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残響 廻る糸車編  作者: 馬鈴薯
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55話「中華圏新暦史・第二章『後清』」

中華圏新暦史において、2番目に歴史上に表れたのは新暦14年に建国された後清である。

初代皇帝、愛新覚羅(アイシンギョロ)雲徹(ユンチャ)はあらゆる面において仁帝国を意識した。

彼は14年5月に北京(ペキン)の紫禁城で即位の儀式を済ませると、自らを「正統皇帝」と名乗った。自分こそが中華王朝の流れを継ぐ正統な皇帝であると内外に声高々に宣言したのだ。

しかしながら宣戦布告こそしたものの、仁の太祖・陳皓然は領土拡大に意欲的で無く、仁と後清の接触は太宗・陳義之の時代まで待たねばならなかった。

仁と後清間の初めての戦いは36年3月に勃発した武汉(ウーハン)奪取戦である。

しかし、この時点で雲徹は78歳、しかもこの戦いに後清は敗北、武汉は今日にいたるまで仁の商業的拠点として運用されている。武汉奪取戦の敗北がよほど堪えたのか、39年4月、彼は位を息子に譲り退位、その年の10月に崩御した。


雲徹の後を継いだのは二代皇帝、真卿(ゼンケイ)である。

彼の治世、仁ではレストニア教が広く信仰されるようになり、後清はガーディアンズと協力体制を築いていたものの、そんなに大規模な組織でもなく、戦争は未だただの覇権争いの様相を呈していた。そして、それが変わったのも彼の治世である。

元々仁ではレストニア教が宮廷に浸透しつつあったが、新暦52年に廃宗が即位すると、大々的に宮廷を支配しだした。自ずと仁の戦争目的も「中華圏における覇権確立」から「完全な世界の到来の為に世界を滅ぼす」にすり替わり、戦争において仁は完全にレストニア教の操り人形となった。

真卿はこれに焦り、ガーディアンズとの協力体制を強化、ラマスティア教とも協力関係を結び、仁やレストニア教が大陥没の爆心地東京方面へと向かうことを阻止しようとした。ここにガーディアンズ・ラマスティア教対レストニア教をガーディアンズ・後清対仁で行う、代理戦争の構図が完成した。

彼の治世は内政面も大きく変わった。

官吏登用試験に科挙をベースとした官試を採用し、有能な人材は身分に関わらず登用する事で長期化する戦争による内政面の動揺を最小限に抑えようとした。

新暦64年、仁が突如として北武周に信仰した事をきっかけに彼は外交府に北武周と同盟を結ぶ事を指示、65年8月「対仁清周共同条規」が締結され、仁へ効果的に圧力をかけられるようになった。


新暦85年に即位した留児(リウニ)は真卿の子ではない。

本来なら真卿の息子家乐(ジャラ)が帝位に着くはずであったが、彼は妻が留児を妊娠している時に疫病で没した、真卿は家乐のようにならないように留児と名付けたとされる。

現在の後清の領土が完成したのは彼の治世である。

留児は即位して早々に南方遠征の詔勅を発し、86年末までに上海(シャンハイ)台州(タイヂョウ)福州(フーヂョウ)などといった都市を後清の支配下に収めた。南方遠征軍司令官の(リュウ)安之(アンジー)は勢いに乗りさらに南方への進軍を具申したが、戦線と補給線が伸びすぎていること、そして新暦83年に広州(クワンチョウ)を首都として成立した王国・令が仁皇帝からの冊封を受けていて、令の領土に進出し、仁・令連合軍が反撃を加えてきた場合、勝ち目はほとんどない事などから、兵部省はこの具申を却下し、劉安之は勅命により都の北京へと帰還した。

劉安之はその後南方軍督使に、次いで南方総監部長官に就任し南方支配を進め、新暦100年上海で病没。死後貴人の称号が与えられ、彼の葬儀は国葬をもって執り行われた。

また、彼の時代にはガーディアンズも全世界規模の強大な組織と化しており、ガーディアンズから流れてくる新技術や、世界情勢の情報を政策に次々と組み込んでいった。それと引き換えに、後清は艦船や装備、人員などをガーディアンズに提供する、現在の両者の関係はこの頃に確立された。


103年からは今上帝、愛新覚羅永棋(ヨンキ)の治世が始まった。

彼は即位後すぐに商業網の拡充を指示した。

長引く戦争で国庫も心許ないことになっており、商業網の拡充によって経済を回し、税収の拡大を図った。狙い通り経済の発展は目覚ましいものであり、税収も上がった。しかし、これにより一時的とはいえ軍事に回す税金が少なくなり、軍の装備が旧式化したのではないかと言う声もある。

これに関わらず、今のところ彼の行った事に対する完全な評価は出来ないが、唯一わかっているのは現在仁と後清の戦況は膠着状態であるということだ。

仁、後清共に大規模な攻勢などにはでておらず、年に数回発生する主力艦隊同士の戦いが今の戦争の全てである。

しかしながら、その年に数回の戦いにおいてもおびただしい数の死者が発生し、それに伴い路頭に迷う家族、親を失う孤児などは発生する。これに対してどのような対策をとるのか、それが国内外問わず注目されていることである。

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