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駒鳥(きみ)へ、優しい日々を贈ろう  作者: 琴子
いつしか忘れ果てていた、歪な時間は繋がりましたか
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 隣に連れ立って歩くも、互いに干渉しようとしなかった。

 二人の間の僅かな空間。腕を伸ばせば届くその距離が、ティーリには自分たちを別つ確かな境界線であるように感じられた。

 遠回りと承知で、帰路に石畳の小道を選んだのは、賑やかな大通りを避けたから。

 かつりかつりと僅かに靴音を響かせながら、隣を往くカヤに合わせて、また一歩足を踏み出す。

 終わりかけた冬の空気が、身を切るように冷たかった。

 ――あの後ティーリはカヤと共に、学院から立ち去った。

 研究室の責任者であるウィルトラウトはまだ学院には来ていなかったが、多忙な王弟に代わって実質的に魔術師たちを取りまとめている年嵩の研究者が、ティーリを帰らせたのだ。突然の実験の中止に術師たちが戸惑う中、彼の様子が不安定であったのと、顔色が悪かったのを心配して。

 ティーリはそれに甘えた。やはり沈んだ様子のカヤを一人で帰すのは少しばかり不安だったし、もう気力も尽きていた。

 唐突に聞いた言葉は、張りつめられて緊張していた糸に、突然刃を入れたようなものだった。もしくは大切に、ゆっくりと積み上げてきた何かに唐突に、崩れそうになるほどの衝撃を加えられたかのような。

 『元の世界には、帰らない』なんて。

 そんな事を言うナツの声が彼の耳に飛び込んできたのは、実験の準備の途中、欠けていた資料を取りに戻った時。

 外套を着た上で方陣の配置のためにあちらへこちらへと動き回っていてさえも、冷たく感じた屋外の空気。それに比べ、室内の空気は暖かく。

 けれど耳にした音は、ティーリに表しようのない凍えを感じさせた。

 咄嗟の問いに帰ってきた言葉は、しかしティーリの目指すものすらやすやすと否定した。語られる甘い理由と夢見がちな決意で飾り立てられたナツの答えが、彼にとっての贖罪を貶める。

 だからだろうか。半ば八つ当たるか仕返すかのように、ティーリは彼女の願いを拒絶した。

 ――たった一言でこれほどに抉られてしまっている、そんな自分は本当にどこまでも。

「弱い、なぁ……」

 そして身勝手。

 本当に小さく、零れ落ちた幽かな言葉は誰にも、隣に居るカヤにさえも聞こえていないだろう。それほどに細くかすれた音だったのだから。

 石畳を往く足音の方がまだ響くし、聞こえたとしても溜息か何かと思われるはずだ。

 弱く、狡く、脆いのだなと思う。

 柱に縋っていないと、たやすく崩れ落ちてしまいそうになる。強風に背中を押されないと簡単に歩く事をやめて、背負った荷物も何もかも、すべて捨ててしまいそうになる。

 そしてそれらにひびが入れば、すぐに逃げ出してしまうのだ。かなわないなら相手を刺してでも逃げる。まかり間違っても崩されなんてしないように、と。

 そうやって抉られる痛みを知っているというのに、時に誰かの傷口を意図的に抉るのだ。

 憎くすら思うほどに、ティーリはそんな自分が厭わしかった。

 あの時もそうだった。

 一番カヤを嫌っていた、一番嫌いな自分の居たあの過ぎた時間。カヤと向かい合うその以前の幾月かも、自分は傷つけてばかりだった。

 ゆうるりと連鎖をはじめた回顧に、ティーリは僅かに堪えるように、口元にきゅっと力を込めた。表情が自然と歪む。

 そうでもしないと、押し込める感情が言葉にでもなって、溢れ出してしまいそうだったから。

 ……ティーリがカヤを召喚して以来、彼が周囲から向けられる視線は変わった。

 魔術師領の領主でもある序列一位の族長、その長男であるというのに、体が弱く折々に病に倒れていた彼の将来を、危ぶむ声は元々多かった。

 床に臥せる時間も長かったから、その分他の一族の子供たちと同じようにも学べない。

 ゆえにティーリの学ぶ内容は自然と座学が多くなり、同年代の子供たちとの交流も稀で。

 最初はそれでもまだよかったのだ。いくらファーレンが戦闘特化の魔術師一族とは言え、研究職の魔術師もまた重宝される。知識を詰め込み理論面で秀でる事も、悪くはなかった。

 けれども一つ二つと齢を重ねるにつれて、それはやはり、子供たちにとって理解できない事となっていったのだろう。

 儀式や理論を中心とする術式ではなく、戦術に重きを置いた実践に、仮にも長の息子があまり関わらず、また得意としないなんて。

 自分たちがこなせる事が、血筋柄自分たちよりも高い魔力を持った長の息子に何故できない。

 ただでさえ集団から外れていたティーリだし、個々の得手不得手というものをうまく認められない年代である。子供たちの疑問はすぐに形を歪め、またティーリの元々持っていた劣等感も、それに呼応して重いものとなっていた。

 そんな日々が続いていた矢先の、《駒鳥》の召喚、だった。

 元々距離を置かれていた子供たちだけではなく、大人たちの視線もまた更に難しい物となり、とうとうティーリは孤立したのだ。

 母は多忙で、父は普段は王都に居り、師には距離を置かれ。夫を亡くし帰郷していた伯母は自分が召喚した少女を引き取り、この世界の事を何も知らない彼女に付きっ切り。

 自室に籠り、書庫に通い、自分の失敗を取り戻そうと足掻く。そして学べば学ぶほどに、自分が招いた事態を無かった事にするなどできないのだと、決してできないのだと知る。

 短くはない期間、当時のティーリはそれを繰り返した。

 積極的に誰かと会う事を避ければ、次第に少しは親しかった人々や、多少とは言え気遣ってくれた人々との距離も遠くなっていった。同時にそれ以外に関係性を築いていた人間との繋がりは、以前にもまして捻じれ。

 特にそんな現状に陥った契機の象徴である《駒鳥》――カヤとの関係が、どこまでも鋭く薄いものであったのは当然だろう。

 ただ召喚によって彼女を強引に拉致した加害者と、唐突に見知らぬ土地に連れてこられて終生帰郷叶わないとされる被害者。

 そんな単純すぎるほどに単純で、けれど子供たちからすれば痛々しほどに酷薄な繋がりにがんじがらめになって、幾許かの季節を経た頃だったろうか。

 互いに決して接しようとはしなかったティーリとカヤの間柄に最初の転機が訪れたのは、《駒鳥》の召喚から一年ほどの時間がたった――冬の間の事だった。



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