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ひとりごはんその1


 暦の上では冬、十一月の中ごろの休日、鼻歌交じりの男が台所に立っていた。

 葉物野菜を水で洗い、一枚一枚むしっては水を汲んだボールの中に入れていく。

 豆腐を才の目状にカット、豚バラ肉を一口サイズにカット、きのこ類を手でさいていく。

 どうやら男は鍋の準備をしているようだ。

 コンロでは大鍋から黄金色の液体がかぐわしい湯気を立てている。

 昆布、アゴ、鰹節からとった男渾身のだし汁だ。



「素材から水分が出る、考慮の上濃いだし汁をつくる。うん。俺ってやっぱ天才だわ~」



 上機嫌の男は鍋に白滝を投入した。

 その後も男は鍋の準備を続けていく。


 男の名前は、立浪真たつなみまこと、三流大学に通う学生だ。

 趣味は料理、大学生になったことで実家を出て以来どっぷりはまってしまった。

 今日は研究を重ねただし汁を使い今年初の鍋をつつくのだ。

 月2万、6畳間の隙間風満点の真の部屋では鍋はさぞ温まるだろう。


 真はこの1週間今日の鍋だけを考えていた。

 講義中も、バイト中も、だし汁のこと、合う具材にしめのし方、香る湯気にお口に広がるであろう旨み、彼の頭は食欲でのみ構成されていた。

 

 そんなだから講師には注意され、バイトではへまをしたりしていた。真はまったく気づいてはいなかったが、彼の情熱は趣味の範疇を超えつつある。その上この男、恋人はおろか友達すらおらず頭の中は常に食へのこだわり。コミュ力がないわけではないので孤立しているというわけではなく、なんというか趣味人、いや変人か。この言葉が似合う人物なのだ。


 

 ピンポーン、呼び鈴が鳴る。来客など来るはずがない、頼んだ覚えはないが宅配かはたまた押し売りが妥当だろうか。真は居留守を使おうか悩んだが応対することに決めた。火を止め、玄関に向かう。



「はいはい、どちらさん?」

 


 エプロンで湿った手を拭いつつチェーンロック越しの戸を半開きにする。



「立浪さんのお部屋でしょうか?お届け物ですサインお願いします」

「はいはい、ご苦労様です~」



 真はチェーンロックを外し荷を受け取った。

 どうでもいいが宅配のサイン、いつからタブレットにサインになったんだっけか?



「すっごいいいにおいですね~、何か作ってたんですか?」



 すんすん鼻を鳴らしながら宅配員のあんちゃんが話しかけてきた。



「っあ、わかります~、鍋でも突こうかなって、だし自作なんですよ~」

「ああ、いっすね~、今日冷えますもんね。僕も今晩鍋突きたくなってきましたよ」



 さぞ食欲が刺激されたのか宅配員は今晩の鍋の具を想像したのか腹の虫が音を立てた。



「っと、失礼しました~」

「いえいえ、自分でいうのもなんですけどめっちゃいい匂いっすからね」



 苦笑いを浮かべ宅配員は去っていった。

 真は仕事を続ける宅配員に少しだけ同情した。

 時刻は午後5時すぎ、この季節になれば外は暗い、そのうえ冷える。うちへの配達で食欲が刺激されてしまったことだろう。申し訳ないな、この鍋は俺のもの、あんちゃんはあんちゃんでうまいものでも食ってくれってな。



「さて続き続きっと、その前に」



 真が受け取った荷は実家からだった。畑でとれた新鮮野菜だろうか?にしてはクール便など使うのだろうか?取りあえず開けるか。

 そこそこの重量の段ボールを台所に運び開封した。中身はジャガイモ、ニンジン、ホウレンソウ、白菜など豊富な野菜と保冷パックに入っている何かだ。何だろう?手に取る。



「あ、もしかして!」



 きっとそうだと予感があり、保冷パックを開けると中にはタッパーに封されているキムチが入っていた。



「ばーちゃん!ありがとう!」



 テンションを上げタッパーを開けた。すると懐かしい匂いがした。


 市販のキムチは辛さと酸っぱさを主張する鼻につく香りを出すがこいつは違う。キムチなのに甘い匂いがするのだ。でも味はキムチ、辛さの中に甘みもあり歯触り抜群!このキムチよりうまいキムチを食ったことがない。真の食へのこだわりはこいつを食したときから始まったといって過言ではない。一房つまみあげる。



「ではでは失礼して」



 唾液を飲み込み我慢できず口にする。…うん、やっぱりうまい!実家を出てから帰ってなっかたので久しぶりに口にする味に笑みがこぼれる。ばーちゃん今年もつけたんだな、元気にしてるかな?


 途端に郷愁にかられ今晩にでもお礼の電話を入れて家族の声が聞きたくなった。

 が、それはそれとして鍋の続いを…!


 脳内に一つのひらめきが起こる。


 “キムチ鍋もありじゃない“


 幸いにしてベースにすべきだしはある。それで楽しむつもりだった鍋。しかし、手元に最強のキムチ、使わない手はない。用意した具材は変更なく使える。



「やるか」



 まずはキムチ鍋用にだしに微調整が必要だ。



「晩飯が楽しみだぜ」



 どっこいしょ、胡坐を組み座り込んでいた腰を浮かす。


 腹が減った。空腹は飯をさらにうまくする調味料。

 上機嫌で包丁を握り素材の処理の続きを始める。


 鼻歌に呼応してお腹が鳴った。そういえば宅配員さんも今夜は鍋にするのかな。

 鍋はみんなを笑顔にする魔法の釜、笑顔もおいしさの調味料。

 恥ずかしいポエミーな思考をしつつ調理を再開した。


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