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第1話 謎の美少女 その④


 それにしても、この子のピッチングフォーム、どこかで見たことがある気がするんだよな。


 特に、あのグラブを高く上げる特徴的な非投球腕(リーディングアーム)の使い方。

 近年の野球ではめっきりと見なくなったタイプだからこそ、ひとたび目にすると強く印象に残る。おそらく、既視感の正体はそれだ。


 けれど、どこで見たのかがうまく思い出せない。

 少なくとも、生で見た記憶ではないような気はするけど......


 ――まぁ、それはあとでいい。

 今は目の前の勝負に集中すべきだ。


 及川先輩との対戦において、|投手と捕手(バッテリー)側に有利な条件がひとつある。


 それは、変化球が投げられないという弱点がまだバレていないこと。

 球種がストレートだけだという事実自体は同じでも、それを打者が知っているかいないかでは雲泥の差がある。


 ――変化球が来るかもしれない。


 その“迷い”が、ストレートへの反応をほんのわずかに鈍らせる。

 一打席勝負という状況において、このアドバンテージは果てしなく大きい。


「......ゖ」


 その時、及川先輩の口元が、ほんのわずかに動いた。

 声は小さく、はっきりとは聞き取れない――だが、たしかに何かを呟いているように見える。

 まるで、自分自身に暗示をかけているかのように。


 少し悪趣味かもしれないが、俺は思わず耳を澄ませた。 


「球種はストレートだけ。絶対打てる。球種はストレートだけ。絶対打つ」


 ......バレてる!?

 なんで!? いつ!? どこで!?


 脳内が混乱でぐちゃぐちゃになる中、ふと――記憶の奥底から、自分の声がよみがえってくる。


『正直言うと、めっちゃ舐めてた。

 変化球のひとつも投げられない女子とか、どうせまともなボールなんて来ないだろって思ってた。勝手に決めつけて、油断して......それで、想像してたよりずっと速いストレートが来て......捕れなかった。そんなクソダサいやつなんだ、俺は!』


 ん?


『変化球のひとつも投げられない女子とか、』


 俺のせいじゃねぇか!!


 万が一この子が勝負に負けて、それで入部できないなんてことになったら――戦犯は完全に俺だ。

 佐藤たちに吊るされるのは覚悟のうえとして、それよりも、この子への罪悪感で死ねる。

 高校3年間を奪うとかさすがにシャレにならない。冗談抜きで一生引きずる。


 あぁ、もし負けたら泣きの一回をかけて監督の前で切腹でもしてみようかな。

 リア○野球盤のアレの進化版的な。


 ......いや、落ち着け。


 そもそも一打席勝負なんて、よほど力量差がない限りはピッチャーが有利だ。

 ヒットか四球、つまり出塁すればバッターの勝ちとなるが、去年の及川さんの出塁率は.392。つまり、6割以上の確率でピッチャー側が打ち取っている計算になる。


 その上、この子の“ライジングファスト”は初見でそう簡単に打てるようなボールではない。そもそも球速が速いし、あの浮き上がるような軌道は、見慣れるまでに時間がかかる。


 たとえ球種がバレていたとしても、まだこっちが有利な......はず。たぶん。

 

 ......よし、大丈夫。

 まだ、こちらの優位は揺らいでいない。


 俺はそう自分に言い聞かせながら、再びミットを構える。

 次のボールからは先輩がスイングしてくる可能性が高くなる。そのため、要求するのはストライクゾーンギリギリの際どいコース。


「ボールワン」

「ボールツー」

「ボールスリー」


 ......なんか、秒で圧倒的劣勢になったんだけど。


 何があったのかを簡単に説明すると、彼女の制球が、突如として崩れた。

 投げたのはいずれも威力十分のライジングファスト。だが、ひとつは引っかかり、ひとつは抜け、もうひとつは地面に叩きつけるような球――どれも大きくストライクゾーンを外れていた。


 入部を大きく遠ざけるような3球に、外野を守る佐藤からヤジが飛ぶ。


「なにやってんだ野海!! フレーミングしろ、フレーミング!!」※


 できるか!!

 ボール4個分も外れてるのにフレーミングなんかやったら、それはもうただの“ミットずらし”だろ。


 とにかく、一旦流れを切らないとまずい。


「すみません、タイムとってもいいですか」

「うん、いーよ」

 

 監督にタイムを要求し、マウンドへ向かう。


 流石のメンタル怪獣とはいえ、この窮地にはさすがに焦りの色が見えるかと思いきや......そんなことはまったくなく、手の中でボールをくるくると遊ばせている。どんな神経してんだよ。


「流石だな、先輩。私もちょうどタイムをかけようと思っていたところだ」


 何様だよ。

 ずっと気になってたけど、なんでこの子は微妙に上から目線なんだ?


「『一旦、落ち着いて』って言いに来たつもりだったけど……全然落ち着いてるみたいだな」

「あぁ。焦ってもコントロールが良くなるわけじゃないだろ?」


 そりゃまぁ、そうだけど。

 普通の人間は、そんなこと分かっていてもちゃんと焦るんだよ。


 そんな俺の心中をよそに、彼女は淡々と話を続ける。


「それに、コントロールが乱れた“原因”も分かっているからな」

「……え? 原因分かるの?」


 意外な言葉だった。

 こういうケースでは、たいてい“原因不明”で片付けられるのが常だからだ。


 前のイニングまではビシバシ決まっていた球が、回を跨いだだけで突然バラつき始める――そん な話は珍しくない。プロでもある。ましてやここは高校野球だ。

 原因を探ろうとしても、「今日はたまたま調子が悪かった」で片付けられることの方が多い。それほど、制球難の原因を見つけるのは難しい。


 それでも、彼女は確信を持った口調で言い切る。


「あぁ。“コースを狙ったから”だ」

「......ん?」


 いまいちピンと来ない。

 その事を察したのか、彼女は補足を入れ始める。


「大前提として、私はコントロールが悪い!」


 堂々と言うなよ。


「それでも、先輩が四隅に構えたから一応狙って投げてみた......が、やっぱり投げづらくてな。

ストライクゾーンの端を狙うと、少しズレただけで簡単にボールになるだろ?

ああいう厳しいコースの要求は、コントロールの悪いピッチャーには正直荷が重いんだ」


 ああ、なるほど。

 なんとなく言いたいことが分かってきた気がする。


「もしかしてさ、『だから全部ど真ん中に構えろ』って言おうとしてる?」


 ご名答。

 それを言わんばかりに、彼女はニッと口角を上げる。


「おぉ、流石だな! まさにその通りだ。先輩はエスパーか何かか?」

「次からMr.ノウミックと呼んでくれ......じゃなくて、それ本当に大丈夫?

たしかにストライクは取れるかもしれないけど、甘いコースにいったら流石に打たれるんじゃ......」


 相手が並のバッターならともかく、県の上位クラスのスラッガー、及川先輩だ。

 いくら快速のライジングファストとはいえ、甘いコースにいけば一発で仕留められる可能性は十分にある。


 そんな俺の不安に対して、彼女はあっけらかんとした口調で返す。


「打たれるもなにも、あと一球ボール出したら終わりなんだから、そうするしかないだろう?」


 正論だけど、なんか若干おまいう感あるな。


「......それに、そう不安がることもない。多少コースが甘かろうが、私の“まっすぐ”は打たれないからな」


 畳みかけるように言葉を続けた彼女の目が、鋭く光る。


 そこにあるのは、純然たる自信。

 これが虚勢でも思い上がりでもないことは、既に身をもって思い知らされた。


 俺は静かに息を吐き、覚悟を決める。

 今は、彼女の自信を、信じるしかない。


「......分かった。それでいこう!」




(※フレーミング:キャッチャーが、ストライクかボールか際どいコースの投球を、ミットの動きなどでさりげなくストライクに見せる技術のこと)


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