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第一章

ここは、第23代帝が統べる(ファン)(くに)


帝都にある采蕾城(さいらいじょう)を中心に、領土は東西南北へと均等に広がっている。



そして、帝都から南に位置する田舎町“(そう)”にある村から、この日1人の少女が成人として独り立ちすることとなる。



少女の名は、一鈴(イーリン)


至極色(しごくいろ)の紫がかった長い黒髪を後ろでひとつに束ね、まだあどけなさが残る顔立ちなのは、彼女がまだ15という年齢だからだろう。



この國では、15歳になると成人の仲間入りを果たす。


酒も煙草も許され、生まれ育った村からも出ることができるのだ。



ただ、嫁入りするわけでもないのに、成人したばかりの少女が1人で村を出ることはまずない。


しかし、一鈴は村から出て行くことを決めた。


いや、ずっとこの日を待ち望んでいたのだった。



なぜなら、この村には彼女の居場所などなかったからだ。


一鈴は“あること”がきっかけで、村人たちから恐れられ、蔑まれて生きてきた。



その“あること”とは――。


あやかしの存在が見えるというもの。



あやかしは、人の恨みや妬みなどの負の感情が形となった異形。


人々が恐れる災いや呪いといった類いのものは、すべてはあやかしの仕業である。



しかし、その姿は普通の人間には視ることはできず、触れることもできない。



そのため多くの地域では、あやかしは人々が作り出したただの迷信といわれ、その存在自体を否定する者が圧倒的に多かった。


つまり、『あやかしが視える』という一鈴は、幼少期のころから村人たちから嘘つき呼ばわりされてきた。



ところが、一鈴が言ったとおりに不幸が起こることや、見えないものが視えるという一鈴の力は周りからは気味悪がられた。


そうして、村人たちは一鈴を恐れ、また一鈴の存在が疎ましかった。



一鈴に親はいないが、親同然に育ててくれたのは先代の村長であった。


不気味だと蔑まれる一鈴を、村長は我が子のように愛した。



そんな先代村長のことを一鈴自身も本当の親のように慕っていた。



先代村長は、この村とそこに住む人々のことを一番に考えていた。


その思いは一鈴にも伝わっていたため、先代村長が亡くなり1人になったあとも、一鈴が自分を蔑む村人たちを恨むことはなかった。



しかし、先代村長がいないこの村に一鈴が留まる理由もなかった。



この村で孤独な毎日を過ごすのはもういやだ。


だからこそ、一鈴はこの村を出たかったのだ。



早朝ということもあるが、一鈴がこの村を出るといっても見送りにくる村人はだれひとりとしていなかった。



荷物は、肩からかける鞄に入るくらいの最小限にまとめた。



一鈴は、ふと生まれ育った村のほうを振り返る。


最後に、お礼くらいは言っておかないとバチが当たるかもしれない。



そう思ったそのとき、黒猫が村の中へと入っていくのが見えた。



一見すると、普通の黒猫のように見える。


しかし、一鈴は気づいていた。



その黒猫の正体は、人間の負の感情が集まったあやかし。


額に“怨”の文字が書かれた札を貼り付けているのが特徴だ。



小動物ほどの大きさのあやかしであれば、大した悪さはしない。


しかし、だれかに取る憑き、その者を病気にさせたりケガをさせる災いの危険性は十分に考えられた。



あやかしも一鈴の存在に気づいたのか、一目散に逃げ出そうとした。


一鈴は、すぐさまその黒猫に扮したあやかしに向かって手を広げた。



すると、あやかしを取り囲むようにして風の渦ができて、一鈴が握り潰すように手をしぼめると、あやかしが弾けるようにして跡形もなく消えてしまったのだった。



「この歳になるまで置いてくれた村だし、最後にこれくらいのことはして出ていかないと」



一鈴は村に向かってお辞儀をすると、二度と振り返ることはなかった。




一鈴は、行く当てもなく歩き続けた。



その途中、何体かのあやかしにも遭遇した。


人里よりも鬱蒼とした山の中ではよく現れる。



野犬のような獰猛なあやかしもいたが、一鈴の力であれば簡単に滅することができる。



それに関しては、この力は非常に便利だ。


しかし、一鈴はあやかしが視えるということも、不思議な力てあやかしを滅することができるということも、すべてを隠してこれからの人生を過ごしていこうと考えていた。



どこに行こうかとは決まっていないが、自分のことをまったく知らないようなところへ行きたい。


騒がれて、自分の居場所をなくすことのないように。



だからこれから、目立たないように、静かに生きていきたい。



行き先は漠然としていたが、一鈴はその考えだけははっきりと決めていた。




村を出て7日ほどが過ぎたころ――。


一鈴が川のほとりでさっき立ち寄った村で買った握り飯を食べようとしていたときだった。



突然、馬の鳴き叫ぶ声が森の中に響いた。


まるで天敵にでも出くわしたかのような鳴き声だ。



「何事?」



落ち着いて食べていられないただならぬ異様な雰囲気に、一鈴は仕方なく握り飯を竹の皮に包み直した。


そして、鞄を背負って馬の鳴き声が聞こえるほうへと向かう。



一鈴はゆっくりと歩み寄ると、木の陰からそっと顔を覗かせた。



見ると、馬車に繋がれた2頭の馬が暴れていた。


御者がなんとか馬を落ち着かせようとするが、馬たちは言うことを聞かない。



馬たちは前方にいるなにかにひどく怯えているように見える。


御者もそれは感じ取ってはいるが、前方を見てもなにもいない。



それもそのはず、御者には視えていないのだから。


見た目は熊のような形をした、大型のあやかしだった。



額には“怨”の札があり、荒い鼻息によってそれがヒラヒラと上下にはためくたびに、赤黒く濁った瞳が見え隠れする。



一鈴自身も、あれほどまでの大型のあやかしを見るのは初めてだった。


牙を剥き、よだれを滴らせるあやかしは、今にも馬や御者を食い殺しそうな勢いだ。



嫌な予感だけは察知している御者は、馬に鞭打ち方向展開させようとするが、馬はすっかり萎縮してしまっていて動くことすらできない。


動物は、あやかしが視えるといわれている。



熊のあやかしは獲物を狙うようにして徐々に間合いを詰めていく。



馬車には要人が乗っているのか、馬車を囲むようにして槍を持った6人の兵がいる。


ただならぬ雰囲気に槍を構えるが、あやかしは実体ではないため普通の人間には触れることすらできない。



つまり、武器を持った兵がいたところでなんの役にも立たないのだ。



それは逆に、あやかしも直接的に危害を加えることはできないということ。


しかし、体の大きさと込められた負の感情は比例するため、あの熊のあやかしの大きさからすると、取り憑かれれば生身の人間ではひとたまりない。


その身は呪いに冒され、突然死することだろう。



助けなければ…!



一鈴は体が勝手に動いた。


しかし――。



「やーい、嘘つき化け物!」


「こっちを見るな。忌み子のくせに」



これまで村で浴びせられた心ない言葉や冷たい視線を思い出した一鈴は体が硬直した。



この力は隠すと決めた。


人に見られては絶対にいけない。



だが、このまま見過ごすこともできない。


ここで一鈴が手を貸さなければ、あの馬車の者たちは助からないことだろう。



あやかしは視えないが、滅する力は具現化するため普通の人間にも見ることができる。


きっと一鈴が力を使えば、だれかが手助けしたとわかることだろう。



もう騒がれるような人生はいやだ。


助けるなら、見つからないように。



一鈴は、木の陰から熊のあやかしに狙いを定めてそっと手を伸ばした。



――そのとき。



「どうやら、よくないものがいるようだな」



突然馬車の扉が開き、中から人が降りてきた。



現れたのは、黒い漢服に身を包んだ長身の若い男。


ストレートの銀色の短髪に、小さく丸いレンズの黒眼鏡が特徴的。



どこか美形のその男は、なにを考えているのか自らあやかしの前へ立ちふさがった。


あんなところに立てば、あやかしの格好の餌食となる。



だが、あの男の視線を見る限り、どうやらあやかしのことが視えているようだ。



「これまた、ずいぶんとでけぇな」



男は恐れるどころか、楽しそうに笑う。



一鈴は初めてだった。


あやかしが視える人間に出会うのは。



「久々に腕が鳴るなぁ。ここは俺に任せて、みなさんは一旦引き返してください」



男はそう言って、馬車のほうへと振り返る。


それを聞いた御者や兵たちは、緊張でこわばっていた表情を緩ませる。



「さすがは九垓(くがい)さま!」


「やはり心強い!」



九垓と呼ばれる男の登場により、場の空気は一変。


馬もなんとか落ち着きを取り戻し、御者の指示に従い馬車と兵は道を引き返していった。



その場に残されたのは、九垓という名の銀髪の男と熊のあやかし。


そして、少し離れた木の陰からその様子を見守る一鈴。



九垓は、あやかしを一切恐れることなく堂々としている。


さっきの馬車の者たちの反応や九垓のあの様子からすると、どうやら勝算はあるようだ。



同じく視えるということは、もしかしたらあの男も滅する力があるかもしれない。


興味を持った一鈴は、その様子を見守ることにした。



九垓は胸元に手を持ってきたかと思ったら、手遊び歌のように突然手と腕を素早く動かし始めた。


指と指を交差させたり指先で丸をつくってみたりと、手と腕で様々な形をつくっていく。



そして、その動きが止まったかと思ったら、10本の指先から青白い炎が揺らめき始めた。



それは間違いなく、一鈴と同じ不思議な力だった。



そして、指先から現れた炎はそれぞれの手のひらで大きな火球となって燃え盛る。



「すごい力…」



自分以外の者の力は見たことはなかったが、一鈴は肌でそう感じた。



「覚悟しろ、あやかし。一瞬でその身を灰にしてやる」



九垓は、ニッと白い歯を見せて得意げに微笑む。


一鈴はなにかすごいものが見れるような気がして、凝視しながらごくりとつばを飲み込んだ。



「じゃあな。せいぜい、俺に出会ったことを後悔するんだな」



九垓はそう言うと、右手につくっていた火球を思いきりあやかしに向かって投げつけた。



あれを食らったあやかしは、きっと一瞬にして燃え尽きることだろう。


一鈴はそう予想していた。



――しかし。



「……え?」



見ていた一鈴から、思わず間抜けな声が漏れた。


というのも、剛速球を投げるかように振りかぶった九垓だったが、火球は九垓の手から離れた瞬間すぐに消えてしまったのだ。



身構えていたあやかしも、まさかなにも起こらなくてぽかんとしている。



「おっと、これは失敗失敗。こんなことで安心するなよ、あやかし。まだもうひとつあるんだからな」



九垓はニヤリと笑うと、残っているもうひとつの左手にある火球に視線を移す。


その火球はさらに火力が増し、先ほどよりも大きな火柱が上がる。



「あばよ、あやかし」



九垓はそうつぶやくと、華麗に火球をあやかしに向かって放り投げた。


あやかしもなにかを察し、逃げる構えを取ったがすでに遅し。



すぐ後ろには大きな火球が迫ってきていた。



――ところが。


メラメラと燃え盛る火球は、あやかしに当たる寸前でまたしても消滅してしまった。



「…あれ?」



目が点の九垓。


それからも何度も何度も火球を出すが、先ほどまでの威力はなく、出ては消えて出ては消えてを繰り返す。



ようやくあやかしに当たったかと思えば、威力が弱すぎてあやかしに簡単に振り払われていた。



「グウォォォォォオオオオオ…!!!!」



怒ったあやかしは九垓に向かって大声で吠える。



「ま、待て、あやかし!もう少ししたら、すごいのを出せるからっ…」



そう言って九垓はさらにいろいろと試すが、どれもあやかしを倒せるような技ではなかった。


痺れを切らしたあやかしは、鋭い牙と爪を剥き出しにし九垓に覆いかかる。



「だから、ちょっと待っ…!!」


「…もう!なにやってるの、あの人」



見ていられなくなった一鈴は、木の陰からあやかしに向かって手を伸ばし、不思議な風の力で大きなあやかしの体を包みこんだ。



「…な、なんだ?」



突然あやかしの動きが止まり、目の前でもがき苦しむあやかしの姿に九垓はキョトンとしていた。


そして、弾けるようにしてあやかしが消滅すると、間抜けなくらいに口をぽかんと開けていた。



九垓が無事なことを確認し、一鈴はほっと胸を撫で下ろす。



「…近くにだれかいるのか?」



九垓は辺りをキョロキョロと見渡す。


気づかれるとまずいので、一鈴はすぐさま木の陰に姿を隠すと静かにその場を去ったのだった。



一鈴はさっきの川のほとりまで戻ってくると、鞄にしまっていた握り飯を取り出した。


やっと昼ご飯にありつける。



そう思いながら、大きな口を開けて握り飯を頬張ろうとした――そのとき。



「お前、視えるのか?」



突然背後からそんな声が聞こえ、驚いた一鈴は持っていた握り飯から手を離してしまった。


そのまま握り飯は転がり、虚しくも川の中へと落ちていった。



「あぁ…!!」



一鈴は、名残惜しそうに握り飯が落ちた川に向かって手を伸ばす。


そして、うずくまってベソをかいていると後ろからゆっくりとだれかが歩み寄ってきた。



「な、なんだか悪いことをしたな」


「…そうですよ。せっかく楽しみにしていたのに、どうしてくれるんですか――」



と振り返った一鈴は、思わず口があんぐりと空いた。


なんとそばにいたのは、さっきの熊のあやかしに返り討ちにあいそうになっていた九垓という名の男だったからだ。



「あっ…、あなたはさっきの…!」


「やはり、あれはお前の仕業だったか」



ニヤリと九垓が微笑み、一鈴はとっさに両手で口を覆った。


とぼければよかったものの、思わず反応してしまった。



「さ…さぁ〜、なんのコトデショウカ〜…」


「いきなりカタコトになったぞ。どれだけ嘘が下手なんだ」


「わたしには、言っている意味がヨクワカリマセ〜ン」



しらばっくれる一鈴に、九垓はあきれたようにため息をつく。



「まあいい。ちょっと俺に付き合え」


「…なっ、なにをいきなり――」


「駄目にした握り飯、その弁償もしてやるから」



そんな言葉には騙されまいと思った一鈴だが、タイミングよく情けないお腹の音が鳴った。



「それが返事だな。よし、行くぞ」


「だ…だから、わたしは――」


「心配するな、悪いようにはしない」



そうして、一鈴は半ば強引に九垓に連れて行かれたのだった。



その後、一鈴は九垓が呼んだ馬車に乗せられた。



「ほら、食べるといい」



九垓は買っておいた握り飯を馬車の中で一鈴へ差し出す。



「い、いただきます」



一鈴は少し警戒しながらも、握り飯にかぶりついた。


空腹だったということもあるが、あまりのおいしさに一鈴は目を輝かせる。



「フッ、口にしたな」



そのとき九垓が不気味に微笑み、一鈴はドキッとして身構える。



「食ったからには、正直に話してもらうぞ」


「…なっ、そんなの卑怯です!」


「まあまあ、そう怯えるようなことでもない。聞きたいのは、お前の持つ力についてだ」


「わたしの…力……?」


「そうだ」



九垓は気づいていた。


どこかで、遠くから熊のあやかしを倒した者がいることを。



そして、近くの川のほとりで休んでいた一鈴を見つけたのだった。



そこで、一鈴は初めて知ることとなる。


あやかしが視えるだけでも珍しいが、それを滅することができるのはほんの一握りの者にしかできないことを。



「お前は選ばれし者だ」


「わたしが、選ばれし…者?」


「そうだ。それに、あの熊ほどの大きさのあやかしを一瞬で倒すとは、これまで厳しい修行を受けてきたからこその力ではないのか?」


「…あ、いや…。べつに、修行もなにもしてないですけど…」



一鈴のその言葉に、九垓は目を見開ける。



「修行してない!?じゃあ、あの技はだれから教わったんだ…!?」


「だれからも教わっていません。物心ついたときから、なんとなくできてます」


「…はぁ!?じゃあさっき技は、どういう(いん)を結んだら発動するんだ!?」


「“イン”…?ただ、頭の中でイメージしてるだけですけど…」


「はぁああ!?」



九垓が間近で大声を出すものだから、一鈴は思わず両耳を手でふさいだ。



一鈴は知らなかったが、実はあやかしを滅する技を出すとき、通常であればその技を発動するための印を結ぶ必要があるのだそう。


九垓が火球を出す前に、手や腕を動かしていたのは印を結んでいたからだ。



印の形や結ぶ順序で、様々な技を出すことができる。


これが一般的なもの。



しかし一鈴は、印を結ぶことなく技を発動することができる超人であることが判明した。



「…聞いたことがないぞ。印を結ぶことなく、技を出せる者など…」


「そう言われましても…」



一鈴はもぐもぐも握り飯を食べ続ける。


ごくんと最後のひと口を飲み込んで、静かに手を合わせる。



「ごちそうさまでした。それで…、この馬車はどちらに向かっているのですか?わたし、そろそろ帰りたいのですが…」


「帰りたいと言っても、行くあてなどないのだろう?」


「…まあ、そうですけど」


「それに、そんな話を聞かされては、ますます帰すわけにはいかないな」


「こ、困ります…!わたしは、この力を隠して今後は生きていこうと決めたのですから…!」



思わず立ち上がって九垓に訴えかける一鈴だったが、九垓はそんな一鈴の口を片手でふさいで詰め寄った。



「だったらその力、俺がもらうことにする」



九垓はそう言って、不気味に微笑む。


その間近で見る九垓の憎らしいくらい美しい顔立ちに、一鈴はとっさに顔が赤くなった。



そのあと一鈴は、九垓から話を聞かされる。



九垓は『あやかし(ばら)い』という仕事をしていて、文字通りあやかしを滅することを生業としている。


一鈴が住む田舎では、奇妙なこの力は人々から恐れられてきたが、帝都やその周辺ではあやかしが視える力は認知されていて、あやかし祓いは実に重宝されていた。



九垓はある人物に仕えるあやかし祓いで、その人物に呪いや災いが降りかからないよう、近づくあやかしを滅することが役割であった。



「でも、そんなにあやかしっているものですか?」


「まあ、人々がほのぼの暮らす田舎にはあまりいないかもしれないな。だがな、ここにはわんさか潜んでいるんだよ。なぜなら、ここは人の妬みや欲望が渦巻くところだからな」



そう言って、九垓は馬車の窓を開けた。


そこから顔を覗かせた一鈴は思わず息を呑んだ。



見上げるほどの大きな門の左右には、先が見えないほどの赤い壁がそそり立つ。


その建物の中へと、馬車は吸い込まれるように入っていった。



「…ま、まさか」



一鈴はあまりにも驚きすぎて言葉を失った。



それもそのはず。


一鈴が馬車に乗って連れてこられたのは、帝都にある王宮『采蕾城』。



帝が住まう宮殿、その妻たちが住まう後宮があり、皇族たちに仕える者やそこで働く人々も生活している。


10万人にも及ぶ人々がここで暮らしているため、高く赤い塀に囲まれたこの采蕾城こそがもはやひとつの国のようなものだ。



「ここが…采蕾城……」



田舎者の一鈴は噂にしか聞いたことのなかった采蕾城に、思わずぽかんと口を開けることしかできなかった。



「もしかして…!あやかし祓いとして、九垓さまが仕えるお方って――」


「この采蕾城において、帝の第一寵妃である眞美(シェンメイ)さまだ」



九垓は、後宮の中にある紅宮(くれないきゅう)にいる第一寵愛の眞美に仕えるあやかし祓い。


九垓の家系は、代々眞美の家に仕えるあやかし祓いの一族だった。



九垓は眞美とは顔なじみで、数年前に眞美が後宮入りすることとなり、九垓も眞美専属のあやかし祓いとしてやってきたのだった。



後宮は昔から跡継ぎ争いが絶えず、寵妃やその周りの者たちからあふれる負の感情が取り巻く場。


つまり他の場所よりもあやかしが多く、さらに強力なあやかしも生まれやすかった。



実際に、過去にはあやかしに取り憑かれ寵妃に不幸が起こったり、その子どもが亡くなる事件も発生した。


そのため、今ではあやかし祓いをつけて後宮入りすることが当たり前となっている。



話を聞いていると、九垓の家系はとても優秀なあやかし祓いの一族のようだ。


寵妃の眞美に仕える九垓も、その力が選ばれてのことだろう。



――しかし。



「…申し訳ございませんが、そのぉ……。九垓さまはお強いのでしょうか」



さっきのあやかしとの戦闘を見ていたら、威勢はいいがどこか間抜けで、一鈴が助太刀しなければきっとあのあやかしにやられていた。


とても、このあやかしが多く生まれる後宮内において、眞美を守れるとは到底思えない。



「昔から眞美さまと仲がいいというだけで俺が選ばれたが、…正直今後どうなることやら」



これまでも眞美に近づくあやかし騒動はあり、なんとかあの手この手で祓ってきた。


そうしたラッキーな結果に加え、無駄に自信過剰な九垓の振る舞いを見て周りの者は陶酔し、いつの間にか九垓は最強あやかし祓いとして崇められるようになったとか。



「…大丈夫ですか?そんなに期待されてて、実はポンコツ――…失礼しました。実は、あまり力がないと知られたら」


「それだな!だからこそ、一鈴。お前の力が必要なんだ」


「…どういう意味でしょうか」



九垓の話はこうだ。


自分の力だけでは今後眞美を守りきれるかどうかわからないから、一鈴の力を貸してほしいというものだった。



「どうだ?この話」


「じょ、冗談じゃないですよ…!絶対にいやです!!」


「そんなに拒否することか?」


「だってわたし、この力のことは知られることなく、目立たずひっそりと暮らしたいんです…!それなのに、こんなところに連れてこられて、寵妃さまにお仕えするだなんて…」



一鈴が思い描いていた理想の目立たない暮らしとはかけ離れている。



「今までがどうかは知らないが、ここではその力が重宝されるとしてもか?」


「…してもです!わたしはこんな力、べつに欲したことなんてなかった…」



一鈴は切なげに眉尻を下げる。



「だから、わたしは――」


「もしかしたら、眞美さまは殺されるかもしれない」



突然の九垓のその言葉に、一鈴の体がピクリと固まる。



「ご懐妊されたんだ。まだ周りには知られていない」


「それが、なにか…」


「今後、大きくなる腹は隠しようがない。眞美さまが帝の子を宿されている。しかも、それが男児となれば――」



九垓の話によると、妊娠した寵妃は他の寵妃からの嫉妬の標的となり、そこから生まれたあやかしによって、出産目前でお腹の子どももいっしょき突然死に至ったという事例もあった。



「とても他人事とは思えない。遅かれ早かれ、眞美さまにはあやかしがついてまわることになるだろう」



一鈴は情に流されまいと、顔を背けて聞こえていないフリをした。


だが、だれかに不幸がかかるかもしれないと聞いて見過ごせるほど、一鈴は冷酷な人間ではなかった。



「俺でさえも助けた。お前はそういうやつだろう?」



九垓はわかりきっているような余裕の笑みで一鈴を見下ろす。


一鈴はそれがまた癪だった。



「何度も言いますが、わたしは…この力によって目立つのはいやです」


「わかっている。だから、こういうのはどうだ?」



そう言って、九垓は一鈴にある提案をした。



それは、一鈴が九垓のあやかし祓いの見習いとなること。


とはいえ、一鈴は九垓に頼み込んできたポンコツあやかし祓いのたまごという設定。



一鈴が印を結ばなくても技を発動できることをいいことに、なにかあったときは九垓が技を出しているように見えるように一鈴をそばに置きたいというものだった。



「いい案だろ?これなら、お前はただ俺の後ろにいるだけのポンコツ見習いで目立たない。俺は、お前の力で強力な技を繰り出しているように周りからは見えるからな」


「…九垓さまはそれでよろしいのですか?他力本願というか…」


「いいんだ!最強あやかし祓いという名声は保たれ、眞美さまをお守りできるのなら」



人の力を借りて自分をよく見せようとすることになんら恥じらいを持っていない九垓の姿は、一鈴からは逆に清々しく見えた。



変な男に見つかってしまい、とんでもないところに連れてこられ、信じられないような提案をされたが――。


行く当てなどなかったし、後宮に仕えるとなれば生活に困ることもない。



それに、蔑まれていたこの力がだれかの役に立つかもしれない。


目立たず、隠れて使うのであれば――。



一鈴は顔を上げた。



「…わかりました。そういうことであれば」


「本当か!?よかったー!」



九垓は20歳で一鈴よりも5つも年上だが、まるで子どものように無邪気に喜んだ。



「これから、よろしくな!ポンコツ見習い!」


「…は、はい」



ポンコツは自分だろうと、一鈴は心の中でぼそっとつぶやいたのだった。



そうして、一鈴はあやかし祓いの見習いとして九垓といっしょに眞美に仕えることとなった。


九垓の言う通り、眞美のお腹が目立ってくるにつれて、眞美の周りに現れるあやかしの数も多くなっていった。



しかし、どれも一鈴が簡単に滅することができるくらいのあやかしだった。



「九垓、いつもありがとう。あなたがあやかしを祓ってくれるおかげで、私は毎日安心して過ごせるわ」


「いえいえ。あやかしを祓うことなど、俺にとっては朝飯前です!」



そう言って、自慢げに語る九垓。


すべてのあやかし祓いの手柄は九垓だった。



もちろん、それは一鈴も承諾済みで、そんな会話を聞きながら『いつも嘘がうまいなぁ』と一鈴は感心しながら苦笑いを浮かべるのだった。



一鈴は眞美とも関わることが多く、九垓の話を聞くことがあった。



「九垓って、まだ若いのに凄腕のあやかし祓いなの。九垓の家系で最も優秀な力の持ち主なの」


「…ええ!?九垓さまが!?」



その話に、思わず一鈴は声を漏らしてしまった。


あのポンコツ九垓が、最も優秀な力の持ち主なはずがない。



「そんなに驚くこと?一鈴も九垓の力のすごさはそばで見て知っているでしょう?」


「あー…。…はい、そうですね」



一鈴はぎこちなく笑う。


『九垓さまが使っている技はすべてはわたしの力です』とは、口が裂けても言えなかった。



一鈴が見る限り、九垓はあやかし祓いとしてだけでなく、人間的にもポンコツなところは多々あった。



隙があれば昼寝をしたり、ぼけっとしていることが多く物忘れも多い。


嘘というか、本心では思っていないようなことも息を吐くように自然と出てくる。



言っていることは適当であるが巧みな話術であるため聞こえもよく、社交的な性格から人当たりもよく人望も厚い。


世渡り上手とはこのことだ。



ただ、一鈴の前ではただのポンコツと成り下がっている。


とても、眞美や周りが言うような最強あやかし祓いには見えない。




そんなある夜。


一鈴はただならぬ殺気を感じて目が覚めた。



部屋から飛び出すと、ちょうど九垓も部屋から出てきたところだった。



「九垓さま、この感じ…!」


「ああ。とんでもないやつが現れたみたいだな」



ポンコツでも、さすがの九垓もこの気配は感じ取ったようだ。



外へ出た一鈴と九垓は、思わずそこで足を止めた。


なんと、山のように大きなあやかしが月明かりの下にたたずんでいたのだった。



これほどまでの大きさのあやかしは一鈴は見たことがなく、思わず足がすくんだ。


あやかしはゆっくりと歩きながら眞美がいる紅宮へと向かっていた。



「とんでもねぇバケモンだな。よほど、眞美さまを疎ましく思う人間の感情が凝縮されてるんだろうな」


「あんなあやかしが眞美さまに取り憑いたら…」


「取り憑くどころじゃねぇ。近づくだけで、眞美さまが呪われる可能性だってある!」



そう言うと、九垓は一目散にあやかしの前へと回り込んだ。


あんなふうに焦った表情の九垓は初めて見た。


一鈴も、慌てて九垓に続く。



「おい、バケモノ!俺が相手だ」



九垓はあやかしを挑発する。


深夜ではあるが、どこでだれが見ているかもわからないため、九垓が印を結ぶパフォーマンスをして、その陰から一鈴が技を繰り出す。



2人の息は徐々に合うようになり、本当に九垓が技を出しているように見える。



一鈴は、かまいたちを起こしてあやかしの体を切り裂く。


しかし、切れたそばからあやかしの体は再生した。



「なに…!?」



あまりにも速い再生能力に九垓も驚いている。


そのあとも一鈴が連続して技を出すが、このあやかしにはほとんど効いていなかった。



早く滅しなければ、眞美さまに危害が及ぶ…!



そのことに頭がいっぱいだった一鈴は気づいていなかった。


真横から、大きく振りかぶったあやかしの拳が飛んでくることに。



「危ないっ、一鈴…!!」



あやかしは、一鈴を軽々と殴り飛ばした。


そのまま一鈴は壁に叩きつけられる。



本来なら、その衝撃で死んでいたっておかしくはなかったが、一鈴は直前に気づいて威力を和らげる技を発動していたため、なんとか命は助かった。


しかし、気絶寸前でとてもこれ以上戦える状態ではない。



だが、この場にいるのはポンコツあやかし祓いの九垓のみ。


ちょっとしたあやかしさえも滅することができない九垓に、こんなあやかしが倒せるはずがない。



自分がやらなければ…。



そう思うも、体は言うことを聞かない。



なんとか意識を保とうとする一鈴に対して、あやかしはゆっくりと歩み寄る。


そうしてトドメを刺すため、鋭い爪がついた手を一鈴に向かって振り下ろした。



なんとか意識を保っていた一鈴だったが、このときばかりは死を覚悟した。



――そのとき。



「てめぇ、うちのかわいい弟子になにしようとしてんだ」



そんな声が聞こえたような気はしたが、一鈴はそのまま気を失ってしまった。




一鈴ははっとして目が覚めた。


気づいたら、自分の部屋の(しょう)の上で横になっていた。



起き上がろうとしたが全身に痛みが走り、すぐに牀の上に倒れる。



「おっ、やっと目覚めたか」



そこへ、ちょうど九垓が部屋に入ってきた。


窓の外を見ると、まだ薄暗かった。



「夜明け…ですか?」


「違ぇよ。もうすぐ夜だよ」


「夜…!?」



どうやら、一鈴は半日以上眠っていたようだった。



「…そういえば!あのあやかしは!?眞美はご無事で!?」


「ああ、大丈夫だ。あやかしはいなくなった。昨晩のことを知っているのは俺とお前だけだ」


「そうですか、よかったです。…が、いなくなったとは……」


「それはあれだよ。俺がちょいっと技をかましてやって――」


「あー…はいはい、わかりました」



九垓の嘘に付き合うのが面倒で、一鈴は話を遮った。


なぜなら、九垓の戯言と思っていたから。



ポンコツあやかし祓いが、あれほどの大きさのあやかしを倒せるはずがない。


運よくなにかが起こって消滅したのだろうか。



一鈴は顎に手を当てて考え込んでいた。



「…悪かったな」



ふとそんな声が聞こえて一鈴は顔を上げる。



「俺がお前をあやかし祓いの見習いにさせたことで、昨日あんな危険な目にあわせちまって…」


「…なっ、急になにを言い出すのですか。わたしがいなければ、そもそも九垓さまは瞬殺されてましたよ?」


「おー、言ってくれるねぇ」


「はい。九垓さまはポンコツなので」



それを聞いて、九垓はフッと口角を上げる。



「いいんだぞ。ここで辞めても」



九垓が一鈴を見つめる。


それは、これまでのふざけた表情ではなく真剣だった。


一鈴はつばをごくりと飲み、息を吸う。



「辞めませんよ。乗りかかった船です。それに、その船に乗せてきたのは九垓さまです。最後まで、ちゃんとわたしの面倒は見てもらいますよ」



一鈴のその言葉に九垓は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。



「わかったよ。どうやらお前は俺がいないとダメみたいだからな。しゃーなし、面倒見てやるよ」


「そばにいないとダメなのは九垓さまのほうでしょう」


「ほんとお前、言うようになったなぁ。かわいくねぇ」



九垓は立ち上がると、「水を入れてくる」と言って部屋を出た。


そして、九垓は閉めた扉を背にもたれかかる。



「…ゴホッ、ゴホッ!」



咳き込んだ九垓だったが、その手には血がついていた。


それを見て、苦笑いを浮かべる九垓。



「やっぱり、無理に力を引き出したのがまずかったか。…まあ、あいつを守るのに出し惜しみできる状況でもなかったしな」



九垓はそうつぶやき、血がついた手のひらをぐっと握りしめた。



「俺に力さえ戻れば、あいつがあんな目にあわずに済んだっていうのに…!クソッ!」



扉の向こう側で、悔しそうに言葉を漏らす九垓を一鈴が知るはずもなかった。




こうして、一鈴はその後も九垓のあやかし祓いの見習いとして仕えることとなった。


これから多くのトラブルに巻き込まれることになるなんて、このときの一鈴はまだ知らない。

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