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駒鳥(きみ)へ、優しい日々を贈ろう  作者: 琴子
無慈悲で無垢なその気遣いは、君の心に届きましたか
3/14

03

 



 ――枝葉堂は、王都の学院街に店を構えている。

 二人の住居は学院街の大通りから、ひとつ通りを渡った地区に有り、治安もそれなりに良い。大通りの一角には朝と夕に市場が立つし、地理的な不便さはあまり感じない。

 だから特に約束もしていないのに、ティーリがわざわざ職場まで迎えに来た事を、カヤは少し不思議に思っていた。

 時折は互いが互いの職場まで出向いて帰路を共にしたり、そのまま買い物に出かけたりもする。けれど今日はそのような提案は無かったし、突然に店に来るなどという事も今まであまり無かった。

「ティーリ、どうしたの? 今日、来るって言ってなかったよね?」

 半歩前を行く青年の背中に、カヤは不思議そうに声をかける。

 けれど通りの喧騒にまぎれて、その言葉はうまく届かなかったのだろうか。ティーリはこれと言った返答を返してこなかった。

 それでも何か言ったのは伝わったのかもしれない。彼はカヤの左手を躊躇いがちに軽く掴むと、歩調を速める。

 その時僅かに背中越しに振り向いたが、すぐに覚悟を決めたように手を握る指にもう少しだけ力を籠め、再び彼は前を向いた。

 反応らしき反応と言えば、それだけ。

 彼はそのまま通りを横切って、石畳の小道に歩を進めた。

 内心首をかしげながらも、カヤは重ねて声をかけはしない。

 しばらく二人は、静かな道を進んだ。けれど家に近づくにつれて、次第に歩調はゆっくりとしたものになっていた。同時に指に籠められていた力も弱弱しくなってゆく。

「ティーリ? 大丈、夫?」

 今度こそ、聞き逃す事は無いだろう。

 もう一度話しかけると、青年は振り向かずに、けれど今度ははっきりと言葉を返した。

「今日、学院で事故があった。術式の暴走事故だ。術者は王弟。末王子のウィルトラウト殿下」

 その言葉も、返答にはなってはいなかったけれど。

 それでも少しばかり張り詰めた声音は、緊張の色を濃く帯びている。

 表情こそカヤからは見えなかったが、無言の時は引き結ばれている口元からは、真剣さが垣間見えた。

「学院って、じゃあ、お客さん達が話してたのってその事?」

「話してたって……。もう、市井にまで伝わってるのか」

「何かあったみたい、程度しか聞かなかったけれど」

 学院地区に店を構える枝葉堂は、専門書も充実している事もあって、学生や学者の客が多い。

 学院での噂話程度なら、カヤも自然と耳に入っていた。

「そう」

 ティーリはそのまま一言発したきり、しばらく言葉を止めた。

 やがて彼はゆっくりと歩みを止めると、おもむろに振り返ってカヤに向き直った。

「カヤ。今日学院で、人間が一人、召喚された」

 そうして告げられた言葉は、人通りの無い細い小道に、弱弱しくもはっきりと響く。

「喚びだされたのは本人曰く十代の女。外傷は無い。術式暴走で、誤って呪われた形跡も無い。殿下にも召喚の意図は無かった。事故だった」

 夕暮れの迫る街角で、その言葉に打ちのめされたかのように。

 何か、大事なものを見失ったかのように、カヤはゆっくりと瞠目した。

 それはまるで、心のどこかに突き刺さったままの硝子の欠片が、ゆっくりと痛みを思い出させるように。

「名前はマイハラナツだと、名乗ったって聞いてる。俺も召喚分野の研究者だから呼び出された。けど、直接会ってはいない」

「それ、って、」

 零れた言葉は、彼女自身驚くほどに淡かった。消え入りそうに小さかった。

 だというのに、その音はどこか力強く。

 押し込んでいたものが、あふれ出るような感覚に、知らず言葉が詰まる。

 ティーリもまた、呆然とした彼女の痛みに、僅かに顔を歪めた。彼自身はそのように、痛みを憶える権利など無いと知っていたけれど。

 でも、無理だった。堪える事は酷く難しく。

「……カヤと、同じなんだ」

 どちらかと言えば使われた言葉そのものは、事実を認めるだけの言だった。けれども確かに、発されたのは肯定だった。

 十二年前、カヤはティーリによって召喚された。

 こことは異なる世界から。魔法の存在しない場所から。

 幼い夏の日に、突然に故郷の世界からかどわかされた。

 その時、ティーリはまだ無知だった。知らなかったからこそ、カヤという一人の人間の人生を狂わせた。

 当時、齢十を目前に控えていた彼は、使役獣を欲していたのだと聞いた。

 だからこそ家の倉庫に眠る、《籠鏡》との名を持つ自鳴琴の形をした魔法具は、酷く魅力的だった。

 それは《駒鳥》という使役対象を呼び出すのだと、書庫で読み解いた書物に記されていたのだ。

 少年はだから希望を持って、一人隠れて術式を行使した。

 両親に認めてもらいたかった。

 己の体の病弱さと言う劣等感を拭いたかった。

 見下してくる級友を、何とか見返してやりたかった。

 だから使役獣として、過去使役主に栄光をもたらしたとされる、《駒鳥》を手にしたかった。

 けれどその結果、幼い魔術師は破ってはいけない禁を破ったのだ。

 禁じられているにもかかわらず、知らず人の子を喚び出してしまった。

 《駒鳥》は、比喩。『《籠鏡》によって召喚された人間』を指し示す代称だった。

 そうしてその時彼は、召喚に用いた魔法具《籠鏡》を壊してしまい――召喚されてしまった幼いカヤは、生まれ育った地に帰る術を、永遠に失った。

 魔法具の破損は、カヤを故郷に送り返す事を不可能とした。

 だからこそ。ティーリのその言葉は、色褪せた思い出を呼び起こさせる。

「召喚された人は。その人は、帰れるの?」

 張り詰めた言葉にすぐに、ティーリはこくりと頷く。

 それだけは、彼は事故のあった学院に呼び出された時、真っ先に確認していた。

 魔法具に破損は無いか。術式は破綻していないか。術者は術式の行使が可能な状態か。

 自分で過去に取り返しの付かない失敗をしていた分、それに関してだけは、的確に行動できたと確信している。  

「帰れる。魔法具の破損もないし、術者が術者だ。術式の材料も揃えられる」 

「そ、か」

 途切れ途切れの言葉を零したカヤから、ティーリは無意識に瞳をそらした。

 幼い頃のおぼろげな記憶は、カヤを長年苛ませている。

 帰りたい、どうして帰れないのかと。今も忘れられずに憶えているからこそ、緩やかに侵食を続ける。

 カヤ自身、頭では帰れないと分かっていても、それでも心では、そう簡単には認められない。受け入れられない。

 やはり加害者であるティーリからすれば、その現れは酷く自責の念を抱かせる。突き刺さるような不可視の刃だった。

「早く、戻れるといいな」

「――、うん」

 その言葉は多分、何時までたっても忘れられない、彼女の懐郷故に紡がれた。

 だからこそ、なのか。何時までたっても、歪な記憶に縋ろうとする。

 カヤはうつむいて続けたティーリを、ただぼんやりと見つめていた。

「召喚方陣の研究要員に、俺も借り出された。ずっと、研究だけは続けてるから」

 薄暗さを徐々に増す石畳の道で、繋いだ指に、今度はカヤが力を籠めた。家はもうすぐそこだ。後もう少しで、彼らの住む小さな一軒家の玄関に辿り着くだろう。

 それなのに、どうしてだろうか。しばらく足を動かす事ができなかった。カヤも、ティーリも、どちらとも。

 背負ってしまったその過去は、どちらにとっても重すぎた。

「彼女は、無事に帰す事ができると、思う」

 痛みにも似た、その優しさに。

 一瞬、最後に目にしたあの夏の景色が、うっすらと脳裏を掠めた気がした。

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