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薬師の日常  作者: 鳥飼泰
本編
6/12

6. 謎の薬

薬師には、職人気質が多い。

それぞれが独自のレシピを持ち、風邪薬などの一般的な薬を除いて、その配合を他の薬師と共有することはない。

広大な森に住む上に自分の薬草畑を持っているヤクには馴染みのないことだが、薬草の採取場所にも縄張りのようなものがあり、秘匿されるものなのだそうだ。


だからヤクが薬の話をあれほど語り合ったのは、ソウジが初めてだった。しかもソウジはヤクの知らない知識をこれでもかと持っていて、それを惜しげもなく披露してくれたのだ。わくわくが止まらなかったのは仕方のないことだ。


その結果、最近のヤクは薬への知的好奇心が大いに増している。

ちょうどよいことに、手元にはソウジがくれた効果不明の未知の薬がある。これは分析するしかないだろうと、ヤクは日々勤しんでいた。




現在ヤクが研究対象としているのは、濃い桃色の液体だ。

栓を開けてみると、もったりとした甘い香りがする。

液体が入っている瓶から察するに、服用薬だとは思う。ソウジの薬というと、あの泥水のイメージが強烈すぎて味の予想がつかなかった。甘い香りをさせておいて、実は激辛だということも十分にありそうな気がする。

そこでヤクは好奇心に負けて、ほんの少しだけ指に取って舐めてみた。ソウジがくれたものだから、毒の類ではないだろう。


(甘い…………)


香りの通り、もったりとした濃厚な甘さが後を引く薬だった。

そして、特に目立った効果は感じられない。


(状態異常の回復薬なのかな?それとも遅効性……?)


ジンたちの家のリビングで、むむむと唸った。

外からは、庭に出ているジンや師匠の声が聞こえてくる。


「………………」


ジンの師匠なら飲んでくれそうだが、さすがに、効果の分からないものを飲ませるわけにはいかない。



さて、どこから手を付けるべきか。

ヤクが薬の小瓶を前に悩んでいるところへ、ツツミがやって来た。

暇そうなので、ひょいっと抱えて膝に乗せる。至高の毛並みを撫でていれば何かひらめくかもしれない。


「お前、それはソウジの薬だろう?あまりあいつに影響されてくれるなよ。あいつの薬は、おかしいからな……」

「あの強烈な味は、特別製の師匠への愛だよ。普通の薬も作ってたよ」

「……本当か?」

「この前、たくさん見せてくれた」


するとツツミは、少しだけ耳とヒゲをぴくぴくさせた。


「そういえば、ソウジはお前をえらく気に入っていたようだな。わたしも驚いた。あいつが自分の薬を誰かに与えるなど、まずないことだ」

「なんかソウジさんって、ちょっとお兄さんっぽいよね。私が子供みたいにはしゃいでたから、親戚の子供を見るような気持ちになってたのかも」

「あいつが、兄…………?」

「私って長女だから、優しいお兄さんは憧れだったんだー」

「優しい…………?」


どうもツツミの認識とは齟齬があったようで、ぶつぶつと何か呟くばかりになってしまったので、ヤクはその素晴らしい毛並みを堪能することに専念してその日を終えた。




とりあえず、この特徴的な甘い香りはオロの実だろうとヤクは当たりをつけた。そういえば、森で出会ったときもソウジが手に持っていたのはオロの実だった。好きな素材なのかもしれない。


オロの実ということは、何か幻覚を見せるものなのだろうか。

オロの実を使った薬で液体といえば、ひとつ思い当たる薬がある。


(よし、とりあえず作ってみよう!)


その結果、素敵な夢を見られる薬ができた。

しかし色が黄色く、とろみもない。


だがこれは良い薬ではあるし、せっかくなので師匠に飲んでもらった。

すると、強い獣と戦う夢を見て気分爽快だったと喜ばれた。

ふむふむと、結果と考察をレシピブックに書き留めておく。


薬師は誰でも、自分のレシピブックというものを持っているものだ。

ヤクには「薬のレシピブック」と「お菓子のレシピブック」の2冊がある。

これまでの実験結果が考察と共に記されており、マル秘文書だ。



「お前、こんなものばかり作ってどうするのだ」


考察をレシピブックに書き込んでいると、ツツミが呆れたように聞いてきた。


それはもちろん、楽しいから作るに決まっている。

これは薬師の知的好奇心というか、性だと思う。それに、いくつかは普通の薬と一緒に売ったりもしていて、意外と売れ筋商品になったりするのだ。ここには素晴らしい被験者がいるから、最近はとても研究が進んでいる。


そう説明すると、ツツミはなぜか同情するような視線を師匠たちに向けたが、そこは気にせず、ヤクはどんどん充実するレシピブックをご機嫌で閉じたのだった。




次は、オロの実と相性が良くて甘いといえば、ツジの朝露か夜露だろうか。

これらはツジの木の葉から落とされる甘露で、採取するのが早朝か深夜かで効果の変わるものだ。

朝露は、始まり、清々しさ、生気といった効果が得られる。一方で夜露は、闇、休息、遊蕩といった具合だ。

どちらもあり得そうなので、両方作ることにした。


ツジの木はやや森の奥に生えており、採取にはジンがついて来てくれた。

ヤクの家から行く方が近いので、夜露を採取した後はヤクの家で仮眠をとり、早朝に起き出してまた朝露を求めて向かった。

その際、なぜか一緒に寝ることになってしまった。ジンが譲らなかったのだ。

普段はとても優しいが、たまに不思議な強引さで誘導されることがあるような気がしている。ちょっと悔しい。


そうして手に入れたツジの露で、ヤクは薬を作った。

朝露は、爽やかな気分になる薬が出来た。

夜露は、強い光に目が損なわれるのを防ぐ、遮光効果のある薬になった。

夜露の方は、見た目も少し桃色っぽくはなった。


近付いてはいるようだと、ヤクは腕を組んで頷いた。




後は、ソウジの薬はとろりとした蜜のような液体なので、そのとろみを出すのに何か必要であるはずだ。

とろみを出すにはと考えて、ヤクが家の作業場で視線を巡らせると、乾燥させているところだったダルメンの葉が視界に入った。

ダルメンの葉は、乾燥させたものを磨り潰して煮出すことで、食欲など様々な欲求を増幅する効果が得られる。食欲不振時に飲む薬を作ろうと準備していたものだ。


「よし、これを使ってみよう」


こういう時にふと気になったものは、試してみるべきだ。ヤクはいつも攻めの姿勢だ。

手に取ってみると、もう十分に乾燥していたのでさっそく磨り潰す。

しかし、ダルメンの葉を入れるとなると、何の欲求が増幅されるのだろうか。


(楽しみだな!)




「なんでこんな薬を入れてたの、ソウジさん…………」


そう呟いたヤクの目の前には、見事に濃い桃色の液体が出来上がっていた。


どうやらこれは、男性的な欲求を増幅する薬であるようだった。味見したヤクに効果が現れなかったのは、これは男性にしか効かないからだろう。

なぜソウジがそんな薬を持っていたのかは謎だが、世の中ではそういった需要が意外とあるのだろうか。自分は知らないことがたくさんあるなとヤクは思った。


そして仮説を立てたからには、検証してみたくなるものだ。

しかし、効果が効果であるので、果たして誰に被験者になってもらうべきか。

ヤクは薬の小瓶を手に持ったまま立ち尽くし、首を捻った。



その時だった。


「ヤク、もしかして、薬が出来上がったのか?」

「え、ジン?いつ来たの?」


いつの間にか作業場にやって来たらしいジンが、こちらを見ていた。


「うん、オロの実とツジの夜露、それからダルメンの葉。たぶんこれで出来上がりだと思う。後は、誰かに飲んでもらうとはっきりするんだけど……」

「ヤク、その薬はよくないものだ」

「え?…………っ、」


そこでなぜか急に抱き寄せられ、ヤクは思わず薬の小瓶を取り落とした。

そのままジンから深い口づけを受け、せっかく作った薬の行方に気が向かないほどに、その後ヤクの思考はうまく働かなくなった。


突然のことにヤクは恥ずかしくなって反射的に逃げ出そうとしたが、どうやってもジンの腕から出ることができなかった。そのうちにだんだん逃げ出すことも考えられなくなって、最後にはジンにしがみつくしかできなくなるような時間だった。

大事に大事にされて幸せでもあったが、心の準備が全く間に合わず、過ぎる幸福に何かが爆発してしまいそうだった。

今でも思い出すと、落ち着かなくてもぞもぞしてしまう。


後から分かったことだが、あの時ジンは、この薬の研究をしているヤクに釘を刺すために来たらしい。この薬を知っていたツツミから、その効果を聞いたのだ。


「今後、こういった薬には手を出さないように」

「…………ひゃい」


腰に回された腕の力は緩まないまま、有無を言わせぬ低い声で囁かれ、ヤクは涙目で頷くしかない。


「いい子だ」


にっこりと微笑んだジンが、褒めるように、宥めるように、目を細めてふにふにと頬を撫でる。

目元を染めて男性的な満足感を滲ませたジンは壮絶なほどに色気たっぷりで、さらに最後の仕上げとばかりにリップ音付きで頬に口づけされて、ヤクはついに儚い息を吐いて倒れ込んだ。




ヤクの今回の研究は、ここで終わった。

出来上がった薬はいつの間にか回収されてしまっていたが、ひとまず作り上げることはできたので、結果としては完結している。

この種の欲求に関する薬は、ちょっとジンが怖いのでしばらく保留にしておき、改良して今度は睡眠を促すものを作ってみようと思う。

実験に失敗はつきものだ。これからもめげずに邁進していく所存だ。


(お知らせ)最後までの目途が立ったので、明日から最終10話まで毎日更新します。

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