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薬師の日常  作者: 鳥飼泰
本編
10/12

10. 薬師の決意

その日、ヤクとジンはラビーの食堂を訪れていた。

昼食には早めの時間だったためにまだそれほどの混みあいもなく、ゆったりと美味しい食事を楽しんでいたのだ。


日替わりランチBを食べていたジンが、ヤクに一口分けてくれようとした時だった。



「君が東の国の人か!」

「ん?………………、ほらヤク」


いきなり声を掛けられたジンは目を瞬き、そちらをちらりと見た後、ひとまず差し出したスプーンをヤクの口に押し込むことを優先したようだ。

いいのかなと思いながら、差し出されたものはありがたくぱくりといただき、ヤクは日替わりランチBのチキンライスを味わった。


闖入者の青年は、それでも構わずに続けた。


「金物屋の店主に聞いたんだ。俺と同じ、東の国の装束を着た者を見かけたって」



青年はニイナと名乗った。

あちこち旅をして、その地域の地元民とのふれあいを楽しんでいるらしい。

東の国の人間は、ほとんどが国から出たがらない引きこもり民族だが、たまに若者でこのように世界を見たいと放浪する者がいるのだ。この青年もそのタイプらしい。地元民とのふれあいを好むというだけあり、知らない人に話しかけることに躊躇はないのだろう。人が好きそうな青年だ。


しかし何よりヤクが興味を引かれるのは、その服装だった。

ヤクは東の国のスタイルが好きだが、ニイナの服装はその中でも特に好みのど真ん中を突いている。

その姿は、東の国の文献で一度だけ見たことがある、ニンジャという職業のものにそっくりだった。文献には、ニンジャは絶滅したとあったので服装だけだろうが、初めて実物を見たヤクは静かに興奮していた。しかもニイナの頭髪は文献で見たニンジャのイラストと同じ黒で、背負っているものから見て二刀流らしいというのがたまらない。

思わずじっくりと観察してしまったヤクに、さすがに視線を感じたのか、ニイナが照れたように笑った。


「あの、どうかした?」

「……ニンジャ?」

「うわ、よく知ってるね!そうそう、うちの国の昔の職業」

「文献で見たことがあるの。格好いいね、それ」

「ありがとう。ニンジャはもういないけど、今でもこうやって服装だけはあるんだ。本当はこれに頭巾もかぶってさ、」

「そういえばヤクは、東の国の服装が好きだったな。それよりも、ニイナは俺に何か用か?」


ニイナの言葉に対し、被せ気味にジンが用件を尋ねた。

相手の会話を遮るような珍しいふるまいに、ヤクは首を傾げるが、言葉を遮られたニイナは気にしなかったようだ。


「ん、いや、特に用事があったわけじゃないけど。同郷人がいるっていうから、ちょっと会ってみたかっただけ。でもせっかくだから、久しぶりに刀で手合わせでもできたら嬉しいなと思うけど、どうかな?」

「そうだな…………、手合わせは構わない。俺は剣術の師匠のところでお世話になっているんだ。少し遠いが、せっかくだからうちに来るか?」

「えっ、ほんと?行く行く!」


ニイナがどれほどの腕前かは分からないが、ひとりで旅をするくらいであるのだからそれなりに強いのだろう。

ジンがわざわざ家にまで招いたのは、連れて行けばきっと師匠が喜ぶと思ったのかもしれない。




食堂を出たところで、不意にジンに手を取られた。


「ん?迷子になったりしないよ?」

「いや、ヤクは好きなものがあると、そっちに興味を持っていかれがちだから」

「まあ、確かに綺麗な蝶とかいたら、思わずついて行ったりすることもあるけど……」

「だから、ふらふらしたりしないように捕まえておかないと」


それにしても、街にいるうちから手を繋ぐ必要があるのだろうか。くいくいっと手を引っ張ってみても、にっこり笑ったジンに離す気配はない。

こういう雰囲気のジンは頑固なので、ヤクは繋いだ手をそのままに歩き出した。


後ろで、ニイナが何か納得したように頷いた後、とてもいい笑顔で「俺、故郷に幼馴染の彼女がいるから安心して」とジンに伝えていた。


なるほどそういう心配をされていたのかとヤクは理解し、不用意に不安にさせてしまったお詫びに繋いだ手をぎゅっとしておいた。




三人で歩きながら、ニイナはいろいろな話をしてくれた。

旅をして人々と親しくしているだけあり、ニイナはとても話が上手だった。豊富に話題を持っているし、人の話を聞くのも好きなようで聞き手としても優秀だった。

ジンも徐々に打ち解けていき、道中は思いのほか楽しい時間となった。



ジンたちの家に着いてみると、そこに師匠の姿は見当たらず、庭でツツミが昼寝をしていた。


「ツツミ、師匠を知らないか?」

「……ん、…………川の方へ行っているが、すぐ戻ると言っていたぞ」


寝ていた体勢のままに腕に顔を乗せて、とろんとした様子で答えるツツミの愛くるしさに、ヤクは胸を押さえる。

しかしそこで、隣のニイナが、こぼれんばかりに目を見開いてふるえていることに気付いた。


「兎の神獣………………」

「む。なんだ、お前は」


ツツミに視線を向けられると、ニイナは突然白い兎の前に膝をつき、両手を組んで叫んだ。


「ああっ、何ものにも染まらぬ孤高の白に、恐れ多くも思わず手で触れてみたくなる至高の毛並み。太陽のごとき強く輝くその瞳!間違いない!神獣様ですね!?」

「はあ?……やめろ、わたしに触れるな馬鹿者」

「ああ、その尊大な態度…………最高!」


叫びながら手を伸ばそうとしたところを鋭く牽制したツツミに、ニイナの興奮の度合いがさらに上がった。


「おい、この妙なやつはなんだ」

「えっと、ジンの同郷の人?」

「同類のように言われると、今はちょっと否定したくなるな……」



とても落ち着きそうにないニイナに業を煮やしたツツミが飛び蹴りをしたところ、ますます手が付けられなくなった。そこで仕方なく、ジンが鞘に入れたままの剣で殴って沈黙させた。

そうしてなんとか落ち着いたニイナは、顔をしかめて頭をさすっている。


「ジン、君けっこう容赦ないな……。えっと、兎の神獣については、団報に目撃情報があったから知っているんだ」

「団報?」

「神獣愛好団の年刊誌だよ」

「神獣愛好団……?」


ニイナが言うには、世の中には神獣を好きな人たちの団体があるらしい。人知を超える存在に崇敬の念を抱くのは不思議なことではない。団員は各国に散らばり、そこそこの人数が所属しているという。

団報には、各国での神獣目撃情報が掲載されている。そのうちのひとつに、兎の神獣の目撃情報があったのだそうだ。ただし目撃場所は北の国で、随分前のこと。おそらく、フジエナ討伐の際のことだろう。

団員たちは皆熱狂的な神獣ファンだが、相手が人間の手に負えない存在であるために、主な活動はあくまで遠くからひっそりと愛でること。目撃情報についても、姿かたちは可能な限り詳細に描写されるが、場所は国名しか明かされないそうだ。


「だって、直接関わろうとすると、たぶん死ぬよね」

「賢明な判断だな…………」

「ああ、でも。こんな、神獣と会話したなんて。俺、幸せすぎて死ぬのかな……」

「そういえば、東の国には神獣信仰がある地域もあったな」

「へー、そうなんだね」

「ああ、興味がないからあまり覚えていないが」


その語るジンを見たニイナが、ぽつりと呟く。


「先ほど話をした時も思ったけど、君は変わった人だね」

「そうか?」

「うちの国の人たちは、わりと民族意識が強いというか……外の国に出るとよけいにそういうものを感じる。俺は旅をして方々をまわることが好きだけど、時々無性に故郷に帰りたくなる時はある。だけど君は、故郷に対してとても淡白みたいだ。東の国の人としては、珍しいことだね」


そう言うニイナの表情は、ジンを否定しているようではない。ただ事実を述べているだけなのだろう。

こうして静かに語るニイナは、様々な人たちと出会って親しく交わってきた経験にふさわしく、落ち着いた瞳をしている。


「君にとっては、国を出るというのは悪い選択ではなかったのだろう」

「ああ、幸いだったと思う」

「…………なんといっても、神獣様にお会いできたわけだしね!!」


それまでの安定感のある青年から一変、ニイナは神獣狂信者に戻った。

だがここまで熱烈な思いを向けられる神獣は、あまりの勢いにむしろ怯えてしまったのかヤクの陰に隠れてしまったのだった。




川の方へ行っていた師匠が戻って来たことで、本来の目的である手合わせをすることになった。せっかくなので師匠も参加して、三人で自由に打ち合おうとなった。

楽しそうだとニイナは喜んでいたが、笑っていられたのは打ち合いを始めるまでだった。


「え、なんで君の師匠は剣圧だけで木をなぎ倒せるの!?」

「師匠だからな」

「そして、君もひょいひょい避けられるんだ!?」

「ははは、よそ見をしている暇はないぞ!」

「待って待って、これ俺死ぬよね!」



「ははは、なかなか面白い動きだったな」

「はい、やはり二刀流というと独特ですね」

「………………」


珍しい相手との手合わせを終えて楽しそうに感想を話している師匠とジンの横で、ニイナは疲労困憊といった様子で地面に伸びていた。

見ていただけのヤクにも大変そうなのは伝わってきたので、ちょっと不憫になる。

労うためにツツミをお供えしようと連れて行ったら、嫌がってヤクにしがみついて離れなくなってしまった。しかしその様子を見たニイナがとても元気になったので、良しとしよう。




手合わせを終えた後、ニイナも交えてみんなでお茶をすることになった。

師匠が、楽しく打ち合ったこの青年と話をしてみたいと言ったのだ。そうするとジンに否はなく、ヤクももう少しニイナの話を聞いてみたかった。


「まあ可愛い彼女がいるし、一時帰国はするけど、本当に帰国するのはまだまだ先かな」

「ふうん。そんなに旅が好きなの?」

「そうだね。やっぱり国の中だけでは出会えないような人との出会いが、一番かな。愛好団の団員とかね!」

「あ、うん……。思わぬ趣味に目覚めることもあるんだね」

「団員だと、立場が全く違う人とでも、不思議と仲間意識が芽生えて仲良くなれるんだよね。こんな風に関わった人たちって初めてなんだ」

「ははは、楽しそうでなによりだな」


ここで再び神獣愛に燃えたニイナが興奮してしまい、しばらく落ち着く時間をはさみ。


「東の国の人たちは、あまり外に出たがらないだろう。よく親が許したな?」

「もちろん、周囲にはかなり反対されたよ。でもうちの親はさ、好きにしたらいいっていう放任主義なんだ。だから、俺も迷ったけど…………やりたいと思った時にそれができる環境にあったら、それが俺のタイミングなんだって信じて、飛び出したよね」

「やりたいと思った時にそれができる環境にあったら、それがタイミング……」

「そう。やっぱり思い切って良かったと、俺は思うよ。そのタイミングがもう一度あるとは限らないしね」



ニイナはそのまま日暮れまでジンたちの家で過ごした。

せっかくだから泊まっていけばと言う師匠に、「いえ、神獣とひとつ屋根の下だなんて、幸せ過ぎて心臓がもたないので、ここで失礼します!」と笑って去って行った。

神獣愛好団の団員は、あくまでも遠くからひっそりと愛でるのが信条らしい。


「東の国の人はおもしろいね」

「いや、うちの国民がみんなあんな感じだと思われるとちょっと……」


ジンはちょっと複雑そうにニイナを見送っていた。




ニイナと話し込んでしまってすっかり遅い時間になったので、ヤクはその日はジンたちの家に泊めてもらった。

なぜか当然のようにジンと一緒に寝ることになったので、すかさずツツミも巻き込んでおいた。

白いふわふわに頬を寄せながら目を瞑り、ヤクはベッドの上で考えていた。



ヤクは今まで、旅立ちはそのうちいつかと漠然と思っていた。だが、あの旅する青年と話をして、はっとさせられた。


(やりたいと思った時にそれができる環境にあったら、それがタイミング……)


ジンはもう予約済みで安心だが、その時になったら師匠とツツミも一緒に来てくれるように、今のうちになにか方策を考えなければならない。

まずは、周辺環境を整えることからだろうか。師匠の求婚問題もあるし、なかなかやることは多そうだ。

だが、新たな決意に燃えているヤクには些細なことに思えた。

これからもどこでだって、三人と一匹で過ごしていけるように尽力するのだ。


後ろから回された腕をそっと撫でると、ぐっと抱き寄せられた。

寝ていて無意識らしい背後の人物に微笑み、ヤクは眠りに落ちていった。


これにて完結です。

お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

次回の投稿に関しては、活動報告かTwitterで。

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