6 錬金術師
目の前には、ヒラリと揺れる黒を基調とした可愛らしい布地。
「ワンピース、か……」
おそらく死んだ目でボソッと呟いた言葉は、彼女には聞こえなかったようだ。
絶望感に打ちひしがれる俺とは対照的に、彼女はニコニコと心底楽しそうに言う。
「意外と、似合っているじゃないか」
冒険者ギルドや商店が立ち並ぶ街の中心部ではなく、街の郊外にある住宅地。
人通りも比較的おだやか。
遊びに夢中になっていたのか、慌てて家へと走っていく子供たちの姿も見られるこの場所に、紛れるようにひっそりと佇む彼女の店。
年季の入った木造の建物。薬品が入った瓶が並び、カウンターの奥からは薬草を煮詰めた独特の匂いが漂ってくる。棚にはポーションだけでなく、冒険者の装備一式、武器もある程度そろっていた。
そして俺はなぜか、先程まで着ていた血だらけのローブの代わりに、女性ものの可愛らしい服を着せられて、カウンター近くの椅子に腰掛けている。
「魔道具でもあの汚れを落とすのには時間がかかりそうだ。それまでの辛抱だね」
居心地悪そうにする俺に、彼女は苦笑いを浮かべながらそう言って、薬を調合し始めた。
肩下まで伸びるふんわりとウェーブがかかった白銀色の髪を揺らし、透き通るような白い手足を動かしながら手際よく作業を進める姿は、まるで魔法のように鮮やかだ。
それもそのはず、彼女はこの店の店主であり、商業都市『スターステイト』一番。王国でも指折りの錬金術師。
こんな場所に店を建てたのも、『売れっ子だから、人が少ないところにしたんだ』とのこと。
一般人には手が出せない値段の魔道具の多さや、確かな実力がその話に信憑性を与えていたが、彼女のカケラもない向上心と自由奔放な性格により、どうにも嘘くさい雰囲気が拭えない。
実際には手頃な価格だった、とかそんな理由だろう。
「はい、できたよ」
彼女が差し出してきたのは、手のひらサイズの小瓶に入った透明な液体。
「疲労回復のポーションだよ。それと後で、傷口を塞いでくれる塗り薬をあげるから使ってね」
「……ありがとう」
優しげな青い瞳に見つめられ、思わず視線を逸らす。そんな俺を見てクスクスと笑った。
あー、ヤダヤダ。ここ以外に泊めてもらえそうな伝手なんてないが、こんな恥ずかしめを受けるくらいなら、危険な野宿の方がマシだった。
あの後、涙目になってまでの受付嬢さんの説得で正気を取り戻し、平謝りをしてギルドを出た。そして唯一、頼れるお人好しな彼女――シェイラの店を訪れたのだ。
「ああ、クソッ……。厚意に甘えておいて、悪いが、本当に悪いが、……他に服は無かったのか?」
前髪を乱雑に掻き上げ、恨みがましくジト目で睨みつけると、シェイラは、キョトンと首をかしげた。
「仕方ないじゃないか。恋人も弟も居ないんだから。それとも、わたしの服は、嫌?」
それが問題なんだよ。ワンピースから花のような優しい香りが微かにする。
シェイラが使っていた服なのだから、当然といえば当然だが。自分以外の匂いがするというのは、なんというか、落ち着かない。
「誰かの服を着るのは、初めてだ……」
ワンピースの首元をつまみ、ゆっくりと溜め息をもらす。
「それじゃあ」
一度言葉を区切り、シェイラは透き通った青い瞳を細め、猫のように悪戯っぽく微笑む。
「わたしが君の初めて、だね?」
「……ッ! いや、そういう意味じゃねえ」
嬉しい、そう言って、おかしそうに口元を手で隠し、コロコロと笑う。
コイツの言動に動じてはいけない。俺の反応を見て楽しんでいるだけなのだ。
シェイラは笑いすぎて滲んだ涙を指先で軽く拭うと、こほんと小さく咳払いをした。
「……ふぅ、さて、冗談はこの辺にして、そろそろ本題に入ろうか」
シェイラは居住まいを正した。スッと表情が消え、真剣なものに変わる。
「どうして、あんなにボロボロだったのかな?」
「それは……」
そう言えば、店に着いた時、何も言わずに服を渡されて着替えて、あれよあれよと言う間にワンピース姿で座らされて、一度も説明していなかったか。
……って待てよ。
俺がそもそもここに来た目的は、夜が明けるまで店の中に入れてもらうことだった。
床にでも適当に座って寝るつもりでいたのに、服とポーションを用意してもらって、なんか、流されるようにワンピース着ちゃったし。
あれ、気づかないうちに、丸め込まれてる……。
「ねぇ、君がどんな事情を抱えているのか、わたしは知らない。話したくないことの一つや二つはあると思うよ。だから無理にとは聞かない。ただ、もし、力になれることがあるなら、いつでも相談してほしいな」
そう言うと、シェイラはカウンターに頬杖をついて、ぼんやりと俺を見つめた。
そして、俺は時間稼ぎのために、腕を組み、訳ありな雰囲気を醸し出しながら、目を閉じて考え込むフリをする。
どこまで答えるべきだろうか。
いや、別に話して困ることは特にないのだが、シェイラに話すとなると、それ相応のからかいがあることは覚悟しないといけない。内容が内容なだけに……。
だから、もともと話すつもりは無かったのだ。
言い淀む俺を、シェイラが心配そうな目で見ていることに気づく。
恥をかくのも今更だな。すでに世話になってしまった。
「実は――」
俺は、今までのことを話し始めた。
この店に来るまでの経緯となると、全財産を落とした話からか……。
馬鹿にすんなよー。馬鹿にすんなよー。心の中で祈る。
せめてもの抵抗に、情感たっぷりの語り口調で。
静かな夜。
落ち着いた雰囲気が流れる店の中を、天井に取り付けられたランプ型の魔道具から発せられる光が優しく照らす。
「……そうか、それでお金を落とし、衛兵に捕まって、受付嬢に平謝りしたんだね」
シェイラはわざとらしく真面目くさった表情で、紅茶を一口飲んだ。
「ああ」
視線を逸らし、半ばヤケクソ気味に返事をすると、彼女は綺麗な所作でカップを受け皿に置く。ムカつくほど様になっていた。
カチャリ、と陶器が擦れ合う音が響く。
「なるほどね」
しかし、シェイラは最後まで笑いを堪えきれなかったようで、白銀のふわふわした髪が光に照らされて、プルプルと震えている。
どうせなら最後まで耐えて欲しかった。
「そして、挙げ句の果てに、わたしにワンピースを着せられてしまった、と……」
シェイラの視線がゆっくり、ゆっくりと下がり、スカートの裾の辺りに向けられる。俺は素早くスカートの裾を引っ張り、睨み返す。
「かわいそうにっ」
シェイラは獲物を見つけた猫のように目を細め、ニヤついたような意地悪で、それでいて慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
はっ倒すぞ、コラ。
「まったく……。こんな面白いことを黙っていたなんて、ひどいじゃないか」
もはや、取り繕うこともせずに、口元に手を当ててクスクスと楽しげに笑う。
だから、話したくなかった。
接するだけで、多大なエネルギーを消費する。
「ごめん、とっても面白かった。ここまで笑ったのは初めて」
「こっちだって、こんな経験は初めてだよ」
紅茶を一気に飲み下す。こんな不運がそうそうあってたまるか。
俺は視線を下ろしワンピースを親の仇のように睨みつける。絶対、面白そうって理由だけで着せられたなコレ。ボロ布でもいいから取り替えて欲しい。
俺の態度を見て、シェイラは口元を押さえ、また笑いそうになるのを必死に我慢しているようだ。
「じゃあ、初めて同士……だね?」
「そっち方向に持っていこうとするの、本当にやめてくれ」
……だが、悪い人ではないことは確かである。少なくとも、話をする前の心配そうな目は本物だ。
だからこそ、こちらの調子が狂うのだが。
「あははっ、ごめんごめん」
両手を合わせて、全く誠意のない謝罪。まぁ、いい。いつまでも引きずっていても仕方がない。
俺がため息を吐くと、シェイラは少しだけ表情を引き締めて、人差し指を立てた。
「お詫びに、いいことを教えてあげる。ゴブリンとシルバーウルフ、森の異変について、君が知りたかったことだ」
「本当か」
俺が聞き返すと、彼女はコクリとうなずいた。
「もっとも、ポーションの納品の時にちらっと聞いたことだから、明日にでも君がギルドで知り得ることだろうけどね」
目をつぶって威厳たっぷりに告げる。
「シルバーウルフの群れの一つが――――崩壊したらしい」