、春代ばあちゃんが言っていたな。上小田井の駅前にはパチンコ屋があって、未だに喫煙者がたむろしているって。
なんて考えていたら不意に蹴り飛ばされた。
「痛ぇ」
振り返っても煙で何も見えない。きっと煙で見えないからってわざと蹴られたんだ。
気づけば俺は平べったいエスカレーターの上に転がっていた。床が動くから立ち上がれない。これは一体どこへ向かうのか。
こんなひどい目に遭うならヨシヅヤを出るんじゃなかった。やっぱり俺はヨシヅヤでしか生きていけない。
心折れかけた瞬間、声が聞こえた。春代ばあちゃんの財布に付いてる鈴の音より可愛らしい声が。
「立ち上がりなよ」
俺を奮い立たせ導く天使の声。そんな気さえした。でも、現実にはそんな都合がいい展開はなかった。
「いつまでそんなとこで詰まってるの」
頭上を見上げると、ピンク色の長い髪の女の子が仁王立ちしている。睫毛がラクダみたいに生えている。こんな派手な女の子、ヨシヅヤでは見かけない。
「立って。後ろの人の邪魔だから」
女の子は俺に手を差し伸べる。その手は細くて小さい。けれど爪が長くて尖っている。手を取ったら刺さりそうだ。刺さりたくなくて手を取らずに立ち上がる。女の子は俺と背丈が変わらない。とはいえ足元に厚底スニーカーを履いている。実際はそこまで大きくはないのか。
女の子の後ろに黄緑色が迫るように在る。どうやら平べったいエスカレーターはMOZOへの直通だったようだ。
女の子は俺の顔を見ながら眉をひそめて言った。
「初めて見る顔かも」
「俺も、です」
「歳そんなに変わらなそうなのに顔知らないや。きみ、どこの中学通ってた?」
どうして初対面で中学校を訊かれるのか。上小田井では常識なのか。
「多分だけど……、西春中学校」
学区としては多分そう。でも、俺は学校なんて一度も行ってない。オンライン学習が普及したとはいえ、一度も学校に行ってないのは珍しい部類だ。
勉強は春代ばあちゃんが教えてくれたし、ヨシヅヤの本売り場にだって参考書がある。でも、こうやって訊かれると気まずい。
ところが、女の子の反応は俺の予想とは違っていた。
「西春? ってことは名古屋市外か」
「市外……ですか」
「そうそう、名古屋市内と外では違うでしょ」
違うでしょと言われても名古屋市内に来たのは今日が初めてだ。
「何が違うんだ?」
そのまま伝えると女の子は目を見開いた。
「え? まさか今までずーっと西春に居たの? MOZOに来ないで生きてきたの? 一駅しか離れてないのに。その気になれば歩いてでも来られるのに」
まくし立てられると反論したくなる。
「ヨシヅヤにだって必要なものは売ってる。だからMOZOに用なんてなかったんだ」
俺がそう言うと女の子はにやにやとした笑顔を浮かべる。
「MOZOには生活に必要じゃない、素敵なものが沢山売ってるから楽しみなよ」
まるでMOZOの回し者みたいな言い草だ。
「せっかくだから案内するよ。あたしモモ」
モモは名乗るだけ名乗って俺の名を聞かなかった。それじゃあ不公平だろう。名乗られた以上は名乗るしかない。
「俺、静也」
「あだ名はシズちゃんでいいね。よろしく、シズちゃん」
あだ名らしいあだ名なんて初めてつけられた。いつも周りからはヨシヅヤの子と呼ばれているから。
モモはMOZOへ向かって歩き出す。
「お腹空いたー。シズちゃん、好きな食べ物なに?」
「え」
急に言われても思いつくのは春代ばあちゃんが作るご飯かヨシヅヤのお惣菜だけだ。
「お昼だから、ごはん食べなきゃでしょ」
「そうは言っても、お金が……」
お金なんて春代ばあちゃんがくれたお小遣いが2000円あるだけだ。それで足りるか分からない。
「MOZOのポイント使えば良いよ」
モモはスマートフォンを取り出して視認できない速度で画面をタップする。そしてスマートフォンを俺に見せつけてきた。
「ほら、ポイント3万あるからよゆーだって」
画面にはバーコードと30005MOZOポイントの表示が輝く。モモはやたら誇らしげに口端を上げる。俺にはMOZOポイントが何なのかいまいち分からない。
「MOZOポイントってMOZOの通貨なのか?」
そう問うとモモは腹を抱えて笑い出す。
「えー、普通にMOZOのポイントだよ。普通のやつ」
そんな風に言われてもヨシヅヤの外は俺にとって普通じゃない。
「何ボーッとしてるの。行こ?」
長い爪の小さな手が再び差し出される。やっぱり刺さりそうで怖い。
「シズちゃん、手を繋ぐの恥ずかしいタイプ?」
笑われてるように聞こえる。被害妄想なのかも知れないけど。
別に恥ずかしい訳じゃない。ただ爪が刺さりそうで怖いだけだ。どっちにしろ臆病なのかも知れないけど。
モモは「まぁ、いいや」と呟く。何がいいのか分からない。
「あたしについて来て。1m以上離れたら強制的に手を繋ぐから覚悟するように」
そんな無茶苦茶な。とはいえ、MOZOの構造を知らない以上はモモについていく他ない。
モモはジャングルみたいに草木が茂る穴に吸い込まれていく。慌てて追いかける。穴の中に入った途端、空間が急に広がる。吹き抜けだとしても、外から見た建物の高さよりも天井が高い。天井を見上げているとモモが立ち止まった。
「すごいっしょ18階まであるんだよ」
「18階? ヨシヅヤより高い建物があるなんて……」
「MOZOは圧縮空間だから、外から見る以上に高さがあるんだよね。だから、ラスボス・サチコ・コバヤシも催しに来られるくらい吹き抜けが高いんだ」
「巨大化し過ぎて国営放送ホールにも収まらなくなったって聞いたけど、ここには入るのか?」
もちろんヨシヅヤの吹き抜け催事場にも収まらない。
「国営放送ホールは旧世紀の規格のままだからね。デカくしなきゃダメだよね。やっぱ時代はスクラップ&ビルドだよ! 名古屋駅だって横浜駅くらいサグラダ・ファミリアしちゃえば良くない?」
モモはそう言って自分の身長より高く飛び跳ねる。どうしてそんなに高く跳べるんだ。モモの靴はただの厚底じゃなくて、ドクター中松が発明したジャンピングシューズなのか。
「あ、今週末はブラックホール・シゲル・マツザキのライブやるって! 黒過ぎて本当に吸い込まれそう。次の祝日はゴールデンジェネラル・ケン・マツダイラのカーニバルかぁ。めでてぇな!」
人選が全体的に大物だ。ヨシヅヤでは見たことがないスターばかりだ。MOZOはこんな大物ゲストが来るくらいすごい場所なのか。歴然とした差に段々俯いてしまう。
「シズちゃん、何でしょげてんの?」
モモは俺の顔を覗き込む。顔が近い。今まで女の子に顔を覗き込まれた経験はない。果物みたいないい匂いがする。
「あー、わかった。さてはお腹空いてるな!」
「そんな訳あるか!」
「とりあえずフードコート行こ?」
駄目だ。モモは俺の返事を聞いていない。モモはさっさとエスカレーターへ向かっていく。
「ほら、早く来ないなら強制的に手を繋ぐよ」
仕方なくエスカレーターに駆け寄る。エスカレーターを二つ上がった先にフードコートMOGUが現れる。そこには俺が知っている飲食チェーンの全部よりも沢山の店が並んでいる。こんなに店があっても何を選べばいいか悩んでしまう。モモは一直線にスガキヤへ走る。慌てて追いかける。
「やった! スガキヤのでらたっぷりジョッキクリームぜんざい復活してんじゃん。あたしこれと特製ラーメン大盛りにしよ。シズちゃんは何食べる?」
「そんなに食べられるのか」
「食べる食べる。あたし大食いだからね」
女の子って、もっと少食だと思っていた。モモは俺より大食いなのでは。
そのときだった。それまでテナントの広告が掲示されていた柱のサイネージディスプレイが全部真っ赤に灯った。
モモはびっくりした様子で館内を見渡す。
「うわ。表示バグった?」
ヨシヅヤでは紙のポスターばかりだからこんな風景を見た経験がなくて不思議だ。
「今までにもこんなことあったのか?」
「真っ赤なんて初めてかも」
一番近いサイネージに近寄る。不気味だ。表面に触れてみる。するとサイネージの画面が切り替わった。市松模様に丸八のマークの背景はニュースで見覚えがある。そこに名古屋市広報のバーチャル河村たかしが現れて馬鹿でかい声で俺たちに呼びかけた。
「どえりゃあ大変な事になったがや! 今から六時間後にでっきゃあ隕石が名古屋に落ちると気象庁が発表したがね! 名古屋市民のおみゃーさん方は、ちゃっと最寄りの宇宙船に乗りゃあ!」
顔も声もうるさい。だけど、深刻な事態だとは分かる。分かるけど最寄りの宇宙船ってどこだよ。冷や汗が垂れてきた。そんな俺と裏腹にモモはのんきな声で呟く。
「えー、ヤバいじゃん。逆にウケる」
「ヤバいなんてレベルじゃないだろ。宇宙船を探さないと」
俺がそう訴えるとモモは口端を上げる。
「そんなに焦らなくても大丈夫だって。まだ六時間あるし」
「もう六時間しかない、だろ! 早く宇宙船に乗らないと」
「もう乗ってるじゃん。宇宙船に」
モモは足元を指差す。同時に穏やかな女性の声でアナウンスが流れる。
「ご来店のお客様にご案内致します。当ショッピングモールは本日、地球を発ちます。お客様におかれましては、ご家族、ご友人との最後のご挨拶をなさいますようお願い申し上げます」
モモは自信満々の声で言う。
「MOZOはさ、ただのショッピングモールじゃなくて、いざという時のための宇宙脱出艦なんだよね」
だから、別にこの先もそんなに変わらないよ。モモはそう言ってMOGUから出ていく。追いかけた先はエレベーターホールだった。モモはエレベーターの▲ボタンを押した。すぐにエレベーターの扉が開く。
「シズちゃんも乗って」
モモは一番上にあるRのボタンを押す。エレベーターは他の階に止まらずにぐんぐん上昇していく。スピードが早過ぎて耳が痛くなる。
エレベーターの扉が開く。視界の先に広がるのは沢山のドア。数m間隔でドアが配置されている。集合住宅みたいだ。
モモは迷わずその中の一つのドアに手首をかざす。カチャリと音がして、ドアが開く。
「ここ、あたしん家。シズちゃんも入って」
モモが手招く。でも、俺は知ってる。他人の家に手土産の用意もなく上がってはいけない。春代ばあちゃんの教えだ。ましてや女の子の家なんて上がってはいけない。
「駄目だ! 俺は入れない」
「じゃ、そこで待ってて」
モモは厚底スニーカーを蹴り捨てて廊下に進む。廊下の突き当たりのドアを開いて入ると大きな声の独り言が聞こえた。
「うわ。マヨネーズもう無いじゃん。パックご飯もラスイチだし」
どうやら食料が足らないらしい。
「ま、いいか。何とかなるっしょ!」
モモはそう言ってドアの先から戻ってきた。背中には巨大なピンクの豹柄のリュックを背負っている。
「その大荷物は一体……」
俺が訊ねるとモモは回転して背中側を見せる。
「非常持ち出しセットに決まってんじゃん。見たら分からない?」
俺には家出を企んで補導される子供にしか見えない。モモは一回り小さなリュックを差し出す。
「これシズちゃんの分ね」
こちらは銀色のナップサックだ。真っ赤な文字で非常用と記載されている。
「とりあえず、これあれば大丈夫だから失くさないように」
何だかおかしい。俺までMOZOで宇宙脱出することになっている。気のせいではなく本当に。
「俺、西春に戻らなくちゃ」
モモは焦っているのか早口で返す。
「え? 何で?」
「春代ばあちゃんを置き去りに自分だけ宇宙へ脱出するなんて出来ないから」
「だめ。今、MOZOを出たら再入店できなくなるかも知れないし」
モモは俺の袖を引っ張る。
「だとしても、構わないよ」
「別にさ、行かなくても連絡取れるっしょ。スマホ貸して」
モモは強引に俺の旧式スマホを取り上げた。モモは長い爪で器用に画面操作をしていく。どうやって操作しているのか早過ぎてわからない。音声通信アプリを開いて春代ばあちゃんに繋ぐ。
「ほら、説明しなよ」
強張って重いままの口を開く。
「ばあちゃん、隕石が落ちるって聞いた?」
手汗が止まらない。スマホが滑り落ちそうだ。ばあちゃんはのんきな声で返す。
「知っとるよ。だからおみゃーをMOZOに行かせたんだがね」
ばあちゃんは知っていて俺を脱出させるべくMOZOに行かせたのか。
「ばあちゃんは西春で脱出するから、おみゃーはMOZOにおりゃあ」
そこで通信が切れた。再度通信を送っても反応がない。
「もう止めなよ」
モモに断言される覚えはない。
「きみになにが分かるんだ!」
「何もかも……って言ったら信じる?」
「嘘だろ」
そんな訳ない。だってモモとは今日初めて会ったばかりだ。
「言っとくけど、別に超能力とかじゃないよ」
「超能力じゃないならどうやって」
「まず名古屋市内に隕石が墜落するって広報なごやに載ってた話からしよっか」
「何、それ」
「名前の通り名古屋の広報紙だよ。名古屋に住んでると毎月ポストに入れられるじゃん」
そんなもの知らない。当然か、ヨシヅヤは名古屋市内にあるわけじゃない。
「広報なごやで隕石が墜落する情報を知って、MOZOの店長は近隣のショッピングモールに連絡したんだ。地球脱出までに各ショッピングモールのコインロッカーベビーをMOZOに来させるためにね」
「モモは俺がコインロッカーベビーだと知っているのか」
動揺する俺を尻目にモモは話を続ける。
「本当は名古屋市内だけだったけど、北名古屋はMOZOから近いから対象になったんだ。てか、あたしが言ったんだよね。北名古屋も名古屋って付くから名古屋扱いで良くない? って」
「その感じからして、モモはMOZOの子なのか」
「分かってんじゃん、ヨシヅヤの子☆」
つじつまが合ってきた。だから俺は今日MOZOに送り込まれたんだ。
「てかさ、シズちゃん何も知らずにMOZOに来た感じ?」
「知ってたら色々用意してきたのに……」
そう言うとモモは吹き出す。何がおかしいのか。
「ごめん。ウケる。だからシズちゃん手ぶらだったんだなぁって。他の子は荷物を持参してるから」
モモは腹を抱え込んで笑う。よほど笑いのツボに刺さったのか。気に食わなくて刺々しく言ってやる。
「MOZOは何でも売ってるんじゃないのか」
「売ってるけど。でも、みんな使い慣れた枕とか持ってきてる。安心して。枕は今からでも調達できるよ」
また長い爪の小さな手が差し出される。こうなったらヤケだ。手を繋いでやる。
「寝具売り場はどこなんだ」
「せっかくだから枕の専門店行こ?」
モモは半ば強引に俺の腕を引いていく。他の客が止まって見える。時間が止まっているような気持ちになる。実際は地球を脱出する時間が刻々と迫り来ているのに。緊迫感が感じられない。
「ほら、ここだよ。見てみなよ」
店内には所狭しと枕が置いてある。壁も枕で埋め尽くされている。枕専門店らしい……のか?
「シズちゃん、どういう枕が好き? あたし、もちふわ系の枕」
枕の好みなんて考えたこともない。くたびれたらヨシヅヤの二階で適当に買っていたから。だから、枕を選ぶなんて初めての経験だ。モモは店内の枕を突いて首を傾げている。
「固めがいいかな? でも、ふわふわのも捨てがたいよね」
「何でモモが選んでるのか」
「シズちゃん一人で選ぶより楽しいっしょ!」
「別に楽しくない」
嘘だ。本当は内心わくわくしている。たかが枕を選ぶだけなのに。
モモはあーでもないこーでもないと呟きながら枕を突きまくって、ようやく止まった。
「ねぇ、これ良くない?」
モモが指差す枕はNASAが開発したうんぬんと長ったらしい説明が書かれた胡散臭い枕。
「無重力のような安らぎの寝心地だって!」
「無重力って寝心地いいのか?」
「知らないけど、良いんじゃない?」
適当だ。アテにならない。値段を見てみる。高い。俺の所持金より遥かに高額だ。
「こんな高い枕、買えないって」
「そんなシズちゃんに、あたしがMOZOポイントで払ってしんぜよう」
モモは枕を小脇に抱えてレジに向かう。
「いいって。こっちの安いやつにするから」
「人生の三分の一は寝てる時間なんだって。だから枕は大事だし妥協すんな!」
そう言ってモモは枕を会計してしまった。店員も止めてくれよ。
「はい。シズちゃん、自分で持って」
枕が入ったレジ袋を渡される。仕方ない。持つか。そこに再びアナウンスが流れた。
「お客様にご案内致します。当ショッピングモールは地球脱出の準備に伴い、まもなく閉店とさせていただきます」
タイミング的にギリギリ買えたらしい。
「あ、店長から連絡きたかも」
「何の用だ」
「分かんないけど、吹き抜け下のイベントスペースまで来てって」
エスカレーターを下って広場へ向かう。広場は既に沢山の人が集まっている。ステージの上には、スターとは程遠い普通のおじさんが立っている。おじさんはマイクを持ち、自分の顔に近づけた。
「MOZOにお越しのお客様方、ならびにMOZO従業員の皆さん、こんにちは。当モール責任者の森でございます」
森と名乗るおじさんが頭を下げる。どこからともなく拍手が起こる。
「本日午後六時にMOZOは地球を離れ、宇宙へと離脱致します。予定では五十年ほど地球付近を回遊し、2100年ごろ地球に帰還する予定でございます」
何だ、帰れるんだ。そう聞いてホッとした。春代ばあちゃんにだって五十年後にまた会える。五十年も経ったら俺はおっさんになってるし、春代ばあちゃんは更におばあちゃんになっているんだろうけど。
「脱出船の中ではお客様も従業員も同じ仲間です。長旅となりますので、仲良くやっていきましょう」
また拍手が起こる。中には隣同士握手しあう人たちもいる。
「シズちゃんは、あたしと握手しなよ」
「分かってるって」
改めて握手をするとモモの手は小さくて細い。肌触りは滑らかだ。春代ばあちゃんはどんなにハンドクリームを塗り込めてもシワシワだったのに。どのハンドクリームを使ったらこんなすべすべになるのか。
いつの間にかおじさんはステージから去っていて、周りの人もまばらになっていく。
「そろそろ脱出だから、座れるところに座った方がいいかも」
「シートベルトは着けるのか?」
「そんなの無いよ。ふわっとするだけって言ってたし」
「誰が」
モモは柱のサイネージディスプレイを指差して言った。
「バーチャル河村たかし」
「アテになるのか」
「さぁ?」
アテにならない気がする。だって、バーチャル河村たかしだから。そこにアナウンスが流れる。
「ご案内致します。当モールはまもなく地球離脱に伴い、揺れが生じます。館内の皆様におかれましては、ご着席をお願い致します」
アナウンスが終わるか終わらないかのタイミングで建物が揺れ始める。よくは分からないが地震とは違う揺れだ。ゴゴゴゴゴと低い音を立てながら建物が動いている。
「うわ、ヤバ! すっごい揺れる!」
モモは何故か自撮りを始める。ピースピースじゃないだろ。
怖い。何かにしがみつきたい。それか押さえつける何かが欲しい。やっぱりバーチャル河村たかしはアテにならなかった。
「シズちゃん、顔色悪いよ。大丈夫?」
「大丈夫に見えるか?」
「ピンクの下地使えば大丈夫だと思う」
「何だよピンクの下地って」
「化粧下地に決まってんじゃん」
地球を脱出しているときに話す話題じゃない。だが、モモは止まらない。
「ピンク下地は血色感出すのに使うんだよ。シズちゃん知らない?」
「知らない」
「嘘だぁ。おばあちゃんが使ってたりしない?」
「知らない」
「うわー、無関心。おばあちゃんかわいそ」
別に春代ばあちゃん自体に無関心な訳じゃないんだから非難される覚えはないのに。
「あ、窓の外すごっ! シズちゃんも見なよ!」
モモは大興奮で窓を指差す。鮮やかな青が見える。
「地球は青かったってマジなんだ!」
「いつの間に進んでたのか……」
「あたしらが駄弁ってる間にだいぶ宇宙になったね」
モモは窓の外にスマホを向けて連写で撮る。連写で撮る意味は分からない。
「シズちゃんも写れ☆」
「へ?」
スマホが向けられるなんて想定外で、顔を隠すのが遅れた。
「あはは! シズちゃん、まぬけ顔!」
連写で撮られた自分が予想以上に間抜けな顔をしている。
「おばあちゃんに写真送ってあげなよ。ついでに下地なに使ってるか聞きなよ」
「嫌だよ。宇宙に出たって連絡だけする」
俺がそう言うとモモは俺のスマホを引ったくり、あっという間に間抜けな写真を送信した。
「銀河に轟く男前だねって」
「絶対嘘だ。適当言うな」
「あとさ、下地はポルジョ使ってるって! おばあちゃん可愛い系好きかよ!」
「聞いたのか」
モモはドヤ顔をしてみせる。これから先を考えると頭が痛くなってきそうだ。




