千彩の国の美継姫
昔々、とある小さな国に3人のお姫さまがおりました。
上から美結姫、美紗姫、美継姫といいます。
長女と次女、2人のお姫さまは美しい王妃さまに似て、薔薇色の頬、星の煌めく瞳、さくらんぼの実のような唇と、それはそれは美しく、誰もが一目で愛さずにはいられないほどでした。
え?末娘はって?
残念ながら、歳の離れた末のお姫さまは子供らしい愛らしさはありましたが、姉姫たちほど際立った美しさはありませんでした。
その顔立ちは王と王妃の面影を確かに映してはいましたが、まるで妖精か悪魔が悪戯でもした感じでした。
でも、もちろん侍女や侍従たちはそんな事をおくびにも出しません。
そして王や王妃も、末娘を姉たち同様に可愛がりました。(まあ親って自分の子供が可愛いものですから。それにぶっちゃけ大人って、子供には“可愛い”か“元気”と言っておけばいいと考えているふしがありますしね)
幸い姉たちも自分の美しさに高慢になる事なく、「美結姉さま!美紗姉さま!」と素直に自分たちを慕う幼い妹を可愛がり、愛していました。
そうして末姫が15歳になる年。
この国では15歳で成人と認められ、結婚ができる年齢でもありました。
大きな病気や怪我をする事なくスクスクと育った美継姫は、素直で疑う事を知らずに大きくなりました。
そして姉たちと違い、美継姫は一度も容姿を褒められた事はありませんでしたが、その事を不思議に思った事もありませんでした。
すでに成人する前から美しさが評判となっていた姉姫たちは、隣国の王子や貴族たちからたくさんの求婚を受け、それぞれ相応しい相手をじっくりと選び、結婚していました。
そのお相手はどちらも御世継ぎだった為に2人とも相手の国に嫁いでしまい、小さな国に残るのは今では末姫だけになっていました。
あらあら。
2人の自慢の美姫を嫁がせてしまって寂しい父王が、残った美継姫にこんな事を言っていますよ。
「そなたはこの小さな国を継いでくれる者と結婚しておくれ」
素直な姫は、きっとそういたします、と約束しました。
ところで写真もネットもスマホもない時代ですから、各国の王族貴族には姫の肖像画を贈ってありましたが、残念ながら美継姫にはまだ結婚の申し込みはありませんでした。
もちろんその肖像画を描いたのは小さな国で一番腕の良い絵描きでしたが、素朴な王は愛する娘の顔を、良い縁談の為に実物以上に美しく描かせるような事はしませんでした。それでも姫の肖像画からは、朗らかさや素直さなど人の良さを見て取る事ができました。
美継姫にとっては、鳥のさえずりと朝のお茶のよい香りで目覚める事も、贅沢ではなくても手間をかけた美味しい食事も(豪華な献立は、お祝いや賓客のおもてなしをする時だけでした)、花嫁修業としてのいろいろなお稽古ごとも、むずかしい学術や諸外国との政治のお勉強も、つやつやにブラッシングされた馬に乗る事も、眠る前に窓から空を見上げて小さな国の全ての人が幸せであるようお祈りする事も、晴れていても曇っていても雨でも雪でも風の強い日も、暑くても寒くても、毎日のちょっとした事が何もかも楽しくて愛おしいものでしたが、なかでも特に好きなのは、刺繍をする事と人の話を聞く事でした。
姫の刺繍は、飾り文字であれば華やかな曲線を描き、花や植物であれば薫るように鮮やかにみずみずしく、動物であれば生き生きとした愛らしさや美しさを映していましたし、その聞き上手な事といったら、どんな話でも楽しそうに目を輝かせて聞く姫の前では、誰もが喜んで話さずにはいられませんでした。
それは相手が侍女であれば――
“まあ、あなたは北の森近くの村の出身なの。あの森でとれる野苺でつくったジャムは本当に美味しいわね。あなたの家族は?ご両親と弟さん?そう、ちいさい弟さんがいるのね。それなら今度、私の子供の頃の絵本を持っていってあげるといいわ。とても絵が綺麗なの。字を覚える練習にもなるし”
お城の入口を守る衛兵であれば――
“そうなの、あなたはお肉が好きなの。だからそんなに強そうなのね。得意なものは?剣が得意なの?まあ、ちょっとだけ見せて、見せて!”
料理番であれば――
“いつも美味しい食事をありがとう。どうしたらあんな風になんでも美味しく料理ができるようになるの?そういえば、昨日の夜に出た煮込み料理、本当に美味しかったわ。お父さまもお母さまも、とても気に入っていたもの”
――とまあ、こんな感じです。
誰にでも屈託なく話しかける姫は、お城の中で話をした事がない人はいませんでした。
たったひとり、馬の世話係を除いて。
なぜだか姫は、何人かいる馬の世話係の中の、同じくらいの歳の男の子とだけは話した事がありませんでした。
何度も話しかけようとしたのですが、姫の姿がちらりとでも見えると世話係の少年はどこかへ行ってしまうのです。
一度、世話係の親方にどうしてなのか聞いてみたのですが、「はあ、あいつですか?あいつは馬だけが友達みたいなもんですから。口下手で、姫さまが話しかけられても、なんにもお話しになれないと思いますよ」という事で、どうやらとても恥ずかしがり屋な男の子のようでした。
無理に話しかけていやな思いをさせるのも悪いので、それを聞いてからは姫もあまり近づかないようにする事にしました。
さて、この小さな国での主な特産は、姫の趣味が刺繍である事からも分かるように(とは、ちょっと言い過ぎですね)、絹糸でした。
その為、糸を染める方法が研究され、さまざまな材料から色とりどりに染められた絹糸の色数は1000色もあると言われており、小さな国は『千彩の国』と呼ばれておりました。
1000色もありますから、中にはヘンテコな名前の色もたくさんあります。
例えば――
“夜明けにまだかすかに光る星色”(これはとてもとても淡い水色で、控えめな艶の絹糸が使われます)
“東の沼近くを歩いた時に靴につく泥の色”(白に近い黄土色ですが、ぬらすと不思議と黒っぽく見えます)
“食べごろ1日前の野苺色”(“食べごろの野苺色”よりごくわずかに赤みが弱いので、この色を使って野苺を刺すと、ほんのちょっとだけもの足りない感じになります)
“ねずみのしっぽの先っぽの色”(名前のままですね)
“賢王妃の瞳色”(むかし小さな国を治めていた賢しこい王さまのお妃さまの瞳が藍色だった為、名前になりました)
“朝露に濡れた薔薇色”(他に、夜露に濡れた薔薇色もあります)
――といった具合です。
たくさんある染色の工房は、それぞれ染める色が決められていて、責任と誇りを持って仕事をしているのでした。
15歳の誕生日には美継姫の為に、父王は1000色全ての色を揃えた刺繍糸を収めた箱をつくらせました。箱といっても1000色もありますから、ちょっとした衣装箱のように大きく、木目の美しい木製で、七色に光る貝がはめ込まれた手の込んだ細工の引き出しが並ぶ、大変立派なものでした。
その引き出しの中には、大きな白い貝を花のような形に切り抜いて磨いたものに巻き付けた刺繍糸がずらりと並んでいて、まるで美しい宝石箱のように、見れば誰もが溜め息を吐きました。
もちろん贈られた美継姫も一目で気に入り、あまりの嬉しさに父王に抱きついて頬にキスをしました。
それからというもの、姫は毎日刺繍糸を眺めては、“この色でお父さまのガウンに刺繍をしましょう”“このやわらかい黄色はきっとお母さまの部屋履きの色に映えるわ”“お姉さまたちの瞳の色に合わせてリボンに刺繍を入れてプレゼントしましょう”と、色を見た瞬間の印象から思いついた人に、刺繍したものを贈る楽しみが増えたのでした。
さて、美継姫のいる小さな国の隣には、大きな港を持つ小さな国がありました。
半島に突き出し、領土のほとんどを海に囲まれたその海岸線全てが港になっているその国は、貿易と漁が盛んで大小たくさんの船が港に停泊している様子から、『千帆の国』と呼ばれています。
ここで、小さな国の周辺を少しだけ説明しておきましょう。
この辺りで一番大きな国は、1000の塔を持つほど栄えている『千塔の国』でした。
その大きな国を取り囲むように8つの小さな国があるのです。美継姫のいる千彩の国も、その隣にある千帆の国も、8つの小さな国の1つでした。(他の国は、この後、お話しする機会があるでしょう)
ある日、千帆の国から招待状が届きました。
それはもったいぶった長たらしい文章で書かれていましたが、要するに“お祭りがあるから遊びにおいで”という内容でした。
千帆の国のお祭りといえば、街も港も船も全てを花で飾りつけ、にぎやかに音楽を奏で踊り歌って、海の神さまに感謝をする大変楽しいもので有名でした。あまりににぎやかで楽しそうなので、海の神さまや人魚までもがこっそりまぎれて一緒に楽しんでいる、なんて言われているくらいです。
今年は特に海が荒れる事が少なく、魚がよく獲れた為に大きなお祭りにするという事で、周りの国々にも招待状を送ったのでした。
「お父さま、お母さま、ぜひ行ってみたいわ!私、まだ見た事がないんですもの」
「あら、あなたは小さい頃に行った事があるのですよ。でも幼過ぎて憶えていないのね。王さまもわたくしも大切なご用事があるから行く事ができないのだけど、あなたは行ってらっしゃいな」
「そうだね、私たちの分も楽しんでおいで」
そういうわけで、美継姫は千帆の国のお祭りに招待される事になりました。
さあ、そうとなればさっそく旅行の準備です。
何を持っていったらいいのでしょう?
こんな時、頼りになるのは侍女の『春風』でした。
「そうですね、ドレスは昼用と夜用を10着ずつ。それにドレスに合わせた靴と装身具。香水は姫のお気に入りのバラとラベンダー、スズランの香水をその日のご気分で選ぶようにしましょう。本は数冊、姫さまがお選びください。刺繍道具はどうされますか?せっかくのお祭りですからできるだけお出かけして、いろいろなものを吸収されるとよろしいかと思いますが」
「そうね。きっと刺繍をしている暇はないでしょう。いいわ、持っていかなくて」
「かしこまりました。その他の身支度に必要なものは私たちがご用意いたします。何かお持ちになりたいものを思いつかれたら、お申しつけください」
「あ、もちろん『稲妻』も一緒にね」
美継姫は大抵の動物が好きでしたが、特に犬が好きで、小さな白い犬をいつも傍においていました。小さな白い犬は、体は小さいのに相手がどんなに大きくてもひるむ事なく向かっていくので、姫は『稲妻』と呼んでいました。
そわそわいそいそと侍女たちが旅行の準備を始めます。
姫も何かしたいと思いましたが、テキパキと働くみんなの邪魔をしないように、おとなしくしていました。
侍女たちの様子を眺めながら椅子に腰かけて、膝に抱いた犬に話しかけています。
「ねえ稲妻」
小さな白い犬はとても利口でした。まるで話を聞いているように耳をピンと立てて、姫の顔をじっと見つめます。
「あなたも外国へ行くのは初めてでしょう?私も初めてなのよ。いいえ、違うわね。小さい頃に行った事があるらしいのだけど憶えていないから“物心ついてから初めて”と言うのが正しいのかも。でもとっても楽しみね?」
そう言うと、稲妻はまるで“ぼくもとっても楽しみだよ”とでもいうように、しっぽをパタパタとふりました。
そうこうしているうちに、出発の日です。
馬車の窓からどんどん小さくなっていくお城を見ながら、美継姫はちょっぴり寂しくなってしまいました。だってひとりで、しかもよその国へ行くなんて初めてなのですから。
お父さまもお母さまも、私がいなくて寂しくないかしら?お姉さまたちがお嫁にいってから、お城の中はとても静かになってしまったから。私までいなかったら、きっともっと静かになってしまうわ。
でもそんな時はいつでも私の事を思い出せるように、ハンカチに刺繍をして、いつもつけている香水をふりかけて渡してきたし、5日ほどで帰ってくるのだから、大丈夫よね。
自分に言い聞かせて頷くと、窓を開けて頬を撫でる風を感じながら、これから出会う新しい事に思いを馳せたのでした。
美結姫は”みゆき”、美紗姫は”みさき”、美継姫は”みつき”と読みますが、読めなくても漢字の雰囲気でお姫さま感を感じ取ってもらえればいいなと思っています。
漢字ってその字面の雰囲気で伝わるところがよくて、それを活かしたいと思って書いています。
子供の頃、よく読んでいたおとぎ話を集めた本に白雪姫があったのですが、ガラスの棺に入れられた白雪姫の挿絵に子供心に違和感…。でも何に引っかかっているのか当時は分かりませんでした。
それが10年以上経ったある日、自転車に乗っている時に何の前触れもなく違和感の正体に気付きました!
(特にその事を考えていたわけでもないのに突然思い出すアレ、何なんでしょうね?)
その挿絵、ガラスの棺の蓋に明朝体の漢字で”白雪姫”と書いてあったんです。しかも縦書き。外国のお話なのに。シュールだわ…。
そりゃぁ違和感だよなぁ…(^_^;)
急に思い出しておかしかったのと同時に、納得もしました。日本語に訳されて白雪姫なのだから、挿絵もきちんと倣ったんだなぁって。
というわけで (; ・`д・´) ドウイウワケダ この物語の登場人物はみんな、その国の特色などを反映した漢字で当て字っぽい名前をつけています。
外国のおとぎ話を日本語に訳したっぽい雰囲気で楽しんでいただければ嬉しいです
(*´ω`*)♡