第1話その2
国境を越え、陸を超え、海を渡る。それを繰り返すと遠くの方で樹海が見えてきた。樹海の入り口で私はとある位置から時計回りに迂回をする。それを3回繰り返し、次は反時計回りを3回して樹海の上を滑る。すると赤い瞳を持つ白い梟が遠くから飛んでくるのが分かった。梟は私に近づき肩に乗る。左肩に鎮座したことを確認し、勢いよく樹海の中を潜った。木々の中を潜るように宙を駆けていく。遠くの方では木が白く点滅し、赤いシルエットの木が並ぶ。それは炎のように熱いはずだけど、私にはオーストの魔法がかかっていたので暑さに苦しむことなく前に進んだ。一つ一つの木を超えるごとにそれらの隙間は無くなっていく。でもその隙間に上手くねじ込めるように搔い潜って最後の隙間を超えた。
その先はいつもの見慣れた森の中、そして塔のような5階建ての家。その家はまるで隠されているかのように周辺は背の高い木々に囲まれている。でもその家の周辺を含んだ広場の上はぽっかりと空いていてきれいな青空が覗いていた。私は家の扉の前まで飛んで箒から降りた。箒は魔法で仕舞って宙の中に消える。扉をノックした。
「オースト様、リーディアです。ただ今戻りました」
そう言った後、カランカランと鈴が鳴って扉が開く。奥に進むとオーストがロッキングチェアに座っていた。ゆったりと腰かけて紅茶を飲むその女性は20代半ばくらいのように若く見える。ブロンド色のストレートヘアは腰よりも長くて、その前髪の下では私と同じような赤色の瞳が見えた。首元まである白いブラウスの上に胸元が空いた臙脂色のドレスを着ている。私の肩に乗っていた梟はオーストの隣の肘掛けに留まった。オーストはティーカップを机に置いて梟を撫でる。梟は気持ちよさそうに目を細めた。
「お迎えご苦労さま。そしてお帰り、キカ」
オーストはキカを撫でながら私の方を見た。
「お前もお帰り。随分早かったじゃないか」
「ぶっ飛ばして来ましたからね。このくらいの距離、私ならすぐ行けますわ」
「丸一日掛けてもいいところを半日で辿り着けるなんて。さすが私の一番弟子だよ」
オーストは満足そうに微笑んだ。
「面白い土産話を聞かせおくれ」
楽しそうに聞くその顔はまるで何かを企む悪戯っ子のようだ。私は彼女の期待に応えて今日起こった話をすることにした。
私の前世はどこにでもいるごく普通の研究者だった。仕事の傍らに小説を読むことが好きで、特に「鬼畜王子なんて要りません!」というライトノベルを愛読していて主人公のアイリスが好きだった。
主人公はアイリス・セレナーデという少女だ。心根の優しい伯爵令嬢のアイリスはみんなから慕われていて鬼畜王子こと私の婚約者でもあったライオールからも思いを寄せられる。でもアイリスはライオールの弟にあたる第二王子のルイセールが好きだったし、一見良い人に見えるライオールがどうしても怪しく思えたので彼のことはあまり好きではなかった。それにライオールには婚約者のリーディア(私のこと)がいるのに陰で自分にアプローチするなんて、リーディアに対して不誠実ではないのかと訝し気に思っていたのだ。
その小説に登場するリーディアは人々から陰では悪女だと言われいて、彼女の指金でアイリスも嫌がらせに合っていた。アイリスはリーディアの嫌がらせに困っていたが、自分の幼少期に優しく接してくれたリーディアを嫌いになれないでいた。そんな時、アイリスは馬車に轢かれそうになる。間一髪で死は免れたが左腕を骨折しケガを負った。それはリーディアの仕業だとライオールは憤った。その状況証拠が出てきたのでアルセウヌ王はリーディアを死刑にしようとする。しかし、アイリスは今まで自分にしてきたリーディアの嫌がらせも、リーディアを悪女に仕立て上げたのも全てライオールだと言うことに気付きそのことをアルセウヌ王に進言。リーディアは死刑を免れたのだ。
今までのライオールの悪事が明るみに出てライオールはアルセウヌ王に怒られ、他の人からは白い目で見られるようになった。ライオールは外に出ることができなくなり、自身の部屋にこもるようになる。後日、アイリスはアルセウヌ王から彼の心根を叩き直してくれないかとお願いされる。この国の王のお願いなど、断れるはずがない。アイリスはその話を引き受け、ライオールを真人間になれるように教育していく。すっかりしょげて以前の威勢の良さが無くなったライオールを優しく導いていくアイリス。アイリスに素直に従い改心していくライオールに接していくうちに彼のことを意識し始めて……というのがこの小説のあらすじだ。
私は仕事の帰り道にトラックに轢かれ、先ほど説明した「鬼畜王子なんて要りません!」の世界に転生した……はずだ。というのも、この世界は元の小説とは違い主人公のアイリスがいないのだ。アイリス以外の登場人物は出揃っているのに肝心の主人公がいない。その現実は私をひどく困惑させた。私は物心が付いた時から前世の記憶があったため、幼稚舎でアイリスに出会えるのを心待ちにしていた。原作でアイリスとリーディアが初めて出会うのはその場所だったからだ。でもそこにアイリスはいなかった。それから成長するにつれアイリスがこの国には存在しないことが分かったのだ。
『どうしてアイリスだけいないの?どうして……』
そして私は危機に直面していることに気付く。アイリスがいないということはいざという時に自分を助けてくれる人がいないということだ。助けてくれる人がいないなら自分で死刑エンドを回避するしかない。私は悪女に仕立てられないように周りを警戒しながら生きていこうと決めた。そして、
『ライオールにだけは会わないようにしないと』
この世界のライオールは原作よりも下衆な性格だった。笑顔を張り付けながら内心では人を見下し、気に入らない人を不幸にしてその様を嘲笑って眺める。なぜそのことを知っているかって?私の魔法で探ったからよ。原作のリーディアは魔力が強かった。それこそライオールと並ぶくらいに。王族は全員魔力が強い傾向にあるけど、その王族に匹敵するくらいに原作のリーディアは強かったのだ。ここにいる私も同じく魔力は強かった。だから、私は自分の魔法を王城とライオールが通う学院に散りばめたのだ。自分の魔法を根付かせることで、私はいつでも自分がその場所にいるかのように魔法を使うことができた。散りばめた魔法を使って監視をするのはもちろん、相手の心の中を透視することもできた。自分でもいうのもなんだが私、結構すごいと思う。
自分の魔法を駆使してライオールとの接触を避ける。父がアルセウヌ王と仲が良いからなおさら警戒を強めなければならなかった。15歳まではライオールに会わずに済んでいたけど、王族の通うセレフィセント学院に入学することになってしまう。セレフィセント学院は学問だけではなく魔法を勉強する学校でもあった。私は学院に行く気はない、ケビンテッジ女学院に行くと言ったけれど(ケビンテッジ女学院は卒業後、自立して働く女性が通う学校だった)、父が許さなかった。「お前には魔法の才能がある。その才能をもっと伸ばすべきだ」と言われたけど、これほどまでに要らぬお世話と思ったことはない。そうして私はセレフィセント学院に通うことになり、遂にライオールに出会ってしまった。
ライオールに対して露骨に嫌な態度を取ってしまってから、私はオーストを探すことにした。目的は【炎の大魔女】オーストに弟子入りして匿ってもらうこと。オースト・イーギアはこの世界で最も恐れられている魔女だ。500年前からジュイディッカ光国を守護する存在で、王族のいないその国では事実上オーストが統治していた。オーストは炎の魔法を使うことが得意で国に侵入してきた他国の兵士を全員燃やし、侵略した国に報復してその大地の一部を火の海にした。オーストはこの世界で一二を争えるくらいとても強い。だから他国は豊富な資源があるジュイディッカ光国を自分たちの領地にするために画策しても全て失敗に終わっていた。
そんなオーストの下にいれば私も安全だ。どのみちイリイスガイ帝国からは出なければならない。10代の少女が他国で生きていくのはすごく難しいから、誰かを頼らなければ生きていけない。でも、他国に頼れる人なんていないから頼れる人を見つけなければならない。
『オーストに会いに行く!会って弟子にしてもらえるようにお願いしよう!!』
原作のオーストは弟子を欲しがっているような感じだった。もしこの世界のオーストもそうだとしたら、魔力の強い自分なら弟子にしてもらえる確率が高い。私がどれだけ役に立てるかアピールができれば、きっとオーストは自分を側に置いてくれるだろう。
私は学院が長期休暇に入ったのと同時に旅に出た。親には適当な口実を作り許可をもらって。
オーストの住処に行くのはとても難しかった。でも、自分の未来が懸かっている。諦めるわけにはいかない。そんな私をオーストはずっと見ていたらしく、最終的にはオーストが道を開けて私を受け入れてくれたのだった。