第2回
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「本当の、殺し合い……?」
本気で言っているのか、この子は。
殺し合い? この僕が? 誰かを殺す? この手で?
「わけわかんないよね」
藤原さんは静かにいって、大きなため息を吐いた。
「あたしも、ホントはこんなゲームになんて参加したくはなかった。友達に誘われて、しかたなくアプリをダウンロードしただけだった」
「……それは、僕と一緒だ」
「佐倉くんも?」
僕は頷き、
「今日の昼間に、高瀬ってやつに招待されたんだ。招待キャンペーンが目的みたいだったけど」
「招待キャンペーン? なに、それ」
「――えっ」
「そんなの、あたしは知らない。あたしはただ友だちに、一緒にゲームに参加しようって。一位になったら、何でも願いが叶う権利がもらえるんだよ、だからチームを組んで、一緒にゲームしようって」
「……一位になったら、願いが叶う?」
「そう。たくさん殺人者を殺して、ポイントを一定数貯めたら、何でも一つ、願いが叶えてもらえる。そういうゲームなんだって、あたしは聞いてる」
ってことは、まさか高瀬もそのつもりで?
僕とチームを組んで人を殺して、ポイントを貯めて自分の願いを叶えてもらうために?
「その友達は?」僕は訊ねた。「もしかして、この廃墟のどこかにいるってこと?」
「――いない」
「でも、チームを組んだんじゃないの?」
「このゲームに、チームって概念はないの。あくまで個人戦だから」
「な、なんだよそれ。それじゃぁ、その友達とも殺し合うことになるかもしれないってことじゃないか」
すると藤原さんはうつむき、再び大きなため息を吐いた。
「――ならないよ、もう」
「……え?」
「だって……もう死んじゃったから、その友達」
その途端、僕は息が詰まる思いだった。
死んじゃった? 友達が?
「死んだって、まさか」
藤原さんが、その友達を殺してしまった?
僕は眼を見張り、彼女から一歩後ずさった。
途端に彼女に対して恐怖を感じた。
まさか、この子が。
もしかしたら、この僕のことも――
「ち、ちがう! あたしは殺してない!」
藤原さんは、慌てたように僕に一歩足を踏み出して、
「あの子は、あたしを誘って二度目のゲームで殺人者になった。そして友達であるはずのあたしを、騙して殺そうとしてきたの!」
「だ、だから殺したのか? 友達を!」
「あたしはやってない! あたしは殺さなかった! あたしが殺すくらいなら、あたしは殺されるほうがマシだった!」
「な、なら、なんで君は無事だったんだよ!」
「……助けられたの。別の参加者が、あたしが殺される前に、友達を殺しちゃったから」
あたしの目の前でね、と藤原さんは足元に視線をやって、
「だから、あたしは生き延びた。それから、ずっと逃げてばっかりいるの。殺人者を殺すのも嫌だし、殺されたくもないから。ゲームが始まるたびに、ずっと逃げて隠れて、ゲームが終わるのを待ってるだけ」
「……それで、もし他の参加者が全員殺されたらどうするつもり? 残ったのが、キミと殺人者だけになったら?」
「そのときは――殺されるくらいなら――」
藤原さんがそう口にしようとしたときだった。
ざり、ざり、ざり……
どこからともなく、足音が聞こえてきたのだ。
もちろん、僕や藤原さんの足音ではない。
崩れたビルに反響するようにこだまする足音。
途端に藤原さんの顔が青ざめる。
「――来た」
その言葉に、僕は藤原さんの視線の先へ顔を向けた。
そこには、黒いジャージに身を包んだ、覆面の何者かがこちらに向かって足早に近づいてくるのが数十メートル先に見えた。
その手には、刺されたら明らかに痛そうな、サバイバルナイフが鈍い光を放っていた。
黒ジャージは僕と藤原さんが顔を向けたことに気付くや否や、一気に駆けだす。
「逃げて! 佐倉くん!」
藤原さんが駆けてくるなり、僕の手を掴んで走り出した。
「あ、え、あ、あぁ」
僕は返事にならない返事と共に、藤原さんと一緒に黒ジャージから逃げ出した。
藤原さんは僕の手を握り締めたままだった。ぎゅっと力強く、絶対に離すまいと。
僕もそんな藤原さんの手を握り返して、ただひたすらに足を動かす。
地を蹴り、障害物を飛び越え、崩れたビルの角を右に左に折れて進む。
後ろを振り返る余裕なんてない。
追いかけてくる足音が、徐々に近づいてくるのが感覚でわかる。
たぶん、藤原さんの手を離してひとりで逃げたほうが確実に逃げ切れるのは解っている。
けど、そんなことをして、もし藤原さんがアイツに捕まってしまったとしたら?
きっとあの黒ジャージは、捕らえた藤原さんの胸に――その心臓に、あのサバイバルナイフを深々と突き立てるのだろう。
そう考えると、どうしても彼女の手を離す気にはなれなかった。
そんなこと、できるはずがない。
でも、このままだと逃げきれない。
足音は、走り続ける僕たちに着実に近づいてきている。
耳を澄ますと、追いかけてくる黒ジャージの荒々しい息遣いまでも聞こえるくらいに。
ふと気づけば、藤原さんが息も切れ切れになっていた。
僕に少し遅れるように、足をもつれさせながら、苦しそうな表情で、
「――は、離して、佐倉くん……!」
「な、なんで!」
「あ、あたしが囮になれば――さ、佐倉くん、逃げられる……でしょ……!」
「馬鹿いうな! そんなことできるわけないだろ!」
「だ、大丈夫、だから……! ほら、手を繋いだ……ままだと……お、お互い、うまく、走れないでしょ……」
「そ、そんなことしたら、藤原さんがアイツに捕まるじゃないか!」
「へ、平気……だよ……あたしも、ひとりで……は、走って……逃げる、から……!」
見るからに苦しげに息を切らせている藤原さんに、ひとりで逃げ切るだけの体力が残されているとは到底思えなかった。
崩れたビルの瓦礫に塞がれた歩道を避け、倒れた信号機やタクシー、自動車の間を縫うように走るものの、このままではいつ転んでしまってもおかしくないほどの悪路だ。
おまけにぜえぜえ息を切らせる藤原さんの足は、もういつ自分の足に躓いてしまってもおかしくないほど乱れていた。
「ぜ、絶対に離さないからな! しっかり走って!」
「……ひ、ひどい……あ、あたし、もう、走れな……あっ――!」
ついに砕けた瓦礫の欠片に足を取られてしまった藤原さんの手が一気に重くなって、僕もバランスを崩して後ろに引っ張られて倒れてしまった。
うつ伏せに倒れた藤原さんのすぐ脇に、僕も派手に尻もちをつくように仰向けに倒れてしまう。
「い、痛ってぇ……!」
「ご、ごめん……なさい……はやく……たって! さくらくん……だけでも……にげて!」
この期に及んでまだ先に逃げろというのか、この子は……!
ついに僕らを追いかけてきていた黒ジャージが僕らの前に立ちはだかった。
ぶかぶかのジャージと黒いニットの覆面のせいで、男か女かすらわからない。
ただその左手に握られたナイフだけは、何度見ても恐ろしく、そして痛そうだった。
黒ジャージも肩で息をしながら、ざり、ざり、ざり、と僕らに歩みを進める。
僕は慌てて上身体を起こし、藤原さんを護るべく彼女を後ろに庇った。
走り続けて僕の足も限界を迎えていた。
すぐにでも立ち上がって藤原さんを助け起こし、もう一度逃げ出したかった。
けど、もうそんな体力なんて、僕にも、たぶん藤原さんにも残されてはいなかった。
僕も藤原さんも立ち上がれないまま、ざりっ、と黒ジャージがすぐ目の前に立ち、僕の頭上でナイフを大きく振り上げた。
こんな鋭利でデカいナイフに勝てる術なんて、あるはずもない。
けど、このまま黙って殺されるのも、藤原さんを置いてひとりで逃げるのも嫌だった。
せめて、なんとか一矢報いたい。
僕は今まさに振り下ろされようとしている黒ジャージの腕――サバイバルナイフに向かって両手を伸ばして――その瞬間。
――パンッ!
乾いた音が聞こえてきたのと同時に、僕と黒ジャージの間を何かが一瞬、見えた気がした。
それは僕らのすぐ脇に停められていたタクシーのフロントガラスを割り、穴をあける。
――パンッ! パンッ!
続けざまに再び音が聞こえて、それが銃声であること、その弾丸が狙っているのは黒ジャージであることを悟った瞬間、黒ジャージは慌てたように僕らに背を向け、全速力で逃げていった。
そんな黒ジャージの後ろ姿を追うように、何度も何度も銃声が響き渡る。
けれどその弾丸は黒ジャージには当たらないまま、黒ジャージの姿は遠くどこかへ消えてしまったのだった。
「――チッ、逃げられたか」
そんな声と共に、こちらに駆けてくる足音が聞こえてくる。
見れば、ド派手な金髪にサングラスをかけ、よれよれのカッターシャツに黒いスキニーパンツを履いた四十代くらいのおじさんの姿がそこにはあった。
そのあからさまに怪しげな見た目のおっさんは、銃を片手にニヤリと笑んでから、
「生きてっか? クソガキども」
僕らに向かって、空いたもう片方の手を、すっと伸ばしてきたのだった。