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夏の日のユーレイ  作者: マヤ
8/11

思い付きの行動の結末

 その家を訪れたのは、日が長い夏でも暗くなる夜八時過ぎだった。アスファルトにこびりついてた熱気はまだまだ消えてなくて、じっとしていてもじんわり不快感がまとわりつく。

 向かったのは、昼間に歩いた地域の一軒。目的地は、立派な二階建ての家だった。

「この車ですか?」

 家から漏れる灯りを避けるよう、二人で物陰に身をひそめる。通報されたら言い訳のしようもない。

「ごめんなさい。見ればピンとくると思ったんですけどはっきりは分かんないです」

 ほんとは当人の確信があれば心強かったんだけど。まあ、でも。

「車の左前なんですけど、あそこの部分だけ他と光沢というか汚れ方が違うんです。急ぎで、多少ガサツな修理をしたんだと思います。ちゃんとした設備じゃない場所。知人に頼んだか、あるいは自分でやったか」

 それが証拠になるわけじゃない。だけどなにかあったかもしれないと疑うとっかかりにはなる。

「じゃあ、行きますか」

 けっきょく、問い詰めるための証拠だとか文句は思いついてない。悩んで思いつくものでもないし。

 玄関から少し離れた門柱のチャイム。最初の一言だけは決めていた。

 ゆっくりチャイムを押して数秒。家の電気は点いているから在宅なのは間違いない。

「はい」

 本人が出てくれればと想っていたのに、期待に反して女の人の声がした。後ろで、三科さんが小さく息を吸い込む。

「こんばんは。マルハチ商事のイシイです。フジハラ部長にお渡ししたいものがあってきたのですが」

 手に持った携帯の画面を見ながら僕は答える。氏名に住所に彼の会社。家族構成や年齢や簡単な経歴。調べればどんどん芋づる式にプロフィールがわかる怖い世の中。

「ちょっと待っててください」

 わずかな静寂。やがて玄関に電気が点いてドアが開く。僕は慌てて顔を隠すように頭を下げた。

「こんばんわ。フジハラサトシさんですよね」

 緊張して上擦らないかと不安だったけど、自分でもぞっとするくらい低い声だった。

「おまえ、だれ?}

 そう口にしながらも、足音は近づいてくる。

「初めまして。宮川セイイチって言います。少しお話したくて伺いました」

 足音が十分近づいたと判断して頭を上げる。

「あなたがフジハラさんですか」

 灯りに照らされて立っていたのは、筋肉質な男性だった。年齢は四十過ぎらしいけど、とてもそうは見えないくらい若々しい。身長は僕と変わらないくらいなのに、ずっと大きく見える。正直、街で見かけても声をかけたくないタイプだ。

「だれ?」

 再びの問い。まあそうだよね。まったく知らない他人が自分の名前を知って訪ねてきてるんだから。

「単刀直入に訊きます。あなたの車、最近修理した跡がありますよね。いえ、違わないです。この左前の部分です」

 相手の否定も関係ない。どうせいいアイデアも思いつかなかったんだ。一気にまくしたてるしかない。

「今から二週間くらい前、近くで大きな事故があったんです。あなた、関係ありますよね」

「は? 事故とか知らないんだけど。お前なんなの」

 舌打ち交じりに、今にも殴りかかってきそうな雰囲気。

「あなたの顔。私、あなたの顔見ました。事故の日私と目があいましたよね」

 後ろで三科さんが叫ぶ。僕はその声にびっくりしたけど、フジハラは全く動じない。むしろ、僕が彼の言葉に怖気づいたと思い、もう一度舌打ちをして家に戻ろうとする。

「待ってください。人が一人なくなってるんですよ。罪悪感とか、謝ろうって気持ちとかないんですか」

 僕が叫ぶと、フジハラは振り返るなり僕の襟をつかむ。

「だから知らねえつってんだろ。事故だとか女が死んだとか関係ないんだよ、俺は」

 僕を突き飛ばしてから、彼は足早に家の中に戻ってしまう。

 じりじりと右の手のひらが痛んだ。尻もちをついた拍子に切ったらしい。

 視線を上げると、唇をぎゅっと結んだ三科さんと目が合う。

「すみません。せめて、彼に謝ってもらえればと思ったんですけど」

 謝るもなにも、僕には三科さんが見えているけど彼はそうじゃないのだ。謝るわけがない。そもそもあの感じだと、三科さんが見えていても反応が変わらないかもしれない。

「あの人、あの人で、間違いないと思うのに」

 泣きそうな顔をした三科さんが呟く。

 ここまで、確たる証拠がなかった。でも、三科さんはあの人だと言う。なにより、彼は『女が死んだ』と言った。あんな男が、地方新聞の隅にしか載ってないような交通事故の記事や雑木林に放置されたような看板を見る可能性は高いだろうか。

 だけど、本人に否定されてしまった。僕たちは警察じゃない。志穂なら、あるいはなにかあくどい罠でも仕掛けるかもしれない。

 だけど、もう僕が彼にできることはない。

 僕は、無力だ。

「三科さん」

 僕が声をかけると、僕の言葉を遮るように彼女が口を開いた。

「もうだいじょぶです、宮川さん。なんか、踏ん切りがつきました。無茶なお願いだったのに、聞いてもらえてうれしかったです」

 そう言って、彼女は無理やり作ったようなぐちゃぐちゃの笑顔を向けてくる。

「やめてください。けっきょく、僕は、僕には何もできませんでした」

 立ち上がろうと踏ん張った僕に、三科さん手を伸ばす。掴んだ手は、やっぱり熱くも冷たくもない、生気の感じられない手だった。

「ずっと考えてたんです。なんであなたには私の姿が見えて話もできるんだろうって。きっと、私が未練を残さずにいられように案内できるのがあなただったんです。何もできなかったなんてことありません。私は、やっと前に進めます」

 不意に、掴んでいた手が空を握る。

「えっ」

 さっきまで彼女の手があった場所には僕の手しかなかった。

「ありがとございました」

 手どころか、もう彼女の姿はなかった。どこか感じていた気配も、泣くのをこらえているみたいな息遣いもない。

「三科さん!」

 まるで最初からここには僕しかいなかったみたいに、閑静な住宅街に僕の声が響く。思い出したように右手が痛み出し、汗がどっと噴き出してきた。一日歩き回った足首も痛くなってきて、僕はそれでも構わず走り出した。

 これが、こんなことが結末なのか。無垢な人が悪意につぶされるのが、世界なのか。

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