005_分からないことが狙い。
分からなくて当たり前である、それが目的であるのであるから。
少しずれることが狙いなのである、そのずれがエネルギーとか資源とか、そのようなものになっている、生き物がいるのである。
全く見当違いであるとか完全に伝わらないではダメなのである、そこに抵抗が生まれなければ熱量にならないからである。
なので、通じるけれども伝わらない、正確には伝えきれない、そのような状況やら環境を維持する方向で、働く力をもつ生き物がいる、のである。
もちろんこれはある種の見立てであるけれども、そもそも生きているとか生物であるとか生き物であるとかその手の概念とか前提とかは、全て見立てであるのである。
物理的に存在しているものでしか物事を考えないという話であるならば、そもそも物理的に存在していない存在は存在していないわけである。
心とか精神とか概念とか情報とかそういう目に見えないそこに存在しない何かとかは、それは何か物理的な制限があるものによってしか作られないのである、であるならば、大体、物理を深く探究していくならば一緒のところに行き着くものでしかないわけである。
ただ、領域が違うだけである、感じることができるかどうか、センサで直接見ることが捉えることができるかどうかの違いなのである、そもそも全て間接的にしか、測ることができないわけではあるから、それほど珍しいものでもなく。
全てが分かり合えてしまうと熱量が、エネルギーが、資源が、発生しなくなるわけであり、それはその誤解やら勘違いやら伝わらないという状態を食事にしている生命体にとって死亡してしまうことになる、であるから、生存本能やら生存戦略として、伝わらないように動いていくことになる。
ただ、別にそれらは、こちらの言語やら対話そのものを理解しているのではなく、あくまでも自然現象とか、物理現象であるようにしか見えていない、捉えていないのである。
おそらくはこちらが太陽やら炎やら重力やら、各種力の振る舞いに意思を感じることができないくらいの感覚ではないかと思われる。
次元が上とか下とかではないのである、それはこの世界と連なっているのであり、いずれたどり着けるかもしれない所なのであるけれども、そうではなく、ずれている、領域が違う、レイヤが違う、そういう場所で生きている何かである。
いやそれが生き物であるのかと言われると、どうなのであろうかなと、現象ではないかと言われるとそうでもあるとしか言えず。ただ、それがそうであるならば、我々人間とか一般的に生きているものも、現象に過ぎないとかも言えてしまうのである。
ともあれ、直接的には対話できない、領域が違う、情報の錯誤をエネルギーにしている生き物がいるということである。




