早咲きカカオ
✾◊◊◊◊
「お母さん。わたし、進路誤ったわ……!」
ゆったりと流れる休日の午後。わたし、阿良川真はテーブルに突っ伏した。
冬のやさしい日差しが窓からこぼれている。それを、母の瑞奈は対極的なまなざしで打ち払った。
「は? 何よ突然。まだそんな時期じゃないでしょ」
瑞奈が振り向いたのは、ほんの一瞬。ふたたび鼻歌まじりにクッキーを焼くための下準備を始める。
小ざっぱりとしたショートカットは真と同じサラサラの直毛。耳たぶの先にはシンプルなジルコニアのピアスが揺れている。歌のリズムにあわせ、粉をふるい、室温に戻したバターを木べらでこね、白っぽくなるまで丁寧に砂糖と混ぜている。
あまく香る、焼き上がりの予感にどこか気持ちを引っ張られつつ、それでも真は言い募った。
「ほら、若気の至りってあるじゃない。わたしもそうだったんだよ。二年前のわたし、どうかしてた」
「呆れた。中学受験のこと? 親の心配もよそにあんた、ひょっこり難関通過したじゃない。しかも手元のそれ……『高校入試のための総復習』?? おっかしくない?」
「いや、これは……先手必勝って言うし」
「要らないでしょ。中高一貫なのに」
「学外、受けるかもしれないじゃん」
ぼそり、とした呟きは当然のように地獄耳の母に拾われた。
「はいはい。そーいうのはせめて、三年になってからね。二年生さん。あ、オーブン予熱しておいて。由佳子たちが来るころには焼き上げたいわ」
話しながら生地をこね、ラップでひとまとめにした瑞奈は、手際よくそれを冷蔵庫にしまった。
「はぁい」
真は気のない返事で立ち上がり、すぐ横にあるオーブンレンジの余熱を180℃に設定した。
ブゥン……と鳴る電子音とともに溜め息をつき、テーブルに散らかした参考書やペンケースを流し見る。
(ひょっとしたら、何もかも遅かったのかも。だからこそ後悔してるわけで。焦りもするわけで……)
自然と眉はひそみ、唇はへの字ぐち。こんな状態で勉強が捗るわけもない。
リビング学習に早々に目処をつけた真は文具を片付け、冊子を閉じた。
エプロンを外した瑞奈は嬉々と声をかける。
「ねえ。もう、掃除も終わったからすることないし、着替えたら? さっき、メッセージ来たわよ。輝君、部活休んで一緒に来るって」
「わ……わかってるわよッ!? いいいま、着替えようと」
声が裏返ったのが格好悪くて、突っ込みどころが満載すぎて勝手に顔が熱くなる。
真は、何かを言われる前にと自分の部屋へ逃げ込んだ。
――――現在の時刻、十三時十六分。
爆発四散(※比喩)まで、あと一時間四十四分。
◊✾◊◊◊
遡ること四ヶ月前。
晴れ渡った十月の空の下、真は母に連れられて隣町を訪れた。輝が通う中学校の文化祭だった。
瀬名輝は幼なじみだ。ありがちだけれど親同士の仲が良いため、互いの家に行き来があった。
基本的に飾り気のない黒髪直毛日本顔の母と異なり、ふわっとした茶髪に色素の薄い瞳の由佳子おばさんは、どう見てもお洒落で物腰柔らか。ついでに超が付くほど美女だった。
当然、ひとり息子の輝の顔も可愛い。造りが繊細で小柄だったため、小学生のころはよく女の子に間違われていた。出かけるたびにピンクの風船を渡されたり、店員さんから女児用の服を勧められたり。それは不憫な目に遭い続けたものだ。
憮然とする彼を庇い、「違うよ。この子は男の子だよ」と訴えるのは概ねわたしの役割で。
『ごめん、真ちゃん』
『ううん。いいよ、輝』
大きな瞳で見上げてくるあの子と手を繋ぐまでがワンセット。
わたしのほうが大きかったし、お姉さんだったから。
でも――いつしか。
わたしは、瀬名さんご一家と会わなくなった。短期集中型の塾に通うようになったのだ。
中学生になったわたしは、さらに忙しくなった。一目惚れした薙刀部に入り、朝夕みっちり鍛錬の日々。文武両道をモットーに掲げる先生の方針で成績を下げるわけにいかず、学習を兼ねた強化合宿なんてものまであった。怒涛の二年弱だった。
おかげで薙刀はめきめきと上達した。最初の三ヶ月で筋肉痛になることも減り、一年の秋には団体戦に出場。二年の春には個人で県のベスト四になった。かなり頑張ったほうだと思う。
でも――それらは大いなる判断ミスだったのでは? と、頭を抱えた。
再会した輝は、成長期を迎えていた。
そして、やたらとモテていた。
『あ、真ちゃん! 久しぶり。僕だよ、わかる?』
廊下の向こうからうれしそうに駆けてくる少年は、間違いなく輝だった。
規定通りの黒い学ランを崩さず、きちんと着ている。私立のゆるい茶系ブレザーを見慣れた真には、それすらまぶしい。文字通り輝く笑顔の彼は声変わりまで終えており、がくぜんとした。
真は輝の顔を正面から真っ直ぐ見つめた。身長差がほとんどなかったのだ。
かろうじて『久しぶり』とだけ答えると、いつの間にか追いついた女子が、輝の後ろから不服そうに学ランの袖を引っ張った。
『ねぇ瀬名くん、交代の時間だよ? 戻らなきゃ』
『あ――。わかった、引っ張らないで。ごめんね真ちゃん、またあとで! 僕、科学部なんだ。展示見に来て。理科室にいるから』
『う、うん』
絶対に来てねー! と、念押ししながら去る輝の背中を隠すように、呼びに来た女子もあとを追う。
くちを開けてぽかん、と見守る真の耳に、母と由佳子おばさんの声がぼんやりと届いた。
――……また大きくなったのね。男の子だわあ。
――……一丁前にモテモテみたいよ。本人は……
ショックのあまり、由佳子おばさんの声が遠のく。周囲のざわめきばかりがノイズみを増して響く。
真は胸を押さえた。
まさか、そんな。輝なのに。
(でも、じゃあ何故)
“輝なのに”が、“輝だから”になるのに時間はかからなかった。せいぜい数十秒だろう。
正直、モヤッとした。寂しくなった。
あふれる利己的な気持ちに気がついて、さらにびっくりした。慣れない単語を口走りそうになる程度には。
『これ、こ、恋ッ……!?』
『どうしたの真。へんな顔して。鶏の真似?』
『違う! 放っといて』
『まぁまぁまぁ、真ちゃん。みーちゃんも。そんな言い方しちゃだめよ』
母とおばさんの二人がかりで宥められ、真は、真っ赤になった頬を手のひらで隠した。
◊◊✾◊◊
(結局、あの日はろくに話せなかったんだよね。輝のまわりは女の子が多すぎた……)
二階の自室で姿見に見入る。
前髪は眉まで。ストレートの髪は肩下。つんつんして見えるきつい顔立ち。ぜんぜん可愛くない。意識もしていなかったし、クラスの男子から言い寄られることももちろんない。ぼっちとまでは行かないが、部活の友だち以外とはあまりつるまない。はっきり言って、人好きはしないだろう。この容姿と性格で。
「着替えると言っても、ねぇ」
部屋着のスウェットはさすがに。それだけだ。
クローゼットの中身とにらめっこし、真は苦心して白のニットとチャコールグレーのジャンパースカートを選んだ。これなら幅の広いプリーツでロングだし、部活で着慣れた袴と似ていて落ち着く。脚には隙なく黒タイツ。
ささっと髪を整えて、良し。
(……)
部屋を出る前、気まぐれで机の上に置いてあった、ほんのり色づくリップだけを唇に乗せた。
もう、どうにでもなれの心境でドアノブに手をかけた――――ところで、心臓を跳ねさせるチャイムが鳴った。
「いらっしゃい由佳子! ハッピーバレンタイン!」
「こんにちは、みーちゃん。お招き……きゃあ!!」
焼きたてのクッキーが香ばしい匂いを運ぶ玄関で、出迎えた瑞奈と客の由佳子が挨拶もそこそこに抱擁し合う。それを、それぞれの夫がほのぼのと見守る図。(※正確には、由佳子は瑞奈に抱きつかれただけ)
それをさらに一歩引いた場所から眺めるのが子どもたちのスタンスだ。家での集まりは小学校のとき以来だったが、思いのほか雰囲気はそのままだった。変わりがない。
変わったことと言えば。
「……や、ようこそ」
「こんにちは。真ちゃん」
大人どうしの挨拶が一段落し、がやがやとリビングに移動の際。こっそりと真は輝と言葉を交わした。
ぶっきらぼうになってしまった真とは反対に、輝の笑顔は柔和だ。オーバーサイズのロゴ入りパーカーにダメージジーンズ。意外にやんちゃな方向の服を好むんだな……とは、おくびにも出さない。無難な会話で間を繋ぎ、親たちに続いた。
瀬名さんご夫婦のお土産のフルーツタルトを切り分け、めいめいに好きな飲み物を淹れる。
『今年のバレンタインは週末だから、お茶会にしましょう!』という、なんとも瑞奈らしい発案の集まりだ。
ちなみに、互いが用意したのがチョコレートではないのは、真の父がカカオが苦手だからだ。彼はコーヒーも飲めない。
よって、まさしくティーパーティーのノリで和気あいあいと会話に花が咲く。
――――そうして時刻、十五時五十分。
菓子もあらかた食べ終わり、飲み物はすでに全員煎茶。もうおひらきかな……と、ちらちらと時計を見ていた矢先、それは起こった。
おもむろに輝が由佳子に話しかけた。
「あのさ、母さん。言おうか迷ったんだけど。忘れてない? 先月注文してたでしょ。花」
「え? ………………あ!!!!」
途端に由佳子が勢いよく立ち上がる。明らかに忘れてました、の顔だった。
聞くと、二年前の真の進学の際、直接お祝いできなかったことをずっと心残りにしていたという。ケーキとは別に用意した花束を、あまりに早くに注文し過ぎて失念していたそうなのだ。
相変わらずうっかり屋だなぁ、と、腰を上げた瀬名のおじさんが玄関に向かう。
代わりに取りに行こうと。
が、それを輝が押し留めた。
「いいよ父さん。僕が行く。まだおじさんと話し足りないでしょ? えっと、駅北だっけ。名前は……」
「Feliceよ。大丈夫? ひとりで」
心配そうな由佳子に、今度は瑞奈がポン、と手を打ち合わせる。
「駅北なら真が詳しいわ。中学が近いもの。ね?」
「え? あ、……うん???」
「決まりね!」
にっこにこの瑞奈に送り出され、かくして真はふたたび爆発の危機に瀕した。
すなわち、挙動不審の。
そうとも知らずに輝が笑いかける。
「肝心のプレゼントする相手なのに。ごめんね、真ちゃん。よかったらお願いします」
「う……っ、は、はい」
はくはくと口を開け閉めする真は、すでに爆発寸前だった。
◊◊◊✾◊
花屋“Felice”は、真が通学に使う駅のバスターミナルの隣にあった。家から駅までは歩いて十五分。
外はまだ明るいし、往復三十分。周辺はほぼ住宅街なので危険もそんなにない。ただ、慣れた者でなければ最短経路はわかりづらいだろう、と、真が案内する。
ふたりっきりで歩くのはおそらく初めてなのだが、輝のまろやかな受け答えに、すっかり当初の緊張を忘れる。
たどり着いた花屋で順調に品物を受け取り、みずみずしい花の香りとピンクのガーベラの花束にうっとりとする。
カードも添えてあり、そこには『進学&大会四位おめでとう』の字が印刷されていた。
由佳子ののんびりとした気質と優しさがうれしく、ほっこりしていると、輝がふいに店内へと踵をかえした。
「待ってて。貸してくれる? 切り花だし、紙袋に入れてもらおうよ。で、家まで僕が持つよ。真ちゃんの手、あったかいから」
「……!」
真は断ろうにも断れず、しかも、幼かったころの手の温度を覚えられていたことに息が詰まった。
(えっ嘘? そんな、さらっと!?)
まごまごしている間にガーベラたちは、ちょっとだけひんやりした輝の手に。
しばらくして満足そうに戻ってきた気遣い名人の少年の手には、店名がプリントされた白い紙袋が下げられていた。
「お待たせ、行こっか。あと、これは僕から」
「輝?」
店頭のすずらんの鉢をしゃがんで見ていた真は、声の主を仰ぎ見て固まった。
紙袋を下げていないほうの輝の手には、透明な箱に入れられ、チョコレートブラウンのリボンがかけられた一輪のバラがある。
まるで、外国のひとがしていそうな所作だとぼんやり感じた。映画のワンシーンに出てきそうなバラだったから。
そう。海外では、バレンタインは日本の逆なのだという。男性が好きな女性に……
きょとん、と、真が訊き返す。
「輝から? どうして」
「好きです。ずっと。知らなかったでしょ? とくべつに好きだから」
……
…………
(※たっぷり五秒経過)
「――ッ、は、え?? えぇえ!?!?」
爆速で起立直立不動の姿勢となった真は、通りの人びとが振り返るほどの大声をあげた。
動じなかったのは輝だけ。
にこり、と、美童そのものの顔でほほえむ。
「絶対、もらって欲しいな」
✾✾✾✾✾
暮れ時のどさくさで、ひとつ年下の幼なじみが容赦ない。
真がバラを受け取るや否や、輝はスッと手をとり、どこか怒気さえ孕む迫力で来た道を戻り始めた。
おかしい。
輝って、こんなに男の子でしたっけ……?
決して性急な足取りではない。かつ、確固とした意志を感じさせる歩調で、淡々と輝が告白する。
「真ちゃんは、言わなきゃわからないんだって。この二年で、よ〜くわかったんだ。何にでも一所懸命で、やり始めたら一途で、そういうところも大好きだけど」
「!! ご、ごめん?」
「謝らないで。これは僕も悪かった。真ちゃんはいつも優しかったし、綺麗だし、こんなひと、目を離したら危ないし、絶対みんな好きになるって、わかってたのに」
「ごめん。言ってる意味のほとんどがよくわからない……?」
「いいよ。わからなくて」
「っ、輝」
「ゆっくりお付き合いしてもらえれば」
「!!? 付き合うの!!?!!?」
「受け取ってくれたでしょう?」
「そんな」
「いやだった?」
「いやな……わけじゃ」
もごもごと反論しそうになり、真は唇を噛んだ。同じくらいの背の高さになった少年をじとりと流し見る。
――――いやなら、手を繋いだりしない。再会して、目が釘付けになったりしない。会えない間にどんどん膨らむ不安に、いっそ高校はきみが行きそうなところに変えようか、だなんて。
真は敗北感たっぷりに手を離し、コートのポケットからちいさな箱を取り出した。
あげたい、と思って、勇気を出して買っていた。
あげずに居られたら、と、希望的観測を抱いてもいた。先手必勝。つまり。
「――わたしの負けだよね。あげる」
「……!」
男の子に、こんなこと言っちゃいけないのかもしれないけれど。
輝はこぼれるほど大きな瞳をみひらき、それから凄く、凄くうれしそうに笑った。花咲くように幸せそうな笑顔はこちらまでつられてしまう。可愛い。
「ゆっくりだよね。よろしくね」
「はい!」
なぜか敬語になった輝に、くすくすと笑いが込み上げる。
照れくさく見つめ合い、また、手を繋いだ。
なお、ふたりで「ただいま」を告げたリビングでは……謎に涙ぐむ父を慰める瀬名のおじさんと。
「おかえり!」
「おっめでとうー♪」
ご機嫌の母たちの拍手に、盛大に出迎えられてしまった。
✾==== Happy Valentine! ====✾