表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薬師の日常  作者: 鳥飼泰
本編
1/12

1. 迷子の薬師

「…………まずい」


つい先ほどまで立っていた場所は、遥か頭上にある。

右手に掴んだものを握り締めつつも滑り落ちた斜面を見上げて、ヤクは途方に暮れた。




ヤクは、独り立ちして数年経つ薬師だ。

今日の訪問先は大好きな人が暮らすところだったので、早く目的地へ着きたいと考えてしまった。だから、少しばかり近道をと、いつもの道を逸れたのだ。

するとそこで、茂みに埋もれるようにひっそりと生えている珍しい薬草を見かけた。薬師としては捨て置けないと思わず手を伸ばしたところで、しかしその茂みの向こうには地面が無かったらしい。薬草にしか目がいっていなかったヤクは、当然、落ちた。


「服、汚れた……」


幸いなことに怪我はないが、下から見上げると自力で上がれそうにはないくらいに落差のある斜面だった。

今日は定期的な薬の補充をする予定で、事前に決まっていたことである。訪問先の者たちは、ヤクが来るのを待っているはずだ。

このままでは、姿を現さないヤクを探しに来てしまうだろう。


「絶対に叱られる……」


実はヤクが迷子になるのは、これが初めてではない。薬草につられて注意力散漫だったと知られたら、きっと叱られてしまうだろう。

なんとかして、素早く元の道に戻らなければならなかった。



迷子になった時はその場を動かない方がいいと誰かが言っていたが、ヤクの場合は、いつもなんとなく最終的にはどうにかなるので、その時できること探していくスタイルだ。

この積極的に攻めていく姿勢が解決をもたらしていると信じているヤクは、ひとまず進むことにした。

しかしまずは、落下時にも握り締めて離さなかったせっかくの薬草を、きちんと収納袋にしまう。せめて収穫があったことに、少しばかり気分が上向く。


「よし」


頷いて、なんとなくこちらだろうかという方向に進んだ。



しばらく行くと、じっとこちらを見ている白い鳥がいることに気付いた。ヤクが視線を返してみても逃げる様子はない。


「………………」


そのまましばし見つめ合い、そういえば、今日の訪問先で暮らしている白い兎と一緒に鳥にエサをやったことがあったのを思い出した。もしかしたらこの鳥は、その時の鳥なのかもしれない。

一緒にエサをやった白い兎は動物たちと意思疎通ができるようなので、この鳥に伝言を頼めないだろうか。

ちなみに、白い兎の名前はツツミという。ツツミは白い兎のように見えるが、額に一本の角を持ち、なぜか喋ることのできる不思議な生き物だ。本当に兎なのかどうか、ヤクは知らない。


「鳥さん、ツツミに私がここにいることを伝えてくれない?迎えに来てほしいけど…………できればジンには内緒で」


白い鳥からの反応が無いので、やはり違う鳥なのだろうかと心がくじけそうになる。

だがヤクが駄目押しとばかりに取り出したものを見て、鳥の目の色が変わった。


「うまく伝えてくれたら、後でこのビスケットをあげるよ」


そこで白い鳥は枝を蹴って飛んで行ってしまった。

伝言を引き受けてくれたのか、ビスケットを提示したヤクの迫力に慄いて飛び立っただけなのかは分からない。

分からないなら、良い方に考えておこうと心を奮い立たせて、ヤクは再び歩き出した。じっとなどしていられない。



しばらく歩いていると、今度は川に出た。

今日の訪問先の近くには川が流れているが、これはその川と同じ流れなのだろうか。


「うーん……」


近くに寄って見てみようと川縁へ踏み出したところで、どこからか小さな生き物が飛び出してきた。


「わわっ」


足下を駆け抜けた毛玉を踏みつぶすという惨事を避けようとしたことで、ヤクは大きく体勢を崩した。なんとか踏ん張ることはできたが、その拍子にいつも備えている薬草袋を川に落としてしまった。


「ああっ…………」


ヤクは虚しく手を伸ばして項垂れる。その間に薬草袋は下流に流れていってしまった。

よく使う汎用性の高い薬草をいくつか詰めて手作りの袋に入れてあった薬草袋は、同じものを用意するのは難しいことではない。しかし今の手持ちはあれしかなかったので、失ったのはやはり痛かった。


(そして飛び出してきた毛玉は、すでにどこかに行ってしまっているし……)


八つ当たりの相手もおらず気分の晴れないヤクは、薬草袋を失った腹いせに、川に沿っていくつか薬草を集めて歩いていった。

すると、いつの間にか川を逸れていることに気付いた。


「どこよ……」


しばし呆然としたところで、今度は茂みの向こうから救世主が登場した。


「ツツミ!」


先ほどの毛玉とは違い、ヤクの見慣れた頼もしい白いふわふわだ。

ヤクの前に現れた喋る兎は、呆れたような目を向けてきた。


「また迷ったのか、ヤク……」

「うーん、あそこで地面が無いとは思わなかったんだよ」

「……おい、よく見れば服が汚れているが、落ちたのか?まさか怪我などしていないだろうな」


急にツツミが真面目な顔をしたので、慌てて否定する。

ヤクは迷子になることに慣れているが、心配させたいわけではないのだ。

薬草を摘もうとして斜面を滑り落ちただけだと説明すると、馬鹿者と叱られた。


ツツミは、白い鳥からの伝言をちゃんと受け取ってくれていた。

しかし伝言が伝えられた場には、共に暮らすジンとその師匠も居たらしい。


「え、ということは、」

「ジンも近くまで来ているぞ。川でお前の薬草らしきものを拾ったから、この付近を手分けして探すことにしたのだ」

「ですよねー…………」


では、ジンと合流するのも時間の問題だ。

大好きなジンに会えるのはとても嬉しいが、なんとか叱られないようにできないだろうかと、ヤクは必死に考えを巡らせた。

ジンとの合流地点までツツミが先導してくれているが、兎のお尻がふりふりと揺れる様子の愛らしさに考えがまとまらない。

もういっそ抱えてしまった方が至高の毛並みも堪能できて気持ちが落ち着き、案外考えごとに良いのでは思い、ヤクが手を伸ばそうとしたところで。


「あ、さっきの鳥さん?」


枝の上に、白い鳥が止まっていることに気付いた。先ほど伝言を頼んだ鳥のように見える。

じっとヤクを見つめて何かを訴えているようだった。

しかし何を訴えたいのか分からなかったヤクは首を傾げる。


「………………」

「!!、!!」


しばらくしても希望が叶えられないことに焦れた鳥は、けたたましく鳴き声を上げながらヤクに不満をアピールする。


「わっ、なに!?」

「お前が約束したビスケットを渡さないことに、苛立っているようだな」


立ち止まってしまったヤクに気付いて引き返してきたツツミが、通訳してくれる。


「あ、なるほど。ごめんごめん。……じゃあ、はいこれ。うわっ、」


そういえばと、慌ててビスケットを取り出したところ、鳥は勢いよく向かってきてビスケットを奪っていった。

そのあまりの勢いにヤクの視界が一瞬遮られ、足下に転がっていたらしい石に足をとられた。


「ヤク!」


ツツミの慌てた声が聞こえ、ヤクは転倒の恐怖に身構えて全身に力を入れた。


(……こけるっ…………)


しかしそこで、後ろから伸びてきた腕にぐいっと引っ張られ、ぽすんと何かに背中を支えられた。

ヤクが状況を理解する前に、そのまま優しいぬくもりに包まれる。


「……ヤク」


耳元で響いたのは、安堵を含んだ耳に馴染んだ声。

振り仰いでみると、そこに居るのはやはり、東の国の衣装が似合う大好きな剣士の青年で。


「ジン…………」


腕の中でくるりと後ろを向いてぎゅっとしがみつくと、頭の上で苦笑する気配がある。

それでも引きはがしたりせずに背中に腕を回してくれるジンの優しさに、ヤクは甘えることにした。


「ヤク、怪我はないな?」

「……うん」

「はあ、ならいいが。川に足跡を残したなら、せめて川沿いに居てくれ。なんでこんなところでこけそうになってるんだ」

「心配かけてごめんなさい……」


ジンは、鳥の鳴き声を聞いてこちらに来てくれたらしい。

鳴き声を上げた鳥のおかげでジンに助けてもらえたが、そもそもこけそうになったのもあの鳥のせいなので、差し引きゼロだ。ビスケットを渡し忘れていたことはカウントしない。


「この馬鹿者は、薬草に目がくらんで先ほど斜面から落ちたらしいぞ」

「あ、ツツミのばか!」

「…………ヤク?」


呆れたような声でツツミが意地悪くヤクの失態を明かしてしまうと、ジンの笑顔が温度を下げた。


「う、ごめんなさい」

「そういえば、ツツミに探しに来てほしかったみたいだな?俺には内緒で」


しかも、あの白い鳥は伝言をしっかりと伝えてくれたようで、ジンに知られないうちになんとかしようとしたこともバレている。

これは明らかに叱られる流れなので、こうなったら失態だけでなく収穫もあったのだということをアピールするべきだと、ヤクは声を上げた。


「でもおかげで、珍しい薬草はちゃんと採取できたんだよ!」

「……懲りてないな、ヤク」

「ん?」

「今日はハグなし」

「えっ!!そんなひどい!!今日は3日ぶりなんだよ!?」

「だめだ」



ジンはヤクを腕の中から出してしまい、ヤクがいくら抱き着こうとしてもそっぽを向いて応えてくれることはなかった。

しかしジンたちの家に向かう道中、手は繋いでくれた。

これはご褒美ではなく、はぐれてまた迷子にならないための予防的措置なのだそうだ。素晴らしい措置だと思う。

それに、今日はハグをしてもらえなかったのだから、明日もまた来て今日の分もたくさんハグしてもらわなければと、ヤクはこっそり考えていたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ