第3回
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零士さんは手早く網を切ってくれて、僕と高瀬は何とか自由を取り戻した。
やれやれと深いため息を漏らしてから、僕は改めて零士さんに、
「ありがとうございます」
そう軽く頭を下げたところで、
「――おい」
高瀬に肩を掴まれる。
「な、なんだよ、いきなり」
「佐倉、お前コイツのこと知ってんのか」
「え? あぁ」僕は頷き、「こないだのステージで、一緒だったから……」
零士さんはニヤニヤと口元に、『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫のような笑みを浮かべながら、
「へぇ、玲ちゃんと悠ちゃんはお友達だったのかい」
「れ、玲ちゃん?」
「ゆ、悠ちゃん?」
そんな可愛げな呼ばれ方、幼い頃に祖父母から呼ばれて以来である。
というか、高瀬のことを玲ちゃんだなんて、このふたりはいったいどういう関係なのだろうか。
「その呼び方、やめてくれって言ったはずだろ」
「いいじゃないかよぉ、可愛くて。俺はやめねぇよ?」
くつくつ嗤う零士さん。
高瀬は心底零士さんを毛嫌いしているような表情を浮かべており、僕はそんな高瀬に、
「高瀬、零士さんと知り合いなのか?」
「……言っただろ。自分の願いを叶えるために、他人を騙してまでポイント稼ぎに走る輩がいるって。俺はこのおっさんに囮にされて、殺されかけたんだ」
「えっ」
僕は改めて零士さんに顔を向ける。
零士さんは相変わらず不敵な笑みを浮かべたまま、無精ひげの生えた顎を撫でていた。
たしかに、僕もこの人に騙されて殺されかけた。
いや、あれを騙された、と言っていいのかはわからないのだけれど、体良く利用されたのに違いはなかった。
この怪しげなおっさんは、平気な顔をしてそれをやるのだ。
零士さんは「おいおい」と頭をわしゃわしゃ掻いてから、
「ちゃんと助けてやっただろ? そんな顔すんなよぉ」
楽しそうにアハハと声に出して笑ったのだった。
……いったいこの人は、本当に何者なのだろうか。
あの拳銃も拾っただなんて言っていたけれど、いったい、どこで?
過去のステージで拾ったものを、ずっと使い続けているのだろうか?
だとして、弾は? このおっさんは、どこからあれだけの弾を手に入れているのか。
高瀬は僕の左肩を引き寄せながら、
「――いくぞ、佐倉。このおっさんには関わらないほうがいい」
確かに、その通りかもしれない。
零士さんに関わっている限り、いつ自分も命を落としてしまうか解ったものじゃない。
けれど、冷静に考えて、例えそうだとしても、零士さんほどの腕前があれば、少なくとも、彼が殺人者にならない限り、守ってもらえるかもしれないのだ。
自分が囮になることを対価にすれば、今回のゲームだって、或いは――
僕は肩に置かれたままの高瀬の手を払いのけると、零士さんの方に足を踏み出す。
それから高瀬に振り向き、
「……悪い、高瀬。僕は零士さんと一緒に行く」
「――っ! ばか、なに言ってんだお前は! こんな奴と一緒に居たら、いつか本当に死んじまうんだぞ!」
「それは、お前と一緒に居ても同じことだろ、高瀬」
「な、なに言ってんだよ、なんで俺が……!」
「そもそも、どうしてこの僕をこんなゲームに誘ったんだ?」
「だから、それは、さっきも話しただろ! ひとりくらい、信用できる仲間が欲しいと思ったからで……!」
「本当にそれだけか?」
僕は、じっと高瀬の目を見つめる。
その黒い瞳の奥を覗き見るようにしながら、
「――お前の願いは、いったいなんだ?」
はっきり訊ねた。
高瀬は僕に見つめられて、あからさまに動揺し、視線が揺らいだ。
……こいつはやはり、まだ何かを隠しているのだ。
「そ、そんなのあるわけないだろ、俺はただ、こんなところから早く抜け出したいだけで」
「お前の願いは、いったいなんだ?」
僕は高瀬の言葉をそこで遮り、もう一度、同じ言葉を繰り返した。
零士さんのことは、確かに信用ならない人だと思う。
けれど、高瀬のことだって、零士さんと同じくらいには、信用ならないのだ。
「……っ」
高瀬は僕から視線を逸らし、歯を食いしばるように俯いた。
こいつには、僕に言えないような、何か秘密が確かにある。
僕を騙してまで誘ったのも、ただ仲間が欲しかったからではないのだ。
せめて本当のことを話してくれれば、僕だって……
そんな高瀬の代わりに、零士さんは軽く笑って、
「玲ちゃんはさ、俺様と一緒なのさ」
「……零士さんと?」
その瞬間、高瀬は顔を上げて眼を見張った。
零士さんのことを射抜かんばかりに睨みつけて、
「――っ!」
拳を握り締め、今にも殴り掛かりそうな勢いで、前に一歩足を踏み出す。
それに対して、零士さんは、
「……まぁ、でもそれは人それぞれってもんだし、わざわざ他人に話して聞かせるようなもんじゃないだろ。それ以上は踏み入るべきじゃないぜ、悠ちゃんよぉ」
そう言われて、僕は高瀬から零士さんに顔を向ける。
零士さんは、相変わらず何が楽しいのか、ただ嗤っているだけだった。
少なくとも、零士さんは高瀬の願いを知っている。
けれど、今ここで食い下がったところで、零士さんも高瀬も、それを教えてくれるだなんて、到底思えなかった。
僕は肩を落としながら、これ見よがしに深い深いため息を漏らしてから、
「……わかったよ」
それから、高瀬に顔を戻して、
「けど、僕はお前とは絶対に行かない。僕は、零士さんと一緒に行く」
高瀬に背を向け、零士さんのところまで足をやった。
零士さんはうんうんと頷いてから、
「んで、玲ちゃんはどうする?」
高瀬はしばらく黙りこくっていたが、やがて迷うように眉をひそめて、
「――俺、は……」
「俺様は玲ちゃんにもついてきてもらったほうがやりやすいんだけどなぁ。今回も囮になってくれたら、殺人者を仕留めやすいだろうからな」
「……」
「玲ちゃんだって、死にたくはないだろ? こんなところで、さ」
高瀬は、細く長い息を吐く。
零士さんはさらに畳みかけるように、
「悠ちゃんは、お前とは一緒に行かないってよ。けど、玲ちゃんが俺と一緒に来るなら、それはそれ、ってことじゃないのかね?」
僕も、そして高瀬も、複雑な心境であることは確かだった。
僕だって、高瀬が零士さんと一緒に行くというのであれば、それを否定するつもりはない。
別に高瀬と一緒に行動することそのものが嫌だとまでは思っていなかった。
高瀬は小さく何度も頷いてから、
「……わかったよ。俺も、零士さんと一緒に行く」
その途端、零士さんは両手をぱちぱちと軽く打ち鳴らす。
「よぉし、決まったな。それじゃぁ、行くぜ、ふたりとも」
僕らは先を歩く零士さんのあとを、少し距離を置くようにして、歩き始めたのだった。




