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010_境目はなく濃淡でみる。

 自他の境目はなく、そのあたりは薄ぼんやりとしているわけであり、濃淡でざっくり領域を理解する、違いのようなものを把握する、という見方ができるし、わかりやすい。私には。


 複雑に情報が絡み合っているわけではあるけれどもそれが短時間短距離で無数にやりとりされている場所があるわけで、それはある程度発達しているというか情報を扱うに適している脳みそである。別に人間の脳みそである必要はなく、動物でも構わない、情報の質というか深度というか濃さが違うだけであり、もっというならば脳みそでなくとも濃ゆいところはある。


 電子頭脳とかのあたりも似たようなことが発生しているというか別に人工知能でなくともよく、ネット環境での情報のやりとりとかデータの蓄積そのものも本質的には情報生命としては違いはなく、ただ濃さが違うだけである。


 脳みそ以外の情報量、熱量、そこを住処にしつつ餌場にしつつそれがそれそのもの体でもある情報生命体みたいなものは、別に思考しているそれそのものが循環しつつ干渉している脳みそのようなものがなくとも別に存在に支障はなく、究極的には概念をやりとりしている必要すらない。


 そこにあるかないかで、存在することが規定されているわけであり、マクロ的にみるならば、この宇宙そのものが存在しているかいないかで、単純に01判定をしている場合もある、中の事象とか事情とかはお構いなしであり、そういうものだけを見ている、ものもいるわけである。


 別にそれが高次元であるというわけではなく、むしろぐるりと回って原始的とも言える存在でもありそうではあるわけであるが、こう、循環しているだけでありどちらが上ということもないわけではある、ただ、想像はしやすいので高次元とか超越しているとか表現することが多いと思われる。


 その辺りから俯瞰して眺めると人の自我とか自意識とか思考とか、私、というカテゴリはそれの一種にしかすぎず、明確に区分できるような物ではなくなってしまっているという話であり、おそらくは個人を認識するということもしていないのではなかろうかなと、できるけれども意味がないという場面と、できない、が混在しているのではなかろうかと推測される。


 認識でいるかどうかが情報の受け渡し方やらそのタイミングで決定されてしまっている、つまりは確率的にしか認識できない、認識されない、そもそも存在できていないモノであるわけであり、おそらくは、定義自体も揺らぎが大きすぎて、何かしらした時点で、別のものに変質しているわけであり、なんとなくぼんやりと、分かった気になる程度でしかないモノである。


 そういうモノであるということを踏まえた上で、話が続くわけである。


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