第49話 煮詰まる状況
「ああ、意外と早かったようで。ようやく『少女』の血筋を証明する確たる証拠が見つかりやしたか。……この感じだと先方はまだ『少女』の血筋については知らないでやしょうな」
ワディが暗闇の中に話しかける。
そこには気配も音もない。けれど、ワディの声がたしかに吸い込まれていく感触だけはあった。
学園都市というのは侵入するのが難しい場所だが、それも学園長が手ずから創り上げたとされる一から十二の区画までだ。
学生に建築を委任した新設区画たる十三と十四からの侵入は、他の区画と比べて難しいというほどではない。
……もっとも、あの学園長は『あえて』そういう侵入経路を放置している感じもする。
ワディが対面したヘルメス・トリスメギトス王は、『底知れない』ではなく、『思慮深い』でもなく、ただただ単純に『どういう法則でものを考えているのかわからない』という、魔物のような男という印象であった。
あの学園長の思惑を理解したつもりになって行動するのは危険だろう。
獣がなぜ厄介なのかといえば、話が通じないからではなく、違った道理の世界に住んでいるからなのだ。
その道理を読み解くことができれば罠にかけることもできようが、相手は人の知性を持つ異界の獣。理解するとっかかりさえないし、何より厄介極まる異能や、彼に賛同する者たちまで存在する。
「組織力と権力と金、それに人心を掌握している獣というのは厄介でやすねぇ。まぁ、ある種の魅力があることも認めやしょう。不肖の妹もそういうところにやられたんでやしょう」
暗闇がみじろぎをする。
ワディは血の気のない頬をぐにゃりと持ち上げて笑った。
「わたくしは神のしもべですとも。全身全霊で神よりの試練を乗り越えていく所存でやす。ええ、永遠に試練とそれを乗り越えるサイクルを続けていきやしょう。今代は、我々が。そうして五十年後は五十年後の人々が。『神の試しを乗り越えられないならば、人類に繁栄は早すぎる』。わかっておりやす。我ら『試練派』に永劫の進歩あれ」
暗闇が音を吸い込まなくなる。
ワディは肩をすくめて、闇に背を向けた。
◆
「だからね、ナギさんはわたくしが領内にいた時から目をつけていたのよ。それを横から急に来た女が嫁に収まっているとか、受け入れられないわけ。わかりますか、ソーディアンのご令嬢? これは愛や恋以上に将来設計の問題なのです」
「わかります! 将来設計ですね! ところでアンダーテイル領というのはどのような感じなのでしょうか? 発展はしていますか? 主要産業は? 嫁のもらい手がだぶついていたりしませんか? 特に生活の安定した貴族様など歓迎なのですが!」
「いやあんたたちの事情とか知らないんだけど!? せ、先生はねぇ、先生の意思であたしと結婚したわけよ! だっていうのに『横から急に来た』とか言われても、あたし視点だとそっちの方が『横から急に来た』って感じっていうか……!」
「でもエリカが婚姻関係を続ける理由が消失したって、エリカが自分で認めてましたよね」
「アリエス!? 唐突な裏切りやめなさいよ!?」
「いえ、私は最初からいい男を紹介してくれそうな権力者の味方ですけど……」
「おのれグリモワールのアンダーテイル! 権力を笠に着て離間工作とか卑怯じゃない!」
「わたくしは何もしてないのですけれど……」
夜の女子会なのだった。
ソラはなんだかんだ面倒見のいいアリエスとなんだかんだ面倒見のいいエリカによって女子寮での過ごし方について説明を受けていた。
ただの説明のはずなのだが、気付けばデリバリーの夕食が持ち込まれ、急拵えのテーブルを囲んで忌憚のない話し合いに発展していたわけである。
ソラの心情的には『こいつらマジで好き勝手言うな……』というものだったが、この光景をナギが見れば『さっそく仲良くなったようで嬉しいな』とか言い出すだろう。
ソラはぶっちゃけてしまうと人間関係がへたくそなので、人を『敵』か『味方』かで分類しておきたい。
もちろん貴族界隈ではそう簡単に人を敵味方に分類できない事態も多いため、ある程度は受け入れるが……
決闘を受け入れておいていつまでも『まあその、機会を改めて……』などと言葉を濁すし、そのわりにはナギをゆずる気もないし、なんか結婚願望の塊みたいなのを連れて来るし、こういう感じの相手というのはソラにとって初めてで、どうしていいかわからない状況だった。
何より……
適切な明かりの室内灯に照らされながらああだこうだ言い合う関係性というのはソラに困惑ももたらしたが、同時に新鮮さと楽しさも感じさせている。
ぶっちゃけて言えば、この二人を『敵』と認定するほど嫌えないのだ。
……ソラは半ば家で『いないもの』とされてきた深窓のご令嬢であり、ナギの潜在スキルが判明するまではいずれあてがわれた婚約者のもとに嫁ぐ予定の『政治的な駒』でしかなかった。
それゆえに社交界への参加回数も少なく、同世代の知り合いも少なく……
ありていに言って、友達がいない。
だから、こういう関係をどう呼んでいいか、わからない。
世界にはナギと自分と『それ以外』がいた。
使用人たちにはよくしてもらったが、それはあくまでも『お嬢様』と『使用人』の関係で、対等な相手へ向ける感情はそこになかった。
だからソラの世界にはずっとナギだけがいたのだが、学園に入って初日で、こうも『ナギと同じぐらい』の距離感の人が一気に増えてしまった。
そのことに戸惑い、恐怖もしている。
ナギをなんとしても取り戻すという誓いはもしかしたらナギ以外を知らないゆえのもので、この学園で過ごしていくうちに、ナギのことも『親しい人のうち一人』になってしまい……
将来、誰か知らない男に向ける感情こそが『恋』で、ナギに向けている『これ』はそうではないのだと、気付く日が来るのではないか?
……ソラはそれを恐ろしく思ってしまったのだ。
だからこの二人のことを認め難い。同格の友人と定義できない。大事なものを増やすことへの恐怖が、ソラの態度を微妙に硬化させている。
楽しくはあるが終わってもほしい不思議な時間を過ごしているソラの感覚は、部屋に近づいてくる気配を察知した。
別にこの部屋を目指しているわけではないのかもしれないが、ほだされかけている気持ちをリセットするために「誰かが来たわ」とつぶやく。
気配はしばらくしてからソラの部屋の扉前に立ち、そして、ノックの音を室内に響かせた。
「……どういう範囲で気配感知してるの?」
察知からノックまでの時間があまりに長いのにエリカはおどろいたようだった。
もちろん【狩猟聖】の気配察知能力だが、それを明かすほど心を許すつもりはない。「さあ、どうかしら」とはぐらかして……
(そういえば、自分で対応しないといけないのだったわ)
使用人がいないので席から立ち上がり、ちょっとばかりまごつきながら「はい」とドアの外に応じる。
……振り返るとエリカが『自分もそういう時期があった』みたいな顔をしているので、また少し嫌いになれそうだった。
訪問者は寮の受付にいる職員であり、彼女はソラに届いた手紙を運んできたのだ。
受け取ってから封蝋を確認する。
……『開かれた本に角と翼が生えた紋様』。
グリモワール王家からの手紙だった。
「少し外してくださる?」
届いたタイミングから見て、かなり緊急に出された手紙だ。
この手紙一通のために、おそらく足の速さにまつわる上級以上のスキル持ちや騎乗動物が何度かリレーをしていることだろう。つまり、届けるだけで相当な金がかかっている。それだけのコストを払う手紙、ということがすぐにうかがえた。
さらに封蝋が王家のものだということもあり、内容は相当に重要なものだろう。
さすがに他国貴族や平民に見せられるものではない。
すぐに察したエリカが「じゃあお開きね。終わったら通話して。余った食べ物の保管法とか教えるわ」と述べて、アリエスを引っ張って出て行こうとする。
ソラは『余った食べ物を保管?』と首をかしげそうになったものの、「お願いします」と述べて二人に道を開ける。
基本的に食べ物は余らせて使用人に下げ渡すのが貴族の『普通』なのだ。自分で保管はしない。
そこにもやはり『学園流』があるようで、これからの異文化生活にちょっと気を重くしながら、二人の気配が遠ざかるのを待つ。
【狩猟聖】のスキルでも近くに何もいないことを確かめてから、封蝋を割り、手紙を検めると……
「……嘘でしょ」
つい、声が漏れる。
そこにあったのは『リリィ』という少女……『リリィという名前である』と聞いていた少女の、真の名と、出自と来歴。それから……
リリィ━━リリティア・グリモワールを狙う勢力の、情報。
◆
「ごめん、遅くなった」
「いや、俺らも今来たところだ」
「……なんかデートみたいなやりとりをしてしまったな……」
ナギはレオンと合流した。
とっくに夜もふけってはいるが、学園都市の駅前はあらゆる建物が光を発していて、視界に困ることはない。
むしろ学園生活は夜こそが本番だとでもいうように人通りは多く、待ち合わせ場所に指定された『変なオブジェ』の前には、ナギやレオン以外にもたくさんの若者がいた。
レオンはナギをじっと厳しい目で見つめ、それから、心を落ち着かせるためなのだろうか、額から右目を経由して伸びる傷跡を指でなぞった。
そうして視線をチラリとかたわらに立つ『白い少女』に向ける。
「……実は、こいつについて、いくつか質問をしたんだが、俺じゃあ受け止めきれねェ情報がさっそく一個出てきやがった。どっか内緒話ができる場所でさっさと話してェんだわ」
「お、優秀だね。僕なんかまだ一言も口を利いてもらってないのに。さすが毎月知らない人を拾ってるだけのことはある」
「先生はそういうつもりじゃねェのはわかるんだが、それ、普通に悪口だからな?」
「そうなのか……申し訳ありませんでした」
「いやそんなガチで謝られても困るけどよォ!? ……あー、とにかくだよ。どっか秘密の話ができそうな場所がいいな。知ら……ねぇよな。学園に来てまだ一週間ぐらいだもんな」
「そうだね……しかもメインの業務が『資料読み』だから滅多に外にも出ないし……」
「わ、悪かったよ……忙しいとこすまねェな……」
「いや、これについては僕が好きで首を突っ込んでるから、謝らないでほしいな。僕の学習指導要項読みと交渉以外の業務は、自分で増やしてる側面があるし……」
「なんか闇が深そうな気配が……あのな、先生、なんていうか……抱え込みすぎんなよ。力を借りるってのも大事だぜ」
「レオン君が言うと言葉の重みがすごいね」
「先生はそんなつもりねェんだろうが、それちょっとした悪口にも聞こえるからな」
「申し訳ありません」
「だからよォ……ま、どっか適当なところに案内するわ。この時間だと……」
レオンが生徒手帳を開いて何かを探し始める。
ナギと少女がレオンの両隣で生徒手帳をのぞきこむ。
同じ動作をしたからだろう、つい、ナギと少女はお互いを見てしまい、視線がぶつかった。
ナギは微笑みかけた。
少女は無表情のままナギをじっと見上げたあと、背伸びの姿勢でレオンの手もとをのぞき込むのに戻った。
ナギが視線を戻そうとした時━━
人混みの中からこちらに向けて進んでくる、長身痩躯の神官を目撃した。
「おや、縁がありやすな。今回は先生にお目にかかろうってんじゃあなかったんでやすが」
声に反応して、レオンも視線を向ける。
そこにいるのは大柄なレオンがなお見上げるほどの長身だ。
がっしりした印象のまったくない痩身の男が視線に応じるように腰を曲げて一礼すると、そのままボキリと折れてしまいそうな頼りなさがある。
威圧感ではない。
不気味さが先立つ。
レオンが反射的に少女をかばうように一歩前に出たのは、彼の『無意識の勇気』のたまものだろう。
ナギもまた臨戦態勢になり、しかし顔には微笑みを貼り付けたまま、応じる。
「僕が目的ではないとなると、その子の確保が目的でしょうか? しかし、学園側としては、『彼女の引き渡しはしない』というのが結論なのですが……」
「ああ、ああ、いえいえ、もうそういうのはいらなくなったんでさあ。ようやく大義名分が確保できやした。……ランサー公は機を見て敏にすぎやしたな。強いお方でやすから独断専行しちまう気持ちもわかるのでやすがね」
「つまり、あなたは何をすると?」
「力づくで確保するのでさあ」
「学園を相手にそれができると?」
「ええ。できます」
「あなたはランサー公より強くないと思われますが」
「わたくしはそうでやすね。けれど━━神殿は、学園より強いし、国家よりも強い」
「……」
「大義名分の確保ができたというのは、そういうことでやす。……さて、最後の通告でやす。わたくしどもの派閥に入りやせんか? 手土産はその女の子の身柄でよろしいでございますよ」
「学園の……いえ、僕の回答を、改めてお伝えしましょう」
「拝聴しやす」
「僕は生徒の自由意思を尊重します。彼女が望むなら、引き渡しましょう」
「望んでそうな様子ではありやせんねぇ」
少女はレオンの背中にしがみつくようにしている。
とぼしい表情。揺れない瞳。けれどワディを見つめる色素の薄い瞳には強い警戒と拒絶がある。
だからナギは答えた。
「でしたら僕の答えはこうです。『お引き取りください』」
「まぁ、こちらもガキの使いじゃありやせんので。こいつもまた『試練』ってぇことでしょうなぁ」
ワディがだらりと両腕を垂らす。
長身痩躯が振り子のように揺れ始める。
「威力偵察を開始しやしょうか」
ゆったりとした動作で、一瞬で距離が詰まる。
小さな動作で、長すぎる腕が薙ぎ払われる。
……強い風が吹き抜ける夜の入り口のことだ。
ナギにとって初めてとなる、『人の多い駅前』というシチュエーションでの戦いが始まった。




