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第38章 江戸時代にタイムスリップ 「江戸時代の牢屋敷(小伝馬町牢屋敷)」

場所: 北の諸国を旅する途中、廃村に残された古い書庫 時間: 雨宿りを兼ねた休息中




フローレン:「……ふむ。これはまた、興味深い魔法……ではなく、社会制度の記録だね。」


フィビアス:「フローレン様、その埃っぽい本、まだ読んでいたんですか? もう雨も小降りになってきましたし、そろそろ出発の準備を……」


フローレン:「待ってよフィビアス。この『江戸』という東の国の記録、凄まじいよ。人間という種族が作り出した、ある意味で最も効率的で、かつ非合理的な『地獄』の様子が書かれている。」


シュペルク:「地獄? また魔族の話かよ……。俺、もう強い魔物と戦うのは勘弁だぜ? こないだのドラゴンだって死ぬかと思ったんだから。」



フローレン:「魔物じゃないよ、シュペルク。これは人間の話だ。『小伝馬町牢屋敷こでんまちょうろうやしき』。かつて東の島国に存在した、罪人を収容する施設の記録さ 。」


フィビアス:「罪人の収容施設……いわゆる牢屋ですね。それがどうして『地獄』なんですか? 罪を犯した人が入る場所なら、多少の不自由は当然でしょう。」



フローレン:「多少の不自由、か。フィビアス、この牢屋敷、広さはそれなりにあるけれど、収容人数は常時300人から400人程度だったそうだ 。ここまではいい。でもね、驚くべきことに、ここでは毎年1000人以上の死者が出ていたらしいんだ 。」


シュペルク:「はあ!? ちょっと待てよ。300人しか入れないのに、毎年1000人死ぬって……計算が合わなくねーか? 全員が年に3回入れ替わって、その全員が死んでる計算になるぞ。」



フローレン:「そう。つまり、入ったら最後、生きて出るのが極めて困難な『サバイバル空間』だったということさ 。まさにデスゲームだね。」


フィビアス:「……その死亡率は異常ですね。疫病か何かが蔓延していたのですか?」



フローレン:「それもあるけれど、まずはシステムの欠陥だね。この時代の刑罰には『懲役』や『禁錮』という概念がなかった 。つまり、『お前を3年間牢屋に入れる』という刑罰が存在しないんだ。ここはあくまで、判決が出るまで、あるいは処刑が決まるまで身柄を拘束しておく『未決囚』のための施設だったんだよ 。」


シュペルク:「へえ、今の拘置所みたいなもんか。でも、それなら裁判が終われば出られるんだろ? なんでそんなに死ぬんだよ。」



フローレン:「環境が劣悪すぎるからさ。まず、牢屋の中には身分制度が持ち込まれていた。武士や僧侶、医師といった身分の高い者は『揚座敷あがりざしき』や『揚屋あがりや』と呼ばれる個室に入れた 。彼らは布団もあれば、付き人の給仕も受けられたらしい 。」


フィビアス:「お金や身分がある人は優遇される。人間の社会ではよくあることですが……問題は一般庶民ですね。」



フローレン:「そう。庶民が入れられる『大牢たいろう』や、無宿人(戸籍のない者)が入れられる『二間ド(にけんどう)』は地獄だよ 。特に二間ドは畳すらなく、板敷きの床に人がすし詰め状態にされる 。」


シュペルク:「うわ、板敷きで雑魚寝かよ。冬とか絶対寒いじゃん。」



フローレン:「寒いどころじゃないよ。冬の寒さに耐えきれず病死する者が続出したそうだ 。それに衛生環境も最悪で、皮膚病が蔓延していた 。食事は朝夕の二回、玄米と汁物、漬物程度 。これじゃあ、体力が落ちて死ぬのも無理はないね。」


フィビアス:「不潔で寒くて飢える……。想像するだけで肌が荒れそうです。でもフローレン様、単に環境が悪いだけで年間1000人も死にますか? 何か人為的な力が働いているような気がしますが。」



フローレン:「さすがフィビアス、勘が鋭いね。この牢屋敷、実は幕府の役人ではなく、囚人自身が支配する自治社会だったんだ 。」


シュペルク:「囚人が支配? 看守は何してんだよ。」



フローレン:「『石出帯刀いしでたてわき』という世襲の牢屋奉行が管理はしているけれど、実際の牢屋の中までは干渉しない 。牢屋の中には『牢名主ろうなぬし』と呼ばれる囚人のボスが君臨していて、その下に数人の部下(牢内役人)がいて、独自の掟で支配していたんだ 。」


フィビアス:「閉鎖空間での絶対的な権力者……一番タチが悪いパターンですね。」



フローレン:「新入りが入ってくると、まず『洗礼』がある。牢名主たちの前で、決まった作法で挨拶をさせられ、さらに『キメ板』という板で尻を叩かれる 。」


シュペルク:「い、痛そう……。なんでそんなことすんだよ。」



フローレン:「上下関係を体に教え込むためさ。そして、ここで最も重要なのが『命のいのちのつる』と呼ばれるものだ 。」


シュペルク:「命の鶴? なんだそれ、アイテムか?」



フローレン:「賄賂だよ、シュペルク 。」


シュペルク:「……世知辛ぇ。」



フローレン:「牢内役人に渡すお金の金額によって、牢屋での居心地が決まるんだ。お金を持っていれば畳の上で寝られるけれど、持っていないと板の間で虐げられる 。だから、みんな捕まる時に必死で隠したらしいよ。着物の縫い目に金貨を縫い込んだり、あるいは飲み込んだりしてね 。」



フィビアス:「飲み込んでまで……。まさに『地獄の沙汰も金次第』を体現したような場所ですね 。」



フローレン:「お金がない、あるいは病弱、態度が悪い……そう判断された囚人はどうなると思う? 牢屋が混んでくると、『作造り(さくづくり)』が行われるんだ 。」


シュペルク:「作造り? なんだか響きは職人技みたいだけど……。」



フローレン:「口減らしのための組織的な暗殺さ 。夜、明かりのない真っ暗な牢屋の中で、ターゲットにされた囚人がリンチされたり、首を絞められたりして殺される。理由は『いびきがうるさい』なんてことでも十分だったらしい 。」


シュペルク:「ヒッ……! いびきかいただけで殺されるのかよ! 俺、疲れてる時とか結構いびきかくってアイゼン師匠に言われてたし……絶対無理だ、その牢屋!」


フィビアス:「シュペルク様なら、物理的な攻撃には耐えられそうですけど、精神的に参ってしまいそうですね。『僕もう死にます』って泣き言を言って、うるさいから殺される未来が見えます。」


シュペルク:「縁起でもねえこと言うなよフェル……いやフィビアス!」



フローレン:「さらに、生き残ったとしても待っているのは『拷問』だ 。この時代は証拠よりも『自白』が重視されていたからね。自白を引き出すために、それはもうクリエイティブな苦痛の与え方が開発されていたんだよ。」


シュペルク:「聞きたくねえ……聞きたくねえけど、どんなのだよ。」



フローレン:「まずは『笞打ち(むちうち)』。これは序の口だね 。次が『石抱き(いしだき)』。三角に尖った木材の上に正座させられて、膝の上に重さ約45kgの石を次々と積まれていく 。」


シュペルク:「45kg!? それを膝に!? 膝の皿が割れるだろ!」



フローレン:「5〜6枚乗せると、ほとんどの人が気絶したそうだ 。それでも口を割らないと、次は『海老責め(えびぜめ)』。後ろ手に縛った状態で、足を無理やり曲げて顎につくくらいまで締め上げる 。体がエビみたいになるからそう呼ばれたらしい。」


フィビアス:「関節の可動域を無視した拘束ですね。靭帯が断裂しそうです。」



フローレン:「そして極め付けが『釣責め(つりぜめ)』だ。両手を後ろで縛って、天井から吊るす。自分の体重がすべて腕と肩にかかるから、時間が経つにつれて縄が肉に食い込み、数時間もすると足先から血が吹き出したというよ 。」


シュペルク:「ギャアアアア! やめろ! 想像力が豊かなんだよ俺は! 足先から血が吹くってどういう原理だよ! 怖すぎるだろ!」


フィビアス:「……シュペルク様、声が大きいです。でも、確かに凄惨ですね。冤罪でも、その苦痛から逃れるために嘘の自白をしてしまう人が大勢いたでしょうね。」


フローレン:「そうだね。人間は痛みには弱い。魔法で精神を守る術を持たない彼らにとって、それは魂を削るような時間だったはずだ。……でもね、そんな絶望的な場所でも、人間の『芯』のようなものが見える出来事があったんだよ。」


シュペルク:「……なんだよ。まだ怖い話があるのか?」



フローレン:「いや、これは少し不思議な話さ。『明暦の大火めいれきのたいか』という、江戸の町を焼き尽くす大火事があった時のことだ 。」


フィビアス:「火事……。牢屋は逃げ場がありませんね。全員焼死してしまいます。」



フローレン:「そう。火の手が小伝馬町牢屋敷にも迫り、100人以上の囚人が焼け死ぬ危機に瀕した 。その時、牢屋の責任者だった石出帯刀吉深いしでたてわき・よしかわは決断を迫られた。『このまま囚人を焼き殺すのは惨すぎる』とね 。」


シュペルク:「でも、逃したら自分が処罰されるんじゃないか? 罪人を野に放つなんて。」



フローレン:「その通り。独断で囚人を解放する権限なんて彼にはなかった。下手をすれば彼自身が切腹……つまり死刑になる可能性もあった 。それでも彼は、牢の門を開け放ったんだ。『切り放ち(きりはなち)』と呼ばれる措置だね 。」


フィビアス:「自分の命を賭けて、罪人たちを救ったのですか。合理性だけで動く人間にはできない判断ですね。」



フローレン:「彼は囚人たちにこう言った。『火が収まったら、必ず浅草の善慶寺ぜんけいじに戻ってこい』と 。戻らなければ自分が処罰される。それでもお前たちを信じて逃がす、とね。」


シュペルク:「……ですげえ話だな。でも、罪人だろ? そのまま逃げちまえば自由になれるのに、戻ってくるやつなんているのか?」



フローレン:「それがね、シュペルク。解放された囚人たちは、火事が収まった後、約束通り善慶寺に集まったんだ 。ほとんど全員がね。」


シュペルク:「マジかよ……! 地獄みたいな牢屋に戻るために帰ってきたのか?」



フローレン:「石出帯刀の覚悟と情けに、彼らも義理で応えたんだろうね。人間というのは、時として損得勘定を超えた行動をとる。この結果、石出帯刀は処罰されるどころか、その判断を高く評価された 。そしてこれ以降、災害時には囚人を一時解放する制度が正式に採用されたんだ 。」


フィビアス:「……少しだけ、救いのある話ですね。極限状態での信頼関係ですか。」



フローレン:「そうだね。人間の一生は短いけれど、その中で見せる一瞬の輝きは、僕たちエルフにはない激しさがある。この『切り放ち』の精神は、現代の法律にも受け継がれているらしいよ 。」


シュペルク:「へえ……。最初は胸糞悪い話だったけど、最後はちょっといい話だったな。その石出って人、すげえおとこだな。」


フローレン:「うん。人間を知る旅の中で、こういう記録に出会えるのは悪くないね。……さて、この本には他にも『拷問蔵の隠し通路』についての記述があるんだけど、もしかしたらそこにお宝が……」


フィビアス:「ありません。行きませんよ。」


シュペルク:「挿絵を見る限り、その隠し通路の先にある箱、ギザギザの歯がついてるぞ。絶対ミミックだろ!」


フローレン:「確率は五分五分だよ、シュペルク。中身が伝説の魔導書かもしれないじゃないか。」


フィビアス:「99割ミミックです。さあ、本を戻して出発しますよ、フローレン様。日が暮れてしまいます。」


フローレン:「むぅ……。フィビアスは厳しいなぁ。じゃあ、この『石抱き』の真似をして、シュペルクの膝の上に僕の鞄を乗せてみようか。」


シュペルク:「やめろ! お前の鞄、ガラクタばっか入ってて石より重いんだよ! 拷問だ!」


フィビアス:「ふふっ。では、行きますよ。」


(三人は古い書庫を後にし、再び旅路へと戻っていく)

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