第43話 『遣い』たち
アンダーテイル侯爵が『白い少女』の件に絡んだ理由は、以下のようになる。
アンダーテイル領内で『白い少女』とその家族を神殿勢力が襲う事件が起きた。
そこで領主として少女およびその家族の保護をしなければならないが、何せ神殿という巨大勢力が相手なものだから、対応については国王とも協議せねばならない。
そのあいだにとりあえず『白い少女』の身柄を確保しないと国王との協議の結果がどうあれ対応できなくなってしまう。
だが神殿に追われ、そして学園都市に逃げ込んだ少女をただの一兵卒などに保護させるというのは、政治的にしがらみが多すぎて後手に回る可能性が高い。
そこで神殿が簡単に手を出せない立場かつ学生としても学園に入ることができるソラが、学園まで来た。
つまり『白い少女』の正体についてソラは知らない。
そういうことらしい。
「……なるほど。神殿はこの件についてなんて?」
「『聖務である』とだけね。まあ、『それ』があらゆる国において横暴を働くのに充分な理由になるのはわかってはいるのだけれど」
聖務というのはようするに『神殿がその信仰上の理由において達成すべき、くわしく口外できない任務』というものになる。
どのような国でも『聖務』と言われたらそれ以上の立ち入りはできず、黙って神殿のやるに任せるしかない、ということになっているのだが……
「さすがに領内の村をいきなり襲撃されて『聖務ならしかたないですね』なんて言っているようじゃあ、領民に示しがつかないもの。あと態度が気に入らないわ」
政治的にはさすがになんらかの抗議姿勢を示す必要があった。
感情的にも大人しく引き下がるのが難しかった。
そこですでに貴族として名の通っているカイエンを名代として国王への謁見に出向かせ、ソラの方に『当主』という箔をつけて少女の確保にあたらせよう━━と、こういう流れがあったらしい。
「貴族家当主というだけでは学園に滞在する理由として弱かったから、学生身分になったというわけ」
「なるほど。案外納得できる理由だね。それじゃあ、一つ、不自然な点について質問してもいいかな?」
「なぁに?」
「どうして僕の膝の上に座るの?」
ナギの部屋なのだった。
朝を少しすぎた時間帯である。
決闘を受けたはずのエリカが急に難しい顔をしてどこかに行ってしまったのと、レオンが白い少女を連れて『俺が寮まで案内するわ』と去ってしまったので、ナギは困り果てた。
もともとソラを案内する流れにはなっていたものの、いきなり目的地が同じはずのみんなが解散し始めて困り果てているところに『ちょっと秘密の話が。今回の経緯について』という申し出があったので、気の利いた内緒話ができる場所を知らないナギは、とりあえず自室に妹を連れ込んだのだ。
そうしたら当たり前みたいに膝の上に座られた。
何せ双子なので同い年なものだから、こうやって膝の上に乗せるということはあまりなかった。つまり不自然。
けれどソラが当たり前みたいにして説明を始めてしまったため、今までツッコむタイミングを狙っていたのであった。
しかしソラの次の言葉はこうだった。
「それより重要なのは、神殿がなんでただの農民の女の子を狙って襲撃をしかけてきたかっていうことなのよ」
「確かに重要度は高いんだけど、それは膝からどきながらでもできる話ではあるよね?」
「お兄様、何か知らない?」
ソラは動く気がなさそうだった。
……まあ、『何か知らない?』と問われると知っている。
なるほどこういう質問への対処のために、学園長は『魔王』についてナギに明かさなかったのだろう。
ナギは嘘をつきたくないし、隠し事も避けたい。それはナギのみならず、嘘をつくのに適したスキルを持っていない全員がそうだろう。
(というか、アンダーテイル侯爵領にいたころには『魔王』はもう五百年前のイトゥンの時代から出てないことになっていたけれど、学園生徒が『魔王』についての情報を国家に持ち帰るなら、アンダーテイル侯爵が知らなかったのは不自然な感じもあるんだよな。グリモワール王国に学園の卒業生がいなかったわけでもないだろうし)
単に侯爵家だから魔王について知る位階になかった、という話とも思えない。
何かシステム上ではない不自然……違和感あるいは異物感みたいなものが、この問題にはかかわっているように思える。
(ともあれ、この情報をソラに明かす資格が僕にはなさそうだな……)
そう考えたので、ごまかすことにした。
「というより、ソラはその女の子について何を知っているの?」
「年齢と性別」
「……容姿も知らないの?」
「『聖務』を告げてきた神官から引っこ抜けた情報は、それ以外だと『学園都市に逃げた』ぐらいね」
「つまり、『聖務報告』、めちゃめちゃ事後承諾じゃん」
『白い少女』が『白い少女』であることさえ、ソラは知らないらしい。
だから留置場前で会っても反応が薄かったのだろう。あの容姿は、少なくともグリモワール王国アンダーテイル侯爵領では珍しい部類に入る。聞いていたらなんらかのリアクションがあったはずだ。
さて時系列順に整理してみれば、『少女が襲撃を受ける』→『学園都市に逃亡する』→『領内で神殿が聖務中という報告がある』になる。
いくら聖務と言えばたいていのことが許されるという風潮があるとはいえ、領内でこれはいくらなんでも貴族をなめすぎだ。アンダーテイル侯爵は別に無能でもなければ王国内での立場が低いわけでもない。それなのにこの横暴……
「……それって当時の侯爵家当主が【中級術師】っていうことは関係してるのかな」
「きっとそうね。神殿の、特に『強いスキル主義』のやつらはそういうところがあるから。それに対する牽制もあって、お父様はソラに当主を譲ったのもあるのでしょうね」
特に明文化はされていないが、レア度の低いスキルの持ち主ほど軽視される傾向はある。
神官すべてがそうとは言わないし、平民にそういう『スキルのレアさによって態度を変える人』がいないとも言わない。
ただ、神官の中でひどい人は本当にひどいという話は、ちょっとだけ耳にした記憶はあった。
まあ『スキルは血で継承される。ゆえにスキルが弱い者は貴族としての血が薄いので侮られてもしかたない』とかいう貴族界隈で叩き上げられたカイエンは、そういうのに慣れているのかもしれないが……
「あいつら【魔神】の前だってわかると手のひら返して面白かったわよ。でも、そういう『態度を変えること』をまったく悪びれないのはめちゃくちゃムカついたわ」
「アンダーテイル家の今回の行動に『有無を言わせぬ勢い』みたいなものがあった理由、なんとなく察したよ」
ムカついたから。
ナギはしかし、笑ってしまう。
自分を追放した父と、自分の追放を反対していたソラが、そのあとどういう関係に落ち着くのかは懸念材料だったが……それなりにうまく、親子をやれているらしい。
「……お兄様、嬉しそうね」
「僕のせいでソラと父上が気まずくならないか不安だったからね」
「お兄様のせいではないでしょう」
「いや、僕のせいなんだよ。この世界で才能がないことは罪なんだから」
「だったらますますお兄様のせいじゃないでしょう。ソラに魔術戦で勝っておいて」
「……とにかく、アンダーテイル侯爵家の事情はわかりました。ところが僕は、あの子を引き渡さないように上司から命じられているので」
「渡すまで、ソラは学園から帰らないわよ。そのための生徒身分でもあるのだし」
「というか神殿にも渡さない予定なので一部で協力は可能かと思うんだよね。あとそろそろ膝の上からどかない? もうソラも大きいんだから、さすがに重いよ」
「神殿への対抗というのなら、侯爵家として協力はできるわね。最近の神殿、ちょっといろんなところをなめすぎっていうか、各国の貴族家と軋轢を生んでない? ソーディアン公爵家に対しても空気を読まない介入のせいで第二王子の暴走を生んだっていう話だけれど?」
「あの、ふとももをつねりながらじゃないとできない話?」
「そろそろあの支配者気取りの横暴な連中に対する不満が噴き上がるわよ。末端の神官まで『神殿がバックについてるから何をしてもいい』みたいな態度になるの、終わりの始まりって感じね」
組織の腐敗。
(とも言い切れないところはあるんだけどね)
神殿にとって『魔王』が無視できない重大な存在なので、横暴に見えるほど強引な態度をとってでも無理矢理に確保しなければならなかった……という事情を察することもできる。
やはり複数のそれぞれ手持ちの情報量が異なる組織の、それぞれの動向や思惑を追うのは難しい。
神殿の態度はアンダーテイル侯爵家側からすると『いきなり襲撃しておいて、あいさつもあとからで、事情の説明もしやしないし、見下すような態度だった』というケンカを売られているようなものだが……
神殿のほうに視点を入れてみれば、『魔王という、なぜか今まで発見されていなかった脅威が見つかったので、手段を選ばずに確保せねばならない』という必死さもうかがえる。
そして出てくる『スキル鑑定をするはずの組織が、魔王のスキルをここまで発見できていなかった』という新たな謎……
文字化けスキルらしいから先天スキルのはずだし、【ぜんまい仕掛けの神】がその『模様』を覚えられて注視され、実際にいきなり襲撃というかたちをとってでも確保しようとした以上、『見つかってしかるべきものが見つかっていなかったので、慌てて駆けつけた』という事情を予想することはできるのだけれど……
(またしても情報が足りないんだよな……)
全容は未だに見えない。
暗闇の中であがくしかない。
学園長はさっさと全部教えてくれ━━という思いはあるものの、確かに『知らないでおいたほうがいい情報』もあるのだ。
魔王について知っていなければナギはただ機械的に『とにかく引き渡しません』という対応をすればよかった。神殿の態度についても『横暴だね!』とソラといっしょに怒ることができただろう。
知ってしまって、事情が半端に見えてしまったから、今、悩んでいる。
ようするに『情報を得ていいのは、得た情報によって増える苦労を飲み込めるやつだけ』という、一種の気づかいなのかもしれない。
そして自ら【死聖】に聞いて『魔王』のことを知ってしまったナギは、苦労を飲み込む必要性にかられている、と。
(まあ、知らないよりはいいんだけど)
エリカを助けようとして危うくカリバーン王国のお家騒動みたいなものに巻き込まれかけたのだって、レオンの求めに応じて【槍聖】に立ち向かう羽目になったことだって、ナギが自ら望んだからそうなったのだ。
これらの事情を『見て見ぬふり』すれば、ナギは学習指導要項を読むだけで正式勤務開始日まで過ごせたはずだ。
それでもかかわったのは、彼女らが助けを求めていたから。
求められて、助けたいと思ったから。
……いや、それは自己弁護がすぎる認識かもしれない。ナギはあくまでも勝手にそう感じて、勝手に力になろうとしただけなのだから。
『ただの雇われ教師』としての安穏とした人生か、『生徒の事情に深くかかわって、それを助ける』という危険を伴う人生か選ぶ機会は確かにあった。
そしてナギは『助ける』ほうを選んだ。すべてはそれゆえに増えた仕事なのである。でも学習指導要項は分厚すぎる。もっとまとめてほしい。
「ところでお兄様は、ソラが追っていた少女の『見た目』を知っているの?」
「え? うん、まあ」
考え事をしていたせいで隠せなかった。
ソラの指がまたナギのふとももをつねろうと力を込め始める。容姿について情報を吐かなければきっとギリギリと爪を立てられるだろう。
まあ見た目について漏らすぐらいなら大丈夫かな、とナギがこれから始まる拷問を回避しようとしていると、ソラが不意に膝の上から降りた。
その唐突な動作にナギが首をかしげたタイミングで……
コンコン、とノックの音がする。
ソラが『出たら?』とでもいうように肩をすくめて扉に視線を向けたので、ナギはそうする。
ガチャリ、と扉を開けると、そこにいたのは……
神官服。
たぶんそうなんだろうなと思われる白い衣服の腹部あたりが目の前に存在した。
一歩退いて全体像を見ようとするのだが、相手の頭部が鴨居の上にあるせいで見えない。……相当な長身だ。二メートルは超えているだろう。
だが、体のラインが見えにくい服の上からでも気になるほどに、細い。背は高いのだが、がっしりした印象がまったくなく、反対に折れそうな危うさばかりを感じさせる肉体……
ナギが圧倒されていると、細長い肉体の持ち主は、腰をかがめてようやくその頭部をナギの眼前にさらした。
白すぎる肌。クマの濃い目。澱んだ紫色の瞳。
脂っ気のない紫がかった長髪をオールバックにしたその男。
感情のうかがえない顔でナギを見下ろすその顔立ちにはどこか爬虫類めいたものがある。本能に訴えかける怖気、というのか。
そして、強烈に既視感もある。
この顔を、いや、これに似た顔をどこかで見たことがあるような……
「ナギ先生で間違いございやせんか」
消え入りそうで静かで、けれど不思議と耳を震わせる声だった。
ナギが「はあ、そうですが」と応じると、その人物は細長い体を折りたたむようにして礼をした。
「申し遅れやした。わたくし、神殿より『例の少女』の引き渡しを求める交渉官として使わされたワディってぇもんです。交渉中の【女神】がぶっ倒れちまいやしたもんで、こちらで交渉の続きをするよう仰せつかっておりやす。お見知り置きを」
ハイドラ先生が倒れたという報告、『ついに』という感じだった。




