第2回
本日最後の講義が終わり、僕は大学をあとにする。
周囲には仲の良い友人と談笑しながら家路に就くものや、これから遊びに行こうとしているもの、笑い合う男女のカップルなんかがいて、ひとりとぼとぼ歩いている我が身がなんとなく寂しく感じられた。
いや、僕にだって友人がいないわけではない。ただその友人らは今この時間、みんな部活やサークル活動に励んでおり、特にそういったものに所属していない僕は毎日ひとりで帰宅しては、家でゲームばかりしているという生活を送っているだけにすぎないのだ。
ゲームといっても、高瀬が僕にダウンロードさせたアプリみたいに課金のあるソシャルゲではない。据え置き機の買い切りソフトだ。しかも、そのほとんどが新品ではなくて、中古で買ってきたものである。安いお金で長く遊ぶ。これが小遣い節約のミソだ。
なにより、週二のバイトでもらっているお金は将来のために貯金しておきたかった。
僕がまだ幼かった頃、祖父母が営んでいた会社が多額の借金を抱えた末に潰れてしまったことがある。そのせいでお金というものの大切さを両親から叩き込まれた僕は、そうそう浪費する気になれないのだ。
着ている服だって、主婦がよく行くような安いお店で買ってきたノンブランドのシンプルなもの。穿いているジーンズにしても膝のところに大きく穴が開いているのは、ダメージ加工ってわけじゃなく、本当にただの劣化によるものだった。靴にいたっては近場の作業着屋さんで安く売っている数百円のスニーカーだったりして、それもまた擦り切れるまで履き潰していた。
とはいえ、最低限の身だしなみには気を付けているつもりである。ここは重要。
いつなんどき素敵な女性が現れて僕と仲良くしてくれるかもしれない。僕だって、それなりに色恋ごとに興味のある青年なのだ。
例えばほら、今目の前を横切っていった可愛らしい茶髪の女の子なんか、もろに僕好みの雰囲気だ。
リボンのついた白いふわりとしたシャツに、動きやすそうな茶色のショートパンツ。そこから伸びる脚は細すぎず太すぎず健康的だ。大きめの黒いブーツもまた服装に合っていて好印象。その姿は僕の心を一瞬にして鷲掴みにしてしまった。
とはいえ、僕から声をかけるようなことは決してしない。高瀬ならバンバン声をかけに行ってしまいそうな気がするけれど、僕はそんな軽薄な人間ではないのである。いくら自分好みの女性だったからといって、そんな軟派なこと、できるはずもない。
僕はそんな魅力的な彼女の姿を、ただぼんやりと見送ることしかできなかった。
さて、そんなこんなで僕は近くのバスターミナルまで辿り着いた。ここからバスに乗ること三十分ほどで帰宅できるのだけれど……何があったのか、乗り場には長い行列ができていた。
あまりにも列が長いので、遠くから見るとまるで巨大なアナコンダか何かでも現れたのかってくらいだ。まさに長蛇。
気になってスマホのニュースを確認すれば、どうやらどこかで人身事故が起きたらしい。そのせいでバスの運行が遅れているのだとか。
このまま待っていればいずれはバスに乗れるのだろうけれど、中には早々に並ぶのを諦め、タクシー乗り場に向かう人々の姿も多々あった。
いっそ僕もタクシーに乗って帰ろうかなと迷ったけれど、しかしそんなことに貴重な小遣いを使いたくはない。待てばいずれバスは来るわけだし、焦る必要なんてどこにもないのだ。
いや、しかし早く帰ってゲームの続きもやりたいし――
なんて思っていると、僕の少し前に、同じく列に並んでいる女の子の後ろ姿が目に入ってきた。先ほど僕の前を横切っていった、あの茶髪の可愛らしい女の子である。どうやら彼女もバスに乗るため、この恐ろしい長蛇の列に並んでいるらしい。
僕は少しばかり変態的な気質であるとは重々承知しつつ、それならばと、結局その女の子が目の前に並んでいることを理由に、そのままバスが来るのを待つことにしたのだった。
だからって、あの女の子をじっと見続けるなんてガチな変態的行動はもちろんしない。
僕はスマホを取り出すと、なにか時間をつぶすものはないかとトップ画面をスクロールする。
すると僕の目に、高瀬にダウンロードさせられた例のゲームアプリ『マーダーゲーム・トライアル』が入ってきた。
……せっかくダウンロードしたんだし、少しくらいやってみるか。
僕はそのアプリを軽い気持ちでタップする。
ところが次の瞬間、僕は何が起こったのかすぐに理解することができなかった。
突然スマホの画面が光り輝いたかと思うと、画面から半透明の四角いブロックが次から次へといくつも溢れるように現れたのだ。
それはひとつのブロックからふたつ、ふたつのブロックから四つ、四つのブロックから八つ――どんどん倍々に増殖していき、戸惑う僕の周囲をあっという間に包み込んでしまう。
「――えっ、えぇっ!?」
僕は小さく叫び、助けを求めて辺りを見回した。
けれど、どうやらそのブロックは、僕以外には見えていないようだった。
前に並んでいる人、後ろに並んでいる人、みんな僕の声に訝しむような視線を向けてくるばかりで、何事もなかったかのように、すぐに顔を下に戻してしまう。
な、なに、これ、どういうことだよ! 何が起こっているワケ?
戸惑う僕は慌てふためきながら、もう一度辺りを見回して、
「――っ!」
数メートル前に並ぶ、あの茶髪の可愛らしい女の子と目が合った。
女の子は目を見張り、そして驚愕したように僕を見つめていた。
――まさか、見えているのか? このブロックが。
やがて僕の身体を包み込んでいたブロックが激しく発光し始めた、その直前。
僕はその眩しさに思わず瞼を細めたのだけれど、わずかに見えるその視界の向こう側に、あの女の子の身体もまた、僕と同じように、光り輝くブロックに包み込まれるのが見えたような気がしたのだった。