第1回
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いつもの世界が動き出した。
瞼を開いたそこに広がっていたのは、何も変わらないバスターミナルの朝の風景。
僕と高瀬はふたり並び、周囲を見回す。
それからほっと息を漏らしたところで、
「――おい、早くそれをバッグに収めろ」
高瀬の腕が伸びてくる。
見れば、僕の手にはまだあの拳銃が握られたままだった。
慌てて拳銃をバックパックの中に収めて、誰かに気付かれていないか冷や冷やしながら、もう一度辺りを見回した。
誰も、僕の手にしていたものに気付いていないらしい。
いや、もし気付かれていたとしても、現代日本において、いち大学生が拳銃なんてものを持っているだなんて誰ひとり思うまい。
恐らくモデルガンかなにかだと判断してスルーするだけだ。
少なくとも、自分ならそうすることだろう。
とはいえ、警戒するに越したことはない。
「……ごめん、ありがと」
僕は一応、高瀬にお礼を言っておいた。
高瀬もいつの間にか拳銃を収めており、その背にリュックを担ぎ直しながら、
「行こうぜ」
静かにそう口にした。
僕は「あぁ、うん」と曖昧に返事して、ふたり並んで大学に向かって歩き始める。
先日の、初めてゲームに参加して戻ってきたときもそうだったけれど、あちらで過ごした時間がこちらに反映されることはないらしい。
今回のステージでは一夜を明かしているはずなのに、こちらではまるで時間が経過していないようだった。
壁に掛けられたデジタル時計とスマホの時計は間違いなく一致しており、周囲の人たちよりも僕も高瀬も一日分、歳を取ってしまったような気分だった。
……実際に、肉体的にも時間が経過しているのかどうかもわからない。
歩道を進み、緑豊かな公園の前を進む。
その間、僕も高瀬も黙りこくったままだった。
高瀬から聞いた高瀬の願い、死んだ弟。
僕の目の前で死んでいった山下や相葉、そして前回のステージで爆ぜた緒方の頭部。
それらが雪崩のように僕の思考を奪い、今僕のバックパックの中で揺られている拳銃と弾丸の重たさ、そしてカチャカチャという音も相まって、頭の中がパンクしてしまいそうだった。
この現実さえ現実感を失い、何が現実で何が非現実なのか、だんだんとその境界線があやふやになってゆく。
実は今こうして生きている自分ですら虚構の中の存在なのではないかという不安に駆られ、けれど、ならばこうして五感で感じているものはいったい何なんだという疑問へと変化していった。
相葉とのやり取りで、改めて僕は死への恐怖を確かに感じた。
人の命が如何に一瞬でなくなってしまうようなものであるかを、山下の死を以って、さらに深く僕の胸に刻み込まれた。
にもかかわらず、現実感は僕の中にはやっぱりない。
そればかりか、この現実にすら非現実感を覚えてしまっているくらいだ。
果たして僕は本当に生きているのか。
この場に存在しているのか。
或いはそもそも、存在すらしていないのではないかというところにまで思考が至った時だった。
「――考え過ぎなんだよ、佐倉は」
それを遮るように、高瀬が口を開く。
僕はふと我に返って高瀬に顔を向け、
「考えすぎ? 僕が?」
「考え出したら止まらないし、考えたって答えが出るようなもんじゃないだろ。だったら、そんなことなんて考えるのはやめろよ。俺がお前を巻き込んだのは、確かにそうやって冷静に物事を分析しようとする佐倉のことを頼りになると思ったからだ。けどその反面、佐倉には考えすぎるところもあるんだなって、思ってさ」
「あぁ――うん。まぁ、確かにそうかも知れないな」
考えて考えて、結局ドツボにハマって抜け出せない。
今の僕は、たぶん、ハマって抜け出せない底なし沼に足を踏み入れてしまっているのだ。
「でも、そう言われてもなぁ。あんなゲームに無理やり参加させられて、命の危険に向き合わされて、何だかよくわからない超科学的なアプリがのせいで、僕の頭ん中はマジでぐちゃぐちゃしちゃってるよ」
「――そういうの、考えるのやめようぜ。お前を巻き込んだ俺が言うのもあれだけど、今はとにかく、生き残ることを考えよう」
「……高瀬の願いを叶えたうえで、か?」
言わないほうがいいかなとは思いつつ、それでも僕は、あえてそう口にする。
高瀬は少しばかり沈黙し、改めて僕に視線を向けて、
「――あぁ」
深く、頷いたのだった。
高瀬の目が一瞬、弟のことを思い出したように揺れたことに僕は気付く。
僕は大きくため息を吐いて、そしてある種の決心をする。
そうだ。高瀬の言う通り、あんまり深く考えたってしかたがないのだ。
曖昧なルールや謎のアプリのことなんて、今の僕が考えたところでどうにかなるような問題じゃない。
なら、ここはもう少し単純に、明確な目標を以て、このゲームに立ち向かった方が建設的というものだろう。
僕は「そうか」と高瀬に答えるように頷いて、
「――なら、まず第一の目標を、高瀬の弟を生き返らせることにする。ゲームそのものから抜け出すのは、それからだ。それまでは一緒に協力してゲームに立ち向かう。但しその間に、もしどちらかが殺人者になってしまった場合は、高瀬の言った通り、お互いに全力で殺し合う。それでいいか?」
「……本当に、ごめん」
改めて深々と頭を下げてくる高瀬に、僕はやれやれと肩を撫でおろした。
「……もういいよ、謝らなくても」
僕は深いため息を吐いてから、高瀬に向かって右手で拳を握って見せる。
「……ん」
「――? なんだよ」
「よくあるでしょ」と僕は高瀬にその拳を突き出して、「ドラマやアニメで」
「――あぁ、なるほどな」
高瀬も同じく拳を突き出し、互いの拳をこつんと合わせる。
「――俺たちはチーム、そういうことだな」
にかっと笑った高瀬に対して、僕はふっと笑みながら、
「まぁ、次のゲームでも一緒の参加になるとは限らないんだろうけどね」
やや自嘲気味に答えたのだった。
それから僕らは大学構内に入り、体感的に一日間を空けての講義に向かう。
しかしその道中、僕は改めて思うのだった。
あと僕に必要なのは、人を殺す勇気だけだ――と。




