第2話 行き倒れ その②
「おい、神崎! 大丈夫か!?」
仰向けのまま制服姿で倒れている神崎の肩を叩きながら、大声で呼びかける。
夜中に学校指定のブレザーとミニスカートを着たままという、その場違いさが状況の異常性を際立たせていた。
焦りからだろう、自分が思っていたよりもずっと大きな声が出た。
すると、その声に反応するかのように、彼女の目が突如として見開かれる。
「......へ? うわぁッ!?」
飛び起きた神崎は、得体の知れないものでも見たかのような目でこちらを凝視した。
しばらく観察したのち、相手が俺だと理解したらしく――
「......ん? よく見たら、斜に構えた感じかと思いきや案外熱血系だった野海先輩じゃないか」
失礼な第一印象を説明口調で告白するな。
目の前にいるのが一応知り合いであることに安心したのか、神崎は落ち着いた手つきで紺のブレザーについた草や土汚れを軽く払い落とす。
「それで、先輩はこんなところで何をしているんだ?」
「夜中に路上でぶっ倒れてるやつにそのセリフを先出しする権利はねぇよ」
あっけらかんとした顔で問いかける神崎。
様子を見る限り、体調不良や何かしらのケガで倒れていたという訳ではなさそうだ。
もっと深刻な事態を想定していただけに、肩の力が抜ける。
「......散歩してたんだよ。家もこの近所だしな」
「こんな時間に散歩か。なかなか変わった趣味を持っているんだな、先輩は」
「お前にだけは言われたくねぇ! 大体、そういうお前はなんでこんな所で何してたんだよ」
「寝てた」
「いや、寝てたってお前......家は?」
「ないぞ」
どういうことだよ。
今の日本で何をどう間違ったら女子高生、それもあの神崎翔の妹ともあろう人間がホームレスになってしまうのだろうか。
俺が困惑して固まっていると、神崎は、所々が無造作に跳ねた白い長髪をわしゃわしゃとかき混ぜつつ、言葉を付け足す。
「あ、家がないと言っても実家はあるぞ」
「実家どこ?」
「大分市」
市跨ぐどころか県跨いでるじゃねぇか。
それなら、少なくとも実家からここまで通いってことはないだろう。ここからだと直線距離でも150㎞くらいはあるはずだし。
......ここまで会話を踏まえて、なんとなくだが神崎の置かれている状況が分かった気がする。
もし、この仮説が正しければ、神崎はとんでもなくアホだということにもなってしまうが。
「......もしかして、一人暮らしをしようと思ってこっちに来たはいいものの、寮とかの契約が上手くできてなくて家がないのか?」
「流石だな、先輩。多少違う部分もあるが、大方は合っている。80点の解答と言ったところだな」
神崎は腕を組み、まるで他人の推理を批評する、性格悪めの名探偵のような口調で言った。
こいつ、現在進行形でアホ晒してる時によくこの上から目線のスタンスを貫けるな。
「それで、100点の解答だとどうなるんだよ」
「 ”一人暮らしをしようと思ってこっちに来たはいいものの、住む場所のことなんか何も考えてなかったから家がない” これが模範解答だ」
「120点のアホじゃねぇか!」
というか、もはやアホというかそういう次元じゃない気もする。一泊二日の旅行だとしても許されないレベルの無計画さだ。
それに、あまりこういうことを思いたくはないが、親は何も言わなかったのだろうか。そうだとしたら、いくらなんでも無干渉すぎやしないだろうか。
そんなことを考えている内に、神崎は再び草むらに寝転がった。
「私がここで寝ていた理由は、もう分かっただろう? 私はこれからまた寝るから、先輩は帰りが遅くなりすぎないよう、ちゃんと気をつけるんだぞ」
「待て待て待て」
「なんだ。まだ何か気になることでもあるのか?」
少しうんざりしたような顔をしながら、彼女はおもむろに体を起こす。
「気になることっつーか、このまま道端で寝るのは色々とまずいだろ」
「いや、何も問題ないぞ。寝床と水場があるからな。人間が生きていくには十分すぎるくらいの環境だ」
「草むらと用水路しかない状態をポジティブに捉えすぎだろ。それに、その他にいくらでも心配するべき事があるだろ! たとえばほら、虫とか野生動物とか、車とか不審者とか!」
「......たしかに。虫はまずいな」
自分で言っておいてツッコむのも変だが、一番気にするのそこかよ。
草むらで寝っ転がるのに抵抗ない時点でその辺りは最初から覚悟してるはずだろ。
神崎は少し考え込むような仕草を見せた後、俺に問いかける。
「......それなら、私はどこに行けばいいんだ?」
「......」
答えに詰まる。
実を言うと、勢いで道端で寝るのを止めさせたのはいいが、神崎の行先について当てはあるという訳ではなかった。
俺は、無い頭を振り絞り、提案できる場所を探す。
第一候補は、やはりビジネスホテルやネットカフェだが......ここはド田舎。当然歩いて行ける範囲にそんなものはないし、仮に頑張ってたどり着いたとしても、飛び入りの高校生を泊めてくれるかはかなり怪しい。
第二候補は、女子の友人に頼んで神崎を泊めてもらうことだ。しかし、こんな時間にいきなり頼むのは色々と気が引けるし、そもそも、そんなことを頼めるレベルで親しい女子など一人もいなかった。よって却下。
そして、最後の第三候補。そこはこの場所からほど近く、誰の目も気にせず入れる。しかも、ベッド付きの個室まで備わっている。――条件だけで見れば、迷う余地もなく一択だ。
けれども、軽々しく口にできないのには理由がある。何を隠そう、他のどの場所よりも好条件なその場所は、俺の家なのだ。
いくら事情があるとはいえ、今日会ったばかりの女子を自分の家に連れ込むのは、倫理的にどうなんだという懸念が頭から離れない。そうなると、普通に警察に電話したほうがいいような気もする。
こうした思考を経て、俺は結局......
「警察に連絡するのと......俺の家に来るのどっちがいい?」
判断を後輩に押しつけた。
ちなみに、『俺の家』のあたりは、自分でも分かるくらい声がしぼんでいた。知り合ってまだ初日の異性の後輩を自宅に連れ込もうとする男として軽蔑の眼差しを向けられる可能性がある事に慄いてしまったのだ。
神崎は顎に手を当てて、考え込むような様子を見せる。
「んー、警察か......先輩、もし警察に連絡したら、私はどうなると思う?」
「......自分で言っといてなんだけど、正直全然分かんねぇ。まぁ想像だけど、とりあえず署かどこかで一日くらい保護されて、最終的には家に送り届けられる......とかじゃないか?」
「それだと困るな。せっかく入部できたというのに、初回から練習に参加できないのは嫌だ」
この期に及んで一番に気にするのが練習のことかよ。野球バカにも程があるだろ。
「すまないが、警察への連絡はしないでほしい」
こうして、野球バカは警察という選択肢をあっさりと切り捨てた。
「それで、もう一つの選択肢は何と言っていた? すまないが、つい聞き漏らしてしまってな」
え? もう一回言わなきゃダメなの?
ドン引きされることを恐れ、肝心なところで声を小さくしてしまったたせいで、余計に逃げ道のない状況を自分で作り出してしまった。自分のチキンさが恨めしい。
こうなってしまった以上は、もう仕方がない。覚悟を決め、今度ははっきりと聞こえる声量でその言葉を口にする。
「......俺の家、だけど」
恐る恐る神崎の反応をうかがう。
だが、俺の抱いていた懸念はただの杞憂だったらしく、彼女の表情はこれまでと変わらず落ち着いていた。
「......先輩の家か。それは私としても助かるが......本当にいいのか? 夜中にいきなり押しかけて」
その辺りのことはあまり気にしていないと言わんばかりの神崎の返答に、俺は内心で胸を撫で下ろした。
「まぁ、親もいないからな。神崎さえよければ全然いいよ」
「え? 先輩、”親がいない”ってどういう......」
何気なく口にしたつもりの一言だった。
だが、神崎が急に深刻な顔をしたのを見て、しまったと自分の失敗を悔いた。
言い方を間違えたせいで、実情よりも恐らく十倍くらいはシリアスに受け取られてしまっている。
俺はすぐさま、訂正するように事情を説明する。
「いや、これは別に不幸な話とかそういうのじゃなくて、単に海外出張に行ってるってだけだ。紛らわしい言い方してすまん」
「そう、なのか。それならよかった......こちらこそすまない、つい過剰に反応してしまった」
神崎は張りつめていた表情を緩めてそう言った。だが、その奥にかすかな寂しさが滲んでいるようで、胸の奥が妙にざわついた。
もしかして......
脳裏に浮かんだ一つの想像。
それが真実か、ただの思い過ごしかは分からない。だが、そのどちらであろうと、今ここで確かめるのは俺の取るべき行動ではない――そのことだけは疑いようがなかった。
***
それから俺の家へ向かう道すがら、他愛のない話を交わした。
話題の中心は”病院での診察結果”だった。一打席勝負のあと、すぐに病院へ連れていかれた俺のことを、神崎も一応気にしていたらしい。
結果が”異常なし”だったことを伝えると、「そうか。まぁ、先輩は見た目からして頑丈そうだからな」と、ディスっているのか何なのかよく分からない偏見を口にしながらも、どこか安心したように表情を緩めていた。
小生意気な所はあるが、やはり根はいいやつなのだろう。
距離もさほど離れていなかったこともあり、気づいた時にはもう家に着いていた。
「ここが先輩の家か......意外ときれいだな」
「『意外と』は余計だ」
部屋を見渡しながら、開口一番失礼なことを口走る神崎。こいつの中での俺のイメージは、一体どうなっているのだろうか。少なくとも、碌なものではなさそうだ。
それはさておき、自宅で後輩の女子と一対一。それもこんな夜更けにとなると、どうにも落ち着かない。
ふと部屋を見渡す神崎の横顔が視界に入る。Eラインの美しい輪郭に、長くしなやかなまつ毛。
ぶっ飛んだ言動のおかげ(?)で多少誤魔化されてはいたが、神崎が紛れもない美少女である事を改めて認識する。
状況が状況なだけに、絶対に異性として意識してはいけないことは分かっている。それでも、どうしても心臓の鼓動は早くなる。神崎のことをかわいいと思ってしまう。
「先輩」
その時、神崎が唐突にこちらを向いた。
まるで変なことを考えているのを見透かされたような気持ちがして、頭がさーっと冷えていくのを感じる。
しかし、その表情は相変わらず落ち着いていて、俺を責めるような気配は一切なかった。それを理解した途端に、一人で勝手にパニックを起こしていた自分が急に恥ずかしくなる。
それを誤魔化すように、俺は必要以上に平静を装いながら神崎に問い返す。
「ん、どうした?」
「早速ですまないが、シャワーを借りてもいいだろうか? 汚れたままで部屋をうろつくのは流石に申し訳ないからな」
「ああ、全然いいよ。風呂場はあそこね。タオルとかドライヤーは入ってすぐ左の棚にあるやつ使って」
「分かった、ありがとう」
神崎が風呂場の方へと向かったのを確認してから、俺は自分の部屋に入る。
「ふぅー」
自分を落ち着かせるために、わざとらしいくらいに大きく息を吐く。
やばい、正直めちゃくちゃドキドキした。というか、今もしてる。
なんとか冷静ぶって会話していたものの、“シャワー”という一単語を聞いただけで弾道が上がりそうになるのを何とか抑えていたというのが実際の所だ。
自分でもここまで童貞を拗らせているとは思わなかった。
ベッドに寝ころび、スマホの画面を開く。
ここでようやく、ここが自分の家だという実感がじわりと湧いてきた。
この調子でなんとか気を紛らわせようと、メジャーリーグのハイライト映像を再生する。
しかし、ほとんど内容が頭に入ってこない。画面はちゃんと見ているはずなのに、数秒後にはどの選手が何をしていたのか、全く思い出せないといった有様だ。
そして、そんな俺に追い打ちをかけるかのように、ドアの向こうから微かな水音が聞こえてくる。
――あの美少女が、すぐ近くでシャワーを浴びている。
その事実を否応なく突き付けるその音は、十分すぎる破壊力でもって、あまりにも経験不足な俺の理性を破壊した。