第13章 第3章:臆病者のリスク管理
シュペルク: 「……ひ、ひぃ、ひぃ……。フローレン様、もう一度だけ確認させてください。俺、さっきからこの、小指の爪くらいの出っ張りに全体重を預けてるんですけど、これ、本当に折れませんよね? もしこれが『パキッ』って言ったら、俺の人生もそこで『おしまい』って音を立てるんですけど!」
フィビアス: 「シュペルク、その質問はこれで14回目です。その岩の硬度は私が先ほど魔法で測定しました。あなたの体重の3倍の負荷をかけても損壊する確率は0.02%以下です。……それよりも、震えすぎて岩を蹴らないでください。あなたが落とした小石が、さっきから私の鼻先をかすめているんです。非常に不愉快です。」
フローレン: 「ふふ、いいよシュペルク。もっと怖がって。もっと慎重になって。……フィビアス、彼を責めないであげて。実は、この『臆病さ』こそが、死の境界線に立つクライマーにとって最も純粋で、最も価値のある才能なんだから。」
シュペルク: 「えっ!? 才能? 俺のこの、情けないくらいガクガク震えてる膝がですか? アイゼン師匠からは『戦士ならもっとドシッと構えろ』っていつも怒られてたのに……。」
フローレン: 「それは戦場での話でしょ。でもここは、意志を持たない巨大な自然が相手だ。……かつて、アレックス・オノルドという男がいた。彼は数百メートルの絶壁を、ロープもなしに、たった一人で登り切る『フリーソロ』という、正気の沙汰とは思えないスタイルを貫いたクライマーだよ。 世間の人々は彼を『恐怖を知らない怪物』だと思った。でも、本当は逆だったんだ。彼は誰よりも恐怖に対して誠実で、誰よりも臆病だった。」
フィビアス: 「……恐怖に対して誠実、ですか。それは、自分の弱さを直視しているという意味でしょうか。」
フローレン: 「そう。彼はね、自分が死ぬかもしれないという可能性を、1ミリも無視しなかった。 彼は何年もかけて、登る予定の岩壁にある数千ものホールドをすべて暗記し、ノートに書き留めた。どの指で、どの角度で、どのくらいの力を込めるか。すべてのリスクを事前に洗い出し、ロジックで解体して、自分の恐怖が『未知』から来るものでなくなるまで徹底的に準備したんだ。彼にとって、壁を登ることはギャンブルじゃなかった。完璧に構築された『ルーチン』の実行だったんだよ。」
シュペルク: 「……すべての動きを、ノートに? そんなの、気が遠くなるような作業じゃないですか。」
フローレン: 「それが『コントロールされた勇気』の正体だよ。 シュペルク、君が今感じている恐怖は、君に『もっと準備をしろ』『もっと注意深く動け』と命令している生存本能だ。 逆に、根拠のない自信を持って『いけるいける!』なんて笑いながら登る奴は、クライマーとしては三流以下だね。そういう人間から先に、山の神様に連れて行かれちゃう。 一流ほど、自分の実力と岩の状況を冷徹に、客観的に評価する。彼らは感情に流されて『行ける気がする』とは言わない。データと経験に基づいて『行けることが確定している』時にだけ、次の一手を出すんだ。」
フィビアス: 「客観的なリスク評価……。確かに、シュペルクはいつも最悪の事態を想定して、自分に何ができるかを必死に探していますね。それがこれまでは単なる『弱気』に見えていましたが、この壁の上では、それが冷徹なシミュレーションとして機能しているわけですか。」
シュペルク: 「……そうか。俺が震えてるのは、俺が弱いからだけじゃない……。俺の体が、必死に生き残るための道を、この岩肌から探そうとしてるからなんだな。」
フローレン: 「その通り。君のその注意深さは、パーティ全体の生存率を上げている。 クライマーの性格特性として、研究では『誠実性』と『開放性』が高いことが示されている。 誠実性……つまり、ルールを重んじ、緻密に計画を立てる力。そして開放性……新しい状況に対して柔軟に適応する力。 君はその両方を持っている。……シュペルク、今の君なら、さっきの難所よりもさらに高い場所へ行けるはずだよ。 自分の恐怖を信頼してごらん。それは君を裏切らない、最も忠実な相棒だ。」
シュペルク: 「……恐怖を信頼する、か。なんだか変な気分だけど、少しだけ、楽になりました。 フィビアス、次の支点になりそうなところを見つけた。あそこまで行けば、少し腰を落ち着けられる。……俺が先に行って、ロープを固定する。……見ててくれよ、世界一臆病な戦士の、世界一慎重な登りを!」
フィビアス: 「……。はい、見ています。……フローレン様、シュペルクの背中が、少しだけ大きく見えますね。 アイゼン様の背中を追っていた子供ではなく、自分の足で死地を歩く、一人の男の背中に。」
フローレン: 「人間は面白いね。 1000年経っても、その『弱さ』が『強さ』に反転する瞬間だけは、見ていて飽きることがないよ。……さて、シュペルクが道を作ってくれた。私たちも行こうか。 フィビアス、君も足元には気をつけて。エルフの私にできるのは、君たちの成長を見守ることだけなんだから。」
フィビアス: 「分かっています。……それにしてもフローレン様、あそこの岩の隙間に、何やらキラキラしたものが……」
フローレン: 「えっ!? どれ!? ミミックじゃないよね!? 宝箱の罠じゃないよね!?」
フィビアス: 「……。……ただの水晶の欠片でした。行きましょう、フローレン様。集中力が切れていますよ。」
フローレン: 「……。……ちぇっ。」




