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第44話 『文明のリセット』

「そういうわけでして『過労』っつうことで少々の休憩が必要ってぇことなもんで、【女神】にはお休みいただいて、あとはナギ先生に託すという話をされたんでさあ」


 とりあえず職員宿舎のロビーで話を聞いてみると、ハイドラの倒れた原因が『やっぱりな』という感じだった。


 学園長の仕事の割り振り方についてはナギも物申したいところではあったが、エリカの件もレオンの件も首を突っ込もうと思ったのはナギであり、自分が首を突っ込んだ結果として仕事が増えている自覚が芽生えてしまったので、なんともやりにくい気分だ。


 対面のソファに腰掛けたワディはやはり大きい。


 服の上から見ても痩身だというように感じられた。

 たしかに肉はあまりなさそうだ。

 しかし、大きな身長を支えるのにそれなりの骨格は持っているようで、席に着いて対面してみれば、三人掛けソファが小さく感じる程度の横幅はあるようだった。


 ナギの方は二人がけソファにソラと並んで着いている。


 なぜソラが『自分はこちら側です』みたいにナギの隣にいるのかは、まあ、いったんおいておくとして……


(参ったな。『女の子』の引き渡しを要求する勢力が一堂に会してしまったぞ)


 三つの勢力に引き渡しを求められていた『女の子』だが、その一角である【槍聖】が収監されているので、ここにはすべての勢力と学園側交渉権限持ちが集っていることになる。


 しかもナギは神殿との交渉を予定していなかったので、彼らにかんする情報がない。

 いや、だいたいの予想はつくのだけれど……


(問題は、ワディさんが『封じる』派か、『奉ずる』派かっていうこと……)


ぜんまい仕掛けの神(Clockwork)】を巡る戦いは『殺そうとする【槍聖】』『とにかく領民を保護したいだけのアンダーテイル』『どこまで事情を知ってる人が交渉に来てるのかわからない神殿』という三つの勢力のあいだで行われている。

 さらに神殿勢力は事情を知っている上で『封じる』派……『殺す』あるいは『スキルを制御できるようにする』派閥と、『奉ずる』……『神の意思なら世界は滅びてもいい』派閥がある。

 いや『滅びる』という言い方を学園長はしていなかった。『文明のリセット』だったか。

『それ』もどういうことなのか、ナギはいまいち把握していない。


(……なるほど)


 ナギは学園長が情報を渡そうとしなかった理由をいよいよ確信した。

 持っている情報量がそれぞれ違い、どこまで話していいのかわからない勢力が同時に一人の少女を求めているこの現状で、ナギにできることは……


(僕はどちらにせよ、『ただただ突っぱねる』ことしかできないのか)


 知ってても知らなくても変わらない。

 というか、『女の子』についての情報を下手に得てしまったばっかりに、こうやって迷いばかりが生まれている。


 学園長が情報を明かす時に理由はないのかもしれないが、伏せる時には理由があるのかもしれない……そう思いながら、ナギは上位下達に徹することにした。


「神殿のワディさん、改めまして、僕は学園で教師を勤めているナギと申します。このような場でおもてなしもできずに恐縮です」

「いえいえ、わたくしの訪問が急だったもんですから。しかしね、こちらにも急ぐ事情っつうもんがありまして。できればそのあたり、寄り添っていただけやしませんでしょうか」

「ところが僕の返事は『お断りします』になってしまいます。これはアンダーテイル侯爵にも同じことを申し上げますが、学園としては、あの女の子を引き渡す意思はないのです。どうぞ、ご理解、ご協力のほど、よろしくお願いできませんでしょうか?」

「そうは言われやしても、わたくしもガキの遣いってぇわけじゃあ、ございやせん。【女神】を相手に引き下がれないぐらいの事情がありまして」

「それはまあ、何かしらの事情があることはお察ししますが、こちらとしてはとにかく学園の意思をお伝えすることしかできません」

「いやいや、そこをどうにか」


「なんて建設的でない会話なのかしら」


 うんざりした少女の声がして、男二人がそちらに目を向ける。


 そこでは黒髪を長く伸ばしたほっそりした少女が、退屈そうにソファに背中を深くあずけ、黒い瞳を閉じてこれみよがしにため息をついていた。


「お互いに頭を下げ合うフェイズはもうよろしいのではなくて? ただ『渡せ』『嫌です』を言い合うだけで夜明けまで粘るつもりかしら? 【女神】を過労に追い込んだ手腕、大変参考になるわね」


「そういや、こちらのお嬢さんはいったいどなたなんで?」


「アンダーテイル侯爵です。侯爵、自己紹介ぐらいなさってはどうでしょうか」


「領内での神殿の横暴に対してアンダーテイル領は遺憾の意を表明します。それこそ自己紹介さえしたくないほどの怒りが我々にあると思っていただければ幸いですわ」


「ああ、こいつぁ、ウチのもんが失礼をいたしたようで。しかしね、勘違いなさっちゃあいけません。ウチもね、何も好き好んで無礼を働いたわけじゃあありやせん。『聖務(せいむ)』ってぇのは、のっぴきならねぇ事情があって発令されるもんなんでさあ。そこのところ、ご理解いただけやしませんでしょうかねぇ」


「理解はしましょう。しかし領内で狼藉を働かれたことへの怒りは、それとはまた別のものです。領民への示しもありますのよ。納得できる説明、そして被害への補填を求めます」


「へぇ、そりゃあもちろん、ご迷惑をおかけしましたぶんは、キッチリと返させていただきやす。猊下(げいか)もこのたびの行いに対してはなるべくお互いが満足いくかたちでの決着をお望みでございやす」


「具体的な話は何一つうかがっておりませんけれど?」


「こいつはひらにご容赦を。何せウチとしましても、てんやわんや、いろんなもんが唐突でして、まだ案をまとめきれておりやせんので……しかし、必ずやご期待に沿うだけの補償はいたしやす」


「口約束ならいかようにもできますわ」


「後日、証文の方も届けさせやすので。どうでしょう、ここはウチらの顔を立てて、『少女』からは手を引いちゃくれやせんかね。こいつは『聖務』なんで」


「アンダーテイルの怒りについてご理解いただけていないのは伝わりましたわ」


「こちらも『聖務』の重大性についてご理解いただかないことには、お話もままならねぇようで」


 学園の交渉担当として場にいるナギだが、話の主導権がいつのまにかソラとワディに奪われてしまっている。

 そして二人の話は『なんでも聖務でゴリ押そうとするな』『聖務だから退け』の平行線で交わりそうもない。


 何も進まない話し合いを横目に、ハイドラが倒れた理由をなんとなく察する。


 どうやら『少女』にかかわる勢力は、学園も含めて『交渉』をするつもりがない。情報を隠匿したまま意見の押し付けを続ける予定のようだ。

 もちろんそれでは少女をすでに確保している学園が少女を引き渡すわけもなく、そんなことはすべての勢力が理解しているはずだった。

 つまり……


(ソラもワディさんも、何かを待っててずるずる引き伸ばしてる)


 なるほどハイドラも寝る。

 ナギも今のうちに寝ておきたい気分だ。

 だって……


(どこかの勢力が待ってる『何か』が来た時点で、激務確定だろうなあ)


 期日までに学習指導要項を読み終わるか、ナギは不安に思った。



「ジルベルト君、こうして向かい合って話すのは久しぶりになりますかね」


『監獄』


 格子の向こうにいる老人は、ただ押し黙って、床に座り込んでいた。


 学園長は彼をここに収めるまでに、何もしなかった。

 武装解除もしていないので槍は老人の手の中にあり、さらには深手を負っていたというのに治療もしていない。


 相変わらずラミィにとってはいろいろ理解し難い行動をする学園長ではあったが、澱んだ紫色の目で老人の姿を見れば、『治療をしなかった理由』だけはわかった。


 治っているのだ。


 意識を手放すほどの深手を負っていたはずなのに、服が裂けているだけで、その老齢とは思えない肉体にはもはや傷一つない。


 神官。


 この先天スキルの特徴は大きく二つだ。

『スキル鑑定』、そして、『治療』。


 神官籍を持つ連中というのは、ようするに『スキルランクにもよるがどれほど深手を負っても自己治癒できる連中』であり、しかも『聖務』ともなれば痛みを信仰で無視しながらどれだけ傷ついても傷をふさぎつつ使命を遂行する神兵(しんぺい)なのである。


 それでも、【槍聖】があの夜に大人しく敗北したのは……


「ジルベルト君、君はあの場で彼らを殺そうと思えば殺せたのでしょうね。だというのに彼らを生かした。相変わらずのようで安心していますよ。やはり、五十年程度で人は変わらない」


 軽く発される言葉に、【槍聖】ジルベルトは重苦しく口を開く。


「……若者の未来を閉ざすのは本意ではない」

「あの少女も若者ですよ」

「あれ一人殺せば、他の多くが助かる」

「実際問題、殺せそうでしたか?」

「……おそらく、無理であっただろう」

「だから彼らに勝利をゆずったと」

「……五十年前と同じだ。アレは生き残る可能性がある限り生き残る。こと『生存』に限れば、他のどのスキルよりも厄介だ」

「私に協力してくれるならば、『神殺し』に協力しましょう。ただし、年末までは待ってもらいますが」


 年末。

 ようするに【ぜんまい仕掛けの神(Clockwork)】が起動する時期だ。


 つまり、学園長は『教育によるスキル制御を試みるけれど、それはそれとしてもしも制御ができなければ殺す』と言っているのだった。

 ひどい二枚舌もあったものだ。しかも、ナギたちに嘘はついていない。この学園長は確かに全力で【ぜんまい仕掛けの神(Clockwork)】の教育を試みるだろう。だが一方で、時期が来ればあっさりと全力で殺しにかかる。


 ……まあ、それは、当たり前なのだろうけれど。

 たぶん、多くの大人はそういう『失敗への備え』を考えながら生きているのだろうけれど。


 ラミィはどうしてももやもやした感じを覚えてしまう。


 自分の未熟さを思い知らされるべきか、あるいは『学園長のおかしさ』の一つにふくめるべきなのか。


 少なくとも【槍聖】は……


「すぐに殺すべきとは思う。が、あなたがアレの殺害に協力してくれるのならば、待つ方がよかろうな」


 学園長のプランを呑むようだった。


 学園長は黄金の瞳を細めて笑った。


「素晴らしい。年齢による円熟とでも評すべきでしょうか。いやはや、なんというか━━君も歳をとったものですね。すっかり、子供のころの自分が嫌う大人になってしまった」

「……」

「ですが私は『三つ子の魂百まで』という言葉の信奉者でもあります。君が私のプランに協力してくれるならば、君に一つ、安全弁をつけておきたい」

「……」

「君をここから出し、犯した罪を帳消しにし、歳末大神殺し大会を開催するための条件として、君に【催眠】をかけておきます。君の意思に反する施術になるでしょうから、君の全面協力が必要です。催眠がかかれば、君が本心から私のプランを呑んだと認め、今後は理事会メンバーとして扱うと約束しましょう」

「最終的に、それがアレを殺す道につながるのならば、喜んで協力しよう」

「では、決まりですね。……ラミィ、彼を出してあげてください」


「……なあ、その【ぜんまい仕掛けの神(Clockwork)】は、具体的に何をどうするモンなんだ? 『文明のリセット』ってなんなんですかね」


 聞く必要のない話だと思っている。

 何にせよ自分がやることは『殴る』だけなのだ。


 だが、さすがに興味がこらえきれなかった。

 多少の長話なら我慢してもいいぐらい、【槍聖】ジルベルトが殺意を向け、この学園長が本気で対策をしようとする存在の成すことに興味が湧いたのだ。


 学園長は「ふむ」とラミィを見下ろしてあごを撫で、


「ラミィ、『文明』とはなんだと思いますか?」

「……そりゃあ……建物とか、街とか……じゃねぇの?」

「明確に違います。それは『文明』の本質ではない。『文明』とはね、人なんですよ。人の頭の中にある、積み重なったものです。『歴史』と言い換えてもいいでしょう。竪穴(たてあな)、木造、石造と建物の歴史が進んでいったとしましょう。では、石造の時代の建築家は、いちいち建物の造り方を竪穴から始めて、己の力で石造にたどりつくのでしょうか?」

「……問いかけがわかんねぇんだけど。石造の時代なら、石造からスタートするんじゃないんですかね?」

「人類が竪穴式住居から始めたというのに、なぜ、その人はいきなり石造から始められるのでしょうか?」

「そりゃあ…………なんだ、知識っていうか……そいつにとっては石造が当たり前だから……」

「そうです。『当たり前』。つまり、先人の積み重ねによる『現在の常識』こそが『文明』であり、その『文明』がわかりやすく顕在化したものとして、街などが存在します」

「話がわかんなくなる一方なんですけど。つまりなんだ? 『文明のリセット』っていうのはどういうこった?」

「『歴史の消去』です」

「……」

「より具体的には『ある人物の存在および存在していた記録や記憶の消去』であり、これが世界規模で行われます。正確な数は、スキルの仕様上、計測が不可能ですが、観測範囲において、人類が半減(・・)したという仮説が立っています」

「…………は!?」

「しかも誰が消されるのかはわからないし、消されたあとにもわからない」


「わしも、失わされた」


 老いた男は重苦しく口を開く。

 灰色がかった青い瞳が、真っ直ぐに若者に注がれる。


「しかし、何を失わされたのかが、わからん。ゆえに、『危機感』と『殺意』によって、失わされたことを忘れぬようにする。その程度の抵抗しかできん」


「記録と記憶が失わされたあとにできた『空白』は、自然に埋まっていきます。最初からその人物がいなかったかのようにね。だから我々は怒りを、悲しみをもって、『きっと、その感情を発生させる誰かがいたのだ』と覚えておくしかないのです」


「ゆえに、殺す。殺意だけが『存在した』証明となる」


「だからこそ根絶の必要がある。そしてこの特性ゆえに、危機感の共有が難しい。私がつけるまで名前さえなかったのですよ、『魔王』にはね。まあ、【ぜんまい仕掛けの神(Clockwork)】というスキル名を知ったのが、魔王と名付けたあとだったというのはありますが。……そういうことです。理解していただけたでしょうか?」


 理解はできなかった。

 その話はなんともぼんやりしていて想像が難しく、年寄りに特有の記憶の『抜け』だという感じさえする。


 だけれど、ラミィは思わず、つぶやいていた。


「……ウザ」


 本能的に、忌避感がある。


 ……自分は何があっても『殴る』だけだけれど。

『殴る』対象がこうもぼやけている場合は、どうすればいいのか。

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