027_記憶は連続していない。
記憶は必ず途切れている、なぜならば過去から今、今から未来に伝える時に、正確に伝わらないからである。
伝える時には必ず齟齬が出る、つまりは一瞬前の記憶は次の瞬間に受け渡す時に歪んでしまうからである、それは些細な量である場合もあるし、大きくずれることもあるが、そのままには伝わらないという点では変わらない。
気づくこともない、客観的にそのずれを把握する方法がそれほどないからであり、そもそも瞬間が本当に僅かすぎて、そこを捉えることも不可能であるから。
ただ、ある程度の期間を置いて記憶を呼び起こす、古い方の記憶を外部からの刺激によって、できるだけ正確に呼び起こしてみると、ずれが判明することがわかることもある、条件がかなり厳しいし、実験室的な、限られた空間でのことにならざるを得ないが。
許容できる範囲であるならば、それは連続しているといって良いのではないかという指摘にはおおむね賛成できる、つまるところそれは見立てに過ぎないわけであり、定義の問題であるからである、ただ、正確に齟齬なく、欠けることなく伝わっているのかというとそれは否と言わざるを得ない。
欠けることを正確に伝わらないことさらにはそれに付随して間違って伝わることは避けられないものであり、それが情報というものの基本的な性質であり、そのずれがあるからこそ、そのずれをエネルギーにすることにできる生き物が存在できるのである。
そしてそのずれを食べ物にしている生き物がいるからこそ、確実にずれていくことがわかるわけである。その存在を肯定することによって、もしくはいると見立てることによって、色々と情報の特性に説明がつくのである。
結果としているのであって、それがいるから伝わらないわけではないという風にみることもできるが、それは別にどうでも良いものであるのである、どちらが先にあるのかというくらいの問題であり、そもそも後先は時間によって縛られる現象であり、情報にとって時間とは一つの平易なパラメタに過ぎず、流れる方向が固定されている、自由の効かないものではないのである。
どちらが先であるのかは関係ないのである相互に因果がねじれてつながっているだけの話であるのである。
そしてその生き物はこちらのことには頓着していないということも確かであるのである。




