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023_感覚が記憶と同値であるなら。

 五感が欠けている場合記憶に齟齬が出ることは間違いなく。


 そもそも音が聞こえなければ音に関する記憶は欠ける、視覚も触覚も味覚も嗅覚も同じようなものである。


 であるならば、それらが欠けているものは劣っているのかという話にもなるわけではあるが、基本その辺りはあまり関係ないというか全く関係ない。


 情報が伝わらないという点ではむしろ優れている性質であるとも言えるが、そもそも、人間の思考とその辺りに落ち得ている石ころとの情報的価値、エネルギーは等価である。


 乱暴に聞こえるかもしれないが、情報は分断されている、一個にまとまって個人を自我を形成しているように見えるがそれは見せかけというか見立てに過ぎず、バラバラな個がたまたま集まっているように見えるだけである。


 つまりは一つの情報としての価値は石と思考と同じなのである、むしろ時間軸的にそこを長く占有できる点では石ころの方が上まであるのである、エネルギーのポテンシャル的に。

 

 さらにいうならばそれを観察する、視覚によって感じるという二次的な情報エネルギーすら発生するのである、そしてそれは間違いなく、ずれて伝わるものであり、それをエネルギーにするものにとっては、安定的に手に入る食糧なものでもある。


 人に優劣がないという話は、本質的には平等に価値がないもしくは平等に価値があるからである、そこに存在するという情報そのものが同値であるが故に、あり方は全く考慮されない。


 さらにはそこに在ることによって生まれる伝わるずれが大事で在る存在にとってみれが、それがどのような評価であろうと関係ないので在る、別に差別されても構わないとも言えるが。


 どう考えようと関係ないとも言える、それはつまるところ情報同士の掛け合いというか干渉に過ぎず、それ自体がどうなろうと気にならないというか、気にもしないというか、そもそも感知できない観察できない、ずれたところにあるのである。


 このような価値観のあるものがずれたところにしかし確実に関わっているということを知ったならば、思考はどのように変わってしまうのであるのかという話でもある。

 

 まあ、厭世的にはなるか。それも狙いのうちではあるのか?

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