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第45話 不安と悩み

 昼食時になってようやくワディが『どうぞ、前向きにご検討くださりますよう、お願い申し上げます』と去っていくと、ようやくナギは徒労感あふれる交渉業務から解放される。


 ソラがいる限りワディもいつまでも帰りそうもなかったので、ソラもいっしょにいなくなったわけだが、のちほど合流して昼食をとる予定だ。

 もっとも、このあたりの食事どころは昼飯時は学生でごった返すので、ちょっと遅めの時間を狙うことになるだろう。

 幸いにも、まだ授業が始まっていない……ナギ的に言えば『春休み』……気候的には長めのゴールデンウィーク? の期間なものだから、時間に自由は利く。


(というか、僕の正式業務、まだ始まってないんだよな……)


 この感じで正式な授業が始まってしまうといよいよ過労死が重苦しい足音を伴って背後に近寄ってくる気がする。


 とにかく胸襟を開けない相手とまったく建設的ではないがスキを見せることもできない会話をし続けるというのは、疲れる。

 教職員寮のロビーでナギがソファの背もたれに体をあずけて天井を見上げていると、寮の扉が開いて誰かが入ってくる気配があった。


 視線を向ける力もないが、その人物が目の前に立ったので、誰だかわかった。


「ハイドラ先生」


 白衣姿の、癖のある黒髪を長く伸ばした美女が、そこにいる。


 彼女はいくぶんか疲労の抜けた顔でいたずらっぽく微笑み、


「どうしたナギ先生、普段の私のような姿勢で天井を見上げて」

「……わかってて聞きますか」

「疲れただろう? 甘い飲み物でもどうだ?」

「いただきま……うわ、缶コーヒーだこれ。この学園、自動販売機もあるんですか?」

「一部エリアにな。たとえば私が今までいた会議室などに」


 渡されたコーヒーを受け取って、懐かしいプルタブを開ける。

 口に含めばコーヒー特有の風味と強烈すぎる甘さがあった。


「……もしかしてコーヒーと砂糖を安定的に確保する手段があるんですか?」

「コーヒーについては本来のものではないらしい。学園長に曰くこれは『代用コーヒー』だそうだ。砂糖にかんしては……まあ、実はよく知らない。砂糖の安定供給は『外』への影響が大きいからな。あの学園長も仕入先や作り方について伏せているのだろう」

「改めて異常文明都市ですね……」


『外』での砂糖の扱いについては『貴族しか手に入れることができない』……とまではいかないが、気軽に自販機のジュースに入れてそこらに置いておけるほどではない。『一般家庭にも常備はできるが、使用量には気をつかう高級調味料』になるだろうか。

 この学園の支払い形態だと自動販売機が『街中に放置されている貯金箱』にはなりえないが、中にある商品が『学園外に流すといち財産にはなるもの』ではある。それがあまり設置されていない理由なのだろう。


「ブラザー・ワディはどうだったかな」


 ハイドラがソファにつきながらたずねてくるので、ナギはしばし考えてから口を開く。


「……なんとも言えませんね。だって彼、まだ本気で交渉するつもりがないようですし」

「ああ、わかるか。すべての陣営が時間稼ぎをしている。我々はそれに付き合わされているというわけだ。ひどい徒労だろう? だがね少年、大人の仕事は八割が徒労なのだよ」

「それは言い過ぎでは」

「いや、これでも控えめな表現だよ? 『二割』のためにポジションを不利にしないように、何も進めないお互いの立ち位置と立場の探り合いという名の徒労が大人の業務のほぼすべてであり、『二割』にかかわって達成感を得られる者は限られている」

「今回の僕は『八割』の側ですね」

「そうだね。まあ、それがいわゆる『下積み』というものだ。……疲れるだろう? この仕事は」

「そうですね。ハイドラ先生の苦労の一端を知れた気がします。ご教示ありがとうございました」

「なに、若者に苦労を押し付けるのが先達の役割だ。気にすることはない。……それで、アンダーテイル侯爵はどうだったかな?」

「まあ、三つの陣営の中で一番情報を持っていないのは事実でしょうね。アンダーテイル家は正直、この交渉の中で一番不利だ」


 そこから少しばかりの沈黙があった。

 それは発言すべきかどうかという迷いがもたらした『間』だったようで、しばらくすると、意を決したハイドラが口を開く。


「……君はアンダーテイルの肩を持つかな?」

「さすがに上司の命令を無視してまではしません。それに、僕が肩を持つとすれば、あの女の子がアンダーテイル領に帰って今まで通りの生活をしたいと述べた時だけです。何せ、彼女が当事者なんですから」

「なるほど」

「……彼女、また襲撃されてたりしませんよね? あまりにもノーガードで放り出してるんですけど」

「まずね、学園内で人が襲撃されるというのが『異常事態』に分類されることを君には覚えてもらいたいんだ」

「しかし僕、ここに来てから一週間ぐらいでかなり襲撃を受けたり受けてる人を見たりしてますけど」

「君が巻き込まれてるのはだいたい『異常事態』だよ。……いいことを教えようか少年。人間はね……実のところ、さほど暴力に頼らないんだよ」

「すみません、わかりません」

「君は運が悪いんだ。理解するといい。こんな頻度で暴力沙汰に巻き込まれる人は、この学園内においてはそうそういない。自分の体験を基準に世間の常識を測らない方がいいよ」

「……まあ、いいか。それに、何かあれば学園長がどうにかしますよね。さすがに」

「さすがにな。護衛も監視もなく『あの少女』を放り出すほどではないだろう。ないよな?」

「ちなみにハイドラ先生はあの女の子の正体を知ってますよね」

「実は知っている。だから、さすがにあの学園長でも無手でそこらへんをうろつかせたりはしないと思っている。しないよな?」

「さすがにしないでしょうね」

「そうだな、さすがにな」

「…………」

「…………」


 言い知れない不安が空気中を漂っていた。

 ナギは耐えきれずに立ち上がった。


「ちょっと女の子の様子の確認をします」

「うん、それがいい」


 教員免許を取り出してレオンへと通話を始める。

 しばらくコール音が続き………………


「……出ませんね」

「ちょっと学園長に連絡してみよう」


 ハイドラも教員免許を取り出して学園長に通話を始める。

 しばらくコール音が続き………………


「……まあ、なんだ、きっと通話できない状態なのだろうね」

「そうですよね。お昼時ですし、お店の中とかで気付いてないのかも」

「…………」

「…………」

「……うん、私はちょっと用事があるのでついでに『王城』でも行ってみるかな」

「そうですね。僕もこれからソラと昼食なので、彼女を案内するついでに学生寮でも見てみます」


 ナギとハイドラは見つめ合って笑った。

 そこには信頼できない上司のもとで働く同僚特有のシンパシーがあった。



 別にレオンは事件に巻き込まれていたわけではない。

 単純に大事な話をしていただけだ。


「……そういうわけで『聖剣』が俺の中にあるっぽいんだが、聖剣ってそういうモンなのか?」

「何それ、知らないんだけど」


 レオンはエリカを頼るしかなかった。

 話ができる中で一番『聖剣』に詳しそうなのが、王城を聖剣のある場所に建てたというカリバーン王国の三大公爵家生まれのエリカ・ソーディアンだったからだ。


『大事な話があるんだ。どこか秘密の話ができる場所で会えないか?』と切り出した時には通話口越しになぜかすごい威圧感のある『は!?』が飛んできたが、事情を説明すると面会が叶った。


 ついでに後ろをちょこちょこくっついてくる『白い少女』に飯を食わせてやりたかったので食事どころにする。


 エリカに話を聞く都合上彼女をもてなす必要もあり、さらに個室がある店となるとレオンは該当店舗を一つしか知らない。

 なので『地元で貴族の行儀見習いをしていた人たちが店員をやってるガチ貴族の喫茶店』を指定すると、『朝も行ったんだけど』という大事故が発生した。


 発生したが他にいい店も知らないので店で落ち合ったところ、エリカはアリエスを連れてきたし、レオンは白い少女を引き連れているので、四人での会食となったわけだ。


 よく磨かれたツヤのあるテーブルを挟んで二対二で向かいあい、干し葡萄が乗ってるルー別添えタイプのカレーとか、指を突っ込んだらそのままハマッて抜けなくなりそうなサイズの器に入ったスープとか、あとなんかすごそうなホットサンドとか、そういうものが並んだあと、話を切り出した。


「だからよォ、ナギ先生にあずかった魔法剣が聖剣になって、そんでもってその聖剣は消えたんだが、どうにも俺の中にあるっぽいんだよ……」

「何一つわからないのよね……まずなんで先生から渡された魔法剣が聖剣になるの?」

「そこは俺もわかんねェんだっつーの。んでその剣で【槍聖】をぶった斬って……」

「は!? 【槍聖】を斬る!? どういう状況!?」


 ……というように、状況が意味不明すぎて擦り合わせるにはかなりの時間を必要とした。


 ようやく説明を終えたころ、食後のコーヒーが運ばれてきた。

 店員が個室を辞したあと、エリカが長い長いため息をついた。


「ランサー公が…………女の子を襲撃…………? 受け入れられないわ…………」

「ちなみにランサー公ってどういう人なんだ? 平民視点だと『ひたすら強い』ぐらいしか情報がねェんだよ」

「あの方はすごく立派なお方よ。老齢でいまだに当主の座を退かないことにいろいろ言われたりもするけど……少なくも私利私欲でそうしているわけじゃないことは、あのお方のなさっていることを知っていればわかるわ」

「具体的に何をしてる人なんだ?」

「一言で言えば『国家守護』ね。魔物被害が出た地域に私費で派兵したり、あとは養護院なんかを建てたり……あたしが学園まで逃れられたのも、あのお方の助けがあったお陰だって聞いてるわ」

「へぇ。いい人じゃん」

「そうなのよ! それを斬った!? あんた国賊よ、それ!」

「や、やめろよ……不安になってくるだろ……俺、捕まらねェかな、本当に……っていうかこの話、してよかったのか?」


 もちろん【ぜんまい仕掛けの神(Clockwork)】の名前だとか、少女が魔王とか呼ばれていろんな勢力に狙われてることは伏せた。

 そのせいでランサー公が『なんかよくわからないが女の子を突き殺そうとする人』になってしまった。このあたりもエリカが受け入れられない理由になっているだろう。


「知らないわよ! ……まあ学園内で起こした事件で、学園長が裁いたなら、学園内ではそれでおしまいだと思うけど……しばらくカリバーン王国には来ない方がいいかもね。王国民としてランサー公を斬った相手に悪感情が湧くのは避けられないもの」

「一生行かねェ」

「いや、来てもらうことになるとは思うけど」

「なんでだよ!?」

「だってあんたの中? に『聖剣』があるんでしょ? 精査の必要があるわよ。しかもそれが『聖剣』であることはランサー公が認めたぐらいなんでしょ?」

「まァ、見た目はそっくりだっつーリアクションだったけどよォ」

「……ぶっちゃけね、『聖剣』についてはよくわかってないことが多いのよ。あたしも実物を見たことはないわ。そのうちあたしが抜くかもとは言われてたけど……」

「そうなのか」

「台座に突き刺さったまま誰にも抜けないから、それを悪しき者に奪われないように聖剣のある場所に王城を建てたって言われてるけど……なんていうのかしら? 『すごい剣』以外の情報はないのよね……本当にあんたの中にあるの? ちょっと出しなさいよ」

「カツアゲみたいなこと言い出したな……けどよォ、悪い。出せねぇんだよ」

「とったりしないから」

「いやそんな警戒はしてねェよ!? してねェし、むしろとってくれるなら『どうぞ』って感じだわ! ……そうじゃなくってな、強化(バフ)抜きだと抜けねェんだ。魔力? いや、もっと別な力? が足りねェんだ」

「どうしてそんなことが言えるのよ。抜けるかもしれないじゃない。気合い出しなさいよ」

「お前聖剣が絡むと怖ェな! ……いや、スキルってさ、認識した瞬間にだいたい効果がわかるだろ? それと同じような感じで『聖剣』のこともわかんだよ」

「…………なるほど。答えたくないなら答えなくていいけど、強化(バフ)のあてはあるの?」

「……まァ」

「わかったわ」


 エリカが追求をピタリとやめたのは、それが先天スキルにまつわるものだと理解したからだ。

 先天スキルについて無理に聞き出すというのは、かなりマナーが悪い行為になる。探ろうという態度だけでもかなり嫌な顔をされ、今後の付き合い方を見直されるほどのことだ。


 もっとも、アリエスの【獣化】のように『感情が昂ると獣耳が出てしまう』などの特徴があると察せられることはある。

 だが察せられても極力触れないようにするのが普通だ。先天スキルに関する話題はそれだけセンシティブなものなのだ。神官職だとか雇用条件に特定のスキルがある立場の人でもない限り話題そのものを避けるべきだ。


 そして聖剣を抜く条件はまさしく先天スキルにかかわることだった。

【勇者】。勇気の量だけ各種能力に強化(バフ)をかけるスキル。

 レオンが己の中の聖剣を顕現させるには、昨夜【槍聖】に立ち向かった時ぐらいの勇気を出す必要がある。もともとがヘタレなレオンには『無理無理できない』って感じだ。


「学園長とかナギ先生にも言った方がいいんかなァ、『俺の中に聖剣があるんですけど』って……」

「逆になんで先生に黙ってるのよ」

「言うタイミングがなかったんだよ……いや、悪い。タイミングはあったわ。檻の中で……でもなんていうのかな。現実逃避っつうか……『なんかあるんだけど。いやでも勘違いかもな。まさかな』ってやってたら、留置場前でなんか出たろ? そんで先生と別行動になるし、エリカはとぼとぼどっかに消えるし、聞ける空気じゃなかったっつうか……」

「そうね。『なんか』出たわね」

「おっ、この話題、失敗だな?」


 エリカの雰囲気が一瞬で剣呑になったので、レオンは己の失敗を悟った。

 しかし剣呑になったあと、すぐにエリカは深いため息をついて顔をうつむけた。


「ほんと、どうしよう……勢いで決闘とか受けちゃったけど……そんなの受けたらあたしがあいつのこと好きみたいじゃない!?」

「いや……大好きじゃん……はたで見てて意味不明なほど懐いてるわ。狂犬(レッドハウンド)が完全に飼い犬じゃん」

「……」

「抜くな抜くな! 魔法剣をしまえ! 俺が死ぬ!」

「あっ、あたしはねぇ! 『斬る』『突く』『払う』『叩く』以外のコミュニケーションは苦手なのよ! どうしたらいいの!?」

「知らねぇよ!」

「あああああああああ! なんで決闘とか受けちゃったのよ!!」

「だから知らねぇよ!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人を横目に、エリカの横で気配を消していたアリエスがため息をつく。


「情緒がイヤイヤ期……」


 ぼそりとつぶやいた声は、白い少女にだけ届いたようで、その視線がチラリとアリエスに向いたあと、すぐにカフェオレへと戻っていった。

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