第46話 路地裏の語らい
ソラと昼食をとったけれど、それだけだった。
彼女は特に『アンダーテイル侯爵』としての会話をナギとしようとはしなかったし、ナギもまた『学園教師』としての対応はしなかった。
近況を報告し合い、学園特有の文化におどろくソラにひたすら同意し、それから学生寮に彼女を案内して、それぐらいだ。
そうしてソラと別れたあと、ナギは再びレオンへ通話を試みた。
時刻はお昼よりは夕刻に近いだろうか。
この季節はまだ暖かいが強い風が吹き付けるので冷える感じがした。日は長いのでいまだ夕暮れは遠そうに思えるけれど、実際にはもうほんの少しすれば世界が茜色に染まっていくことだろう。
学園の広い通りを歩きながら教員免許で通話をしていると、前世の記憶がフラッシュバックするような心地がある。
オフィスのたくさん詰まったビル群。広い広い四車線の大通りを右に寄って歩く。
生徒たちは『これだけ通りが広いのに、なんでわざわざ端っこに寄って歩かなければならないのだろう』という感じで、堂々と真ん中を歩いている。
この世界においてはそれでいいのだろう。何せこの世界に自動車はない。この、人が歩くには広すぎる通りは人だけのものであり、どこからか来る自動車を警戒して端に寄る必要などないのだ。
いくらかのコールをしたあとで、通話がとられる気配があった。
ナギは近くにあったビルとビルの隙間に身を躍らせて、外壁に背中をつける。
そして通話口からの声に耳をかたむけた。
「よォ先生、どうした?」
やや乱暴そうな低い声はレオンのものだ。
追い詰められていない彼との通話は初めてになるが、第一印象は『機嫌が悪そう』というものだった。
レオンという大柄な青年はとにかくいつでも機嫌が悪そうな印象がある。目つきとか、声とか、人を威圧する波動を帯びているのだ。
しかし実際のところは別に、機嫌が悪いというわけでもないのだろう。
まだレオンとの付き合いは浅いのだが、彼はおどろいていたり、怖がっていたり、あるいは慌てていたりすると、とにかく不機嫌そうな様子になる傾向がある。そして彼はかなりの頻度でそういう様子になる。
本人も自覚しているようだが、小心というのか、『心のキャパシティが狭い』感じとコワモテが作用して人に『怖い人』という印象を与えるところがあるのだ。
「もしもしレオン君、女の子は今、いっしょかな?」
「あー……実はそのことで今、困ってんだよ」
「どうしたの? 襲撃?」
「いやそんな頻度で襲撃はされねェんだわ。そうじゃなくて……その、学生寮が男子宿舎と女子宿舎にわかれてるのは知ってるよな?」
「そうだね」
教員宿舎は特に男女でわかれていないが、学生寮……正しくは『学生寮のある区画』は男女で居住区が別れている。
まあ居住区以外の会議スペースなどは男女兼用ではあるが、宿泊スペースは男女別だと、地図で見て知っている。
「だから女子宿舎に置いていこうとしたんだけどよ……離れねェんだわコイツ。俺何かしたか? なんでコイツはこんなに俺に懐いてるんだ?」
「女の子本人はなんて?」
「いやしゃべらねぇんだよ。女子寮に行けって説得してもついてくるばっかでよォ。だから困ってんだ」
「もしかして、しゃべれないとか?」
「いや、それはねぇな。会話はしたことある。急にだぜ、しゃべらなくなったの。無口にも限度があんだろ」
「……実はね、その子の安否確認と、希望の確認がしたくて話をしたかったんだけど……」
「希望?」
「故郷に帰りたいか、この学園で過ごしたいか」
「……いや『故郷に帰る』って選択肢はあんのか? この学園で教育しないと……ヤバいんだろ?」
「あの学園長が本腰を入れて挑もうとしてることだから、きっとヤバいんだとは思う。でも、それはそれとして、女の子本人には、本人の望みがあるはずだろう?」
「そりゃア、そうだけどよぉ……世界の危機的なアレなんだからしょうがねェだろ」
「まあいろいろなしがらみがあるからね。叶えられるかどうかはわからない。でも、とりあえず望みの一つも聞いておかないことには、教育者として方針を定めることもできない。だからまずは話をしたいんだよ」
「……まぁ、口きいてくれるかはわかんねェけど、とりあえず連れて行くわ。俺も俺で先生に言いたいことあるしな」
「なんだろう。ドキドキするな」
「いや聖剣がな、俺の……とにかく通話口だと説明しにくいんだよ。だからまずは落ち合おうぜ」
「わかった。場所は……」
「ソラとかいうのに見つからない方がいいだろ? なんか交渉上の情報制限みたいな……だったら宿舎から遠い七区と十三区のあいだぐらいでいいかな。えーっと、学園の地理はわかるんだっけ?」
「時計のように一から十二までの区画があって、南西に追加されてるのが僕らのいる十三区画だよね」
「そうそう。だから七区と十三区は隣接してるんだよ。このへんなぁ、直感的じゃなくて新入生は混乱するんだわ。エリカとかも最初キレてた」
十三区画が『追加区画』である理由はおそらく、ハイドラの病院……救護院だろう。
あれの保護のために学園長は学園を増築したのだと思われる。
レオンはしばらく悩むように「あー」と声を発してから、
「じゃあ、十三区画一番街駅でいいかな。南口あたりに変なオブジェあるからそこで待ち合わせようぜ」
「『変なオブジェ』?」
「いや『変なオブジェ』としか言えねぇんだわ。翼を広げた鳥のようでもあり……何かをつかもうとする人の手のようでもあり……強風になびいたカツラだとか、風に揺れるシダ植物だとか……誰かを取り囲んで袋叩きにしようと素早く動くシルエット的な……」
「タイトルとかないの?」
「ねぇんだよ。作者不明、名称不明。そもそもあれ、無許可で置かれたモンだからな」
「撤去されないのか……」
「まあみんな『別にいいじゃん』って感じで受け入れてるしな。学園のランドマークが必要そうな場所にはだいたいあるぞ、そういう意味不明オブジェ。なんか勝手に作って置いていく集団がいるっぽい」
「学園の治安」
「無害だしいいんじゃねぇの? いちおう危険物じゃないことは調査されてるらしいし。とにかく十三区画一番街駅南口変なオブジェ前で」
「わかった。変なオブジェは一目でわかるのかな?」
「わかるわかる。デカいし」
「何が目的でそんなものを置いていくんだ……」
「いや、目的のわかんねェ活動してる連中めちゃくちゃいるぞ。夜道で悪いことしてるとサッと来てサッと悪者を半殺しにして去っていくオオカミ女とか。あれはぶっちゃけアリエスだろうけども」
「まあ物的証拠はないからなんとも言えないよね」
「とにかく俺を巻き込まないなら好きにしてくれって感じだ。じゃ、あとでな。なるべく早く行くから先生はゆっくり来いよ」
「わかった。ありがとう」
通話を終えて教員免許を閉じるころには、時刻が夕暮れに差し掛かっていた。
路地の隙間から見上げた大通りは、鏡張りのオフィスビルにまばゆく茜色の日差しが反射している。
その茜色の光を遮る人物が、路地の出口に立っていた。
長身痩躯の神官。
澱んだ紫色の目を持つ、疲れ果てているような、覇気のない人物……ワディだ。
「どうも。いやね、姿をお見かけしたもんですから、ごあいさつの一つもしようかと思いまして」
ワディは立ち塞がるようにそこにいる理由を手短に説明した。
ナギはため息をこらえながら笑みを浮かべる。
「これはこれは、ご丁寧に」
「そしてですね、ご多忙のところ大変申し訳ないんでございやすが、ちいっとばかし、わたくしに付き合っていただきたく思いまして。ええ、お時間はとらせやせん。何卒よろしくお願いできませんでしょうかねぇ?」
「とはいえ、引き渡し交渉においてこちらの意見は変わりませんが……」
「ああ、アンダーテイル侯爵のいらっしゃるところだと、こっちも切り出しにくいことがございやして。なに、本当に、ちょっと事実確認をするだけなんでさあ。どこか腰を落ち着けられるところで話したいところでございやすが、ここでもかまいやせん。たった一つ、確認するだけでございやす」
「では、うかがいましょうか」
「【ぜんまい仕掛けの神】」
「……」
「ああ、ご存じのようで。この名を知っているってことは、この名の持ち主がどういう存在かも知っているってぇことでございましょう? となると気になるんじゃあありやせんか? わたくしが『どっち』か」
ナギは隠していたため息をあらわにした。
茜色の光を背後から受けて黒い影のようになっている長身痩躯の顔色の悪い男は、今、どんな表情を浮かべているのだろう?
「場所を変えた方がよさそうですね」
ナギは言った。
ワディは胸に手を当てて一礼する。
「お気遣いに感謝を」
逆光を背負って真っ黒くなった男が、長すぎる手足を動かしてする動作は、なんとなく人形劇を思わせた。
誰が彼を動かしているのか。知るべきか、それとも知らぬべきか。
(まあ、僕は『知る』方をすでに選んだのだけれど)
また仕事が増えそうだな、とナギは肩をすくめた。




