第3回
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黒崎零士。それがそのおっさんの名前だった。
さきほどスマホで見たゲーム参加者リストの、最初に載っていた人物だ。
僕と藤原さんを助け起こした零士さんは、肩から掛けていたホルスターに銃を収めると、
「お前さんら、この殺人ゲームには初参加か?」
「ぼ、僕は、そうです……」
答える僕に頷いたあと、零士さんは藤原さんに顔を向けて、
「お嬢ちゃんは――んん? どっかで会ったな」
すると藤原さんは、土ぼこりに汚れた服を軽くはたきながら、
「……先日、お会いしました」
「先日――あぁ、あの時の」
「あの時?」
僕が藤原さんに訊ねると、藤原さんは静かに息を吐いてから、
「さっき、話したでしょ? あたしの友達を――」
その瞬間、僕はハッとなって改めて零士さんに顔を向けた。
このおっさんが、藤原さんをこのゲームに誘った友達を――殺した人。
零士さんは肩を竦めながら、口元に不敵な笑みを浮かべてから、
「そう、殺した。でも、だからこそお嬢ちゃんは今ここにいる。そうだろ?」
藤原さんは、そんな零士さんの表情を複雑そうな顔で見つめていた。何かを言いたそうに口元が開きかけるものの、けれどすぐにそっぽを向け、その両手を強く握りしめる。
零士さんが藤原さんを殺そうとした友達を殺したから、彼女の命は助かったのだ。
藤原さん自身は「あたしが殺すくらいなら、あたしは殺されるほうがマシだった」と口にしていたけれど、本気でそう思っていたかどうかまでは、実は彼女自身にも解らなかったんじゃないだろうか。だから藤原さんは、これ以上零士さんに言い返すことができなかったのかも知れない。
僕はそんな藤原さんの気持ちを想像しつつ、けれど軽口をたたくようなことをいった零士さんに、
「……殺す以外に、方法はなかったんですか?」
「ないな。殺人者が参加者を皆殺しにするか、さまなきゃ、誰かが殺人者を始末するか、ふたつにひとつしかないから――なっ!」
その瞬間、零士さんは一瞬でホルスターから銃を引き抜いた。
僕はその動きに心臓が口から飛び出しそうなほど驚愕し、少し遅れてから飛ぶようにして彼から一歩あと退った。
そんな僕にニヤリと笑みを浮かべた零士さんの銃口は、けれど僕や藤原さんとは異なる方向に向けられていた。
「――えっ」
いったい何を、と零士さんの向けた銃口の先に視線をやれば、そこにはひとりの女性の姿があった。
黒く長い髪を風になびかせるその女性の眼は鋭く細められ、口元には自信に満ちた微笑が浮かんでいる。シンプルな黒いドレスは彼女の堂々とした佇まいを際立たせていた。
彼女の名前は篠原梨花――だっただろうか。
あのリストで零士さんの次に表示されていた参加者の女性だ。
彼女もまた零士さんと同じようにその手に拳銃を構えており、その銃口は零士さんの頭部を狙っていた。
「……残念。ようやくあなたを殺せると思ったのに。今回も殺人者ではないみたいね」
「おいおい、一緒に参加するたんびに俺に銃を突きつけるの、やめてもらえねぇかな?」
「あら、あなただって私に銃口を突き付けているじゃない」
「殺人者とか関係なく、アンタは俺を殺しそうな気がしてるんでね」
「ヒドイことを言う人ね。そんなこと、本気ですると思っているの?」
「本気ですると思っているから、こうしてアンタに銃を向けているのさ」
そんなふたりのやりとりを、僕は緊張しながら見つめていた。
気が付けば、藤原さんが僕の背中に隠れるように身を潜め、そして僕の手をぎゅっと握り締めていた。
こんな異常な状況でなければそれは喜ばしいことなのだろうけれど、あのふたりが実際に銃撃戦を始めようものなら、僕らは急いでこの場を逃げ出さなければならないだろう。
その緊張感が、僕と藤原さんを包み込んだ。
しばらくの間、零士さんと篠原さんはお互いに銃を突き合わせたまま、口元に笑みを浮かべて睨み合っていたのだけれど、
「――やめやめ!」零士さんが銃口を空に向けるようにして降参といった具合に両手を上げ、
「ほら、アンタもさっさとその手をひっこめな。ふたりの若いのが怖がってんぞ」
篠原さんも、それに合わせて銃口をおろしながら、
「ごめんなさいね。これが私たちの挨拶なのよ。いつどっちが殺人者になるか判らないから」
優しそうな笑みを浮かべた。
けれど、その眼は決して笑ってなどいなかった。
僕や藤原さんを値踏みするように、観察するように、静かに僕らの様子を窺っている。
「とりあえず、今回もお互いに殺人者じゃねぇみたいだな。ってことは、残るは緒方翔、熊谷庄司、矢立海斗。この三人の中に殺人者がいるってわけだ」
言って、零士さんは改めてホルスターに銃を戻した。
篠原さんは、そんな零士さんから僕らに身体を向けながら、すっと長いスカートの切れ目を捲り上げた。すらりとした彼女の白い脚が露わになり、太ももに巻かれていたホルスターに彼女は銃を収めながら、
「はじめまして、私は篠原梨花。まぁ、参加者リストに載ってるから、わざわざ自己紹介する必要はないのだけれど。よろしくね」
近づいてきた彼女の胸元はぱっくりと大きく開いており、見事な谷間が一線引かれているのが見えた。その姿に僕は先ほどまでの緊張はどこへやら。甘い香水の匂いと相まって、少しばかりドギマギしつつ、なるべくその胸元から視線を逸らすように努力する。
「ふたりとも、気を付けろよ」
そんな僕に、零士さんが含み笑いを見せながら、
「なんせその女は、これまでに何人もの殺人者を仕留めてきた強者だからな」
「……あらあら。ランキング1位はいったい、どなただったかしら?」
「さぁて、俺はランキングには興味がないからな」
「嘘ばっかり。率先して殺人者を殺していってるって、みんなが知っているわよ」
「俺はただ、叶えたい願いがあるだけさ。ランキングなんてどうでもいい」
「でも、ランキング1位だからこそ、願いが叶えてもらえるわけでしょ? なら、結局は同じことじゃないの」
それに対して、零士さんはもうそれ以上何も言い返さなかった。
ニヒルな笑みを浮かべたままそっぽを向き、
「――まぁ、何にしても、さっさと殺人者が誰なのか推理して殺してやんねぇといけねぇな」
それから僕らに顔を向けて、
「お前らも、殺したくも殺されたくもないなら、俺に全て任せておきな。全部俺が終わらせてやっからよ」
僕と藤原さんはそんな、そんな零士さんの頼もしいような恐ろしいような言葉に顔を見合わせ、そして互いに頷いた。
「……わかりました」
「零士さんに、全部任せます」
そんな僕らに、篠原さんはやや呆れたように、
「あなたたち、本当にそれでいいわけ? 悪いけど、このゲームアプリに参加しちゃってる限りは、いつかは殺人者の番が回ってくるのよ? そうなったら、嫌でも他の参加者を殺さないといけなくなる。それがどういうことか、わかっているわよね?」
その話は、ついさっき藤原さんともしていたことだ。
僕も、藤原さんも、殺したくないし、殺されたくもない。
もし殺す必要があるのだったら、僕は――殺されるほうを選びたい。
藤原さんが、そう言っていたように。
僕は、いまだに僕の背中にくっついたままの藤原さんに顔を向けると、その怯えたような瞳をじっと見つめた。
藤原さんはそんな僕の視線に何も言わず、小さく頷き返してくれる。
何となく、気持ちが通じ合ったような、そんな気がした。
篠原さんは大きなため息をひとつ吐くと、
「あ~ぁ、バカバカしい」
頭を抱えるように、そう口にした。
そんな篠原さんとは対照的に、零士さんはくつくつと可笑しそうに笑みを噛みしめ、
「いいんじゃねぇか、別に。それも個人の自由ってもんだ」
けどな、と零士さんは皮肉るように口元を歪めてから、
「――いざとなったら、そんなこと言ってられなくなっから、覚悟しておくんだな」
その重くのしかかってくるような低い声に、僕も藤原さんも、ただたじろぐことしかできなかった。