4. 師匠の友人がやって来た
「あー?こんなところで人に会うとは……」
ヤクは薬草を採取していた手を止めて、声を上げた男へ目を向けた。
その男が頭に巻いたターバンからは、暗いオレンジ色の癖の強い巻き髪がこぼれている。厚手のマントに使い込んだブーツと、どうやら旅人のようだ。
見たことのない人だと思ったが、そもそもこの辺りで人を見かけることが稀なのだった。
「その手元を見るに、お嬢さんは薬師か?」
「はい。そう言うあなたも、その手元のものは、オロの実ですね?」
「お、幻覚剤になるこれを知っているのか。お嬢さん、なかなかやるな」
同業者らしい男は、少し意外そうに目を見張った後、楽しそうに笑った。
薬師の男は、ソウジと名乗った。
「なんと、ジンの師匠のご友人ですか?」
「ああ。なんだ、あいつらを知ってるのか?」
「親しくさせてもらってます」
「へえ、じゃあちょうどいいか。あいつらのところに案内してくれないか?久しぶりで場所が分からなくなってな」
「もちろんです。さあ、行きましょう」
そこでヤクは、そういえば自分は道を逸れたことで現在位置が不明だったのだということを思い出した。
辺りを見回すと、ちょうど近くの枝に止まっている鳥がいる。
ヤクはさっとビスケットを出し、鳥に道案内を依頼した。
一声鳴いて承諾した鳥は、ちゃんと道まで案内してくれたので、ビスケットを渡す。
去って行く鳥に、ありがとー、と手を振った。
そこへ、困惑したような声がかかる。
「あー、お嬢さん、今のなに?」
「今の、とは?」
「なんで鳥に道案内させてるんだ?」
「それは私が鳥使いだからです!」
「ああ?」
「本職は薬師ですが、最近は鳥使いの才能にも目覚めたんです」
「鳥使いの才能……」
どやあっと胸を張るヤクに、ソウジは納得いっていないようだったが、とりあえず気にせずにジンたちの家まで案内することにした。
「おお、ソウジ!久しぶりだな!」
「おー」
「来る途中でお会いしたので、お連れしました!」
「久しぶりで場所忘れてたわ」
「ははは、それはすまなかったな、ヤク」
道中で聞いた話では、ソウジは普段は旅をしてあちこち歩いているが、気が向いた時には友人であるジンの師匠に会いに来るらしい。師匠とは、随分と付き合いが長いようだ。
ジンも師匠もあまり家から出る人ではないので、ヤクが師匠の知り合いに会ったのはこれが初めてだった。
「ああ、こいつとは、フジエナを討伐した時からの付き合いだな」
「そうだな、あの山で偶然出会ったんだったな」
フジエナとはなんぞやと、ヤクが首を捻ると、ソウジが説明してくれた。
それは、随分と前に北の方の国で暴れていた獣だそうだ。見上げるほどの大きさで、口の両端から突き出た氷の牙を持ち、吐き出す息吹は全てを氷らせてしまう。
それなりに長い時を生きた獣だったらしく、神格化して神獣になりかけていた。神獣になってしまえば人間が討伐できるものではないので、その前になんとしてもとその国があれこれ策を練っていたところ、師匠があっさり倒してしまったのだとか。
そしてその時、ソウジも共に居たらしい。
「さすが師匠!」
「ふわー、すごいですね、シショー」
その話を聞いたジンは、目をきらきらさせて自分の師匠を見上げている。
神獣となるとそれは天災級の存在であり、その名の通りに神の領域であるので、人間の手出しできるものではない。その神獣になりかけていたとなると、それはさぞかし恐ろしい怪物であったはずだ。
そんな獣をあっさり倒したらしい師匠に尊敬の念を強める気持ちは、ヤクにも分かる。
「あれは周囲のものを氷らせる力を持っていたから、なかなか大変だったな」
「馬鹿者。お前は見ていただけで、何もしていなかっただろうが」
「そうだな、ソウジは見ていただけだったな」
「いいじゃねーか。どうせ、偽物が本物に勝てるわけもなし」
したり顔で語るソウジに、ツツミが呆れたように言葉を返す。ジンの師匠は笑うだけだ。
ツツミの説明によれば、師匠たちが戦う横で、ソウジはフジエナの棲み処にだけ生える固有植物をもくもくと採取していたらしい。
「ソウジさん、固有植物ってどんなものですか?」
「お、興味あるか?フジエナディアっていう、耐寒性のある花だ。フジエナの息吹を糧とするから、奴の棲み処でしか育たないんだ。これを煎じると、強力な防寒薬になる」
「北の方の国では有用そうですね」
「そうそう。それに、固有植物ってことで、一度は薬にしてみたかったしな」
「未知の薬草は、見過ごせませんものね」
「だよな。分かってるなー」
ソウジは褒めるようにヤクの頭をわしわしと撫でた。
「よしよし。フジエナの薬はもう無いが、最近作った薬を見せてやろうか」
「わー、見たい!」
ヤクは歓喜に弾んだ。
その後、師匠たちは庭で修行を開始し、ツツミもその側で昼寝に入った。
ヤクとソウジはそのままリビングで、薬談義に花を咲かせた。
ソウジは手持ちの薬をあれこれ出して見せてくれた。旅人らしく保存に向いた薬を様々備えていて、その知識量はヤクなど及びもしないほどで、うっかり子供のようにはしゃいでしまった。
そのせいなのか、途中からソウジが目を細めて小さい子供にやるようにヤクの頭を撫でるようになってしまった。
それから、ヤクの作った薬にも興味をもってくれたようだ。
ヤクが渡した軟膏を手に取り、ソウジはにおいをかいだ。
「……ほとんど無臭だな。パチョの葉を使った軟膏で、匂いの無いものは初めて見たな」
パチョは切り傷によく効く薬草で、よく揉んでそのまま貼り付けても効果がある。
ただし匂いが強烈で、湿布らしい刺激臭がする。
ヤクはパチョの葉を清水に一晩さらしてから乾燥させることで、匂いを抑えているのだ。
「無味無臭がこだわりどころです!」
「なるほどなあ。こだわりがあるのはいいことだな」
俺もそういう方が好きだと、ソウジは微笑んだ。
「そういえば、なんでも薬はソウジさんが作ったんだった……」
「ああ、あれか。すげーだろ?」
「……あれ、いろいろ入ってましたけど、つまりはただの栄養剤ですよね?」
「そう!どうせあいつは自力で治るんだから、それなら栄養剤がいいかと思ってな。あいつは薬だと信じているところミソだ」
確かに、ジンの師匠はとても丈夫で、少々のことは自力で治してしまいそうだ。それなら栄養をとって自己治癒力を高めるのは悪いことではないかもしれない。
「あの味も、こんなまずい薬を飲まなくても良いように健康でいないと、っていう戒めのまずさなんだ」
そう言ったソウジは確かに師匠の友人の顔だったのだが、次の瞬間には指を一本ぴっと立てて、薬師の顔でにやりと笑った。
「実は、なんでも薬もそろそろ飽きたかと思って、新作を持って来たんだよな」
「え、それはとても興味ある」
「よしよし、見せてやろう。……これだ」
じゃーんと効果音付きでソウジが取り出したのは、小瓶に入った泥色の液体だった。
栓を開けて匂いを確認してみると、やはり泥のような匂いがした。
「もちろん、味も泥だ」
徹底して泥らしい。これがソウジのこだわりなのだろう。
「そして、前作と同じくただの栄養剤だ。名前はそうだな、うーん、絶対薬とか」
「絶対治るって感じですね。実際は絶対まずいってところだけど」
「大丈夫だ。良薬は口に苦し、とか言っておけばあいつは信じるから」
「シショー……」
確かに、ジンの師匠なら信じるだろうなとヤクは思った。
友人に言われて疑う理由はない。友人が薬だと言うなら、彼にとっては間違いなく薬。
なんでもおおらかに受け入れてしまう、そういう人なのだ。
「しかし、さっきヤクが使ってたツァーランの実もいいよな。血行促進作用が強化されるし、それも入れるかな……」
「あ、それだけだと酸味が強くなりそうなので、イドの樹液も入れてみては?」
「おお、酸味を相殺しつつ、無秩序な味を深めるそのチョイス、素晴らしいな。採用!」
「わーい」
「したら、ついでにこれはどうだ?」
「ほわっ、天才!色がますます混濁した泥色になりますね」
「だろー?」
ソウジが手放しで褒めてくれるので、ヤクも調子に乗って意見を出し、薬の改良はとても盛り上がった。
その結果、絶対薬は淀んだ沼のように混沌としたものになってしまうのだった。
そのうちに、ジンの師匠の話になり、ヤクは衝撃の事実を知った。
「そもそもあいつがここに住んでいるのは、フジエナ討伐の際にその国の王女から求婚されたのを断って逃げ出したからだ」
「は?」
「だからあいつは自分の名前を封印して、ここに隠れ住んでるんだ。まあここでの暮らしは気に入ってるみたいだけどな」
「そうなんですか!?」
そうしてあれこれやって楽しく過ごしていたら、随分と遅い時間になっていた。
「え、うそ!もうこんな時間!?帰らなきゃ!」
「なんだ、ヤク。今から帰るのか?夜の森は危険だからやめとけよ」
「でも、帰りはジンが送ってくれるから、」
「無理に帰らなくても、泊まってけばいいだろ」
ソウジがさも自分の家のように言う。
「え、さすがにそれは……」
「おーい、今日はヤクも泊まるってよ」
ソウジが庭に出ていた師匠たちに呼びかけると、師匠とジン、それにツツミがひょいっと顔を出した。
「おお、そうか。構わないぞ!」
「では、夕飯はヤクのごはんということだな!今日のわたしは魚の気分だぞ」
「ヤク、泊まっていくのか」
師匠は快諾するし、ツツミは夕飯のリクエストをするし、ジンにいたってはちょっと嬉しそうにはにかんできて、どうにも断りにくい感じになってしまった。
腹をくくったヤクは、夕飯は任せてくれとぐっと拳を握って宣言した。
しかし試練は、夕飯の後にやって来た。
楽しく夕飯を終え、さあ寝ようかというところで、ジンが爆弾を落としたのだ。
「ヤク、一緒に寝よう」
「え、」
「客間はソウジが使っている。他にベッドはないし」
「リビングで寝るよ」
「それでは体を壊す。というか、ヤクと一緒に寝てみたかったんだ」
なぜかとてもぐいぐい来るジンに、ヤクは自分の劣勢を悟った。
いつの間にか腰に腕を回され、逃がさないぞという意思を感じる。
部屋着になって肌の温度をいつもより感じやすいので、できればもう少し離れてほしい。
「ひょえっ!えー……、」
思わぬジンの攻勢にうろうろと視線をさ迷わせ、そこでヤクの視界に入ったのはぽてぽて歩くツツミだった。
「ツツミ!ツツミも一緒に寝よう!ね!!」
「はあ?」
「…………まあ、ツツミが一緒でも別に構わない」
突然に指名を受けたツツミは不服そうに声を上げたが、ジンは何かを思案するようにしばし沈黙し、頷く。
ジンと二人きりで寝るという刺激的な状況はなんとか回避できたようで、ヤクは安堵の息を吐いた。
「なぜ、わたしまで……」
「やっぱりツツミの毛並みは最高だね~」
「…………」
けっきょく、ヤクはツツミを抱きしめながら寝ることになった。至高の毛並みを堪能しながらまどろんでいるのは、とても幸せだったので、先ほどの自分の選択を褒めてやりたい。
後ろからそっとジンに抱き寄せられても、すでに眠りの淵にいたヤクは気にならなかった。満足そうに息を吐くジンに、ジンが嬉しそうで良かったなと思ったくらいだ。
ツツミはしばらくぶつぶつと文句を言っていたが、ヤクがその毛並みを褒めたところぴたりと黙った。
そうして三人で仲良く就寝した。
至高のふわふわと安心する温もりに挟まれて目覚めた、爽やかな朝。
ヤクはあらためて昨日作り上げた絶対薬を見て、眉間にしわを寄せた。
目の前の小瓶には、何色もが混ざった複雑な色合いの見事な泥水が収まっている。
昨日はつい盛り上がって好き放題やってしまったが。
(これ、誰が飲むんだろう……)
ヤクの横で、ソウジはとても満足そうに笑う。
ツツミは激しく顔をしかめているし、ジンは言葉が出ないようだ。
「うん、ヤクのおかげで、さらに良いものが出来たな」
「ちょっと目を離した隙に、こんなものを……」
「すごいな…………」
ソウジは絶対薬の説明をしながら師匠に渡している。
この色を見て、感心したように笑える師匠は本当にすごいと思った。
「具合が悪くなったら、これ飲んで寝とけよ」
「ああ、いつも悪いな!……しかしこれはまた、すごい色だな」
「それだけ効くんだよ。飲みたくなけりゃ、具合悪くするんじゃねーぞ」
「それもそうだな!」
(あ、シショーなら飲めるな。じゃあ、いいか……)
数日後。
ソウジがまた旅に出る日になった。
すっかりこの素敵な薬師に懐いてしまったヤクは、名残惜しくソウジを見た。それに気付いたソウジは、微笑んで優しくヤクの頭を撫でてくれる。
「よしよし。いい子のヤクには、これをやろう」
そう言ってソウジが渡してくれたのは、腰に下げていた円筒形の薬袋だった。
ソウジの髪色と同じ暗いオレンジのもので、細かな織り模様が美しい。中にはいくつか薬が入っているようだ。
「中身はお前の好きに入れ替えたらいい」
「わ、ありがとうございます」
驚くほどの薬の知識と経験を持つソウジに薬師としての品物をもらい、ヤクは嬉しくなった。
「じゃ、またなー」
こうしてソウジは再び旅立っていった。
「にぎやかな人だったねー」
「ああ、師匠も楽しそうだった」
「ははは、あいつとは腐れ縁だからな」
「ソウジの薬は、もういい…………」
その後、ヤクがもらった薬袋の中身を確認してみると、見たこともないような薬が入っていた。
今のヤクには何の薬か分からないものもあったので、悔しくなって、次にソウジがやって来るまでに絶対に分析してみせると意気込んだのだった。