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第50話 飽和ゆえの停滞

 ナギを中心に円を描くようなフットワーク。

 上半身を小刻みに揺らして初動を消しながら放たれる拳は、下からすくいあげるようにナギの体を打ち付ける。


 パパパン! と空気を打つ音が数発くっついて響き渡り、音よりも早くナギの体に衝撃が走った。


 その威力と射程は槍を思わせた。ワディという神官は二メートルをゆうに超える身長を持ち、身長にしたってなお長すぎてアンバランスなほど長い手足を持っている。

 それが放つ『すくいあげるような打撃』……神官拳法で言うところの『掠め打ち』、ナギ風に言えば『フリッカージャブ』は、その威力も射程も尋常なものではなかった。


【上級神官】【上級拳士】


 ワディの先天スキルおよび潜在スキルはそのようなもので、これまでナギが戦ってきたのが【魔神】【拳聖】【死聖】【槍聖】ということを考えれば、いささか格落ちする潜在スキルとも言える。


 しかしスキルの習熟度及び長すぎる手足を存分に活かしたアウトボクシングのスタイルは、戦歴を重ねてきたナギをして『どうやって手出しをしたらいいんだ』というほどのものだった。


(遠間から鋭い打撃を繰り返し、フットワークで逃げ回るっていうだけで、こんなにも戦いにくいものなのか……!)


 体を小刻みに揺らす動きが『初動隠し』とフェイントを兼ねている。右に左に長すぎる体が揺れて、だらりと垂れ下がった腕が揺れる。

 揺れの中でふっと腕がかすんだかと思えば、次の瞬間には『腕による打撃』とは思えないほど遠くから攻撃が飛んでくるのだ。


 しかもそのすべてが『ジャブ』。

 右肩をナギの側に突き出すようなサウスポーのヒットマンスタイルから繰り出されるのは、右拳による素早く軽い打撃のみなのだ。

 それだけでも驚異的な射程と威力を誇る。だというのに左拳は狙いを定めるようにピタリとナギの方に向いたまま動かない。


 フリッカージャブだけでも、槍を思わされるのだ。

 ならばあの拳が威力を優先して放たれれば、それは大砲にも匹敵することが想像に難くない━━


 ナギは【上級拳士】をすでに起動している。


 あるいは(ひじり)を使用すべきだったのかもしれない。けれど、再検討しても、それが正しい判断とは思われなかった。

 ナギがスキルを扱える時間には制限がある。さらに長引けばきちんとスキルを習熟している人との差異がどうしても出る。

 つまり長期戦はナギにとって不利になるのだ。なればこそ短期決戦こそが目指すべきものなのだが……


「あのよォ、一応言っておくんだが━━」


 野太い声がする。

 声の主人たるレオンは、ワディの背後に肉薄していた。


「━━この学園、暴力と未成年者略取は犯罪なんだぜ」


【闘士】という物理的攻撃手段すべてに適性のあるスキルを持った大柄な青年(レオン)が、太い腕を振るって(いわお)のような拳を放った。

 その動きはワディに比べれば洗練されているとは言い難い。だが、背後から不意をうつように拳が放たれ、それはまっすぐにワディの後頭部に迫る。


 並はずれた長身であるワディだが、レオンもそれに劣るとは言え大柄だ。斜め上に突き出された拳は威力をもったまま神官の後頭部に届くはずだった。


 だから、レオンの拳が対応されたのは、異常事態に他ならない。


 完全に真後ろから放った打撃は、打ち落とされた。


 ワディの左腕が真後ろに向けて振るわれた結果だった。


「う、オッ……!?」


 その奇妙な動きにレオンが思わずという様子で下がった。

 それもそうだろう。二の腕が肩甲骨にくっつくほどに後ろに下がり、肘などは曲がってはいけない方向に曲がったのだ。


 しかもそれは、ワディの関節が人並み外れて柔らかい━━ということを、意味しない。


 肩は外れていた。

 肘は折れ曲がっていた。


 後頭部に当たるはずだった打撃に対応するためだけに、ワディはおそらく利き腕であろう左腕を、己の意思でめちゃくちゃに破壊した。

 あまりにもメリットとデメリットが釣り合っていない。


 確かに後頭部に重い打撃を食らえば意識を絶たれる可能性はあろうが、それで左腕を使い物にならなくしては、戦闘が不利になることは避けられないのだ。


 だが。


 左腕の破壊は、神官(ワディ)にとって、デメリットではなかった。


 ……治っていく。


 めちゃくちゃに砕けた肘が、ゴキンと音を立てて外れた肩が、元通りになっていく。


「……【上級神官】」


 ナギは思わずつぶやいていた。


 わかっていたはずだ。だから(ひじり)を使わなかった。

 神官は一撃で意識を奪うか命を奪うかしない限り、いくらでも回復する。もちろん回復できる度合いにも回数にも限度はあろうが、【上級神官】ならばその限度はかなり遠くにある。だからこそ聖を用いた短期決戦は避けたのだ。


 神官戦士は負傷をいとわず目的のために邁進できる神兵である。


 わかっていた、つもりだった。


 だが、その『負傷』は敵に負わされるケガを想定していた。

 まさかこんなにも当たり前のように、自らの関節を破壊し、筋肉を断裂させる手段をとってくるなどと、想像できない。


 改めよう。

 神官戦士とは、負傷をいとわず目的のために邁進する神兵ではない。


 神官戦士とは、自らの肉体を破壊するような無茶な動き、無茶な出力を『当然の手段』として使う、常にリミッターを外した、人型をしているだけの人以上のナニカである。


「この状況」


 ワディが長すぎる両腕を広げる。

 そうして紫がかった長髪をかぜになびかせ、天を仰ぐ。


 まばゆいばかりの夜だった。

 けれど、都市部の明かりに星は消されていた。


「この痛み」


 ナギもレオンも手出しができない。

 スキだらけだというのを一目で理解しつつ、ワディの放つ異常な空気が攻撃をためらわせる。


「ご照覧あれ」


 なんだなんだ、という様子で駅前にいた人たちが集まってくる。

 その大量の視線、どやどやという喧騒の中で、ワディは、小さく、しかし不思議と耳に届く声でつぶやいた。


「この試練を超えてみせやしょう。我ら『試練派』に七難八苦(・・・・)あれ。我らの邁進こそが、人類の上限を引き上げる歩みなれば」


 フッとワディの両腕がかすむ。

 ナギとレオンが反射的に防御姿勢をとれば、重い打撃が身を守る腕を襲った。


 いくらワディが長い腕をしていようが間合いの外のはず。

 ではなぜ打撃が届いたのか? ……そのおぞましき答えが、ナギの目に映った。


 関節を外している。

 もともと長かった腕がさらに伸び、関節という支えを失ったそれは、地面につくほどだった。


 ……周囲を見遣れば、学生たちが円を描くようにナギたちを取り囲んでいた。

 このケンカ(・・・)は娯楽に飢えた若者たちに『見せ物』として扱われてしまったらしい。人垣によって退路は断たれ、出来上がった(リング)の中は、すべてワディの長すぎる腕の届く間合い……


(ギャラリー追い散らすことは、たぶん、できない。僕が教師だって言って追い払おうとしても、そんなに簡単に言うことを聞いてくれるとは思えない。ワディさんを倒さないといけない。しかし、あの射程に、この技量。痛みで心をくじくことも、おそらくできない)


 関節を外し筋肉を断裂させながら腕を振るって、痛くないわけがないのだ。

 脱臼の痛みも肉離れの痛みも、本来は動きが止まるほどの苦痛のはずだ。それをまったく意にも介さない。おまけに意識の断絶がない限りはどのような傷も癒すときている。


(……しかも、ワディさんからは『熱量』を感じない。『なんとしても、ここで自分が魔王を確保する』という熱意、必死さがない)


 それは【槍聖】との対決を経て思うことだった。

 あの夜、【槍聖】には『自分が魔王をしとめる』という熱意があった。自分だけがそれを可能としているという、『単独感』みたいなものがあった。


 だが、ワディにはそういったものがない。

 もちろんスキを見せれば『魔王』を倒しにかかるのだろう。だけれど『なんとしても』はなかった。焦りもなく、必死さもない。そのくせ痛みと苦しみをいとわない覚悟だけがとっくの昔に決まっている。


(つまり、何かの計画の一部なんだろう、彼の行動は……そして彼の役割は、時間稼ぎ)


 状況は悪い。

 ……ナギの選択肢に『殺人』がのぼる。


 だが、それを選ぶことはできない。

 その理由は倫理観でも覚悟の不足でもなく……


「先生ッ!」


 思考の渦に沈んでいたナギは、レオンの声で現実に引き戻された。


 神官の拳が襲い来る。

 ……夜はまだ始まったばかりだ。きっとこれから、より深くなっていくのだろう。

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