007_ 脳とは目標に過ぎない。
思考しているという言い方は実は語弊がある。
脳みそは考えていない、あれは反応しているだけである、つまりは、入ってくる情報が複雑に反響していって外にでているだけであり、主体は脳みそにはないのである、ただ単なる化学反応に過ぎない。
乱暴な意見ではあるが、考えていないのではなかろうかという話。いやまあ、考えるというそれそのもをどう定義づけるのかという話ではある。
五感を元にして外界からの情報が脳みそに入ってきて、それを元にして、刺激にして、行動を外界に返すわけであり、ここに実は意志の働きはない、というか、意志、意識、自我、個性、その辺りは、基本まやかしであり、誤魔化しである。
人間には自我がない、というか全ての生き物にない、ただ、情報が流れているだけであり、それが相互の干渉しあっているだけのことである。
なぜならば何も情報が入ってこない脳みそは全く働こうとはしないからである、主体的に0から情報を作ることができないからである、独立していないからである。
自身の体の中からの信号をまとめて処理していただけの器官ではあるわけであり、あくまでも情報が主体なのである、それが通りやすく反響しやすい場であったというだけの話であり、なくとも情報的には問題がないという、余分なものであり、また効率の良いものであるわけであり、場所であり領域であった、わけである。
ないならないなりにネットワークやら齟齬を食う生き物は存在できていたのである、その場合は、伝達する誤差がそのままエネルギーになっていたのではなかろうかなと予想できる。
複雑怪奇に反響し合う、情報エネルギーを作り出すことができる場を用意する、これは脳みその働きであり、それは決して主体として考えられるものではないという理解が得られるわけである、まあ見方の問題ではある。
自我は各種の情報が集まって、反射した結果に過ぎず、特別視するようなものではなく、ただ、逃れられるものでもなく、制御も難しいものである、ということではないかなと、むしろ暴走とか、オーバーフローとか、あえて乱す構造があることで、利益を得る何かがいるわけであり、便利な道具やら、環境に過ぎない、と思うわけである。
異論は認める。
ただ、反論は結構難しいかもしれない。
少なくとも私の意見を翻させるのは無理じゃないかな?