第1回
「佐倉、お前マーダーゲーム・トライアルってアプリ知ってるか?」
それは大学の食堂で、いつものように三百円ランチの薄っぺらいシソ入りチーズカツを頬張ろうとしていたときのことだった。
たいして仲が良いわけではないのだけれど、しょっちゅう同じ講義を受けている高瀬玲が、いきなり僕の向かいの席に腰を下ろしたかと思うや否や、なんの前置きもなくそう訊ねてきたのである。
どこまでも平凡然とした僕とは対照的に、高瀬玲は金髪ピアスのイケメン野郎だ。あまりに僕とはタイプが違い過ぎて、僕のほうから高瀬と交流したいと思うことは決してない。しかし、どういうわけか事あるごとに高瀬のほうから絡んでくるのは、いったい何を企んでのことなのであろうか。
「いや、知らない」
僕はそんな高瀬に、静かにそう答えてカツを頬張った。
さくりとした小気味の良い音。口の中にふんわり広がるシソの香り。とろりとしたチーズと柔らかい肉の食感がたまらなく美味い。肉の薄っぺらさが同時に安い価格に繋がっているのだが、この薄さが僕には実にちょうど良かった。
「なに? どんなゲーム?」
カツを咀嚼しながら、僕は高瀬に一応訊ねた。もともとソシャゲなんてあんまりしないのだけれど、話を振られたからには、会話を成り立たせてあげるのが礼儀というものだろう。
高瀬は僕が興味を持ったと思ったのか、にやりと口元に笑みを浮かべる。
「まあ、簡単に言えば、殺し合いの鬼ごっこだな」
「鬼ごっこ?」
「そう、鬼ごっこ。1ステージあたり六人から八人の参加者がいて、そのうちのひとりが殺人者になって、他の参加者を皆殺しにしていくんだ。他の参加者はその殺人者が誰なのかを推理して殺さないとクリアできない。ちなみに、もし間違った相手を殺したら減点だ」
「鬼ごっこというか、人狼ゲームに近い感じ?」
「まあ、そうなるかな。ただ、夜も昼もない。殺人者は殺すチャンスがあれば、いつでも他の参加者を殺しにかかる。だから、いかに早く殺人者を見つけ出して始末するか、そこが重要になるわけだ。他の参加者と協力してもいいし、ひとりで黙々と殺人者を見つけ出して殺してもいい。ちなみに、殺人者が参加者全員を殺した場合は殺人者の勝ちになる。どうよ、面白そうだろ?」
「そうだね」と僕は頷き、「1ゲームどれくらいかかるの?」
「それはゲーム次第だな。制限時間はないから、殺人者を見つけられないといつまでも続く」
「なにそれ、ゲーム的欠陥じゃない?」
「そうか? 俺は逆に好きだけど。時間に焦らされる必要がないぶん、じっくり遊ぶこともできるし、逆に急いでいるなら、さっさと殺人者を見つけて殺せばいいだけなんだからさ」
「う〜ん、そう言われると、そうかもだけど……」
「どうだ? 興味湧いたろ? 面白そうだろ? な? な?」
身を乗り出してくる金髪ナンパ野郎に、僕はやや気圧されるように、「ま、まあ、うん」と頷いた。
すると高瀬はよしよし、と満足したようにスマホを取り出すと、画面を操作しながら、
「んじゃ、招待アドレスを送るから、すぐにダウンロードしてくれよ」
「それってつまり、招待することで貰えるキャンペーンが目的ってことだな?」
「ま、そういうこと! ほら、招待したから、早く開け」
僕はごくりと咀嚼したものを飲み込んでから、「はいはい」と肩を落とし、渋々スマホを取り出した。
画面に表示されている高瀬からのメッセージ着信のお知らせをタップすれば、あっという間にアプリダウンロードのページに飛ばされる。僕はそのままダウンロードのボタンをポチッ。くるくるとダウンロード中を示す輪が回り始めた。
残りのカツと添えてあるキャベツをかきこみ、それらを味噌汁で飲み下したところで、アプリがトップ画面に表示される。
「お、サンキューな佐倉。あとで暇な時にでも開いてくれりゃいいから」
言うが早いか、そそくさと席を立つ高瀬。
本当にダウンロードをさせたいだけだったようだ。
「招待コードの入力はいいの?」
「アドレス踏んでからダウンロードしたろ? 必要ねぇよ」
「ああ、それでいいんだ?」
まぁ、高瀬がいいって言うんだから、問題ないのだろう。一応義務(?)も果たしたことだし。いっそこのままアプリを削除してもいいし、暇つぶしに少しくらいならプレイしてみてもいいかもしれない。本当にやることもなくて、時間をつぶしたいときにでも。そのあたりは僕の自由だ。
高瀬はなにが詰まっているのか、明らかに講義に必要以上のものでパンパンに膨らんでいるバックパックを背負いながら、
「んじゃ、俺行くわ」
「あれ? もうそんな時間?」
僕と高瀬が履修している日本語学概論が始まるまでは、あと一時間くらいあったような気がするのだけれど。
「今日はパス。ちょっと所用でな」
「そういって、こないだも休んでなかった? 日数ちゃんと足りてる?」
「ダイジョーブ、ダイジョーブ! ちゃんと計算してっから!」
笑いながら高瀬は言って、不意に真顔に戻ったかと思うと、
「そんなことより、ありがとな、佐倉」
「うん?」
「アプリ、ダウンロードしてくれて」
あまりにも神妙な面持ちで口にするものだから、僕は思わず眉間に皴を寄せつつ、
「別に、大したことじゃないだろ?」
「ま、そりゃそうか」
高瀬は顔を綻ばせると、かっこよく手をひと振りしてから食堂を出ていった。
僕はそんな高瀬の背を見送りながら、最後に冷たいお茶を啜ったのだった。