第71話 『妖精の小箱』
空気は凍りついたが、とにかく説明しなければならない事情があるので、ナギは言葉を続けた。
「そもそも僕がエリカさんと婚姻関係を結ばせていただいたのは、彼女が苦境に陥っていたからというのがあります。彼女をもっともインスタントに助けるための手段として、『先天スキル持ち』にして『学園勢力下にある』僕が婚姻関係を結ぶことによって、彼女を襲っていた喫緊の状況の解決を狙ったものです。なので、それが完全に解消された現在、僕は身分的にも、また関係の長さという面でもエリカさんの結婚相手にふさわしいとは言い難く━━」
「先生! 先生! 加減しろバカ!」
真後ろからいきなり大男に口をふさがれたため、ナギの言葉は中断された。
背後を振り返ればそこにいたのはレオンであり、彼は傷のあるコワモテを真っ青にしながら、声なき声で『あっち見ろ!』と視線を動かした。
ナギが視線を向けた先にはエリカがいた。
彼女はふらついたあとどうにか踏みとどまり、そしてナギに信じられないものを見る目を向けた。
「そうかもしれないけど、今、ここで、それを言えるの……?」
「でもここで言わないと取り返しがつかないところまで話が進むと思うんだよね」
たしかにそれはそうなので、場にいるコンラートとエリカ、それから事情を何も知らないカリーナ以外の修学旅行メンバーに『そりゃそうなんだけど』という、いわく言い難い表情が浮かんだ。
そりゃそうなんだが、それよりももっと大事なものはあるのだ。
だけれどここで冷静さを取り戻した者もいる。
ソラ・アンダーテイルという現アンダーテイル領侯爵であり、このメンバーの中だと一番か二番に『エリカとナギの婚姻、まとまってほしくない』と思っている者であった。
ソラがコンラート・ソーディアン公に向けて一歩歩み出る。
「カリバーンのソーディアン公、ごあいさつをさせていただいてよろしいでしょうか?」
「……あ、ああ。……申し訳ない。その容姿、連絡にあったグリモワールのアンダーテイル候とお見受けする。先ほどはお目にかかったというのにまともなごあいさつもできず……礼節を欠いたことをお詫び申し上げる」
「いえ。家庭の大事の最中ですもの。音に聞こえたソーディアン公といえど人の親。冷静さを失うこともございましょう」
「ご配慮いたみいる」
「それで、ナギ先生の扱いについてご相談させていただきたいのですが」
「……ふむ」
「まずは、ソーディアン公がどのような態度をナギ先生に望んでいるのかをうかがっても?」
そこでソーディアン公コンラートは冷静さを取り戻したようだった。
『重心の位置が変わった』というのか、これまでどことなく浮ついていた様子が、どっしりと落ち着いた様子になる。
「……娘が望むならば、彼を婿にと考えている」
「ナギ先生は学園都市の教師ではありますが、平民です。しかも出身はグリモワールのアンダーテイル領……公からすれば『外国の平民』ということになりますが」
「外国の平民であろうが信用に値する者はおり、自国の王族であろうが信用すべきでない者もいる」
「……ずいぶんと大変な発言ですが」
「この発言について、もし陛下の前で同じことを言えと言われれば、まったく同じように語ろう。血統、出身、それが何か重要か? 貴族としての使命は己の領地を富ませ、その先にある国家の繁栄を願うのみ。そして……一人の娘を持つ親としては、我が子の幸福を願うのみだ」
「しかし、平民に貴族の暮らしや仕事は難しいし、家格や出身国、出自・血統などは……貴族の社交界は、ソーディアン公のように公明正大なお方ばかりではございません。ナギ先生もそこを懸念されておられるのですわ」
「問題ない」
「……しかし」
「彼が婿に入るのであれば、我が家はもちろん、ランサー公爵家およびビブリオ公爵家も彼の身許を保証する。彼には一度ランサー家に養子として入っていただき、その後我が家の婿になってもらう」
「…………は?」
ソラが貴族家当主らしからぬ表情を浮かべてしまったのも無理はなかった。
予想していたよりもずっとずっとソーディアン公が『ガチ』であり、まったくつかんでいなかった情報が次々と出てきたからだ。
「……え、ええと、ランサー公やビブリオ公は、そのお話をご存知、なのですか?」
「彼を養子にという話はそもそもランサー公からいただいたものだ。ビブリオ公には妻から交渉し、書面も交わしている」
「お父様、ちょっと先走りすぎじゃない……!?」
さすがに話が知らないところで進みすぎていて、娘までおどろいた。
しかしコンラートは冷静そのものという表情で娘を見据え、どことなく不思議そうに口を開く。
「お前から送られた手紙には、『本気』があったように見受けられたが」
「いやっ、その……手紙の話はここではやめない……!?」
ソラが「どんな手紙を送ったの……?」とちょっとひいた感じで言うので、エリカは「プライベートなことなので」と貴族スマイルで誤魔化したあと、
「とにかくお父様、それでもし彼が婿に来なかったら……どうするのよ!?」
「どうするとは」
「いや、だから……! そこまで大々的に動いて婿に来なかったら、あたしだけじゃなくてソーディアン家まで、恥をかかない……!? というかその動き、お母様に相談した!?」
「……アレクシアにはビブリオ家との交渉をしてもらったと、そう述べたと思うが?」
「嘘でしょ……!? お母様までそんなに先走ってるの……!?」
「ランサー公から養子縁組の提案が来た時、真っ先に計画を立案したのはアレクシアだ」
「嘘でしょ……!?」
エリカの中では『暴走する父、修正する母』というのがゆるぎなかっただけに、ショックが大きい。
この場では唯一まともな社会人的感性を持つジョルジュという男がいて、その人は『自分が軽い感じで親に話した「結婚するかも」ぐらいの話で実家が大立ち回りしてしまい、実家の方で結婚確定の流れができあがっていた』という事態の心理的ダメージをリアルに想定してしまい、いつものように胃のあたりを痛めていた。
その奥さんは『いい男はしっかり捕まえておかないと逃げられるので見定めたらどんどん行け』の性格なので『ソーディアン公の奥方、やるな……』みたいな顔をしていた。横で娘も同じ顔をしている。
そしてまたしても会話に全然ついていけていないカリーナが、むやみにゴージャスなドリル髪を揺らして首をかしげ、無邪気にこんな発言をした。
「でも学園都市での契約とはいえすでに結婚しているのですわよね? ならよろしいのではなくて? ナギ先生だって身分差がなければ別に構わな━━あいたぁ!? アリエスぅ!? ちょっと何をしますの!?」
「気配消してなさい。何もわかってないんだから」
「何もわかってない事態がどんどん目の前で進行していくわたくしの気持ちがわかります!?」
この中でダントツ部外者なので仕方ない。
誰も予期せぬ事実が次々明らかになり始めた結果、場が混沌とし始めた。
情報量が多すぎて整理に時間がかかるというのもあるのだが、とにかく実家がすでにめちゃくちゃ動いていたエリカは自分の気持ちがまだちょっと整理しきれてないし、こんな流れをどう受け入れていいかもてあまして言葉を失っている。
一方でソラは実兄を婿として家に戻そうという埒外の野望を持っているので、先に外堀を埋められていたことがたいそうショックで言葉が出てこない。
ソーディアン公コンラートは『なんだかアンダーテイル候の発言が途切れてしまったな』の顔だし、ナギも『とりあえずソラが口を挟んできた意図がわからないから解説の続きができないな』の気持ちでいた。
アリエスなどは『もう暗殺しかないかな』と思いつつエリカを見ている。
こんな空気なもので、ホールに「失礼します!」と慌てた様子で誰かが入ってくると、全員の視線がいっせいにそちらを向いた。
部屋の外から入ってきたのはソーディアン領式の一般兵鎧(剣術を扱いやすいように胸当てや籠手などの軽めの防具だけであり、刺繍入りのシャツで所属や階級を示せるデザインになっている)を身につけた兵であり、いっせいに注がれた視線にひるんだように足を止めた。
しかし職業意識が彼を奮い立たせたようで、すぐにグッと腹に力を入れるようにすると、ソーディアン公コンラートに向けて駆け寄り、目の前で膝をついた。
「総本山より来たという神官が、公に話があると……聖務とのことですが」
『聖務』
それはこの世界において多くの国家で信仰される神を祀った神殿が、宗教上重要ながら詳細を明かせない働きをする時に使う言葉だった。
これを言い渡された神官は各国の法よりも聖務上必要なことを優先するし、各国、各領の貴族たちはこれに無条件の協力をするようにという暗黙の了解があるのだが……
「……学園都市の王より事情は聞いている。ソーディアン領は諸君らにとって、神殿の脅威の届かぬ安息の地となるだろう」
「あ、そうだお父様! あたしたち、ここに来るまでに神官戦士に追われてたよの。それで飛んで来るしかなかったんだけど……」
「なるほど」
コンラートは一瞬『なぜ報告しなかった』の『な』まで言いかけたが、自分が唐突に決闘を申し込んだので説明するヒマがなかったことを思い出したのか、口をつぐんだ。
「……ともあれ、私が直に対応に出る手筈となっているのでな。ランサー殿、くわしい話はまたあとで」
「…………あ、僕ですか!?」
「お父様! ナギ先生はまだ養子縁組してないから!」
「……そうだったな。少々先走ってしまったようだ。ではまた後ほど」
ソーディアン公は極めてクールな表情のまま、安定した足取りで部屋を出て行った。
伝令の人もエリカやソラに向けて一礼したあと出て行くと、あとにはなんとも言えない空気だけが取り残される。
その中で、エリカは……
「ねぇ、あんたはどう思うのよ」
問いかけた。
ナギは首をかしげてから、
「養子縁組の話かな?」
「それも含めて…………あああああ! いい! 言わないでいい! 今の精神状態でどう聞いていいかわからないもの! っていうか返事が予想できるから聞きたくない!」
……正直に言ってしまえば。
きっとナギは、エリカが強く要請すれば断らない気もする。それが婿入りであろうがなんだろうが。……スキルの【教導】をお願いした時のように、当たり前のように、あっさりと承諾する気がするのだ。
だが、エリカの側に、そこまで強く要請する決意がない。
まだ、ふわふわしている。
助けられた。救われた。与えられた。
でもそれはきっと、エリカがエリカだからではないのだ。
『妖精の小箱』
願いを叶えるための伝説上のアイテム。彼はきっと『それ』なのだろう。
だから彼はきっとエリカの望みを反映した行動をとるのだろうとも思う。
エリカの、というか……
一番最初に触れた者の願いを、叶えるのだろう。
けれど、もし……
二人以上が同時に同じことを願ったら、その時は、どうなるのだろう。
エリカは、彼の『個性』が知りたい。
……『願望』と言い換えてもいいし、欲望とも言えるかもしれない。
「ねぇ、先生、あなたは……何を欲して、何を成したくて生きてるの? 望みはないの?」
するとナギは、「うん」とうなずいたあと、
「僕は『それ』を知りたくて、人を助けているんだと思う」
「……『それ』っていうのは」
「僕の願い、僕がここにいる意味。……僕は、僕が何をしたいのかを見つけたいんだよ」
……その時にナギが浮かべた笑顔はあまりにも透明で。
エリカは、なんにも言えなくなってしまった。




