第1回
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パッと瞼を開くと、そこはあの公園のなかだった。
僕は美月とベンチに腰かけており、ぎゅっと手を繋いだまま、しばらく茫然と遠く青い空を見つめていた。
――帰ってこられた。
柔らかい陽射しは温かく、心地よい風が僕らの頬を撫でるように流れていく。
ほっと安堵の息を漏らし、僕はゆっくりと美月に顔を向けた。
「……大丈夫?」
美月はしかし、相変わらず青ざめたような顔で、
「――うん」
小さく静かに頷いただけだった。
僕はゆっくりと長いため息を漏らして、生きて戻って来られたことに感謝しつつ、それと同時に、篠原さんのあの不気味な微笑みに怖気を感じた。
あの人は、いったい何者なんだ。
何度も何度も頭の中を駆け巡ったその言葉を、僕はいま一度口の中で繰り返す。
ただの参加者では、絶対にあり得ない。
嘘か真か、彼女はこの『マーダーゲーム・トライアル』のルールを、全て知っていると口にした。
それが意味することは果たしてなんなのか。
篠原さんの言葉を信じるならば、誰も明確に知らなかったルールを彼女から知ることができるだろう。
でも、だとしても、何故篠原さんはそのルールを知っているのか。
アプリのどこにも載っていないルールを、彼女はどうやって知ったというのか。
或いは、もしかしたら――
「――ゆ、悠真くん」
不意に美月に袖を引っ張られて、僕は思考を打ち切った。
「どうしたの? なにかあった?」
訊ねれば、美月は繋いだままの手を指差しながら、
「……手、離せる?」
「え? あ、ごめん」
僕が手を離すと、美月はすっと立ち上がって、
「ち、ちょっと待ってて。すぐ、戻ってくるから……」
そう小さく口にして、公園の隅に建つトイレへと駆けていくのだった。
あっ、と僕はそれを察して、何とも言えない感情に思わず青い空に視線をやった。
篠原さんのことを考えていたはずの頭が一瞬にして別のことを考え始めて、僕はそんな邪な想像を振り払うべく、いま一度篠原さんと『マーダーゲーム・トライアル』の謎に集中しようとかぶりを振った。
篠原さんのあの雰囲気は明らかに只者ではなく、僕らに見せたその片鱗はまるでこのゲームの関係者かなにかであろうことを想起させた。
もしそうなのであるとすれば、彼女の目的はいったいなんだ。
彼女が楽しげに眺めていた、あのゲームに敗北したたくさんの亡者たちは、いったい――
そもそも、篠原さんは本当のことを口にしているのだろうか。
横尾という殺人者に僕らを立ち向かわせるために、あのような芝居がかったことを口にした可能性はないだろうか。
思い返せば、彼女の言動はさも裏で手ぐすねを引いている悪役か何かのようだった。
それを演じることによって、僕らがゲーム参加者として殺人者を仕留められるように仕向けたのではないのか。
いや、それも都合よく考え過ぎだろうか。
怪しいと言えば、零士さんだって十分に怪しい存在だ。
僕らに拳銃をくれたあのおじさんだって、どうやってこの拳銃を手に入れたのか、どうしてそれを僕らにくれたのか、それすら全くわからないのだ。
零士さんにしろ、篠原さんにしろ、僕はあの人たちのことを、なにひとつ知らないわけで。
……ダメだ。
考えが全然まとまらない。
支離滅裂で、取り留めもない考えが駆け巡っていくばかりだ。
全ては憶測にすぎず、なに一つ確証があるわけではない。
ふたりの言っていることが真実だという保証があるわけでもない。
これじゃぁ、また高瀬に言われそうだ。
お前は、考え過ぎなんだって。
だったら、僕は――
「――ごめん、お待たせ」
僕が返した短パンに履き替えてきた美月が戻ってきて、僕はもう一度、美月に意識を戻した。
僕の隣にもう一度腰を下ろす美月から、ふんわりと甘い香りが漂ってくる。
たぶん、香水かなにかをつけて戻ってきたのだろう。
そう思い、改めて自身の袖口を嗅いでみれば、確かにあの消毒液のような臭いと血の臭いが混じり合った、不快な刺激臭が鼻を突いた。
「――悠真くんも使う?」
美月はバッグから小さなスプレーを取り出し、首を傾げた。
「あ、ありがとう……」
美月はシュッ、シュッ、と僕の身体にそれを軽く噴きかけてくれる。
ふんわりと美月と同じ匂いが香り、どこか心が安らぐような感じがした。
「――どう?」
「うん、大丈夫。もう、あの臭いは感じないよ」
よかった、と微笑む美月の顔色は、少しばかり良くなっているようだった。
僕はそれに安堵しつつ、
「……ねぇ、美月」
「うん?」
「紹介したい奴がいるんだけど」
すると美月は、真剣な面持ちで静かに頷いてから、
「――高瀬くん、だよね?」
その言葉に、僕も深く頷き返した。
そう、高瀬玲。
三人寄れば文殊の知恵、なんて古いことを言うつもりはないのだけれど、ひとりで考え続けたってしかたがない。
今になって、高瀬の気持ちがよくわかる。
――とにかく仲間が欲しい。
協力し合える仲間が、信用できる仲間が、一緒に考えてくれる仲間が必要だと僕は改めて感じたのだ。
「篠原さんが何者なのか、どうすればマーダーゲーム・トライアルというゲームから抜け出すことができるのか、それをみんなで考えたいんだ」
僕はじっと美月の瞳を見つめながら、そう口にした。
美月もそんな僕の眼をじっと見つめ返してくれながら、
「――うん」
なにか強い意思を、彼女の中に僕は感じた。




