第9回
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石造りの城の中は外の喧騒とは正反対に、気味が悪いほどしんと静まり返っていた。
耳をそばだてて城の中に逃げていった山下と相葉の足音を聞き取ろうと試みれば、微かにふたりの駆ける音が聞こえてくる。
僕はその足音を頼りに、慎重に、城の奥へと足を進めた。
壁に反響する足音に方向感覚を失わされそうになりながらも、けれど城の中はさほど複雑な造りにはなっていなかった。
横幅が四、五メートルほどの回廊の両脇には複数の部屋が設けられており、それぞれが会議室や食堂、簡易的な寝室のような造りになっている。壁には等間隔に松明が揺らめいており、僕の影がゆらゆらとおぼろげに浮かんでいた。
――タッタッタッタッタッ
回廊の向こう側から、再び足音が聞こえてくる。
もしかしたらどこかに竜人が潜んでいて、いきなり襲い掛かってくるんじゃないかと、僕はずっと銃を構えていつでも発砲できるように気を張っていたのだけれど、そんな気配はどこにもなかった。
ふたりがこの奥に逃げ込んでいるということは、どこかに城の外へ通じる抜け道があるということなのだろう。
足音が聞こえているうちになんとか追いついて、そして山下を撃ち殺さなければ、いつまで経ってもこのステージからは抜け出せない。
零士さんと岡野、そして高瀬があの数の竜人を相手にどれだけ持ち堪えられるかわからない。
とにかく、一刻も早く目的を達成しなければ――
僕は深い息をひとつ吐き、物陰から奥の様子を窺う。
竜人の存在も誰かが潜んでいるという様子もなく、僕は安堵しながらさらに奥へと突き進んだ。
思っていたよりも広い城の中に戸惑いつつ、ぱたりと止んだ足音に僕は思わず立ち止まった。
――しまった。ふたりとも、どこかの通路から城の外へと逃げ出してしまったのだろうか。
どうする、一旦零士さんたちのところまで戻って加勢するか、それともこのまま奥へ進んでふたりの消えた通路を探し出すか……
少しばかり逡巡した僕だったけれど、そのとき、どこからか言い争うような声が聞こえてきた。
「――どうするつもりなの? このまま逃げ続けたって、絶対にアイツらに追いつかれちゃうのよ?」
「だ、大丈夫だよ、ルナちゃん! 僕が、絶対にアイツらを殺してみせるから……!」
「どうやって? だって、あの人たち銃を持ってるんだよ? 岡野ってやつを捕まえるのにだって、たくさんのリザードマンが犠牲になるくらいだったのに!」
「だ、大丈夫だってば! 残りのリザードマン全員を、アイツらを皆殺しにするために向かわせたんだから、いくら岡野たちでも太刀打ちできないよ……!」
「ぜ、全員っ? じゃぁ、あたしたちはどうなるの? あたしたちを護衛するぶんは?」
「そ、それも大丈夫だから! ほら、僕だってこの竜頭刃を持ってるんだから、絶対にルナちゃんを守り抜いてみせるよ……!」
ふへっふへっふへっ――!
そんな笑い声のするほうへすり足で近づいて行けば、右側の通路の先に見える広間にふたりの姿を発見した。
ふたりに僕の存在を気取られないよう、一旦通路脇の影に隠れて、ふたりの動向を探る。
相葉は竜人たちが振り回していた偃月刀の柄を短くしたような刀を手にしており、ニヤニヤしながらその刀を山下に見せつけていた。
山下はやや引き攣ったような表情を浮かべながら、
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうね……?」
相葉はふたたびあの妙な笑い声を漏らしてから、
「ルナちゃんは本当に心配性だなぁ。問題ないよ。僕らはこの世界の女王様と王様なんだからさ。どんなことだってできちゃうんだ。きっと今頃はもう、リザードマンたちが岡野たちを皆殺しにしてくれてるはずだよ。そうすれば、この世界は君と僕のふたりっきり! ふひ、ふへふへふへ――っ!」
様子がおかしい、違和感しかない。
これではまるで――逆だ。
「わ、わかった……あ、あたし、スバルを、信じてる、から――」
山下が貼りつけたような可愛らしい笑顔を浮かべると、相葉は満足したように何度も頷く。
「うん、信じて! 僕はずっとルナちゃんの味方だよ! これまでも、これからも、僕が一番のファンなんだから……!」
ふへっふへっふへっ……!
僕はその笑い方に、虫唾が走るような思いになった。
他人の笑い方にケチをつけるつもりはないのだけれど、どこか生理的に受け付けない。
それはどうやら山下も同じらしく、相葉が笑うたびに、どこか彼から逃げるように一歩後ずさるのだった。
……そういえば、いつだったか彼女の配信を見ていたとき、やたらと彼女にチャットで絡んでくるやつがいたような気がする。そいつがどういう名前だったかなんて全く覚えてはいないのだけれど、彼女が誰かのコメントに反応するたびに、まるで割って入るかのようにコメントを連投するようなヤツが――?
それが相葉だという確証は全くないのだけれど、ソイツと相葉が僕の中で強く結びついていく。
山下が殺人者なのだとして、ここまで相葉を生かしておく理由はなんだ?
ふとそんな疑問が思い浮かぶ。
このステージを終わらせるには、殺人者は他の参加者を皆殺しにする必要がある。
従わせた竜人に残りの参加者を殺させたあと、不要になった相葉を殺すつもり――のようには到底見えない。
彼女が本当に殺人者なのであれば、ふたりっきりになった今がチャンスだ。
他の参加者を殺すのは竜人たちに任せて、自分は不要牌になった相葉を始末すれば、ゲームに勝利することができるのだから。
このゲームステージさえ終わってしまえば、もはや竜人たちに襲われる心配もない。
相方なんて、不要なのだ。
でも、だとして、それは相葉も同じはず。
同じではあるのだけれど――もし、相葉が殺人者だとして――この世界で山下とずっとふたりきりで暮らせればそれでいいのだ、なんて考えているのだとしたら――そうなると、俄然怪しいのは山下ではなく――
僕は彼の意識が山下に向いているうちに終わらせなければ、と物陰から一気に躍り出て広間に飛び込んだ。
慣れない手つきで相葉に狙いを定め、発砲する。
――パンッ!
乾いた銃声。
僕の姿に驚愕したふたりがこちらを振り向き、身を護るように両手を顔の前でクロスさせる。
けれど僕の放った銃弾は相葉から大きく逸れて、石壁を軽くえぐっただけだった。
「――助けて!」
山下の叫び声が聞こえて顔を向ければ、こちらに向かって駆け出す彼女の姿が目に飛び込んできた。
瞬間、相葉がそんな山下の背中を力いっぱい蹴り飛ばす。
「――きゃっ!」
ゴツン、と山下が石畳の床に派手に倒れたのと同時に頭を打ち付ける音が響いた。
「あっ……!」
思わず口を開いた僕の目の前で、そんな山下の身体にのしかかるように相葉が竜頭刃を振り上げる。
その動きに迷いはなかった。
彼は彼女の背中に深々とその刃を突き立てると、怒りに歪んだ形相で、
「……やっぱり、やっぱり、そうだったんだ……!」
歯を食いしばりながら口にした。
「あぁっぐうぅっ――!」
山下が、苦し気な呻き声を漏らして眼を見張る。
「おかしいと思ってたんだ。何か変だと思ってたんだ。ルナちゃんは、あんな不自然な笑い方はしなかった。もっと可愛らしい声で、楽しそうに、いつも僕に笑いかけてくれてたんだ……だからさ、思ってたんだよね。もしかしたら、偽者かも知れないって……!」
ぐじゅり、相葉は刃を引き抜き、もう一度彼女の背中に刃を立てる。
痛みに叫び声をあげる彼女に、相葉は続ける。
「……よく似てると思ったんだけどなぁ。やっぱ違ったのかぁ。なんだよ、僕のこと騙しやがって。やっぱお前は僕のルナちゃんじゃなかったんだ。ただの偽者だったんだ。裏切者め」
ぐりぐりと突き立てた刃を捻るたびに、山下の苦痛の叫びが漏れる。
山下は逃げ出そうと必死に手足をばたつかせるも、それに何の意味もなかった。
僕はあまりの光景に身体が動かず、ただ黙って見つめていることしかできなかった。
目が、離せなかった。
唐突な相葉の豹変ぶりに、僕の身体は小刻みに震えていた。
「……あ~ぁ。本物のルナちゃんに会えたと思えて嬉しかったのになぁ。このままずっとこの世界にルナちゃんとふたりっきり、産めよ殖やせよで生きていけると思ったのに、とんだ裏切りにあっちゃったなぁ」
……違う。彼女は間違いなく遠海ルナ――ゲーム配信者本人だ。
何度かその配信を観ただけの僕にだって、それは解る。
あの声、見た目――絶対に間違いない。
けれど、僕や相葉の知るルナのそれはあくまで配信者としての彼女の姿なのであって、今目の前で相葉によって殺されようとしている山下由紀は、あくまで山下由紀その人でしかないのである。
相葉はそれをして偽者だと言い続けた。
その度に、彼女の身体を刻み続けた。
彼女の身体の周りには、大量の血だまりが形成されていた。
相葉の顔には、彼女の傷跡から飛び散った血しぶきが斑にのっている。
彼女の身体はぴくりぴくりと痙攣し、すでにその双眸も虚ろなものとなっていた。
それでも相葉は彼女の身体に執拗に刃を突き立て続けた。切り裂き続けた。
ぐじゅぐじゅになったその背中をえぐり、大きなため息とともに、ゆっくりと立ち上がる。
それから大きく見開かれた眼で、僕を見つめる。
「――全部、お前のせいだ。ルナちゃんがルナちゃんでなくなったのも、偽者が死んじゃったのも、全部お前のせいだ!」
な、なにを言ってるんだ、こいつは――!
刹那、相葉が僕に向かって突進してきた。
慌てて引き金を引き、その勢いにまた身体が持って行かれそうになるのを必死にこらえる。
弾は確かに相葉の足に命中した。
けれど、相葉の勢いは止まらない。
「うわあああああああああああああああああぁあっ――――――――っ!」
相葉が絶叫しながら僕に竜頭刀を振り上げた。
「――っ!」
僕はそんな彼の眉間に銃口を向け、引き金を引こうとして――
けれどその瞬間、僕の脳裏に目の前で爆ぜた緒方の頭が再生される。
あれを、僕がするのか――?
僕が、人を殺すのか――?
そんな一時の迷いが、僕の引き金にかけられた指の反応を遅くした。
気づいた時には、すぐ目の前に相葉の切っ先が迫っていた。
間に合わない――!
殺される、そう思ったときだった。
――パンッ! パンッパンッ! パンッ!
何発もの銃声が広間に響き渡り、目の前に迫っていた相葉の頭や腕、腰――その身体中から真っ赤な血しぶきが辺りに舞ったのである。
彼の勢いは撃ち込まれた弾丸によってバランスを一気に崩し、刃は僕の頬をわずかに掠めて、僕の身体に覆い被さるようにして相葉が倒れ込んできた。
僕はそのまま後ろに倒れ、硬い石畳にしたたかに腰を打ち付ける。
「あっぐうぅ――っ!」
倒れた僕のすぐそばに、眼を大きく見開いたまま絶命した相葉の身体がごろりと転がる。
チリチリと痛む頬と、ずきずき痛む僕の腰。
何とか上半身を起こすと、目の前に駆けてきたのは、高瀬だった。
高瀬が寸でのところで駆けつけて、僕を助けるために相葉を撃ち殺してくれたのだ。
「――ご、ごめん、たか――」
――ガツンッ!
高瀬の拳が、僕の頬を激しく殴る。
「――っつぅ……!」
なにするんだ、この野郎――!
そう叫んでやりたかったのだけれど、
「バカ野郎! なんで躊躇った! 死にたいのか!」
高瀬の荒々しい息遣いとその叫ぶ声に、それ以上、僕はもう何も言うことができなかった。




