第1話 謎の美少女 その①
私立赤峯高等学校。
大半の運動部が福岡県内でベスト4に入る、いわゆるスポーツ強豪校だ。
中でも、かつての野球部は、学校の“看板”とも言える存在だった。
2024年夏、エース・神崎翔を擁して甲子園に出場を果たした赤峯高校野球部は、その年の大会で見事準優勝という快挙を成し遂げる。
端正な顔立ちと実力を兼ね備えたエースの活躍は、瞬く間に話題となり、赤峯の名を全国に知らしめた。
あの夏の快進撃は、地元だけでなく、ちょっとした社会現象にまでなったほどだ。
ちなみに、あえて「かつての」と表現したのは、今はそうではないからだ。
大エース、神崎の卒業。そして、準優勝監督である名将、池見監督の勇退。
こうしたデバフ要素の影響を受けに受けまくった赤峯高校はあれよあれよという内に凋落の一途を辿り、高校の”看板部活”から空気扱い一歩手前の”不人気部活”へと早変わりしていた。
その影響をもろに受けたようで、今年の新入部員はわずか8名。つい5年前まで甲子園出場校だったとは到底思えない凄惨たる結果だ。
「おい、野海。これは流石にやべぇって」
普段は楽天家の佐藤も、この惨状には危機感を覚えているようだ。
「あぁ、やばいな」
「だよな。マネージャーが一人も来ないのは流石にやべぇよな」
たしかに、それもやばいな。
「クソッ、俺の”一年の女子マネに大人の余裕を見せつけて「きゃっ、佐藤先輩かっこいい!」って赤面させよう大作戦”が台無しじゃねえか」
それに関しては、仮に女子マネージャー入ったとしても実現不可能だろ。
そんなアホな会話を交わしている間にも、一年生たちの自己紹介は着々と進んでいた。そして、気づいた時には最後の1人が「よろしくお願いします!」と勢いよく頭を下げていた。
「はいはい、おつかれさーん」
一年生たちの元気のいい声とは対照的に、気の抜けたやる気のない声が形だけのねぎらいを口にする。
ボサっと伸びた金髪に、虹色に光を反射する偏光レンズのサングラス。
やはり、いつ見ても教育者には見えないこの男は、頭をボリボリと掻きながら気怠そうに口を開いた。
「あー、一応監督の”池見”でーす。形式ばった挨拶とかはあんまり好きじゃないから、とりあえず一つだけ。ケガだけはしないようほどほどに頑張ってください。はい、それじゃあ早速ストレッチから」
池見監督が練習に入るように言いかけた、その時だった。
ガシャン
金網の揺れる音と共に、グラウンドの出入り口が勢いよく開かれる。
ネイビーのブレザーに、チェック柄のミニスカート。
赤峯の制服をまとったその女子は、腰まで伸びた艶やかな白髪を揺らしながら、堂々とした足取りでグラウンドへと入ってきた。
ちょっとしたざわめきと共に、全員の視線が彼女に注がれる。
だが彼女はそんな空気にも動じることなく、ゆっくりとあたりを見渡し、そして、ほっとひと息。
「間に合ったな」
全然間に合ってない。
たぶん1年のマネージャー志望の子だと思うが、普通に30分の大遅刻だ。
とはいえ、やったな佐藤。
待望の後輩女子マネージャー。しかも、若干の変人感こそあるが、かなり可愛い子だぞ。
「ほぉ......Sランクだ」
なんか決め顔してるとこすまんが、女子を見た目でランク付けするの普通に道徳1案件だからな。
「なぁ、最近の結婚式って洋式と和式どっちが主流だと思う?」
アルティメット皮算用やめろ。
こいつの浮かれっぷりは異常だが、俺も含め、ほぼ全員が色めき立っていた。
部活に励む男たちにとって、女子マネージャーの存在というものは神にも等しいのだ。
ただ、そんな俺たちとは対照的に、監督は困ったように眉をひそめている。
「あれ? マネージャー志望の入部届は、たしか出てなかったはずだけどなあ......。君、来る部活、間違ってない?」
まずいぞ佐藤。俺たちの喜びは、もしかしたらぬか喜びだったのかもしれない。
そう思い佐藤の方を振り返ると、ムンクの叫びのような絶望顔のまま固まっていた。
こいつの脳内ではきっと、さっきまで結婚式が執り行われていたに違いない。
そう考えれば、この反応も大げさとは言えないのかもしれない。
閑話休題。
そんな監督の問いかけに対し、謎の美少女は人差し指を突き立てて答える。
「いや、間違ってないぞ。私は赤峯の背番号1を背負いに来たんだからな」
やったな佐藤。間違ってなかったらしいぞ。
......ん? というか今、さらっとすごいこと言わなかったか、この子。
「今、エースナンバーって言ったかあの子?」
「さすがに聞き間違いだろ」
「いや、でも指でちゃんと「1」ってしてたぞ」
さっきまでの浮かれたざわつきが嘘のように、部員たちの間に広がったのは、困惑と戸惑いのざわめき。
選手として入部したいというだけでも十分に衝撃的だが、それに加えて「エースナンバーを背負う」とまで宣言したのだ。高校野球の常識すらひっくり返しかねない、とんでもない一言だ。
ざわつくのも無理はなかった。
それでも、渦中の彼女は、そんな周囲の動揺などまるで意に介さず、目の前の監督に向かって自分のペースで話を進める。
「それで、入部届についてなんだが、野球部に“選手として”入部したいと書いて提出したら、担任に受理してもらえなかった。『野球部は男子しか入部できない』から、だそうだ」
淡々とした経緯の説明は、まるで他人事のようにも聞こえた。
だが、それは諦めや無関心から来るものではない。むしろ、自分が入部できるのは当然だと信じているからこそ、いま目の前にある壁も、ただの少し面倒な手続き程度にしか思っていない。
そんな確固たる自信が、言葉の端々ににじみ出ていた。
「だから、野球部の監督であるあなたに、直接お願いしたい。私を野球部に入部させてほしい」
頭こそ下げてはいたが、その一言に“頼む”ような響きはない。
そこにあったのは、謙虚さよりも確信。お願いというよりも、ほとんど宣言に近い口ぶりだった。
そして、その返答は――
「うん、ダメだね。君の入部は認められない」
「なっ......!?」
あまりにもあっさりとした入部拒否。
その即答に、佐藤とゆかいな仲間たちがキレる。
「おんどれ池見!! 自分が何言うとんのか分かっとんのかコラ!!」
「監督交代しろー!!」
一昔前の過激派阪〇ファンか。相手、一応監督だぞ。
暴徒と化した部員たちに反応することもせず、池見監督はいつもの飄々とした態度で続ける。
「なんでだ? とでも言いたげな顔してるね。早い話、もったいないからだよ」
「......どういう意味だ?」
彼女の瞳に宿る光が、ふと鋭く強まった。
それまでの落ち着いた語気も、その瞬間だけわずかに揺らいだように見えた。
一方の監督は、全く揺らぎのない淡々とした口調で、彼女の質問に答える。
「君の時間が、もったいないってことさ。
俺、変に夢見させるようなことはしたくないのね。だから、はっきり言っとく。
もし仮に入部を認めたとして、君は三年間で一度たりとも試合に出ることはできないと思う。
そのくらい、この年代の男子と女子の差って大きいのね」
監督の言っていることは正しい。
高校生にもなると、男女の運動能力の差は決定的なものになる。
たとえば球速に注目してみると、高校女子の最速記録はおよそ130キロ台前半。
一方で、男子の最速はすでに160キロを超えている。
このチームに限って見ても、現エースの及川先輩は最速142キロをマークしている。
つまり、仮に“日本一球が速い女子高生”を連れてきたとしても、赤峯のエースとの間には約10キロの差があるということにある。
これはただの簡単な数字遊びだが、実際男子と女子とではそれくらい、いや、下手したらその字面よりも遥かに、レベルが違う。
だからこそ、「3年間で1度たりとも試合に出ることはできない」という監督の予測は、恐らく間違っていない。
彼女は静かに、しかし、わずかに怒気を帯びた眼差しで監督を見据える。
対する監督はといえば、そんな視線を真正面から受け止めつつも無表情を崩さない。
ただ、その口元には苦笑とも諦念ともつかない微かな笑みを浮かべ、あくまで淡々とした口調で言葉を継ぐ。
「似たような競技でいいなら、ウチには女子ソフトボール部もあるし、どうしても野球がいいって言うなら、女子野球部のある高校に転校するという手もあるね。
まぁ転校したら1年間は試合に出られないけど、3年丸ごと無駄にするよりはマシでしょ?」
冷たいようだが、一番優しい対応だと思う。
中途半端に希望を与えることほど残酷なことはない。それなら、最初から”希望はない”と答えを見せられた方がずっと楽だ。
ただ――
「......言いたいことは分かった。それなら、今から私に投げさせてくれ。要は、実力があることを証明すれば文句はないのだろう?」
自信過剰なやつは、その優しさに気づけない。
自分の身をもって、粉々に打ち砕かれるまで思い上がりは治らない。
全く引き下がろうとしない彼女に対して、監督が根負けしたようにため息をつく。
「......はぁ、分かったよ。君、プライド高そうだからあんまりこういう方法はとりたくなかったんだけどなぁ。それじゃあ......及川くん。バッターやってくれる?」
「......はい」
ぼそりとした返事。
その声に、池見監督が軽くうなずき、指を一本立てる。
「一打席勝負ね。そこで実力を証明出来たら、君の入部を認めてあげる」
一打席勝負か。
野球漫画なんかではよく見るシチュエーションだが、生で見るのは初めてだ。
「あと、キャッチャーは野海くんね」
参加者側だった。
まぁたしかに、考えてみれば、キャッチャーがいなきゃ勝負は成り立たないもんな。
それにしても、これは結構厄介なことになってしまった気がする。
「おい野海。野球部の命運はお前のリードにかかってるってこと、忘れんなよ。
死んでもあの子を入部させて来い」
俺の肩に手を置く佐藤の表情が、いつになく真剣だ。
お前、試合の時でもそんな顔してなかっただろ。
周囲の部員たちも気持ちは同じようで、突き刺さるような視線が痛い。
「いや、リードってそんな魔法みたいなもんじゃねぇし、あの子次第じゃ普通に無理ゲ」
「『無理』なんて口にするから無理になるんだ! 弱音を吐くな!」
ブラック上司か!
クソッ、他人事だからって好き放題言いやがって。
まぁやるからには、出来る限りのことはするつもりではあるけど、それでも結局は......
「よろしく」
「こちらこそ、よろしく頼む」
この子次第だもんな。
こうして間近で見ると、思っていた以上に背が小さい。
かなり下を見ないと視線が合わない。見た感じ、身長は150㎝あるかどうか、といったところだ。
あと、顔の整い方が尋常じゃない。凛とした鼻筋に、ぱっちりと大きな目。その中心にある翡翠色の瞳は、爛々と光を宿している。
顔ってこんなに立体的になるものなんだ。
それはそうと、少し気になっていたことを聞いてみる。
「......着替えなくていいの?」
「あぁ、勝負は一打席だけだからな。汗もかかないし、このままで問題ない」
え、そういう問題?
ブレザーにローファーって。弘法でももうちょいマシな筆選ぶぞ。
まあ、本人が良いっていうならいいか。
なんというか、どこまでも大物感のある子だ。この期に及んで、緊張の“き”の字も見えない。
中学でけっこう名の知れた選手だった――とか、案外そんな感じなのかもしれない。
もしそうなら、今後の選手生命がかかってる俺としてはありがたい。
「じゃあまず、サインの打ち合わせしよっか。球種は? 何投げれるの?」
「まっすぐ」
「と?」
「まっすぐ」
「と?」
「まっすぐ」
「......と??」
「まっすぐ」
「......一応確認だけど、変化球は投げられないってことで大丈夫かな?」
「あぁ、問題ない」
問題大ありだよ。
あぁ、俺の野球人生終わった。
ただのド素人パターンじゃねえか! これ、あれだ。ダニングなんちら曲線の左側にいる”無知ゆえに過剰な自信を持ってるやつ”の典型例だ。
「......じゃあ、とりあえずミット構えたところに投げてもらってもいいかな?」
「分かった」
そうは言ったものの、野球未経験で、しかも女子ともなれば、マウンドからキャッチャーミットまでノーバウンドで投げるだけでも、相当ハードルは高いはずだ。
正直なところ、いっそ4球連続であらぬ方向に投げてくれた方が、佐藤たちから責められずに済んで助かる……いや、それでも結局、俺が戦犯扱いされる気がする。
「あ、ちょっと」
ぼそぼそとした低い声が、俺たちの耳に届いた。
目を向けると、まず目についたのは、額から後ろへと流れる長めの黒髪。
それを後頭部の高めの位置でひとまとめにした、いわゆる“お団子ヘアー”。
それに加えて、長身、あご髭、鋭くつり上がった目つき。
「実は俺、過去に6人殺ってるんだ」と唐突にカミングアウトされても、「やっぱりそうだったんですね」と返してしまいそうな風貌だ。
及川先輩。赤峯の主力打者にして、現エース。
そして、この一打席勝負の相手を務めるのが、この人だ。
向こうからゆっくりと歩み寄ってきた先輩は、落ち着いた口調で声をかけてきた。
「今、大丈夫? サインの打ち合わせとかしてない?」
「はい、もう終わったんで大丈夫です」
――二つの意味で。
「そか。じゃあ、一つだけ言っておきたいことがあるんだけど」
そう言って、及川先輩は彼女の方に向き直る。
「さっき「背番号1背負いに来た」みたいなこと言ってたけど、背番号1、俺のだから」
だから、お前には渡さない――
そう言わんばかりの宣言。
「......そうか。なら、奪ってみせる。私の実力で!」
お前はまずちゃんと入部してくれ。まぐれでもいいから。
まるで格闘技のフェイス・トゥ・フェイスを思わせる緊迫感の中、
「殺ってみろ」
とだけ言い残して、及川先輩は背を向けた。
やたら物騒に聞こえたのは......たぶん、気のせいだ。
そういえば、及川先輩がここまで明確に自己主張するのを見たのは、これが初めてかもしれない。
普段は無口で、何を考えているのかまるで掴めないし、バッテリーを組んでいても、何か意見を言われたことはおろか、サインに首を振られたことすら一度もなかった。
そんな先輩が、あれほどはっきりと「背番号1は俺のものだ」と言った。
ピッチャーにとって背番号1とは、それほどまでに重要なものなのだろうか。それとも――