表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/72

第47話 競合

 こういう時にどこか個室があって内緒話ができるような場所を知っていればよかったのだが、ナギの知識にそういった店はなかった。

 学園都市の中にはたくさんの『外』ではお目にかかれないようなお店があるのだけれど、そういうものを開拓する暇もなく、学習指導要項を読み込んだり、雑務をこなしたり、事件に首を突っ込んだりしていたからだ。


 だからナギが内緒話をしようと思ったら、学園の路地の奥深く、スラムに向かって歩を進めるしかなかった。


 ……夕刻はいまだ終わらず、違法建築で入り組んだ『迷宮』に二人の影を長く落としている。


 風はいっそう強くなっているように思われた。

 気温そのものはやはり日が陰ったところでそう低くはない。けれど衣服を体に押し付けてくる乾いた強い風には、身を切るような冷たさを感じる。


「気配はありますか?」


 迷宮(スラム)に少しだけ入って、これ以上は迷わずに帰るのが難しそうだなというあたりでナギは足を止める。

 石材と木材が複雑に入り組み、建物と建物に急増と思われる橋が渡され、正規の入口が塞がれている一方で二階以上の窓に向けてハシゴがかかっていたりする、スラム地帯。


 無法にして無秩序に見えるのは、ナギが秩序側の人間だからかもしれない。

 ここには確かに秩序があるのだろう。ただしそれは、学園を『まとも』に利用している者からすれば『混沌』と感じるような、独特の秩序……


 異世界感、とでも言うのか。


 世間から見たこの学園都市のような。

 あるいはこの世界の人から見た異世界転生者のような……


 ナギから見た、神官ワディのような。


 そういう、『違った法則で運営されている感じ』が、路地を一つ入った程度の場所に、濃厚にあふれていた。


「へぇ。あたりには誰もいやせんな。ナギ先生はそういうのはわからないんで?」

「……あの、たぶん僕のスキルを鑑定してますよね? なら、僕にそういったものを感じ取る力がないことはおわかりいただけているかなと」

「……いやはや。しかしですね、先生。そういうのはわかっていても、言葉にしない方がいいかと思いやすぜ。何せ神官は専用の道具がないとスキル鑑定をできないことになっている(・・・・・)んですから」


 潜在スキル鑑定の儀式は世界各地で行われているが、そのさいには水晶だとか、あるいは杖だとか、そういった物が持ち出される。

 神官系の先天スキル持ちは『鑑定』という技能を持つが、それは専門の道具なしでは行えないものである━━

 ━━という、パフォーマンスのためだ。


 この世界はスキルがすべて。


 そして特に先天スキルについては『よほど信頼できる相手以外には明かさない、人生においてもっとも重要な秘密』の一つに数え上げられる。

 それを簡単に閲覧できてしまう神官というのは気分的に『嫌な感じ』だ。

 だからこそ神官は『道具がないと鑑定できませんよ』という演出をする。


 ワディは血の気の薄い白い頬をぐにゃりと持ち上げて笑う。


「ナギ先生、神官が道具なしでスキル鑑定できるってぇのは、機密ですぜ。そいつを守るために神官は子供が生まれたとくればすぐさま向かっていって新生児のスキル鑑定をして、神官系の先天スキルがあれば引き取り、神殿で教育をするんでさあ。……ま、すべての新生児をカバーできてるわけじゃあありやせんから、半ば『秘密ということにしているだけのもの』でもありやすが。それでもね、知らない人は、知らないもんでさあ。みだりに外で吹聴されると困っちまいますねぇ」

「もちろん人には言いません。ハイドラ先生にご迷惑がかかりますから」

「そいつぁいい心構えで」

「それで、僕のスキルは見てますよね?」

「へぇ。そういうことでしたらお答えしやす。【教導】【スカ】、それから【文字化け】でやすね。ま、すでに『魔王』は確認されてるもんで、先生が『魔王』でないことは確定的でございやすが、いちおう、わたくしが確認した限りですと、『魔王』とは違った模様にお見受けいたしやす」

「……その神殿勢力が、『魔王』を管理下に置けていなくて、慌てて確保しようとした理由などは、聞いても?」

「あの子の母親が神官だったんでさぁ。そうして、あの子の生まれた時のスキル鑑定は母親が行い、その結果を隠していた」

「……」

「母の愛ってぇやつで。『魔王』だなんて知れた日にゃあ、安寧はございやせんからねぇ。……ご存じですかね? 神官系の先天スキルを持って生まれたもんは、神殿に集められていっしょに幼少期を過ごします。その環境から、特に同世代の連中のことは『シスター』だの『ブラザー』だの呼ぶんで。こいつは血のつながりよりも濃い関係だと言われてやすがね。……ま、腹を痛めて産んだ我が子との関係よりは薄かったらしいや」


 ワディは肩をすくめてみせる。

 背が高く、細く、手足が長い彼がそういう動作をすると、ほんの細かい動きであってもオーバーに見えた。

 彼の滅多に変わらない表情や、澱んで光を映しているようには見えない紫色の瞳よりも、その動作がよほど雄弁に彼の感情を表しているようだった。


「さて、こんな奥まったところまでお越しいただいた本題を終わらしちまいやしょう。……わたくしはね、魔王をぶっ殺す派閥なんでさ。きっとこの学園の方針とも同じだと思いやすが」

「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」

「【ぜんまい仕掛けの神(Clockwork)】ってぇスキルの受動的(パッシブ)技能はご存じで?」

「いいえ」

「……あれはね、『歴史修正』をやるんでさあ。ま、詳しいところはスキルを持った当人にしかわからねぇことでやすが、結果から観測してつけられた名前が『歴史修正』だの『異常生存』だの……ようするに、『生き残れる可能性がわずかでもある限り、必ず生きて起動の瞬間を迎える』ってぇもんなんで」

「ちなみに【ぜんまい仕掛けの神(Clockwork)】はどのように世界を滅ぼす……『文明のリセット』を行うのか、うかがっても?」

「ええ、ええ、なんなりとお聞きください。あいつはね、人間を消します。存在した記録も、その人のことを覚えている誰かの記憶も、ぜんぶぜんぶ、消しちまうんですよ」

「……そういう感じですか。なるほど」

「お? ずいぶん簡単に飲み込みやしたね。こいつぁちょっと、理解し難い概念だと思いやすぜ」

「いえ。まあ、なんとなくわかった程度ですが」


 これは前世の記憶のお陰だろうか。

 歴史修正、存在抹消、『いた』という事実の消去……こういったわかりにくい概念を理解するためには、そういう娯楽に触れた経験が必要になるだろう。ナギには覚えがあった。ただ……


「それでどうして『文明のリセット』までいくのかは疑問ですが」

「ああ、たぶん、規模が想定を超えてやす。世界人口が半減する、と言えば重大さをご理解いただけるでやしょうか」

「…………さすがにおどろきますね」

「の割には落ち着いて見えやすが……ともあれ、神のなさることとはいえそいつを許せるほど神殿も寛容ではない……というか、それは神に仕える者として超えるべき『試練』だと、そういう見方が一般的でやす」

「実際問題、世界人口が半減するレベルの『リセット』で、記憶や記録を完璧に消し去ることなど可能なのでしょうか?」

「五十年前から今まで、特に問題なく時代が続いてやす。それが答えになるかと」

「…………五十年前に発動したんですか」

「半ば、といったところでやすが。中心地だったグリモワール王国からは『魔王』にかんする記録と記憶がごっそり消えているかと」

「……なるほど。失われるものにはある程度の『基準』がありそうですね。ところで、なぜこれほどの情報を僕にオープンしたんですか?」

「率直に申し上げやす。ナギ先生には、わたくしどもの派閥に加わっていただきたいんで」

「……あの、僕は新米教師で、潜在スキルは【スカ】ですよ。お力になれることは何もないかと思いますが」

「【魔神】【狩猟聖】」

「……ああ、なるほど。部屋で会った時にすでに鑑定していたんですね」

「お叱りは受けやしょう。ことが『魔王』なもんで、競合相手への警戒は最大限にしておりやす」

「でも、それでアンダーテイル侯爵ではなく、僕の方を引き込もうというのはなぜですか?」

「侯爵様には先天スキルがなかった。侯爵様とナギ先生は親しい間柄のようにお見受けいたしやした。ナギ先生以外の手によって『潜在スキルの追加』が成された可能性もありやすが、あの仕儀はまず間違いなく【文字化け】の仕業でやす。なぜなら、神殿は【教導】持ちの【狩猟聖】を把握しておりやせん。ですのでまあ、ナギ先生が何かをなさったのだろうと、そう推理させていただきやした」

「さすが、難しい交渉の担当として神殿から派遣されたお方だ。お見事です」

「カマかけたのは謝罪いたしやす。しかし、しらばっくれなかったのは意外でやした」

「『しらばっくれる』という状況になった時点で、すでに疑いの目は向いていますからね。疑われたまま探り合いで時間をとられるのは好ましくない状況かと思いまして」

「いやはや」


 ワディは喉を反らして天を見上げ、大きな分厚い手で顔を覆った。

 そして、再びナギに視線を落とし、


「おそろしいお方だ」

「……恐縮です?」

「それで、どうでやしょう。魔王殺しを承諾しちゃあ、いただけやせんか?」

「基本的に頼まれたら引き受けたいところなんですが、今回はだめです」

「だめかあ。理由をうかがっても?」

「事前に受けていた学園長からの指示と競合します。学園はすべての勢力に対してあの少女を引き渡しません。たとえ死神が相手でも、僕はあの少女を渡さない」

「わたくしどもの派閥に加わるタイミングが、今しかないとしても?」

「そうですね。あなたが待っている『何か』が僕たちのあいだに埋め難い溝を作るとしても、僕の所属は学園都市で、僕が今優先するオーダーは『少女を渡さない』です。だいたい……」

「?」

「話の中心である彼女をまったく無視して、無関係な人たちで勝手に処遇を話し合っている現状に対し、僕はひどく不満を覚えています」


 ワディの片眉が跳ね上がる。

 それは『不可解』という題名をつけるべき表情だった。


 だからナギは、補足した。


「当人の人生は、当人の自由であるべきだ。そうは思いませんか?」

「しかし、世界の命運が、多くの人の『存在』がかかっておりやす」

「そうだとしても、彼女には自由を勝ち取る権利がある」

「……数多の犠牲と引き換えにしてまで保障するほどの自由など、ありゃあしません」

「そうですね。彼女の自由は多くの人の自由と競合するかもしれない。たった一人が気ままに振る舞うために、多くの人を恐怖させ、あるいは殺すより酷い目に遭わせるのかも」

「……わかっていながら、自由を肯定すると?」

「賛同はしなくとも肯定はします。きっと彼女が『文明のリセット』を行う瞬間には、僕もまた、彼女の脅威に立ち向かうべく戦うことになるかなというふうには思っていますよ。けれど、まず、彼女には、彼女の意思をたずねたいし……そのために力が必要であれば、協力もします」

「なぜでやしょうか」

「彼女が僕の生徒だからです」

「……」

「やりたいことをやるために教育をするのが、僕の立場であり、意思であり……僕の選択する、僕の『自由』です。何も知らないまま自由を奪われることを、僕は許容できない」

「なるほど」


 ワディの両腕がだらりと垂れて、細長い全身が振り子のようにゆらめく。

 それが彼なりの臨戦態勢であることをナギは感じとった。


 空気が圧力を増し、日差しはついに地平線に呑まれる。

 濃い闇があたりを覆い始め、風がいっそう強くびょうびょうと吹き荒れ……


「……ま、先生のご意見は、しっかりと拝聴しやした」


 空気の圧力が、減じた。


 ワディはゆったりと肩をすくめる。


「どうやら先生も狂っておられるようで。わたくしも交渉官なんぞやらされるもんですから、それなりに人を説き伏せる手管はございやすが……あなたは説けない。この世界の道理で動いていやせんからね」

「そうでしょうか?」

「ええ、まったくもって、そうでやす。……【ぜんまい仕掛けの神(Clockwork)】が起動したその瞬間に消えるのは、あなたの大事な誰かかもしれないってぇのは、想像が及んでいやすか?」

「もちろんです。そして、僕自身かもしれない」

「……その上で今の結論なら、そいつぁもう、狂っていると言われても仕方ないでやしょう。別に『魔王』に思い入れがあるわけでもなさそうだ」

「名前も知りませんし、まともな会話も一回もないですね」

「いやはや。……ああ、ああ、まったく。お時間とらせて申し訳ない。あんたとの話し合いはどうにも、全部無駄のようで」

「なにやら失礼を働いてしまったようですね。謝罪します」

「何が悪いのかわからないのに謝るのはいけませんぜ。……それではナギ先生、こちらの準備が整ったら、またお目にかかりましょう」

「ちなみにその『準備』は何をしているかうかがっても?」

「ははは。では、失礼いたしやす」


 死んだ目で乾き切った笑い声を立てて、長身痩躯の男はナギに背を向けた。

 夜は深まり、白い服の大きな背中がすっかり暗闇に呑まれるまで、五歩といらない。このままここに留まっていては、帰り道がわからなくなりそうだ。


「……ずいぶん待たせてしまったかな」


 ナギはレオンに通話をしようと教員免許を取り出した。

 ゆっくりでいいとは言われたが、謝罪の文言ぐらいは考えておいた方がいいだろう━━

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ