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第6章:神の意志と自己責任 ―― 運命論から能力主義へ


【場所:北側諸国・深き森に眠る統一帝国時代の聖域遺跡】


(一行は、苔むした巨大な石碑が立ち並ぶ広場にいた。石碑には、神に祈りを捧げ、過酷な運命を静かに受け入れる人々の姿が刻まれている)


シュペルク:「……なあ、フローレン様。この石碑に描かれてる人たち、みんななんだか……妙に晴れやかな顔してないか? 洪水とか、戦争とか、どう見ても酷い目に遭ってる最中なのに」


フィビアス:「……確かに。抗う様子もなく、ただ膝をついて空を見上げていますね。今の私たちからすれば、もっと他にできることがあるのでは、と思ってしまいますが」


フローレン:「それは私たちが『努力すれば報われる』という時代に生きているからだよ。この石碑が作られた数千年前……古代や中世の人間にとって、あきらめは敗北じゃなく、**『徳』**だったんだ」


シュペルク:「あきらめるのが、立派なことだったのか? 全然ピンとこねえな。俺たちの師匠なら『死ぬ気で抗え』って言いそうだ」


フローレン:「そうだね。でも、かつての世界はもっと残酷で、人間の力が及ばないものに満ちていた。飢饉、疫病、そして魔王の軍勢……。当時の人々は、それらを個人の力ではどうにもできない『神の意志』や『宿命さだめ』として捉えていたんだ。これを歴史学や社会学では**『宿命論的あきらめ』**と呼んでいるよ」


フィビアス:「……神様が決めたことだから、仕方がない。そう考えることで、彼らは救われていたのでしょうか」


フローレン:「そうだよ、フィビアス。あきらめることは、責任を自分から切り離すことでもあった。『自分が至らないから失敗した』のではなく、『神がそう望んだからこうなった』と考える。そうすることで、彼らは過酷な現実の中でも、自責の念に押し潰されずに済んだんだ。この時代のあきらめは、魂の安らぎを守るための盾だったんだよ」


シュペルク:「なるほどな……。でも、今は違うんだろ? 今の村じゃ、みんな『頑張れ』とか『あきらめるな』って口癖みたいに言ってるぜ」


フローレン:「近代になって、魔法や科学、そして社会制度が発展したことで、人間は『自分の力で環境を変えられる』という自信を持ってしまった。それが**『能力主義メリトクラシー』**の始まりだね」


フィビアス:「能力主義……。頑張った人が、頑張った分だけ報われる。一見、とても公平で素晴らしい考え方に聞こえますが」


フローレン:「光があれば影もあるよ。能力主義が支配する今の時代において、あきらめることは『自己責任』という刃に変わったんだ。『あきらめるのは、お前の努力が足りないからだ』『お前が成功しないのは、お前の才能がないからだ』……。かつて神のせいにできていた不幸が、すべて個人の責任として突きつけられるようになった。これは、古代よりもある意味で残酷な時代だね」


シュペルク:「……うわ、きついな。確かに、俺も修行がうまくいかないとき、『俺がダメなんだ』って自分を責めてばかりだ。昔みたいに『神様のせいだ』って言えたら、どんだけ楽か……」


フローレン:「だからこそ、現代の若者の中には、新しい形のあきらめが生まれている。過度な期待を最初から持たないことで、傷つくのを未然に防ぐ……いわゆる**『防御的あきらめ』**だね。何かに熱くなることを避け、最初から『さとり』を開いたかのように振る舞う。それは、能力主義という競争社会に対する、彼らなりの生存戦略なんだよ」


フィビアス:「……あきらめることを、武器にしているのですね」


フローレン:「そうだね。でもね、時代がどう変わろうと、エルフの私から見れば変わらない真実がある。人間はいつの時代も、**『変えられないものを受け入れる勇気』と、『変えられるものを変える勇気』**の狭間で揺れ動いている。古代の人は『変えられるもの』まで神のせいにしてあきらめすぎていたかもしれない。現代の人は『変えられないもの』まで自分の責任だと思ってあきらめなさすぎているかもしれない」


シュペルク:「……ちょうどいい塩梅が難しい、ってことか」


フローレン:「その通り。ヒンメルはよく言っていたよ。『あきらめるのは最後でいい。でも、あきらめた自分を嫌いになる必要はない』ってね。彼は、運命に抗う強さと、限界を受け入れる優しさを両方持っていた」


フィビアス:「勇者様……。彼は、時代に流されず、自分なりの『あきらめ』の境界線を持っていたのですね」


フローレン:「ああ。この石碑を描いた人たちも、きっとただ絶望していたわけじゃない。自分たちの力が及ばない宇宙の大きな流れ――それを信じることで、今日一日を穏やかに生きようとしたんだ。それもまた、一つの強さだよ」


シュペルク:「……なんだか、ちょっとだけ肩の荷が下りた気がするぜ。俺がヘッポコなのも、少しは『時代のせい』とか『神様のせい』にしてもいいってことだろ?」


フィビアス:「それは単なる逃げです、シュペルク様。あなたはまだ、神様のせいにするほど努力の限界に達していません」


シュペルク:「げっ! 厳しいな、フィビアスは……」


フローレン:「ふふ。でも、そうやって言い合えるのも、この平和な時代の特権だね。……さて、この石碑の裏に隠された隠し通路を見つけるまでは、私はあきらめないよ。これは神の意志じゃなく、私の好奇心の追求だからね」


フィビアス:「……はいはい。フローレン様の好奇心は、どの時代の宿命よりも強固ですからね。お供しますよ」


フローレン:「ああ。時代が変わっても、あきらめきれない宝探しは続くんだ。……あ、シュペルク、そこ踏むと矢が出るよ」


シュペルク:「えっ、うわあああ!(矢を避けて転倒する)」


フローレン:「……うん。彼の不運は、神の意志というより、単なる不注意(自己責任)だね」


フィビアス:「同感です」

古代・中世(宿命論): あきらめを「神の意志」や「徳」として肯定的に捉える。個人の無力さを受け入れることで精神の平穏を保っていた時代。


近代(能力主義・メリトクラシー): 「努力すれば報われる」という価値観の台頭。あきらめが「悪」や「自己責任」と見なされ、個人の心理的負担が増大した時代。


現代(防御的あきらめ): 競争社会での挫折を避けるため、最初から期待値を下げる「さとり」のような生存戦略。


倫理的な統合: ニーバーの祈り(変えられないものを受容し、変えられるものを変える知恵)に近い思想を、フローレンが勇者ヒンメルの言葉として代弁。

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